<クソガキ犯罪者どもの名前と近況>
犯人の氏名 (生年月日) |
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宮野 裕史(A) (1970.04.30) |
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主犯格。懲役20年の刑で服役中。2008年出所予定。 妹の家庭教師の日記がHPで公開されていた。(問題の日記へ) |
小倉 譲(B) (神作と改姓して神作譲) (1971.05.11) |
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サブリーダー。すでに刑務所から出所。 2004年6月、神作譲の名前で再犯し逮捕されました!(犯行概要へ) こいつはこの事件に関して無反省な発言を繰り返し、類似の事件を引き起こしたのです。 |
湊 伸治(C) (1972.12.16) |
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犯行現場の部屋の提供者。すでに刑務所から出所。 |
渡邊 恭史(D) (1971.12.18) |
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目線ナシの写真は神作(小倉)の物しか入手できていません。犯人の目線ナシの写真をお持ちの方はご協力をお願いします。
<鬼畜(宮野達)の所業(判決文より)>
**さんに買った小倉と同じ名前の品物を見せ、名前を聞く。
**さんが答えると小倉を呼び捨てにするとはなんだと殴り、 困った**さんが、今度は品物にさんを付けて呼び直すと品物にさんづけするとはなにごとだと殴る。
小倉が湊に、
「おい、あれやれよ」と言って小泉今日子の「なんてったってアイドル」のテープをかけた。歌詞の中の「イエーイ」に合わせて脇腹に思いっきりパンチをいれる。
「痛い」と声を出すとまた殴られるため、こらえるので口が変なふうに歪む。 「先輩、この顔が面白いんですね」と小倉。
曲が終わってからも全員で殴る。
**さんの顔にロウソクをたらしたり小便を飲ましたりした。
渡辺はいつもは無関心でいるが、 宮野や小倉に、なぜお前殴らないんだと言われるのが怖くなりリンチに加わった。すでに、**さんは鼻や口から血を流しており、
自分の手に血が付くことをいやがった渡辺は、宮野が吸っていたシンナーのビニール袋を手にはめ殴る。
その後、宮野は疲れたのでタバコを吸う。小倉と湊は、**さんを真ん中に立たせ、小倉が右から湊が左から、肩や顔に回し蹴りを数発いれていた。
そのうち、**さんにパンチがもろに入りステレオにぶつかり倒れる。全身を硬直させブルブルと痙攣して前のめりに手をつきながら倒れてきたのを見て、
「仮病だ、このやろう」 と湊がすごい勢いで殴る。
宮野も、蹴るとかでは甘いんで、もっとひどいことをやってやろうと思い、 鉄球の着いた鉄棒を持ち出し**さんの腹の上に落とし顔面などを殴った。
殴り終わった後、 反応しなくなったので怖くなりいつものようにライターのオイルをかけ火をつけた。 最初は動いたが最後になったら動かなくなった。
宮野「こいつ、死ぬんじゃないか」
湊「大丈夫ですよ。こいつはいつもこうなんですよ」
ガムテープで**さんの両足首を二周か三周縛る。
10時になったので「いい時間になった。サウナに行こう」と部屋を出る。
<事件の概要>
昭和63年9月頃
家庭内暴力で両親が立ち入れない聖域となった湊伸治の部屋は、9月頃から、中学時代の先輩や後輩が集まる格好のたまり場となった。
10月中旬
宮野裕史が運転する車に小倉譲と湊伸治、それに湊の中学時代の同級生の4人が乗り、自転車に乗った制服姿の女子高校生に対して「道を教えて」と声をかけた後、ナイフで脅し、ホテルで輪姦。
10月20日頃
宮野が運転する車に小倉と湊が乗り、宮野の顔見知りの女子高生をホテルに連れ込んで、強姦。
10月25日
宮野と小倉でひったくりで12万円を稼ぐ
11月8日
宮野が運転する車に小倉と湊が乗り、
11月25日
宮野裕史が「ひったくりに行くぞ」と湊伸治を誘い、バイクで出発。午後8時すぎ、自転車に乗っている被害者を見ると、宮野は、湊に「あの女、蹴れ。あとはうまくやるから」と命令した。 湊は、バイクで女子高生に近づき、左足で女子高生の右腰を思いっきり蹴って、角を曲がり様子を見ていた。 バランスを失った女子高生は自転車に乗ったまま転倒。溝に落ちた。そこへ宮野が近づき「大丈夫ですか」と声をかけ、助け起こすと「あいつは気違いだ。おれも脅された。危ないから送っていってやる」と声をかけた。
宮野は、女子高生を近くにある倉庫の暗がりで「おれはヤクザの幹部だ。おまえはヤクザから狙われている。セックスさせれば許してやる」と脅しホテルに連れて行って強姦。
虐殺された被害者女子高生(匿名)
11月26日午前1時過ぎ
「ヤクザが来るぞ」と被害者を騙しながら湊伸治の部屋に連れ込む。
11月28日
湊伸治の部屋で渡邊泰史、湊伸治の中学時代の友達2人(中村高次か?)が、被害者を輪姦。湊は緊張して出来なかった。
11月30日 宮野裕史は、被害者の家から捜索願いが出されないように、被害者を連れ出すと、近くの公衆電話から母親と親友に電話をさせている。このとき被害者は「友達の家にいるから、捜索願いは出さないで」と、宮野に言わされている。
11月末
午後9時頃、湊伸治の母親ます子が被害者と自宅で会う。湊ます子が被害者に「遅いから帰りなさい」と言ったが、そのまま二階にあがる
12月初め
湊伸治の母親・ます子が二階にあがり、渡邊泰史と一緒にいた被害者に対して「どうしてここにいるか」を尋ねるが、被害者は答えず。翌日 午後7時過ぎ 湊ます子が湊伸治の部屋のぞくと被害者と小倉譲がいたので、もう一度、すぐ帰りなさい。お父さん、お母さんが心配しているから」と言ったのだが、被害者は動かなかった。(脅されていて動けなかった)
12月初め午後4時頃
少年達が夜遊びに疲れて、湊の家で昼寝をしていたすきに被害者は、二階から階下の居間に降りて110番したが、そのことを宮野裕史に発見され、暴行を受ける。警察からの逆探知は宮野が出て「何でもない。まちがいです」と返事をした。
被害者の行為を裏切られたと感じた少年達は、以後被害者に対して顔面を殴ったり、足首にライターのオイルをかけて燃やすというリンチを繰り返して行うようになった。これらによって出来た怪我等により、少年たちは、ますます被害者を解放できなくなるとともに、火傷が化膿して、放つ異臭により、被害者を疎んじるようになり、その処分にこまるようになった。
12月初旬
宮野が小倉、湊、渡邊を連れて、宮野の所属する暴力団の上部団体の忘年会に出席、宮野は組員達に「会長が自分で、小倉譲が組織本部長、湊伸治は事務局長」と紹介。
この頃からシンナーを売り出す。
12月中旬
被害者を輪姦した湊伸治の中学時代の友人に対して、些細なことから宮野、小倉、湊でリンチを加え、3週間以上入院する大怪我をさせた。
昭和64年1月4日午前6時30分
宮野、小倉、湊、渡邊で被害者に対してリンチを始めた。顔面にろうそくを垂らしたり、次々と顔面を殴り、被害者は血だらけの状態となった。更に1.7キロもある鉄製のアレイを宮野が持ち出し、渡邊が被害者の腹に落とした。
リンチが終わったのが午前10時ころで、その後、被害者が逃げないように足をガムテープでぐるぐる巻きにすると4人でサウナに行った。宮野は、後に「ひょっとしたらあぶないんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという気持ちが出てきたと思うんですが、鉄の棒で殴っても動かないんで」と述べている。
1月5日昼過ぎ
湊の兄から小倉に「被害者の様子がおかしい」と電話がかかり、宮野、小倉、湊で駆けつけて見ると被害者は敷きっぱなしの布団で冷たくなっていた。
宮野は、後に「"じゃあ、どうする"、"捨てよう"ということになって、自分が劇画を読んでいて、ドラム缶のなかに、コンクリートを流しこんで、海に捨てちゃうという場面を思い出して、そのことがとっさに浮かんで、自分、まえにセメントとか、そういう会社に勤めていたんで、作り方もわかるので、ドラム缶の中に捨てようということになりました」と述べている。
バックに詰め込んだ遺体は、宮野の家の前で、3人でドラム缶にいれ、コンクリートど流しこんだ。近くの川に捨てようとしたが、小倉が「家が近いので怖い。化けて出るかもしれない」と反対して、東京湾に捨てることにした。
宮野が借りてきたワゴン車を運転して、東京湾の埋め立て地まで行ったが、適当な場所がなく、道路脇の草むらに捨てた。
平成元年1月23日
11月8日に犯した強姦により宮野等が逮捕される。逮捕後の調べでコンクリート殺人を自供。