週刊文春の記事 (2004年7月15日号)
綾瀬女子高生コンクリ詰め殺人犯
監禁致傷再逮捕までの33歳凶暴人生
十五年前は何の罪もない少女を騙し、いままた男性を力で脅し強引に連れ去って監禁、暴行を加える、ーーー。あの忌まわしい事件の発生時、少年だった彼らを小誌は犯行の残虐さゆえに、あえて実名公表に踏み切った。改めて問う。少年法はこの男の何を更生させたのか。
「四人で死体を囲んでコイツ死んでるのかな、死んでないのかな って、タバコを鼻先に持ってった。煙が揺れないから、ほんとに死んでるとわかった」
女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者が亡くなった瞬間を、神作譲(33)は、笑いながら、語ったという。こうも言った。
「女を閉じ込めてるから来い、ってみんなを誘ったのはオレだ。やりたければ来い、って」
いまから十五年遡る、昭和六十三年十一月二十五日の夜八時過ぎ。
「十分ほど走ったところで、一人の少年が現れていきなり自転車を蹴り倒し、少女に絡んだ。そこへ別の少年が通りかかって助ける。少女は恐ろしさのあまり、後から来た少年のバイクに乗ってしまった」(当時、小誌の取材に対する綾瀬警察署の説明)
連れて行かれたのは、
この民家は、また別の少年の自宅で、彼ら不良仲間の溜まり場だった。
少女は彼らの、筆舌に尽くしがたい性衝動と暴力に見舞われ続ける。連日連夜の輪姦は言うに及ばず、逃げようとして見つかるや、殴る蹴るの繰り返し。一階にあるトイレへ下りるのに数十分もかかるほど衰弱した身体に、ライターのオイルをかけられた上で火をつけられるなど、暴力は凄絶を極めた。
「一人殺すも二人殺すも同じだ」
食事もろくに与えられず、日にアンパン一個と缶ジュース一本という有り様。後に遺体で発見されたとき、五十数キロあった体重は三十キロ台に落ち、顔は暴行によって目鼻の区別もつかず、両親でさえ我が娘と判別できないほどだった。
少女は衰弱して立てなくなり、年が明けて一月四日、失禁をきっかけにまた激しい暴行を受ける。遊びに出た少年たちが夕方戻ると、彼女はすでに息を引き取っていたという。
遺体の処理に困った彼らは、ドラム缶とセメントを盗んできてコンクリート詰めにし、
彼女が死を迎えるまで、拉致から実に四十一日。遺体発見までは、さらに二カ月半を要した。
四月下旬までに、十六歳から十八歳までの四人の少年が逮捕された。
少年刑務所に送られた四人のうち、懲役二十年の判決を受けた主犯格の少年(現在は三十四歳)を除く三人は既に出所した。サブリーダー格の神作譲(当時は小倉姓)は、強姦、殺人、死体遺棄に他の余罪も加わり、懲役五年以上十年以下の不定期刑が確定。服役を終えて、五年ほど前に出所し、いつの間にか、かつての地元・
そして今年六月四日、かつての凶行を彷彿とさせる「逮捕監禁致傷」という容疑で再び逮捕されたのだ。 被害にあった知人男性(27)が証言する。
「ヤツと知り合ったのは去年の暮れ。知り合いに紹介されたが、組関係の人間かと思っていた。家に押しかけてきては、女の話で絡むようになった。何のことか、訳がわからない。『オレは未成年のときに起こした事件で、十年近く務めている』と話すようになって、ヤツがコンクリート殺人の犯人だとわかった」
冒頭の話は、この男性が直接、神作の口から聞いたものだ。
今回の事件が起きたのは、五月十九日午前二時過ぎ。男性
「有無を言わさず殴る蹴る。倒れても蹴られ、その時点でだいぶ出血しました。開けてあった車のトランクから金属バットを出してきて、『殺される前に乗れ』と。四十分くらいして降ろされ、誰もいない真っ暗な店に連れ込まれました」
そこは、神作の母親が経営する
「『百七十センチくらいの細面のオレの女を知ってるだろ。お前が取っただろ』と言われ、『知りません、帰してください』と答えると、また殴る蹴る。ヤツはこうも言いました。
『なめてんじゃねえぞ。殺すぞ。オレは一人殺しても二人殺しても一緒だ。長い懲役行ってるから、警察や検察を騙す方法は知っている。精神鑑定受けて減刑される方法だって知ってるんだ』最後まで認めなかったので、四時間後にようやく諦めてくれたんです。朝になって、竹の塚署に被害届を出しました」
少女の事件の際も、神作は待ち伏せ役。連れ去り、監禁、暴行ーーーまったく同じだ。さらにいうなら
男性は死を覚悟するほどの恐怖を感じたという。対して、逮捕された神作は、
「ちょっとやりすぎた」という余りにも無自覚な台詞を吐いた。
神作は逮捕されるまで、
「彼は身長百八十センチの大柄。ダボダボのスウェットを着ていて、頭は金色に染めていたが、なんとなく常に影があるなという印象でした。五月上旬に見たのが最後ですが、たまたま中学生の女の子と話していたら、物凄い目つきで彼に睨まれているのに気づき、ゾッとした」(付近の住民)
仕事はコンピューターのオペレーターをしていたといわれているが、
「実際はお客様相談センターのような仕事で、出所後、県外で覚えた職らしい」(昔の知人)
捜査関係者によると、通報から逮捕までに日数を要したのは、「被害届の中に、『加害者がコンクリ詰め殺人犯である』と書かれていて、裏づけ捜査を慎重に進めていたから」だという。再犯の一報は、衝撃をもって駆け巡った。
以前の事件当時、拘置所で神作と面会したルポライターの藤井誠二氏が嘆息する。
「他の共犯者と比べても、自分のしたことを本当に反省しているように感じました。今回の事件で被害者に対し、『殺すぞ』と脅したそうですが、そんな言葉が口をつくとは、かつて人ひとりの命を奪った事実が、本人の心の重しにはなっていなかったのか」
一方、全くかけ離れた神作像を知るのは、少年たちのその後を追跡しているライターの片岡亮氏。昨年、少年刑務所で神作と一時期を過ごしたことのある男性が語った話は、驚愕すべき内容だったという。
「服役中、反省した様子はまったく見受けられなかったとのことでした。神作いわく『自分は本当は主犯だが、警察にうまく言って刑をごまかした』、『なぜ事件がバレたのか。チクった奴を見つけて、報復してやる』など。今回の話を聞いて、彼は最初から、出所後は地元に戻る気だったんだなと思いました」
片岡氏は昨夏、神作の足取りを追った。
「
出所した残りの二人が、
少年刑務所に服役中、ドストエフスキーなど百五十冊の本を読み、毎日写経に励んでいたはずの神作。彼にとって、あの事件は、そして十五年の歳月は何だったのか−−−−。少年法の謳う更生は、彼に何をもたらしたのだろうか。
殺された女子高生は、神作と同い年だった。当たり前の人生を送っていれば、彼女もまた三十三歳になっていたはずだ。
小誌「実名報道」から十五年
犯罪少年の増長
コラムニスト 元「週刊文春」記者 勝谷誠彦
「彼らのどこが少年なんだ。大人でも思いつかないような鬼畜な犯行をしておいて、少年法の名のもとに匿名の陰に逃げ込むのはおかしいんじゃないか」
今から十五年前の『週刊文春』の会議室での花田紀凱編集長(当時)と記者たちとの会話を、私(勝谷誠彦)は昨日のように思い出すことができる。
だが、実はこの一週間のタイムラグこそが、編集長や取材陣をして、実名報道の決意を固めさせたのだと私は今になって思う。
理由の一つ目は、取り調べが進むにつれて漏れてきた犯行の詳細の、異様さ陰惨さだったろう。十七歳の何の罪もない少女が四十一日に亘って監禁され凌辱の限りを尽くされるということがどういうことなのかが、ボディーブローのように取材陣に実感されてきたのである。同じ年頃の子どもを持つ記者たちは、編集部に戻ってくると目を赤くして拳を握りしめていた。
二つ目は、取材すればするほど「少年法によって守られた犯人の代わりに誰が責任をとるのか」が全く担保されていない現実が明らかになったのである。
少年たちの親は取材者の前に姿を見せない。主犯格の少年が通っていた高校の教頭は、学校の責任を認めないどころかドアをあけて記者に「おひきとり下さい」と、取材するほうが悪いと言わんばかりであった。少年を法の庇護のもとにかくまいながら、代わりに責任をとることもしない大人たちの存在が取材をするに従って浮かび上がってきたのだ。
三つ目の理由として、時間がたつにつれて被害者の置かれていた悲惨な状況の情報はどんどん増えて行くのに、加害者の特定化を恐れて犯人たちに関する報道はむしろ控えめになっていくという、事なかれ主義のメディアの姿勢があったと私は記憶している。
以上のうち一つ目は事件の特異性にも起因するものだが、二つ目と三つ目の問題点は、あれから十五年をへてもいささかもかわっていない。「少年の更生」という美名のもとに 「少年法」を守ることだけに終始し、少年犯罪の凶暴化の現実に合った見直しをすべきではないか、という議論は皆無だった。そのことに異を唱え、あえて問題提起のために実名を報じたのが『週刊文春』だった。そして、この問題提起は、今でも十分に意味を持っているものと信じる。
十五年の歳月の重き
長崎の駿ちゃん殺害事件の時、フリーランスの立場で私はこう書いた。犯人の少年が刑事罰を免れると同時に、その親はついにメディアの前に姿を見せることもなかった。だとすれば駿ちゃんの、そして遺族の無念はどこが受け止めるのか。少年だから大人の法を免れるというならば、その少年の監督責任を持つべき親が代わりに罪を贖うべきではないのか、と。
今回再び逮捕された神作譲こと小倉譲(33)が被害者を連れ込んで暴行していたのは母親が経営するスナックだという。女子高生殺しの犯行現場が少年達の一人の自宅であり、両親が知っていたかどうかが論じられた構図と背筋が寒くなるほど酷似している。彼の親が犯行を知っていたとしたら、小倉同様、親のほうも「更生」していなかったと言えるのではないか。
そしてやはり今回もメディアは「少年法」を守るのに汲々としているかのようだ。神作譲の名を挙げて事件を報じたのは産経新聞だけであり、朝日新聞は一行も触れることはなかった。朝日の記者の方々はお忘れかもしれないが私が書いた実名報道の記事は、実は朝日新聞「声」欄の引用から始まっているのである。
<「納得できないことは、少年たちの名前も写真もマスコミには登場しないということです」(中略)筆者は二十一歳の学生。蓋し正論と言うべきである。常識とはこういうものではないだろうか>
「声」欄を使ってでも世間の常識に目配りしていたあたり、朝日新聞はあのころの方が、遥かにしっかりしていたのかもしれない。
いいですか。少年時代に犯した犯罪を想起させ、「少年の更生を妨げる」ことをメディアがかくも恐れるならば、抜け道を見つけるには悪魔のごとく達者な少年どもは、こういう手法を考え出して嘲笑うだろう。
(名前が出ない子供のうちに歴史に残るようなヤマを踏んでおいた方がいいぜ。成人して事件起こしてもマスコミはビビって名前を書けないから)
もし仮に、駿ちゃん殺害を行った中学生が将来犯罪を犯した場合、メディアはきちんと本名を書けるだろうか。もっと分かりやすい例ならば、酒鬼薔薇が事件を起こしたらどうだろう。
そういう踏み絵は明日にも起きるかもしれないのだ。
今回の事件で私は、十五年の歳月の重さを感じた。これとほぼ等しい十七年間、被害者の女子高生を慈しみ育てたご両親は、卑劣な少年達によってその宝が四十日も弄ばれて殺されたと知った時、どんな怒りと悲しみに投げこまれたのだろう、と改めて思ったのである。
実名報道の時、花田編集長は「野獣に人権はない」と発言し、人権派と称する弁護士や「進歩的文化人」達の集中砲火を浴びた。私もまた、執筆した記者として同じ目に遭った。
この小倉譲の事件が彼らの主張していた「更生」のどういう成果として位置づけられるのか、改めてうかがいたいものだ。