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2009-02-07 20:08:42 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への質問 -神学研究の方法 3-

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H先生



おそらく、先生も経験していることかもしれませんが、欧米の交通機関の中では、たとえ、キリスト教とかの本を読んでいても、ごく普通のことであって、誰ひとり気にもしなければ、顔つきにも、態度にも表しません。日本でも東京であれば、あるいは、欧米と同じかもしれませんが、地方では、そうは行かず、大部分のひとたちが違和感を露骨に表現し、中には、「頭がおかしいのではないか」と揶揄してきます。私も電車の中で神学の教科書や文献を読んでいた時に、そのような揶揄の言葉を投げかけられ、あまりにも大きな無知に深く失望させられたことがありました。日本では、神道・キリスト教・仏教の信者のうち、キリスト教の信者は、わずか1.5%にすぎず(本欄バックナンバー参照)、日本の歴史的経緯と教育方針からして、世界でも希な現象、すなわち、増えも減りもしないようです。


天照大神は日本神話の世界です。世界にも同様の神話は存在しています。ユダヤ教のヤハウェやヒンドゥー教のヴィシュヌ等、イスラーム教のアッラーは、神話の中の神の存在であって、ユダヤ教のモーセ、仏教の釈尊(お釈迦様)、イスラーム教のムハマンドは、歴史的に実証されている預言者です。キリスト教のイエスは、神であり、預言者なのです。ユダヤ教は、旧約聖書だけでなく、キリスト教の新約聖書の礎となり、なおかつ、その後も、独自の民族宗教として、世界で特有の存在感を示しつつ、今日に至っています。まさに、強烈であり、強いインパクトを受けます。


これまでのやり取りと認識から、神学研究の構造は、つぎのような"ピラミッド構造"になっているように思えます。研究に必要な基本的な教科書と文献を購入し、このような体系化を進めたいと考えています。


----------専攻している神学---------

----------神学や宗教学の哲学------

-----比較宗教学としてのユダヤ教----

-----比較宗教学としてのヒンドゥー教--

-----比較宗教学としての仏教--------

-----比較宗教学としてのイスラーム教-

--------旧約聖書と新約聖書---------

----歴史学、一般哲学、社会科学等----

------ヘブライ語やギリシャ語等-------



桜井淳

2009-02-06 21:21:52 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への質問 -神学研究の方法 2-

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H先生



ゼミで利用している教えていただいたマイモニデスの英語版(ペーパーバックク)のテキストの価格は、丸善で調べていただいたところによりますと、意外と安く、3085円でしたので、すぐに注文いたしました。1ヵ月間で入荷するそうですので、3月に読みことができ、4月からの新年度からのゼミに利用することができそうです。


神学研究の中心は、ヘブライ語で書かれた46冊の旧約聖書(預言者のモーセをとおしてイスラエルの民に与えられた神の救いの契約・約束に基づくもの、神はヤハウェ)(ユダヤ教)と27冊の新約聖書(神の子イエスをとおしてもたらされたひとびとに対する神の救いの契約・約束を示すもの)(キリスト教、神はキリスト、なおキリスト教では旧約聖書をイエスの救いを証明す預言書と位置づけるに留めていますが、旧約聖書は、紀元前12世紀から紀元前2世紀の半ばにいたる約1000年に書かれ、その主な内容は、天地万物の起源(「創世記」にはアダム(ヘブライ語で"土"とか"人間"の意)とイブ(ヘブライ語で"生きる者"の意)が記されています)、そして、人間の系譜に基づくアブラハムの子孫であり、かつ、神の民であるイスラエル民族と神の歴史的で出会いの数々を集大成したもの)の史的研究聖書解釈学研究となります。察するに、旧約聖書と新約聖書に関係したユダヤ教が最も根源的な神学なのでしょう。


さらに、比較宗教学研究のため、古い順に、主な神学と宗教であるヒンドゥー教(紀元前の約20世紀から10世紀にインドで発展し、その宗派を大別すると、ヴィシュヌ神(東大法文二号館3階の廊下に石像が置いてあります)を主神とするヴィシュヌ神派とその一支流をなすシャクティ派、シヴァ神を主神とするシヴァ派に分けられます)、仏教(紀元前約5世紀にインドで釈尊によって起こされた人々に対する救済の教え)、イスラーム教(紀元約7世紀にアラビア半島で預言者のムハンマドによって起こされた古代と中世を結ぶ教え、神はアッラー)の研究が欠かせず、研究に利用できるそれらの教科書を早急にそろえねばなりません。


聖書の解読のためにヘブライ語とギリシャ語、プラトンの哲学書の解読のためにギリシャ語が必要であり、来年4月からのゼミに間に合うように勉強しておきます。



桜井淳

2009-02-06 19:54:17 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-日本の原子力開発の中枢機関はどこか 4-

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【講演要旨】創設期に動燃が採用した"業務委託"を重視する"参謀本部"方式(原産会議『原子力は、いま(上)』(原産会議、1986)のp.191)とは、どのような制度かと言えば、建前としては、「新事業団の役割・性格についてもさまざまな角度から、時には非公開の席を設けて、各所で真剣に討議された。アンチテーゼとして原研は存在していても、国の総力をあげて推進するこの動力炉開発の中核である新法人は、開発の"参謀本部"といった性格のものにすべきか、開発公社のようなものにして施設・人員をすべてその中に取り込むようなものとすべきかが大きな岐れ道であった。日本的な風土の中では一つの新組織が効率ある有機体として活動できるには数年は必要とされるだけに、先進国へのキャッチ・アップを急ぐ本計画の場合、"開発公社"案は間尺に合わないものとして排除され、人間を事業団に引抜くよりも組織ぐるみ各機関の力を活用する"業務委託"を重視する"参謀本部"方式に決まった。そして、業務遂行を計画的に進めるため、動燃はOR手法、RERTなどの科学的管理法を駆使してプロジェクトを機動的に運営することになって、"計画管理部"という組織も設けられた」(同、pp.190-191)と、歯の浮くような高い理念が掲げられていますが、実際の業務内容と手順は、原子炉メーカーを初めとする原子力産業界から、一社当たり数名のエンジニアを出向させ、そのひとたちを動燃職員として採用し、彼等は、技術仕様書を書き、法外な開発費込みの技術開発・製品製造を出向元に発注し、各社からの出向者がみなそうようなことをして、莫大な開発予算を濡れ手に粟方式に、自由自に出向元に便宜を払うようにしており、発注先は、メーカーのみならず、大学や原研にも及び、各社・原研・大学とも、少ない場合でも、普通の2、3倍、多い場合には、十数倍もの開発費をばら撒いており、原研や大学の研究者は、そのような方式で入手した開発費をうまく利用して、実際の業務は、その数分のの予算でシンクタンクやソフト会社、下請け等に発注し、浮いたカネを活用し、自由な研究や本来組織の予算でやらなければならないような研究まで、そのような資金を流用しており、そのように方式は、何も動燃を中心とした濡れ手に粟方式ではなく、大学の研究者が依存している科研費にもそのような流用が日常的になされており、私は、若い頃、原研の研究室で、そのようなカラクリの一部始終を知り得ることができましたが、動燃は、そのような方式で得た成果を報告書として納品させ、表紙だけ差し替えて動燃報告書にしたり、白々しくも、学会口頭発表や国際会議発表等までしており、そのような仕事の仕方は、経済産業省管轄の原子力部門組織でも実施されており、内実に詳しい者からすれば、この世の中は、まさに、狐と狸の化かし合いということになるのでしょうが、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」も動燃と原子炉メーカーの間の化かし合いの結果建設されたものであり、まともに動かないだけでなく、建設費が20年前の価格で7000億円にも達し(いまの貨幣価値に換算したら1兆円にも達しますから驚きです)、当時、110万kW級軽水炉の建設費が3500億円の時代でしたから、単純に比較して、「もんじゅ」の建設費は、2倍となり、単位電気出力あたりに換算すれば、8倍にも達し、信じがたい数字となり、「もんじゅ」施設の内部を詳細に見学してみれば、それほどの価値が認められず、やはり、動燃は、原子炉メーカーに普通の数倍のカネを騙し取られていた事が証拠として残っているように受け止められ、タービン室の広いフロアに、小さなタービン・発電機がひっそり、貧弱に設置されている光景を見ると(桜井淳『原発システム安全論』、日刊工業新聞社、1994)、本当に粗末な施設という印象を受け、"業務委託"を重視する"参謀本部"方式とは、まさに、以上のごとく、ナショナル・プロジェクトなる美名の下に、原子力産業界が莫大な原子力予算を濡れ手に粟方式で自由自在に騙し取るための制度たったと言えます。

2009-02-05 20:03:37 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-日本の原子力開発の中枢機関はどこか 3-

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【講演要旨】1970-1990年頃の主要な比較要因((1)社会的影響力、(2)予算規模、(3)施設規模(総合性)、(4)人員数、(5)独創的成果、(6)学位取得者、(7)各種褒章受賞数、(8)社会的貢献度等)を客観的に比較した場合、原研と動燃のどちらが原子力研究の中枢機関であっただろうか、特に、その総合性(物理、化学、材料、燃料、計算科学、コンピュータ技術、核融合研究、研究炉・試験炉、各種加速器、軽水炉安全性研究、RI製造・配布、放射線照射利用等)からして、原研であることは間違いありませんが、それでも、原子力界ではないものの、社会科学を研究している大学の先生の中には、動燃と位置付けている者もおり(たとえば、『原子力の社会史-その日本的展開-』(朝日選書、1999)の著者である九大大学院比較社会文化研究院の吉岡斉先生)、その判断根拠は、推察するに、原子力研究イコール核燃料サイクル技術(主に、ウラン濃縮遠心分離器、核燃料再処理施設、国産動力炉等の技術)と位置付けており、特に、国産動力炉開発の予算と開発組織の存在に高い評価点を与えているように解釈できますが、核燃料再処理施設は、仏サンゴバン社の技術であり、国産動力炉開発は、新型転換炉原型炉「ふげん」や高速増殖炉原型炉「もんじゅ」に見るように、決して成功例と位置付けることはできず、むしろ、どちらかと言えば、失敗例であるため(吉岡先生は失敗例の組織の存在をどのように正当化しているのでしょうか、不思議でなりません)、業務内容と組織力に疑問が残り、社会的な信用や影響力は、決して高いと言えず、むしろ、逆であったために、1997年に発生した核燃料再処理施設附属施設火災・爆発事故を契機に、自民党と科学技術庁により、それ以上の継続は、認められないと判断され、解体され、改組されて、核燃料サイクル開発機構に衣替えされたという経緯があり、それらの真実から、動燃が中枢機関であったとの評価と位置付けは、虚構に過ぎず、商業技術に結び付けられる技術開発が実施できなかった最大の組織的欠陥は、"業務委託"を重視する"参謀本部"方式(原産会議『原子力は、いま(上)』(原産会議、1986)のp.191)にあったと言われていますが、その方式は、一言で言えば、動燃が窓口になって、原子炉メーカーを中心とした原子力界、特に、原子力産業に開発予算を分配する"トンネル機関"です(続き、次回)。


2009-02-04 17:47:38 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-日本の原子力開発の中枢機関はどこか 2-

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【講演要旨】私(桜井淳所長)は、いくつかの座標系(東大、原研、原子力学会、安解所、原産)から物事を眺めてきたため、相対的には、比較的、客観的な視点を持っていると思いますので、原研と動燃の相互比較の前に、触れておかなければならないことがあり、ひとつは、東大の社会的影響力の大きさであり、もうひとつは、研究とは何か・技術開発とは何か・実証試験とは何かということで、まず前者の問題の東大の社会的影響力について説明すると、東大に原子力工学科があろうがなかろうか、その施設規模・予算・人員に関係なく、東大全体の先生方には、政府委員会・学会委員会等、あらゆる委員会で絶大な権力が与えられており、日本の原子力行政と方向を左右するほど大きな力を有し、施設規模・予算・人員で圧倒的に優る原研や動燃よりも、はるかに大きな権力を行使しており、つぎに後者の問題について、科学技術庁は、原研の組織名には、"研究"という表現を用いていますが、意識的に、動燃には研究と言う表現を絶対使わせないようにしており、さらに、動燃を解体して改組して創設した組織名についても、徹底的にこだわり、絶対に研究という表現を使わせず、"開発"という表現にこだわり、核燃料サイクル開発機構とし、さらに、当時の通産省は、研究や開発という表現すら使わせず、"実証試験"という表現にこだわり、科学技術庁との分担の相違を明確に世の中に示していましたが、これらの事実関係について、世の中の皆さんは、ご存知であろうか、この件は、傍目にはどうでもよいことのように映りますが、座標系を変えて、行政側の運用の視点から眺めれば、研究・開発・実証試験という分類・表現には、非常に本質的な問題になります(続き、次回)。

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