蒼薔薇と傷痕な人生 but ... I like it
「個として凛」を表現したいlog、「共有知」の形成に奮闘努力するlog、「好奇心」を呼び覚ますlog …
 








未だ、だれも「総括」を成し終えていないとされる「全共闘世代」。それに対して「GS世代」の沢田研二は「夢の中」と形容した「ジュリー祭り」を決行してみせた。

「夢の前」そして「夢の後」、ジュリーを愛し続けてきたと自称する人達は、何か目に見えないバイアスが掛っているのでないか?と思わせるほど、電波、紙媒体に代表される旧態マスメディア、そこに氾濫したステレオタイプの表層的評価を一様に、一糸乱れずに賞賛した。


「さすがは、ジュリー 沢田研二」と…。


マスメディアが下した表層的な評価…80曲を歌う、60歳還暦、5時間超のステージ、ドーム開催、憲法九条etc. 定量的、特異的な形容を冠にしなければ成立しない評価ばかりではなかっただろうか。

以前にも、このカテゴリエントリーで触れたのだが、視聴率から換算して300万人が視聴したであろう「ドーム公演を控えている沢田研二」、その番組のレスポンスが「ジュリー祭り」動員数60000人至らず…これは俯瞰することに徹してみれば、「祭り前」も「祭り後」も、巷に溢れた表層的な評価が決して、真実ではないことを物語ってはいないだろうか。

同じような傾向は、デジタルメディアにも表れている。インターネット上では、そのキーワード量で圧倒的な注目度を見せる沢田研二ではあるが、例えば「カリスマ性があると思うミュージシャンランキング(60代が選ぶ)」 「カリスマ性があると思うミュージシャンランキング(50代が選ぶ)」に、沢田研二の名前はどこにも見当たらない。いや、「祭り後」には必ず変化があるはずだ、これだけマスメディアが取り上げてくれたのだから、知名度もこれまでとは雲泥の差だ、のような期待ももちろん高まるのだが、その期待を打ち消すような事実がある。
「メンバーに入りたい音楽グループランキング(50代以上が選ぶ)」
に「ザ・タイガース」が名を連ねているのだ。


4年足らずの活動で解散した「ザ・タイガース」が、娯楽的判断において、未だにランキングクリックの動機となり得るにも関わらず、40年足らずの華々しいソロ活動実績がある「沢田研二」は、抽出条件が違うとは言え、精神性に訴える判断においては、クリック動機になり得ないという事実…。

俯瞰にこだわって記すなら、「ザ・タイガース」は大衆にとって、「時代のフラグ」そのもの。

しかし、「ジュリー」は、親子二世代どころか三世代にまで渡って”お茶の間”では、TVスターとして燦然と輝いてはいるが、大衆判断は、”それ以上でもなく、それ以下でもない”。そして、導かれたのは、「定量的、特異的に無難な評価をしておけば、それで大衆は満足するに違いない」…。


sankei web【さらば革命的世代】第3部(5)山本義隆氏沈黙の訳 女性カメラマンがみた東大“落城”40年に記されている女性カメラマン 渡辺氏のコメントが胸に迫る。


「あの時代に起きたことを後から評価することは簡単ですが、山本さんは、あのとき起きたことが全てでそれ以上付け加えることも、割り引くこともできないと思っているのかもしれない。」
(色字引用)

沢田研二がこだわる「みんな一緒に平行移動」、「同世代に聞いて欲しい、元気になって欲しい」、「若い子がファンになったって?本当ですかねぇ?」…私にとって違和感だらけのジュリー語録の背骨が、渡辺氏のコメントを読んで少しだけ分かったような気がする。

「総括」を成し終えていない人達に占められているマスメディア、ザ・タイガースを肌で目で耳で体験しつつも「感じる」ことが出来なかった「時代の傍観者」…、そんな彼等には「ジュリー祭り」の意義や喜び、更に言えば、あの「沢田研二の涙」の意味さえ分からないのかも知れない。同じ時代に生まれて、同じ時代を鋭敏に生きた人だけが「歓喜以上の同一感」を分かち合える…

そう考えると過日、オンエアされた佐藤輝氏演出の映像がとても興味深く思えてきた。





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画像クリックで「SONG TO SOUL」のHPへ





過日、ロックでポップな友人から興奮度1000%の連絡を貰った。

「見たか!? ABBA!」

いきなり、そう言われても、「なんのこっちゃ?」さっぱり分からない。

「見てへんよ」と、あっさり答えたら「とにかく来週、再放送があるから絶対見ろ!絶対やぞ!見いへんかったら絶交やぞ!」と、更に興奮度10000%で固い約束をさせられた。


で、昨夜・・・


生憎ながら、オンタイムは仕事中だったので、録画して見ることにしたのだが、見終わった途端、いや、ちゃう!見てる途中で、コチラも興奮度10001%まで沸騰して、友人の携帯を鳴らした。


「おぉぉぉぉぉ〜〜〜〜、タマげたなぁ〜〜〜〜〜っ!」


全く言葉になってない意味不明な興奮をとりあえず伝える。


で、興奮した訳・・・


昨夜のSONG TO SOUL〜永遠の一曲〜 はABBAの『ダンシングクイーン』だったんやけど、興奮させられたのは、当時のマルチトラックテープをトラック毎に聞くことを許されたエンジニアが「ABBA サウンド」のメイキングコアを解説したり、『ダンシングクイーン』を作るに当たって、どんな曲が参考にされたのか…etc.の内容だったんですよ、これが。

最初にブッタまげたのは『ダンシングクイーン』のドラムテイク!「ビート感をハッキリと出したい!」との狙いで行きついたアイディアは・・・


何と!「クラッシュシンバル、ライドシンバルの使用は一切禁止!」、ドラマー、その時は空振りやんっ!うそぉ〜〜〜〜


確かにヘッドフォンで『ダンシングクイーン』を良く聴き直したら、全然入ってないわ。。。。他の曲も・・・うわっ!へぇ〜〜〜〜〜〜


いやぁ〜〜〜〜〜・・・ホンマ、驚きました。


あと、参考曲があったってことにも驚いたけど(早い話がパクリ元・・・やねんけどね)

これが、高校の先輩世代ディスコ、阪急東通り商店街にあった「ボトムライン」で散々、聞かされた『ロック ユア ベイビー』となっ!


George McCrae - Rock Your Baby ( Original !!!) 1974





へぇぇ〜〜〜〜〜・・・重ねて、驚きました。




まっ、「それが、どしたん?」って思う人が大多数でしょうが…




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元・日本経済新聞記者 大塚将司氏が記す全共闘世代評【さらば革命的世代】(10)「過去を振り返れない人たち」 は、自らを対象に含め、自己批判することもためらっていないせいか、非常に説得力ある内容となっている。

大塚氏は自己批判を込めてこう記す。


「結局、私も含めた全共闘世代は理屈をこね回していただけで、上の世代の敷いたレールを忠実に歩いてきたに過ぎなかった。政治も経済も行き詰まる中で、新たな日本型システムを提示することもできなかった」と述べ、その最大の理由について「過去の総括を意図的に避けてきた」ことを挙げる。
 (色字引用)


昨日のエントリーで試みた 「15人〜全共闘世代:85人〜GS世代」 を俯瞰すれば、大塚氏の評は全共闘世代だけではなく、GS世代にもムリなく合致するように思える。

全共闘世代には 「全学連世代」、GS世代の 「象徴」 である日劇:ウェスタンカーニバルには 「ロカビリー世代」 が間違いなく存在した。全共闘世代が、欧米からの受け売り民主主義社会から 「新たな日本型システムを提示することもできなかった」 とする自己批判同様、GS世代もウェスタンカーニバルやジャズ喫茶を、今のサマソニやライヴハウスに昇華させる役目を正面だって背負う事はなかった。全共闘世代は 「卒業」 することで、GS世代は 「解散」 することで共に 「矛盾だらけの転向」 を果たす…

辛辣な言葉で言いかえれば、全共闘世代やGS世代は、進化させることも、維持することさえも出来なかった。共に 「現象」 としては、当時の映像や音楽がアーカイヴされることで、「過去完了の誇示」 は図れるのだが 「影響」 「感化」 「累脈」 を人為的ではない進行形で実感することは page1 でも記したように全く叶わない。


ただ、唯一の例外 「選ばれし人間 沢田研二」 を除いては…だ。



大塚氏が引用した Herbert Marcuse の「体制の外側からの革命ではなく、体制の中に身を置いて理想を実現せよ」 (色字引用)は、全共闘世代と自称する人達との酒席で実際によく聞かされる。私に言わせれば 「はい!いつもの注文入りましたぁ〜 生一丁!耳タコ一丁!訳ワカメ一丁!」 で一笑に付してやる、言わば”食い飽きた定食”なのだが。


ただ、この思想は、表面上は組織に従いながらも「その日」に備えるという高等戦術である一方、ダブルスタンダードを簡単に認めてしまうという諸刃の剣でもある。 大塚さんは「この論理が就職への抵抗感を薄めたことは確かだ。そして彼らは実際に体制に溶け込んだが、その後、彼らが自身の思想を体現すべく動き出した気配はない。実は体現すべき自己がそもそもなかったのではないだろうか」と疑問を呈する。
 (色字引用)


大塚氏の考察を元に「沢田研二」を俯瞰してみる。


以前にも記したことだが、「選ばれし人間 沢田研二」 は 「アーチストとよばれること」 「シンガーソングライターとよばれること」 を拒絶し、「芸能人でいいです」 と心境を吐露した事がある。沢田研二はロックシーンと呼ばれるような意味不明のカテゴリに自分が属しているのではなく、紛れもない 「古き芸能界」 や 「純正歌謡界」 に原点を持つ男、そして今も進行形で 「実際に体制に溶け込んだ」 事実を併せもって俯瞰すれば、沢田研二の 「転向」 も Herbert Marcuse が示した 「楽な方」 を選択したように見える。

しかし、そんな沢田研二が 「バンドが好き」 「アルバムを出す」 「LIVEツアーをする」…「自身の思想」 と言う程、大袈裟なものではないが、同世代が 「転向」 を機に捨て去った 「黄金律」 を頑なに守りつつも、「ダブルスタンダード」 寸前まで 「体現すべき自己への実験」 を繰り返す。その 「体現すべき自己への実験」 が、例えば PARCO の両性具有ポスターに見られるような、他に類を見ない 「体制の中の反道徳的表現」 の萌芽となり、そして、それは間違いなく時間の経過の中で 「体制の中の常識」 と変異し、且つ定着してきた事実は見逃せない。

sankei web連載
【さらば革命的世代】第1部(3)秋田明大「まだ何もしていない」
【さらば革命的世代】第3部(5)山本義隆氏沈黙の訳 女性カメラマンがみた東大“落城”40年

には、沢田研二と舞台は違えど、全共闘世代120万人の頂きに 「選ばれし人間」 として存在したにも関わらず、ムーヴメントの消失波に過去と現在の自分を遮断された人達、その後の悲哀が記されている。

800万人と推計される団塊の世代の中で 「楽な方」 「面白い方」 「好きな事だけ」 を選び続けた一人の男が、「矛盾だらけの転向」 を試みる事で安息を求めた人達に、挑発的な”ジュリー祭り”という 「総括」 = 「理想を実現」して見せた となれば、やはりこれは 「選ばれし人間 沢田研二」 としか形容できないのではないだろうか。


だけど…


昨日のエントリーに

Erik Homburger Erikson 曰く
「そのような革新的な人間は、あまりにも憐みの情が深ければ、無視され続けてきた者を看過することはできない」
を一晩、咀嚼して何かピン!と来たら…明日に続く…かもしれない…と記したが、今晩くらいで消化できそうな…予感…




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青春の蹉跌 (新潮文庫)
石川 達三
新潮社

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全共闘世代の生態や心情を描いた作品と言えば、私が真っ先に思い出すのは、〜 生きることは闘いだ、他人はみな敵だ――貧しさゆえに充たされぬ野望をもって社会に挑戦し、挫折していく青年の悲劇を描く長編 〜…と帯書された1971年発表 石川達三著『青春の蹉跌』だ。…ショーケン 萩原健一が主演した1974年作 映画版も思い出深い。更に作詞・作曲、荒井(現・松任谷)由実 歌 ばんばひろふみの1975年発表『いちご白書をもう一度』 、この曲に誘引されて後追いした1970年作の米映画『いちご白書』

これらの作品群を情緒で回想すると、全共闘世代と呼称され、「自分の意思とは別な力の作用」で多感な時期を生き急がされた人達が、どう俯瞰しても私には「刹那系」として映ってしまう。それと同時に、大学進学率が現在の全入時代とは違い、僅か15%…100人中15人だけが先導し作り上げたかのような後年の時代評価に残り85人の「生態や心情」はどうだったのか?の疑問も当然にように湧いてくる。長い髪を切り、就職し、「もう若くはない」と表現されることで本当に満足なのだろうか。

俯瞰度を更に上げてみる。精神性や思想性が主たる全共闘世代ムーヴメントと、大衆性や娯楽性が主たるGS世代ムーヴメントを強引に並列させると「選ばれし人間」沢田研二が、その「陰陽な同期性の中の対立軸」「15人と85人の中の対称軸」として「自分の意思とは別な力の作用」を意識しながら、微妙に揺れ動く軸の左右バランスをシリアス系、シニカル系、コミカル系 トラジカル系etc.ありとあらゆる表現術で制御しようと努めていた事が朧げながらに見えてくる。

sannkei web 連載「さらば革命的世代」を読むと、全共闘世代 島泰三氏は東大安田講堂と学園紛争を自己の「象徴」として著述する。片やGS世代は大体が日劇とウェスタンカーニバルを自己の「象徴」としている。しかしながら「対立軸」「対称軸」であるところの「選ばれし人間」沢田研二は、ステレオタイプな分類を拒むかのように、ジャズ喫茶『A.C.B』と他愛ない回顧だけを自己の「象徴」としたところが私にはとても興味深い。サイレントマジョリティ「残り85人の生態や心情」を代弁するかのようだ。

Erik Homburger Erikson は言う。

「革新的な人間が、あまりにも誠実であったり、または深く悩んでいれば日常への(必要物)の裏に隠された存在の持つ純粋な真理を見ないわけにはいかない」


「同世代に聞いて欲しい」と、常々、沢田研二は口にする。しかし「自分の意思とは別な力の作用」で大きく分け隔てられてしまった「15人と85人」双方に通じる「純粋な真理」は果たして存在するのだろうか。

例えば、友人の死去がモチーフになったと伝え聞く『あの日は雨』に始まった「死生観」に溢れる一連のアルバム内容、特に『C』のようなスカのリズムが持つ能天気さに反応するカラダとは裏腹に、全く相反したサビの詞が引き起こす「ココロの不整脈」のようなもの、死生に対する「諦観のススメ」は「85人」にとっては「純粋な真理」なのだろうけれど「15人」にとってはどうなのだろう。


Erik Homburger Erikson 曰く「そのような革新的な人間は、あまりにも憐みの情が深ければ、無視され続けてきた者を看過することはできない」 を一晩、咀嚼して何かピン!と来たら…明日に続く…かもしれない…




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Googleが選ぶ20世紀の名著100選
にも名を連ねている心理学者 Erik Homburger Erikson の著書(ex.『青年の挑戦』etc.)によれば、「人間にとっての基本は働くことと愛すること」である、と定義される。信託勧誘を蹴っ飛ばして「そんなことより働けよ」と言い放ち、「愛」という詞(ことば)に異様なまでに固執する、沢田研二の精神様式と重なるところがとても私には興味深い。

過日、商業音楽の存在意義やリアルな社会環境の認知度から『我が窮状』に決然批判を試みた私だが、Erik Homburger Erikson の言葉に触れる度、沢田研二という「選ばれし人間」をありのままに一度、俯瞰しておくのも悪くないな、と思うに至った今日この頃。

Erikson は記す。

「革新的な人間が現れるのは、著しい歴史的変遷の時期においてのみ」である。


沢田研二が、この世に「革新的な人間」として現れたことに異論を挟む余地はない。ジュリーを構成する魅力の各領域、それは例えば、表情、声色、ボディバランスに代表される性的なフィジカル、アートさえも見えない磁力で引き寄せる静的なカリスマ、好かれる人には「ジュリー」と絶叫させ、嫌う人には公然と「イモ!」とまで言わせた大衆認知度、その極間の広さ…同時代のSHOW BIZ界で、所謂「先遣者」「競争者」「伴走者」もいなければ「後遣者」に当たる人も、そう簡単に見つからない。

そんな「SHOW BIZ界の革新的人間 沢田研二」を人為的にスキル化、誇張化、或いは相対化することで存在する「表現者」は少なからず存在した。ただ「超越」の域にまで達するのは至難の技のようだ。ヴィジュアル系の元祖なんていう陳腐な”沢田研二コピー”をよく見かけるが、ヴィジュアル系黄金比率、老いに抗う「抵抗美」の極みが、沢田研二が呈した、老いによる醜さを「加齢美」とする、に結着するとは到底思えない。

さて、Erikson の言う「著しい歴史的変遷の時期において」現れた「SHOW BIZ界の革新的人間 沢田研二」を俯瞰するのに一読の価値がある連載がsankei webで連載されている。それが冒頭の画像バナーからジャンプ出来る「さらば革命的世代」だ。全共闘世代が大学から会社員に続々と”転向”する昭和40年代後半と、タイガース解散〜PYG〜ソロ…と歩む沢田研二historyの「陰陽な同期性」は案外、偶然ではないのかもしれない。

全共闘世代をルーツにする左派系の人達が”『我が窮状』を歌う沢田研二”を応援したくなる情緒や心根は多少なりとも分かった気がする。


「あまりにも恵まれた洞察力をもっていれば現行の体制に縛られていることはできない」
… Erik Homburger Erikson の言説で〆て明日に続く…たぶん…



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石原莞爾―天才戦略家の肖像
佐治 芳彦
経済界

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本著には、天才戦略家と評された石原莞爾を探究する過程で、その歴史背景を明らかにする為、故・吉田茂の言説が引用されている。

1929年の世界大恐慌を振り返り、

「この大きな経済的危機に際して、日本の指導者と国民は勇気を持って対処していった。彼等は新しい市場を求めてアフリカや南米やオーストラリアやヨーロッパに出かけていった。それは目覚ましい成果を収めたのである」
 (斜字引用)






当時の貿易輸出入額を示す図表だが(引用)ご覧の通り、底を打った昭和6年から昭和4年の水準まで戻るのに要した時間が「3年」である。

私は以前より麻生首相がどういう根拠で「経済回復全治3年」としたのかが、さっぱり分らなかったのだが、案外、祖父:吉田茂氏の「遺言」を元に、情緒的な根拠で「全治3年」と言ったような気がしてならない。

いいか、悪いかは別にして過日のダボス会議で「私には信念がある」と発言した麻生首相だが、果たして祖父の「遺言」通りに行くか否か。

少なくとも今の日本の「全指導者」や「全国民」が「勇気」を持ってして、この難局を打開しようと「腹を括って行動していない」ことだけは確かである。今に始まったことではない御都合身勝手な「タダ乗り民主主義」や、大衆に迎合する「衆愚政治」が蔓延しているのは、過日の漁業者”たった1日デモ”で実施された800億円足らずの燃料代バラマキや、派遣切り騒ぎで今や主流になりつつある「派遣禁止政策論議」で自ずと明らかだ。

「全治3年」…現状のままなら正直なところ、期待薄だ。何とも歯痒く悔しい。。。




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過日の当Blogエントリー地球温暖化はもう止められない、気象学の世界的権威が新論文の閲覧数が1000を超えたので、補足エントリーを残したいと思う。

未だ、確定報(毎年2月初頭)は発表されていないが、気象庁web siteによると、2008年度の平均気温は2000年代に入って一番低かったそうだ。以下に数値表を引用掲示します。(左段:世界全体 中段:北半球 右段:南半球) 




今後、注視したいのは、この2008年度の平均気温が一気に低下した根拠を各専門分野の学者がどのようにして説明するかに尽きると思う。おそらく一過性の原因だとする論調が幅を利かすと容易に想像できるが…

政治や経済分野において「地球温暖化」は人間生活が一義且つ唯一の原因とされ、更に日本ではマスメディアのミスリードにより「地球温暖化」は既定路線とされていることは明らかだが、そろそろ「人為的」か「自然為的」かの両論並列な報道が展開されてもいいのではないだろうか?




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meta racism を解釈するのには相当、骨が折れる。何かしらの「差別」があり、それを平等化するべく「反差別」を訴えかける思想や行動は、行き着くところ、究極の「純正差別」となり、元にあった「差別」よりも遥かに「超えた差別」を生み出す…ならば原始的に発生する「差別」は肯定されなければならない、に帰着するのが妥当である…私には、まるで禅問答のようだ。

文化人類学者の言説によれば、平等化に値する全ての差別や差異を思惟的に一元化しようと図れば、必ず「自然発生」として、互いの反発を引き起こし、「人種や文化の混合」は結果として、知的容量を著しく縮小させ、ひいては絶滅に至る危険性を秘めている、と〆くくる。

更に私見を加えるならば、互いの反発が常時「可視化」されていれば、まだ即時対処もできるのだろうが、言葉にも態度にも現れず、心根の中で深く静かに進行されてしまえば、事が起きた時には、もうお手上げだということだ。

日本語をうまく使う人達は「差別」を「区別」と置き換えて、目の前の難題を避けようと努めてきた。しかし、結果としては更に難儀で手に負えない人達を生み出してしまった。


「差別されるのは反対だが、きちんと区別はしてくれ」と主張する人達だ。



最近、私は禅問答のような日々に悩んでいます。


追記
能力別、性別…というような日本語的差別?区別?表現もある。原始的差別とは一体、何を指すんだろうか?



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地球温暖化はもう止められない、気象学の世界的権威が新論文
 - Technobahn -

強烈な見出しで始まる記事である。(論文の原題は Irreversible climate change due to carbon dioxide emissions


Proceedings of the National Academy of Sciences で公開されているpdf原文を読んでみた。科学的論証の正誤は、専門家議論に任せるとして、この論文が結論としているのは


This paper shows that the climate change that takes place due to increases in carbon dioxide concentration is largely irreversible for 1,000 years after emissions stop.
 (この論文は、例え今、二酸化炭素増加を止める事が出来ても、今後1000年間、気候変動は既に止められない状態であることを論証するものである・拙意訳)


である。そして、この論文で最も注目したい一節が page6 に記されている。


Discount rates used in some estimates of economic trade-offs assume that more efficient climate mitigation can occur in a future richer world,but neglect the irreversibility shown here.
 (数々のエコノミックトレードオフによるディスカウントレートは、今よりも効率のいい気候が未来の豊かな世界に生じると仮定していますが、この施策は本論文で示した事実と結論を無視しています・拙意訳)


おそらく、この「数々のエコノミックトレードオフによるディスカウントレート」とは、「二酸化炭素排出権の市場取引」とか、発展途上国に対して、先進国が主張している「余剰二酸化炭素排出枠の二国間売買」等を指していると思うのだが、この一節は、そういう取引や売買は全くムダである、との疑問を示したのではないだろうか。

この論文を発表したスーザン・ソロモン博士は、IPCC の重要メンバーであると掲題記事にはある。以前にも記したように(日本経済新聞社 論説委員 塩谷喜雄氏の放言) IPCCは「結論」を出す機関でなく、あくまで関係論文を考察する機関であるのだが、そのIPCC のメンバーがこれまでの定説に異論ありの論文を発表した事、施策批判の域にまで踏み込んで記した事、は非常に興味深い。

深読みすれば、1000年も続くであろう気候変動について、これは果たして「人間の営みが本当に原因なのか?」と暗喩しているようにも思える。

この「気候変動1000年論文」を考察し、その見解を IPCC がいつ、どのように発表するのかが非常に待たれるところだ。


追記1
更に深読みをすれば、今迄 Global warming とされていた「地球温暖化」の表現が、いつのまにか Climate change  単なる「気候変動」に置き換えられている気がするのは私の邪推だろうか?つまり「温暖化」「寒冷化」、どっちに転ぶか分からない…


追記2(2008-02-02 12:06:08)

補足エントリーをupいたしました。2/2付けの日経記事を取り上げて、池田信夫氏も人為的温暖化について疑問を呈しています。



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人道支援を足止め 北方四島 出入国カードで紛糾(産経新聞) - goo ニュース

そろそろ、日本人も普通の教養として、第二次大戦後、ロシアとは「平和条約」は結んでいない、極論すれば「停戦状態」なんだと認識していいのではないだろうか?深めの教養で考えるのならば「不可侵条約」を結んでいたにも関わらず、一方的に破棄して日本に宣戦したのがロシアである。

「いや、それは旧ソ連の話だろ?」とぬるい考えを持つのは辞めるのが道理だ。旧ソ連の権益全てを引き継いだのはロシアである事は諸外国が認めている。

私達、日本人は何の法的根拠もなくロシアと「平和外交」している幻影に甘んじているのだ。中国、韓国、北朝鮮の暴言にだけ振り回されていると、一番痛い目にあったロシア問題が忘れ去られてしまう。

しかし、現場処理で「まぁまぁ」と、日本お得意な「事無かれ主義」で、よくぞ入出国カードを切らなかったものだ。今回、事に当たった外務省職員の気骨を讃えたい。




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草稿、非表示のエントリーもカウントしたら、昨日で1000 logとなりました。某サイト管理会社からの解析レポートを以下に。手前味噌なハナシで恐縮ですが、結構マジメに取り組んで一生懸命書いてるではありませんか>ぢんぱちクン

なぜに?「世界征服計画」の(2)だけが、再読数多いのかな?って読んでみたら訳がちょっとだけ分かりました♪ちなみに、このライフワーク…現在(322)まで筆は進んでいます。結末は来るんだろうか…

この調子で行くと、2000 logが先か、10年が先か…。。。亀足だなぁ。。。

 1  99563 マリリンマンソン 2004-10-21 08:31:35


 2  72341 ジュリー 沢田研二 「我が窮状」への決然たる反論 2008-10-30 04:04:55


 3  60082 JASRACの幻想 2008-04-30 14:38:17


 4  60034  3月決算企業、1―3月18%減益に失速 2008-05-04 01:08:53


 5  57205  本当に仕事がないのか? 2007-08-31 19:29:10


 6  55920 日本経済新聞社 論説委員 塩谷喜雄氏の放言 2008-07-22 11:01:05


 7  52467 児島 襄 著「東京裁判」第八章〜弁護団の反撃〜 2007-02-15 09:57:04


 8  51009 沢田研二 東京ドームLIVEに想いを馳せる(8/33)  2008-03-15 00:58:06


 9  50006 心の換気扇 2005-12-17 16:00:01


10  40001 「寝台列車の旅」 2007-10-18 18:19:33


11  38343 歴代ロック名曲500 2004-12-07 18:18:06


12  32084 くず肉、くずハム、くず野菜 2007-02-28 21:09:06


13  26012 「潮干狩り」 2007-10-17 13:51:41


14  21995 ロックンローラー殺し 2006-01-06 10:02:36


15  20008 「家出」 2007-10-29 12:58:58


16  17549 村上春樹 篁麻衣 藤田嗣治 塚本修史 2006-04-04 11:40:01


17  14206 北海道大学 2005-04-07 00:27:00


18  13373 無関心でも結果責任を負うという事 2007-06-06 21:23:30


19  12005 世界征服計画 (2)  2004-10-29 06:27:54


20   9837 団塊世代VS新人類〜まえがき〜  2006-12-02 10:24:53


21   9787 団塊世代VS新人類〜いきなりあとがき〜 2006-12-04 15:06:08


22   9415 伊藤忠商事会長 丹羽氏「10年間、泥のように働け」「仕事のプロになれ」 の放言 2008-06-10 19:59:24


23   9110 「ストリッパー」 2007-12-18 12:14:37


24   8892 「僕が死んで朽ち果てても歌は残るものだから」 2007-12-18 12:14:37


25   8364 ぢんぱち 北京五輪 ひとり視聴ボイコット前夜 2008-08-07 21:20:59


26   8228 国籍法改正と不法外国人対策 2008-11-19 14:53:22


27   8215 とある男の闘病記〜急性胆嚢、胆管炎〜 2007-01-09 14:43:54


28   8094 山形県第3選挙区選出 衆議院議員 加藤紘一 の弁明 2008-07-11 14:31:09


29   8033 思いきり気障な午後 2004-11-07 01:13:00


30   7459 Google が形成する もうひとつの世論 2008-11-20 19:58:57




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この国のゆくえ なぜ私は変節したか? 人間を幸せにする資本主義の模索を(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

今朝の日経オンラインメールに、市場原理の重要性を声高に説いた中谷巌氏インタビューが掲載されているとの事で、早速読んでみた。(残念ながら全文はリンク出来ないので興味ある方は、日経オンラインに会員登録してください。以下、斜字は記事引用)

リアルでお付き合いのある方は御存知だと思いますが、私は昨年初頭から「学術系丁稚奉公」と称して、生業に生かすべく、MBA系経済学教授連中からの教示を得る日々を過ごそうと行動を起こしたのですが、夏前ぐらいに「見切ってしまった感」が押し寄せ、現在は頓挫中なのであります。


経済学は価値観を入れてはいけないという学問。歴史とか文化などの価値は議論に入れてはいけない学問なんですよ。だから、すごくロジカルで分かりやすい。だから、世界に普及してしまう。(中略)経済学の知識が体系立てて頭に入っている人は、どんな問題でも必ず答えられる。

経済学の世界では、ロジックを組み立てて、サイエンティフィックな意味で絶対に穴が出ないような完璧な論旨の論文が書けるかどうかが重要になる。(中略)でも、そのモデルは人間社会の2割か3割しか説明できていない。残りの7割、8割はもっと不可分な、ドロドロの世界でしょう。



先日のlog
にも残しましたが、「人間の持つ非合理的な情緒が理論や理屈を凌駕している事実はそこらじゅうに転がっている」と、認識している私にとっては、経済学を学ぶことで、その「情緒vs理屈」が論破できるのでは?ひいては、生業の経営に生かせるのでは?の淡い期待があった訳です。

見事に裏切られました…と言うよりも、多感な時期を英米文学とロックバンドで過ごした「情緒丸出し、直感優先の私」には、ロジカルな経済学が弾き出す「正確な結論」は肌に合わなかったのかもしれません。

興味深かったのは、インタビュー〆で中谷氏が吐露した一節。

そういった経済学には含まれないものの知識を深めないと何の議論もできない。それで、歴史から文明論、哲学書などをたくさん読まないといかんな、と思ったわけです。


私と完全に真逆のアプローチを中谷氏は試みるようです。

追記 (2009-01-27 13:34:09)
正解を追い掛けているはずの日々なのに、いざ「正しいモノ」が眼前に現れると、どこかで否定してしまう人間の性や業には測り知れないものがあります。歴史が教える過去の事実と哲学が教える未来のあるべき姿が絶対に相容れない存在なのはなぜ?なんでしょうか。




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Vodka Collins, Pink Soup, Akasaka Blitz 1997



大口広司氏死去 俳優・ミュージシャン(共同通信) - goo ニュース

私にとって「昭和の1ピース」が又、☆になってしまった。それもジュリー 沢田研二と短い時間ではあったが、同じグルーヴ感やビート感を共有したPYGのオリジナルバンドメンバーだ。今では幻の映画になるかもしれない「パリの哀愁」での、グレた美術学生がやたら似合っていたことを思い出す。1/25に☆になったと記事にはある。GSムーヴメントを一緒に駆け抜けた人達にとっては心痛む特別な夜になったに違いない。何だろう?自分でも驚くぐらいに高まってくる、この喪失感は・・・


付記
沢田研二〜ジュリー ザ ピンボール〜

昭和の1ピース 山口小夜子
昭和の1ピース 阿久悠
昭和の1ピース 植木等


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英BBCのAsia報道で興味深い記事に出くわした。Japanese firms unveil robocop

日本がロボット産業で世界をリードし、注目されている現状、その一端が垣間見える記事だ。確か平成18年からだったか?と記憶しているのだが、ロボット開発は、今後の日本における牽引産業として育てるべく、経産省の後押し予算が非常に活発になった。

ロボットに代表される「機械化」の変遷は大変、興味深い。既存産業を根こそぎブチ壊すこともあれば、アイディアだけが先行過ぎて、逆に既存産業を活性化させることも度々だ。

特定の人間にしか出来ない技…なんてものは、近い将来消えてなくなることは当たり前なのだが、それを全ての産業において取り入れ「成功商売」になるか、と言えば No になるところが、人間社会の面白いところ。

合理的にスピーディーにコストパフォーマンスも非常に高い業務をロボットや機械がやってみせても「商売にならない」ことが逆に多いように思える。人間の持つ非合理的な情緒が理論や理屈を凌駕している事実はそこらじゅうに転がっている。

そんな商売上でのトライ&エラーを繰り返して、最後に残る「ロボット仕事」はどんなものなんだろうか?と考えたら、一晩中楽しい私である。

追記
以下に、BBC記事をyoutubeで補足しておきます。

Tmsuk T-34 Security Robot





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海賊対策の新法制定、首相と防衛相が方針確認(読売新聞) - goo ニュース

この海賊対策新法については未だ、国内メディアや論者の報道が非常に「弱い」。又もや軍事アレルギー、九条擁護アレルギーか?と思わせる。リンク先がすぐに見つからないのだが、既に日本人船長が1名、海賊に「拉致」されていることが日本国民に衆知徹底されていない事実は私をめちゃくちゃ苛立たせる。

更に、元々は民主党長島議員の国会質問を具体化させる形で始まった海賊対策新法だが(参照:長島議員ブログ)、この期に及んで、社民党、国民新党の反対から、民主党はこの新法に「反対」の意を示すのだそうだ。海自派遣、民主「反対」で調整 ソマリア沖海賊対策 -北海道新聞 -政権奪取に向けた選挙協力体制を考えて…の言い訳は、どう転んでも納得できない。

社民党、国民新党は海上保安庁が出向くことこそ第一義だとしている。あの不審船事件でも分かるように、武器使用をためらわない相手に海上保安庁では役不足なのは自明の話だ。交戦訓練をしている海上自衛隊が「警備行動」できるのは自衛隊法にもしっかりと明記されている。なのに、社民、国民新党は杓子定規で戦闘に全く未熟な海上保安庁員を送り出すのか?

更に先のイラク派遣同様、もし自衛隊が行くのならば「丸腰で行け!」と命ずるような社民、国民新党、それに「命」よりも政局を優先させる民主党はいかがなものか?海賊阻止せねばならない場面に遭遇した時、遠いソマリア沖から首相の武力威嚇OK!の命令を待つ間に、護衛せねばならない民間船と海賊の間に割って入って、又、命の盾「体当たり」をさせるのか?。「法」を守る間に「命」が失われても一向に構わないのか?

今日ほど、何が何でも護憲、九条擁護を声高に叫ぶ奴等にムカツイた日はない。




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