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11月15日(月)「ショー子さんの兄探し」
ショー子さん(仮名)に初めて会った時、彼女は14歳だった。国立駅近くの家庭教師センターの学習室。中学校の制服を着たショー子さんは顔立ちの整った美人だったが、僕が挨拶をしても少し頷いただけで、警戒したような硬い表情のままだ。家庭教師の指導役の職員が言うには、前の家庭教師とトラブルがあったらしい。ショー子さんと会う前に彼女の母親と面談をしたのだが、部屋に入るなりいきなり睨みつけられて、何事かと思う。前の家庭教師と性格が合わず、ショー子さんも彼女の母親も家庭教師というもの自体に不信感を持っていたようで、そういう場面で後を任されたのが、この僕なのである。
この時、最初に教えたのは、英語。彼女の持参した教科書を開き、ビートルズの話を読んだ。英語の教科書の紙面に「Let it be」の楽譜がついていた。気むずかしげに僕の話を聞いていたショー子さんは「学校でこの歌、歌わされたの」と言った。それが僕とショー子さんが初めて交わした勉強以外の私語だった。レッスン後の作文にショー子さんが「とても丁寧に教えてくれる先生です」などと書いているのを見てから、僕はイケダ達と野球をしに行ったのだが、心は平穏ではなかった。やれやれ。大変なことになった。わがままな美少女と恐ろしげな母親。この教師サイテーと美少女が騒ぎ出し、母親がホウキで殴りかかってくる妄想を何回も見た。
だから、初めての家庭訪問で僕を出迎えた母親の好意的な様子に僕は驚いた。母親は休み時間に手間暇かけた料理を出してくれ、男前の父親までが丁寧な挨拶をしに来た。何ときちんとした家庭なのだろう。何よりもありがたいことに、僕はショー子さんとすぐに仲良しになった。彼女は美少女は美少女でも、気さくで人なつこい方の美少女だったのだ。僕の前の家庭教師は理系の神経質な堅物で、彼女の部屋に溢れるぬいぐるみを見るだけでイライラし始めるようなタイプだったとか。合わなかったのは、必ずしも彼女が悪いわけでもなかったようである。
2時間の勉強時間がすぐに3時間くらいに延びて、その3分の1はお喋りに消費された。中学生の女の子が喋ることなんて、まあだいたい想像できるであろう。友達とのもめ事と好きな男の子の話。自分の両親のこと。昔飼っていた犬の思い出。彼女は勉強は特に向いていなかったけれど、陸上が好きで、絵画に興味があった。彼女にどんな素晴らしい未来があるだろうと考えると、僕は彼女に勉強を教えることが心底楽しかった。また彼女の母親も僕のことをとても好いてくれた。
「うちのお母さん、○乙先生のこと、すごく信用してる。前の先生の時とか、私と先生だけ家に置いて絶対に外出しなかったもの。お母さん、人の目を見るの。先生の目を初めて見た時、この人は信用できるってわかったんだって」
そんなセリフは当時つき合っていた女の子の母親からも聞かされた。教訓。人は目なんかじゃわからないってこと。まあ、それはこの話の本題には関係がない。
2年後。42くらいだった偏差値が53くらいになって、ショー子さんは無事高校に合格したのである。僕も嬉しかった。未来を背負う子供達のために何かができるということは自分で実感してみないとわからなかった本当に素晴らしいことだ。ショー子さんとご両親と4人で八王子の山の中にある別荘のようなステーキ屋へ出かけ、ご馳走になった。当時の貧しかった僕にとっては、これも夢のような時間。目の前でワインをかけてステーキが焼かれ、ウエイターが写真を撮ってくれた。写真の中で肩を寄せ合う幸せそうな4人は僕も含めて家族のように見える。
そう、ショー子さんは3人家族ではない。兄がいるはずなのだ。僕はショー子さんに彼のことを訊いた。もう働いていて、別のところにいるの。
どんな人? 昔は不良だった。自分の感情を抑えられない人で。私のおもちゃなんて全部庭に転がっていたし。一回お兄ちゃんの彼女からの電話を取り次ぎ損ねたら、歯を食いしばれって言われて、後はお兄ちゃんの気が済むまで往復ビンタ。あまりにひどいんで、一時期私が親戚の家に預けられていたんだ。そこから帰ってきたら、いなくなっていた。ふうん。
ショー子さんは高校生になり、僕は就職した。それからもショー子家との連絡は途切れなかったのだが。ショー子さんにはハンサムな彼氏ができて、2人で撮ったプリクラを封筒に詰めて送ってきたりした。いったい僕にどうしろと言うのか。母親の方はとある新興宗教に夢中で、すっかり気に入った僕を勧誘することに熱心だったわけで。そうして、また2年半。ショー子さんの短大受験が近づき、僕は再び駆り出されたのである。18歳のショー子さんは今や女性としての美しさを完成させつつあった。白いセーターを着た胸は柔らかに膨らみ、ミニスカートから覗く長い足が気になって、僕は目のやり場がなかった。恥ずかしいので、目を背けて机の横のまぬけな犬のぬいぐるみに向かって授業をするハメになった。短大に合格したのがぬいぐるみの方でなかったことはひとつの僥倖である。
家庭教師としての役目を終えた僕だったが、それでもショー子さんは僕とモスバーガーで待ち合わせ、街を歩いたり。若い盛りを過ぎつつある僕と大人になりかけの美少女の変な組み合わせは昔よりもいろんな話をするようになった。例えば、(月並みながら)セックス。彼に処女をあげようかどうしようか迷っていた彼女。もちろん、セックスの話ばかりしていたわけでもない。彼女は今まであまり話に出なかった自分の兄のことを気にかけていた。
どこにいるか知りたいの。会いたい。でも、お母さんに訊いても、いつかショー子が大人になったら教えてあげると言うだけで。ふうん。
ショー子さんと最後に会ったのは3年前のこと。井の頭自然文化園の中を歩きながら、ショー子さんは言った。友達に調べてもらって、お兄ちゃんのことがわかった。
どこにいたの? 刑務所。何をしたの? 人を殺しちゃった。
ショー子さんの兄は10年ほど前に起きたあまりにも有名な事件の主犯格だった。不良高校生数人が美人女子高生を自室に監禁し、食事も満足に与えずに集団レイプと暴力を一か月以上も繰り返した末、死んでしまうとドラム缶にコンクリ詰めにして遺棄したというあまりにもショッキングな事件。目の前にいる性格の穏やかなショー子さんと女子高生コンクリ詰め殺人とが結びつくわけもなく、僕は間の抜けたふうんという返事をすることしかできなかったのだ。彼女のお節介な友達が当時の新聞を図書館でコピーしてきて、見せてくれたという。
殺された女子高生とその家族の無念、痛ましさは想像するに余りあるが。親はいったい何をやっていたんだと気楽な世間が加害者の家庭にもその牙を向けた頃、ショー子さんの家族は都心に近い家を捨てて、この地へ逃れてきた。当初、僕には理想的な家庭に見えたショー子家。傍目には親密な夫婦だったが、実際のところ、事件以来夫婦仲は疎遠。母親はただ宗教に救いを見いだしているばかり。僕には何もわかっていなかったのだ。
お兄ちゃん、いつか出てくるんだよね。その時、どうしよう? 少なくとも、ショー子さんは全然悪くない。そして、心乱す様々な感情を静かな表情の奥に沈めてしまえる彼女は今や大人だった。シックな服装に身を包み、背筋をまっすぐ伸ばして立つ背の高い彼女を見ていると、感動に近いような感慨を覚えた。中学校の制服を着た彼女に初めて会った時のことを昨日のように覚えているというのに。教育者の喜びというものがあるのなら、おそらくこれがそういうことなのではないか。
今でもほんのたまにショー子さんから手紙がやってくる。彼氏とどうなっただとか。彼女の母親からも留守番電話が入っていたりする。僕からはかけ直したりしない。新興宗教のことだとわかっているものだから。ただ、皆に救いあれ。
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