革共同盟再建協議会(中核関西派)がインターへのテロを自己批判
2009 年 1 月 25 日 昨年革共同中核派から分派した「革共同再建協議会」というのがあります。運動関係者以外の方にはあんまり馴染みがないでしょうが、中核派の拠点の一つである関西地区を中心として、多くの西日本各県連組織の半数以上が参加した大きな分派です。一時は西日本以外にも波及しそうな勢いがあって、中核派結成以来の危機だったかもしれません。俗称では分派のほうを「関西派」、党中央を支持して残った部分を「本部派」などと言ったりしています。
さて、この関西派が、中核が80年代に行った、第四インター派へのテロ行為を自己批判する声明を発表しました。実はこのインターへのテロを頂点とする、80年代後期の恫喝政治のために、中核派系列は左派市民運動からは猛烈に嫌われまくり、今もって共闘関係から排除されているという現状があるのです。
くわしくは拙ブログの「中核派について」、および当時の戦旗派の現状分析と総括に書かれていますので是非ご覧ください。
ですから、いかに分派とはいえ、中核派系列がこれを大衆的に自己批判して「誤りだった」と認めて謝罪することは、今後の流れによっては左派運動の地図を塗り替えかねない大きな事件となる可能性もあり、私を含めた多くの人々が中核派系列に対して謝罪と自己批判を求め続けていたものでもあります。
ただし、今回の自己批判は、当時の一連の恫喝・内ゲバ政治のうち、インターへのテロ行為だけに特化して謝罪するものです。当のインターがこれで納得するかという問題以外に、私も含め、中核の恫喝政治に呻吟してきたインター以外の多くの左派運動経験者にとっては、ちょっと納得できないものになっていると思います。中核派は自分たちがそういう大衆に与えてきた苦しみや辛さ、恐怖と屈辱、怒りや憎しみ、そして左派運動全体の混乱や停滞というものを、全く軽くしか考えていない、甘く見ている、なめていると思います。
ネット上の反応をちらほら見る限りでも、今までは皆が黙っていたのに、一斉に自己批判の不充分点の非難をはじめる論調のほうが目立ちます。いわば「拉致を認めて謝罪した後の北朝鮮状態」です。ただ、私はこのような声明が出されたことは大きな一歩であることは確かだと思っています。だからまず、批判する前に「一歩を踏み出した」「やっと入り口に立った」ことを評価したいと思います。関西派はここで「こんなはずではなかった」とばかりに踏み出した一歩を引っ込める「その後の北朝鮮」みたいな対応をとっては絶対にいけません。それではかえって泥沼にはまります。
そして実は私が一番心配しているのはむしろ本部派のほうなんです。この自己批判を「塩川派(関西派への蔑称)の反革命集団への転落の証拠」として批判しはじめ、またぞろ昔の「脱落派(インター等への蔑称)粉砕」に先祖返りしないかという点です。「こんな反革命の脱落派に頭を下げて許しを請う塩川一派」というわけで、そのとばっちりを受けて、三里塚をはじめとする左派運動が大混乱させられてはたまりません。本部派も、支持者らの空気を読んで(関西派への対抗的な動機にすぎないものであろうと)自己批判を検討するような形になればいいのですが(無理かなあ)。
またくわしい論評についてはゆっくり書きます。この自己批判文もそのうち関西派のサイトで読めるようになると思いますが、現時点では一部しか掲載されていませんので、速報として以下にに全文を転載保存しておきます。