謀によって創られた世論は謀でしかない。
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反2ちゃんねる活動者としての主張
反2ちゃんねる活動者としての主張
■コメントのコーナーです。
【2ちゃんねる被害者及び反2活動者用連絡コーナー】を御覧下さい。
ネットに中傷文 無罪破棄し罰金命令 東京高裁
【参考リンク】
反2ちゃんねる活動者としての主張【あとがき】
ネット名誉棄損:個人には「限定的」東京地裁が新判断、男性に無罪
ネット名誉棄損:無罪で地検が控訴
(コメント)
当然の判決です。というか常識です。
ネット言論は特殊だからと言って、その言論空間を聖域化してしまおう
という考え方が理解できない。聖域とは、一部の選ばれし能力と資格等を
所有する者達にだけ、立入ることが許される領域・・・という表現によく
使われるのですが、今のネット空間に選ばれし聖職者がそれほど大勢
いるとは到底思えません。「聖域」は、それなりの玄人のみで形成される
空間だからこそ、その存在が許されているわけです。
だからこそ、自戒等においても聖職者間での自主性に委ねられてきた。
例えば、医療や司法の世界などがそうです。
悪い連中が大勢存在するところが前提にある言論空間(ネット)を、
「言論の聖域として認めろ」というような主張など到底受け入れ難し。
既存メディアの場合、少なくても一般人よりは情報に関する知識やノウハウ
を保持する者達によって運用されています。
何よりも法人に属する者達が、好き勝手に言論の暴力を用いて社会で
暴れまわるわけにもいかない。
だから、多少なりとも、彼等(既存メディア)の聖域が自由の解釈の範囲を
超えない程度に認められているわけです。
それをド素人の一般市民が、週刊誌等の記者や探偵の真似事をして何も
問題が起こらないわけがない。
言論・表現の自由を、善人・悪人と隔たり無く言論聖域を設けた場合、
善人より、悪人のほうが言論社会で絶対的影響力を持つようになるのは
必然の成り行きです。現在のネット言論の歪みがそれを証明しています。
現在のネット言論を特別扱いすることは、徒に治外法権ゾーンを生み出す
だけであり、結果的に何も生み出さない。「悪貨は良貨を駆逐する」の言葉どおり、
下らねぇ連中が力を持つようになった空間では、マトモな正論意見が「普通」に
通ることなど基本的にないと考えるのが妥当です。
>利用者が互いに反論でき、情報の信頼性も低いと受け止められている
(毎日新聞記事・上から8行目)
反論(騒いだら)したら反って傷口を広げることにも成りかねないから
黙って耐え忍ぶか、無視するしかないと、被害者にアドバイスしてきた
ネット専門家達の立場はどうなるのでしょうか。
反論しただけで、「反論してきたということは、相手が痛いところを指摘
されたからに違いない」とか、「反論してきたということは事実と認めた
ようなものだ」と解釈又は解釈したフリをされ、そのことを加害者に
よってネット上で街宣でもされたら被害者の社会での印象は更に悪化します。
私はこの活動をしている関係上、何度もこうしたパターンを見てきてるので
被害者の苦悩は痛いほど解かります。
名誉毀損や誹謗中傷を楽しむ連中は、同時に相手の反応も見て楽しみます。
加害者のタイプにもよりますが、反論可能なら反論するという行動が必ずしも
ベストな選択とは限りません。
中には、相手の反論が中傷の醍醐味と捉え、生き甲斐にしている人もいます。
そんな相手には、被害者は常に嵐が過ぎるのを、グッと無言で待ち続けるしか
無いという、なんとも理不尽な現実があります。
運悪く、その加害者がテキストワークの魔術師のようなタイプだと、短期間で
信者を募られて風評被害が更に拡大します。
これら被害者側の心情は、橋爪研吾被告の弁護団リーダー、紀藤正樹氏も
今まで消費者問題に携わってきた法律家として熟知しているはずなのですがね。
それとも、熟知しているからこそ、そんな被害者側の弱い立場を見透かしての
戦略なのでしょうか。
反論すると傷口を広げるだけだから無視してればいいと言ってみたり、
反論可能なら反論するべきだと説いたり、よくその場の都合でコロコロと
主張を変えられるものです。
こうした被害者心理を踏まえ、とても参考になる意見を次のリンク先で
述べられている文筆家がいますので、よろしければ読んでみるといいでしょう。
ネット上の名誉毀損に新解釈─「ネットでは何でもアリ」にならないか?
ただし、この松岡美樹氏も、1年前までは、上の主張とは逆の立場にいた
人物でもあります。つまりこの方もその時々の都合でコロコロと、主張を
転換してきている人なので、リンク先の主張が松岡氏の本心によるところ
なのかは定かではありません。この方の行動には説得力はありませんが、
文書自体には説得力はあります。一応、本職(文筆家)ですからね。
このリンク先の記事が1年前の主張(とても同一人物の意見とは思えません)
文筆家の松岡美樹氏に聞く ネットでの誹謗中傷問題
その時代と状況でその人の考え方が変ること自体は、別に不自然なことでは
ないですよ。ですが、心情の変化があれば、その経緯を文書にして世論に向け、
発してもらわなければ、今まで松岡氏とは反対側の立ち位置にいる我々としては
松岡氏が何らかの企みでもしてきているのかと不審に捉えてしまいます。
松岡氏は我々とは違い、執筆でメシ食ってる御仁です。
当然、それなりに世論に対する影響力もありますので、執筆した文書内容と
心中できるくらいの覚悟と責任を持って頂きたいです。
そうしないと、たった1年足らずでここまで心変わりしてしまうのは今までの
発言がいかに軽く、そして無責任に発してきたのか・・と疑われますよ。
過去に拘る気はありませんが、1年そこそこでは、過去と表現するには
無理があります。今まで長期間、ネットの混沌社会がもたらす利権にドップリ
浸かって来た者達がそう簡単に改心などしませんよ。
酷いものでは、3ヶ月も経たぬうちに方針を覆すバカタレもいるほどです。
こんな身勝手極まりない者達のために、我々市民が振り回されているのだと
思うと何ともね・・
ご都合主義?有害サイト規制法案を骨抜きにした張本人“別所直哉”が手のひら返す
最近になって、今まで2ちゃんねる側にいたのが、急に過去の主張を覆し、
今さらながら、ネットの弊害問題を真剣に考える「正義のネット専門家」を
気取りだした連中にも同じことを言いたい。(とくに井上トシユキあたり)
今まで散々、ネットの無法地帯をテレビやラジオ又は出版物などで煽り続けて
きたという功罪を、あまり軽く認識してもらっては困りますね。
>情報の信頼性も低いと受け止められている(毎日新聞記事・上から8行目)
調子のいい時には、ネットは究極のメディアだと過大表現、都合が悪くなれば、
逆にネット情報の信頼性は低いからと過少表現。
だから、被害者はネット上の誹謗中傷や名誉毀損について、深刻に受け止める
ほどの問題ではないって? ただのネット世論、お遊びだし気にするなってか?
お約束ですね・・・その話のもってゆきかた。
>控訴審判決は、「ネット上のすべての情報を知ることはできず、書かれた側が反論
>できるとは限らない。見る側も、個人の発信する情報が一律に信用性が低いという
>前提で閲覧するわけではない」と指摘。(読売新聞記事・下から4行目)
ほら、このように裁判長も述べられているではありませんか。
別に裁判長という要職の人でなくとも、ネット社会の実状を知る人なら
誰でもこの結論に行き着きますよ。
何事もそうですが、「そうとは限らない」ということです。
>東京高検の渡辺恵一次席検事は「適正、妥当な判決」とのコメントを出した。
(毎日新聞記事・上から12行目)
検察側には、控訴を思い止まらせようと、ネットの御意見番達が
ネット世論を煽り、電話や手紙などで検察に抗議しようという動きが
散見されていました。そんな中で、よくそれらに屈せず予定どおり控訴
して下さったものです。数の力に屈せず、法の番人としての使命を
貫かれた。見事です。
>問題企業や団体をサイトで告発している個人が片っ端から犯罪者に
>されてしまうのか」と話し(毎日新聞記事・下から13行目)
誰も片っ端から犯罪者にするとは言ってませんがな・・・
そうやってすぐ極論解釈しては、世論の危機感を煽ろうとする。
>岡村久道・国立情報学研究所客員教授(情報法)は「現在の名誉棄損罪の基準は
>マスコミにとってさえ厳しいもので緩和すべきだ。ネット上にはまじめな個人
>利用者もいる。表現の自由を窒息死させるようなことがあってはならない」と指摘した。
ネット上には真面目な個人利用者もいるなんてことは、別に岡村先生に
言われるまでも無く、誰でも理解していることです。それぐらい解かってますよ。
反対の立場をとる方々の見識を、あまり低く世論に印象付けないで下さい。
そんなに表現の自由を窒息死させたくないなら、ネットの弊害に苦しむ
市民を最後まで無償で面倒みるという御覚悟をお示し頂きたいです。
訴訟費用や被害者やその家族への保証、そして心のケアについても
岡村先生が全て面倒みて下さるのであれば私は何も言うことはないです。
でなければ、自らの発言で、ネット社会の無法地帯を煽り続ける側ら、
その無法地帯によって傷付いた被害者から聖職者を気取って多額の弁護料を
ふんだくるという、どっかのマッチポンプ弁護士達の仲間だと疑われ
かねないですよ。
マスコミにとってさえ厳しいもので緩和すべき?
はぁ? 逆でしょ? 難しいからこそ既存メディアと同様の基準が
必要なんじゃないでしょうか。
誤った情報がもたらす弊害を、楽観視しているからこそ、そのような解釈に
なるのではないでしょうか。 先生ともあろうお方の解釈とは思えません。
難しいから緩和するべきという考え方自体、かなり無理のある主張です。
難しいからこそ問題が発生しやすく、必要最小限度のルールも必要だと
思うのですが、どうなんでしょう。
規制はあくまで「原則」です。隅から隅まで、ガチガチに取り締まれるほど、
今のサイバーポリスは暇人の集まりではありません。
だからこそ、あの2ちゃんねるや闇サイトは今まで存続してこれたわけです。
何も規制とは、加害者側のみを一方的に不利にするものではなく
被害者を保護する目的以外に、加害者を生ませない、告発行為の範疇を
逸脱させないという加害者保護の趣旨もあることを忘れてはいけません。
道交法と同じで、ただドライバーを虐めるためにあるわけではなく、
ドライバーを保護する目的もあるのと同じです。
この考え方、私は間違っているのでしょうか。
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