日本の中世史がおもしろい。
もちろん、おもしろいと感じるのは、僕自身がそこに関心をもっているから。特に芸能民を中心とした職能民についての歴史、それに関連して市場や座が生まれ定着した室町期の歴史にとても関心があります。
いかにして僕らの歴史から断絶した感のある現代を、そうした歴史的な流れに接続するか。それが現在の日本が抱えた大事な課題なんじゃないでしょうか?
既存の権威の崩壊に即した民衆の自治のはじまり
最近では、網野善彦さんの
『日本の歴史をよみなおす』や
『無縁・公界・楽』、
『異形の王権』だったり、昨年末では、内藤湖南さんの
『日本文化史研究』や
『東洋文化史』を紹介しましたが、室町期には、いまの日本につながる大きな社会の転換が起こっている。
その転換は一言でいえば、
既存の権威の崩壊に即した民衆の自治のはじまりということができるでしょう。
その背景としては、鎌倉期に起こった新仏教である時宗や浄土宗、一向宗、禅宗、法華宗などがこぞって悪党や女性をふくむあらゆる民、そして、山川草木悉皆成仏と有情/無情のものに限らずあらゆるものが成仏するとした教えを説いたこと、古代より海や山河の道でネットワークされた職能民のつながりが各地に自治的な都市を形成し、そこに宿場や市場を開いたことなどがある。
そして、そうした仏教の影響、都市の経済的な影響を背景に、中世には以降の日本文化を形作ることになるさまざまな芸能が室町期には生まれてくる。能楽、茶道、華道、書道、香道、作庭などの文化はいずれも、鎌倉期に生まれた新しい仏教である浄土・禅・法華などの影響を受けながら日本の生活文化を形作ることになります。
芸能民・職能民の末裔として
室町紀以前は畏怖の目をもって受け止められた芸能民・職能民。それが室町期を経て、賤視の目に晒されることになる。
網野さんが
『日本の歴史をよみなおす』で書いているように、古来より日本には、人間と自然とのそれなりの均衡のとれた状態に欠損が生じたりする場合に穢れを感じる傾向があった。建物や庭を作るために巨木や巨石を動かすこともケガレとされていた。そうした職能をもつ職能民はその力において畏怖の対象であると同時に、その職能そのものがもともと有する穢れによって賤視の対象になっていた。
現代において、「人間と自然とのそれなりの均衡のとれた状態に」変化をもたらすことを仕事にする、何らかの形でものづくりに携わる、そうした賤視の目に晒された職能民の末裔だということを自覚したほうがいい。それが僕が中世の職能民たちが歩んだ歴史に着目する理由。
この本もそうした中世の職能民の歴史を紹介してくれる一冊。
以前に
『隠された十字架―法隆寺論』や、白川静さんとの対談
『呪の思想―神と人との間』といった本を紹介した梅原猛さんのこの『うつぼ舟I 翁と河勝』は、そんな中世芸能史においても室町文化を代表するもののひとつである能=申楽の発生と展開の歴史にフォーカスした芸能史論です。
「うつぼ舟I 翁と河勝/梅原猛」の続き
posted by HIROKI tanahashi at 23:34
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