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【さらば革命的世代】第3部(8)実行犯が語る37年目の連合赤軍 植垣康博さん (3/4ページ)
次々と仲間たちが殺されるなか、植垣さんはなぜ、リンチのターゲットにならなかったのか。「運が良かったとしか言えないけど、僕は手先が器用で大工仕事ができたからだと思う。幹部たちも僕がいないと小屋も作れない。技術が身を助けたのかもしれない」
下手な反省はいらない
植垣さんは命令で別動隊に入り、仲間と離れていたところを逮捕された。残ったメンバーはあさま山荘に10日間立てこもり、銃撃戦を繰り広げた。その様子はテレビで生中継され注目を集めたが、後の捜査で連続リンチが発覚。あまりの残酷さに学生運動が一気に消滅する要因になった。
映画やドキュメントなどでいまなお注目される連合赤軍。平成20年に公開された映画「実録・連合赤軍」で連赤側の視線で事件を描いた若松孝二監督(72)は「集団があると権力者が生まれ、権力を握った人間はそれを守ろうと内向きに攻撃を始める。相撲部屋でリンチが起きたように、どんな組織にも起こりうることだと描きたかった」。
植垣さんも「周囲がより厳しい状態に追い込むことで本人が成長できるという発想は、日本的なものかもしれない。社員教育や体育会にもそうした風潮はある。あのときは制裁ではなく、教育のためという考え方に陥っていた」と話す。
平成17年、「バロン」のアルバイトをしていた33歳年下の中国人留学生(27)と結婚。今は3歳の息子と3人で暮らす。取材を受けたことについて「僕は当時、幹部じゃなくて、ただの兵士。だから連合赤軍の代表みたいな顔をして話すのはおかしい、と言われることもある。でも殺してしまった仲間への義理がある。事件を風化させないようにするのが僕の仕事と思っています」。
リンチ死に追いやった仲間の遺族からは「下手な反省はしないでくれ」といわれた。「安易な謝罪をされたらたまらない。一生かけて考えてくれ」という意味だと受け止めている。
(連載は毎週掲載します)