週刊新潮の記事 (2004年7月15日号)
その「逮捕監禁致傷事件」が発覚したのは、顔に大きな青アザを作った若い男が、5月19日の昼間、
男性は
警察関係者がいう。
「事情を聞くと、見も知らぬ女性のことで、知人のチンピラから絡まれたということでした。車のトランクの中に監禁されて、
確かに、この花屋の店員が証言した通り、事件の犯人、神作譲という33歳の男を調べると、彼は16年前、女子高生を監禁し、殺害した4人の犯人グループの1人だったのである。
当時、17歳の神作がコンクリート詰め殺人でどのような役割を果たしていたのかを見る前に、まずは、今回、起きた逮捕監禁致傷事件の顛末をご紹介しよう。
被害者の知人の1人が説明する。
「神作は、被害者が働いていたフラワーショップの社長の知人の若い衆だったのかな。6〜7カ月前に、その社長の知人が店に来たとき、一緒に付いて来ていたんです。身長は190センチ近いがっちりした大男で、一見して、その筋の人という雰囲気があった。たまたま、店で働いていた被害者と顔見知りになっちゃったわけです」
その場で意気投合したということでもなかったが、それ以降は、道で顔を合わせれば挨拶をする程度の間柄になったのだそうだ。ところが、なぜか今年の春先、突如、神作が被害者の男性に急接近したのである。ここから先は、被害者自身に語ってもらおう。
「時々、撲の携帯に電話が掛かってきていたんですが今年の3月か4月ごろに、突然、夜中の2時に、僕のマンションを訪ねてきて、ズカズカと上がりこんでしばらく世間話をして帰っていきました。ところが30分くらいすると、また来て、俺の財布がなくなった″って言いながら、勝手にたんすやクローゼットを開けて僕の部屋を家捜しするんです。財布がねーんだよっ、どこを捜してもねーんだよっ″とか言いながら……。でも、断ることもできなくて……」
こんな傍若無人な態度に文句一つ言えなかったのは、神作の外見を怖れたからだけではなかったという。
「実は、彼が頻繁に家に来るようになって、話をしてると、あるとき、突然、俺はなあー、少年のとき10年もムショに入ったんだよー″って、軽い調子で、言い出すんですよ。怖くて、何の事件ですか=Aとも聞けないでいると、自分から綾瀬のコンクリート詰め殺人って知ってるだろ。あれだよ″って、ニヤニヤ笑いながら……。女子高生を押さえつけて髪を切ったことや、死んでしまったときのことなんかも、タバコに火をつけてさ、その煙を、その子の鼻の下に近づけても、息をしてなかったんだよ″とか遺体をこんな感じで、ドラム缶に入れてさ、コンクリを詰めこんで……″と、事件をまるで笑い話のようにして身振り手振りで自慢するわけです」
花屋の店員は、恐ろしくなって、以後、電話に出るのを避けるようになったが、それが却って、彼を怒らせてしまった。
「5月18日、電話に出ると仕事が終わったら、電話よこせ、俺の女を盗ったろ。ヤクザをなめんなよ″って脅かされました。その日は夜が遅くて、家に着いたのが夜中の2時ごろだったんですが、マンションの玄関前に白いセルシオが停まっていて、神作が降りてきた。こっちから挨拶をするといきなり、右手のコプシで5、6発、顔面を殴られて、倒れると殺してやろうか、なめんなよ″って……」
被害者がさらに恐怖の体験を続ける。
「そのうち、金属バットを持ち出してきて、トランクに入れ″って命令されて、さらわれるのも怖かったけど、もう言うことを聞くしかなくて……。で、30〜40分走って、埼玉県の三郷のスナックの前で車から降ろされたんです。彼がスナックの扉の鍵を開けて、中に入れられ、内側から鍵をしめられてしまった」
生きた心地のしない被害者に対して、神作は、
「おまえ、細面の170センチくらいの女だよ、知ってるだろ」
と、殴り続けた。心当たりがなく、訳がわからぬまま被害者は、
「すいません」
と、平謝りするしかなかったのだそうだ。
結局、スナックから解放されたのは夜が別けた午前7時。それも嫌疑が晴れたからではなく、神作が、殴り疲れたのがその理由だったのである。
狂気とすら思える暴力を振るった神作の暮らし振りはどんなものだったのか。
近所の住人によれば、
「金髪っていうよりも真っ黄色に髪の毛を染めてたね。最近までお母さんと2人で、一軒家の2階に住んでいて、1階で焼肉屋を経営していたのですが、もう一軒、お母さんがやっていたスナックが忙しくなったそうで、焼肉屋の方は閉店したんです」
別の知人は、
「暴力団の事務所にも出入りをしていましたけど、正式な組員ではなかったようです。浅草の三社祭りには、よく参加していました」
むろん、近所は神作の忌まわしい過去については全く知らなかった。
では、世間を震撼させた15年前のコンクリート詰め殺人事件で彼は、いかなる役割を果たしていたのか。
全国紙デスクがいう。
「4人グループの中で、神作はサブリーダーという立場にありました。先輩がいるときは命令を聞く立場でしたが、いないときは彼がリーダーとなって指示をしていましたし、率先して被害者をなぶっていたことも明らかになっています」
1988年11月末ーーー。
同じ中学校を卒業した一つ年上の先輩と神作は2人の後輩と一緒に4人のグループとなり、後輩の家の2階の部屋を溜まり場にして、ひったくりや恐喝、強姦などを繰り返していた。
ある日、リーダー格の先輩が、偶然、自転車で通りかかった17歳の女子高生を見かけて拉致し、
「俺はおまえのことを狙っているヤクザだ。言うことを聞けば命だけは助けてやる」
と脅して、ホテルに連れ込んで強姦した。その後、彼女を後輩の家に連れていき、年明けに彼女が死亡するまで40日以上も監禁を続けたのだ。しかも、当初、性欲の対象として見ていた彼女が逃げ出そうと110番に電話をしたことを知った4人は激怒し、凄まじいリンチを加えるようになったのである。
法廷で明らかにされたリンチの実態は筆舌に尽くし難く、耳をふさぎたくなるような証言にしばしば傍聴席は水を打ったように静まりかえった。
4人は、逃げ出さないようにライターオイルを女子高生の足にかけて、何度も火をつけた。熱がって、必死に火を消そうとする彼女を見て、大笑いし、結果、重度のやけどを負わせ、立てなくなるほどその傷が化膿するまで放置したのだ。
小泉今日子の「なんてったってアイドル」のテープを掛けて、歌詞の中の 「イエーイ」 に合わせて、彼女のわき腹にパンチを入れて、顔がゆがむのを見て、神作は、リーダーに、
「この顔がいいんですよね」
と喜んだという。
彼女が生還できるチャンスを潰したのも神作だった。
ある日、リーダーが彼女を家に帰そうとした時、
「やばいですよ。チンコロ(警察に情報提供)するんじゃないですか」
と、反対し、後輩にも、女子高生を帰すことに反対しろと言い含めたのだ。
食事も与えられず、暴行を受けつづけた女子高生は、衰弱していった。ろうそくを顔にたらし、尿を飲ませられた。
武田鉄矢の 「声援」という歌にある「がんばれ、がんばれ」という歌詞を歌いながら女子高生は苛められ続けた。女子高生は、時折、小さな声で自分に言い聞かすように「がんばれ、がんばれ」と呟いていたが、ついに「殺して、殺して」と哀願するまでに至ったという。
娑婆に戻る日
人の皮をかぶった鬼畜としか言いようのない行状であったが、この4人は逮捕された後、一転して殊勝な態度を見せ、法廷ではしばしば涙をこぼしていたのである。
一審判決の間際、被告人質問の時に、神作は、たった1人で死んでいった被害者のことを尋ねられて、激しく嗚咽をもらしながら、こう答えている。
「自分の無残さを直視して死んでいった。死期を待っている間、あの人がどんな…… 少しも考えていませんでした。自分は人間じゃないと思います。悪魔、人のことを不幸にして……」
弁護士たちは、
「子供たちは真剣に反省し、更生の努力をしている」
と主張したが、それがいかに空々しいことだったのかは今回、ようやくハッキリしたわけだ。
実際に、今回の事件の被害者は彼のこんな言葉を聞いている。
「神作は、綾瀬の事件のことを持ち出して、1人殺そうが2人殺そうが同じなんだよ。俺はな、調べられた経験があるから、警察とか検事にどう喋ったら罪が軽くなるか知っているんだ。検事をごまかすくらい簡単なんだよ≠ニ言っていました。どうやれば精神鑑定になるかだってわかるというようなことも嘯いていたのです」
ならば今度の罪の量刑は、彼の経歴を踏まえて相応に厳しいものとなるのか。帝京大学の土木武司教授(刑法)はこう見る。
「服役を終えているので、本件は前回の事件の影響を受けません。ですから、情状は非常に悪いですが、裁判所が改心は認められないという判断をする程度のこと。監禁罪は5年が限度で、傷害の方は10年以下と定められており、社会正義に反する要素が極めて大きいということを鑑みても、5年の求刑に、3年ないし3年6カ月という実刑に落ち着くのではないでしょうか」
30代の後半に、もう一度彼は娑婆に戻ってくるのである!