revised 7/12/2003
●岡崎京子さんが1996年5月19日18時半、東京都世田谷区の自宅の近くで夫の朱雀正道さんと散歩中に飲酒運転の4WDにはねられる。頭部打撲・頭蓋骨骨折・脾臓破裂で東京女子医大に入院、緊急手術するも、意識不明の重体。22日の朝日新聞、読売新聞、日刊スポーツ、FM、インターネットで報道される。
夫は全身打撲、骨折で1ヶ月の重症、別の病院に入院するが、事故の翌日には車椅子で奥さんを見舞いに行ったらしい。
●当時の状況について、「いぬちゃん」を描いているかとうけんそうさんのページに記載あり。
●『マジック・ポイント』他で何回か共作している大原まり子、5月の日記で心配。
●週刊文春6月6日号より抜粋
「19日新宿区の大学病院に運ばれ、頭蓋骨骨折と内臓破裂に対し、開頭術と脾臓摘出術を施行、21日には危篤状態を脱し、22日には『(手で)グーを出して、パーを出して』といった指示に反応するようになった。」
頭部及び全身打撲で、相当ひどい事故だったようです。当然意識消失、出血多量でショック状態であり、分を争う状態だったはずです。しかし22日には「指示に反応できる」ということは、少なくとも外部からの呼びかけとその内容を理解し、動作で答えることができるわけで、「意識不明」と書いてありますが、医学的には意識は「少しある」状態です。
少なくともこの時点で、最悪のシナリオは脱したと判断できます。術後4日でこれなら、意外と意識の回復もスムースなようで、とりあえず一息ついていいと思ったのですが…。
●週刊少年ジャンプ29号(6月17日発売)の目次、漫画家がひとこと言うコーナーで、『ジョジョの奇妙な冒険』でいい味出してる荒木飛呂彦氏のコメントが「近所でひき逃げがあった。被害者はどうやら漫画家らしいのだが、誰なんだ?」。5月下旬のコメントと思われる。この人、ご近所だったのね。
●6月18日の日経朝刊「まんがワールド」欄で、いしかわじゅん氏が事故のことを書いている。
「彼女は、京子ちゃんは、ぼくにとって日本一だった。(中略)よりによって、なぜ彼女が選ばれなくてはいけなかったのだ。(中略)(「ヘテロセクシャル」について)どれにも共通しているのは、岡崎京子の、目のすごさだ。形あるものを疑い、人間の本心を引き出す、その視線の威力だ。(中略)ぼくは、毎日祈っている。彼女の一日も早い回復と、現場への復帰を。」
●SFマガジン8月号のあとがきで、香山リカさんがはげましのコメント。
●自動車雑誌の月刊『NAVI』9月号にコラムを連載中のえのきどいちろう氏が、 「オカザキ、頑張れ」と2ページ。
7月上旬に書かれた文章で、その時点での病状を要約すると、
「まだICUで治療中で、 ようやく肺の手術で自分で呼吸ができるようになった、意識はない」といったとこです。
身体面では、1カ月近く人工呼吸器を外せなかったわけです。既に脾臓も摘出して いますから、全身の臓器にダメージが及んでいると思われます。従って相当体力も消耗しているはずで、回復にはかなり時間がかかりそうです。精神面では、1カ月半集中治療室にいて、まだ呼びかけに対して明確な反応はないようです。脳の損傷も軽くはないと思われます。
その後2カ月たちましたが、あまりいい話は伝わってこないので、まだまだ予断を許さ なそうです。しかしえのきど氏は、彼女のマンガ家としての気力と体力を信じ、「オカザキもきっと大丈夫だ。信じてるぞ。」と、励ましのエールを送っています。
●隔月刊『CUT』9月号(8月19日発売)で、吉本ばなな氏がコラムで岡崎さんに ついて1ページ。
同じ作家として、同じ時代を生きる女性として、岡崎さんがとても大切な存在だと語り、一方見舞いに行った時の状況について、岡崎さんは必死に生きようとしていると。
読んでいて勇気のわいてくる文章でした。
●「ヘルター・スケルター」が終了した後「森」が新連載第1回で中断になってしまった 月刊『feel young』(祥伝社)では、毎回編集後記で岡崎さんの容態を伝えてくれました。
7月号では、快方に向かう兆しが見えてきたとのことでした。
8月号では、「集中的な治療が続き、長期的な視点に立って…」と書かれていました。 これは、治療が長引いていることを意味しています。ちょっと心配でした。
9月号では、「一歩ずつ確実に回復しているとお伝えできます」とのこと。少なくとも 悪くなってはいないらしい。いずれにしろ長期戦。
10月号では、「依然入院中ですが、少しずつ良い方向に向かっています」 具体的な記述がないため、ちょっと心配。
11月号では、「現在緑に囲まれた東京近郊の総合病院で、リハビリを視野に入れた 治療を続けています」転院して、長期戦の構え。
12月号では「表情に微妙なつやが出てきて少しずつ回復しているそうです」 この時点ではまだ意識はなくてコミュニケーションはできない状態だったと思います。
新年号(12月8日発売)の編集後記では、最近の岡崎さんの 容態を「目があうと微笑む」と伝えています。
これは、目を開けることがあって、人の顔を認識できて、誰かが自分を見ていると 理解できて、それに対して微笑みという表現で反応を返すことができるということです。
そんな、あたりまえのことが、今の岡崎さんには大冒険なのかもしれません。 今までは意識が戻ったという話はなかったので、これは、とっても大きな一歩です。
短い記載なので、どこまで判断していいのかわかりませんが、いい噂も増えてきています。
1カ月前までは良くない噂ばかりだったので、ほんとにいいのかもしれません。
●12月24日頃発売の隔月刊『クイック・ジャパン』11号の「編集部より」に、 岡崎さんの近況が載りました。編集部の赤田氏が家族から直接うかがった話です。要約すると、以下の通りです。
「意識は回復したが、まだ気管切開していて、喋れない。重症で身体もまだ自由に動くとは言えないので毎日リハビリをしている。小沢健二の新譜を聴いてニッコリ微笑んだりする。」
音楽を聴いて微笑むのは、意識はかなりはっきりしていて、感情も安定していると思われます。おそらく状態に波があるとは思いますが、精神機能はかなり改善しいてると思います。「気管切開」は、咽を切って管を入れ呼吸を確保する方法で、まだ呼吸機能(肺や肋骨など)が安定していないようです。息苦しくなったりすることもあるかもしれません。
身体がどの程度動くのかは、この内容からはわかりません。悪ければベッドから動けず、筋肉が衰えるのを防ぐために手足を他の人に動かしてもらっているのかもしれません。
良ければもう歩行器や杖を使って歩いているのかもしれません。ただ、話の感じからは、まだせいぜい起きあがるのがやっと、という印象です。
編集部には岡崎さんを心配する手紙が少なからず寄せられ、赤田さん自身岡崎さんを以前からよく知っていて、心配していたそうです。「ひとまずホッと」したそうです。
●『このマンガがえらい!』1996年12月、宝島社、780円
10大ニュースの座談会で岡崎さんの事故について語られる。
●月刊『FEEL YOUNG』2月号では、「岡崎先生は病院で33回目の誕生日を迎えました。来年のさらなる回復を読者と一緒に祈ってます」。
3月号は、「回復の長い途上にある岡崎先生の容態を、これからも随時お伝えしていきます。激励の手紙、CDテープ等は編集部へ」
これ以降の号では、編集後記で岡崎さんの情報はありません。
●『クイックジャパン』No.12(2月下旬発売)に、岡崎さんの全単行本レビューが掲載されています。
前書きに岡崎さんの現状。「病院でリハビリに努めているところで、回復に向けて毎日がんばっているとのことです」
●月刊『噂の真相』4月号(3月10日発売)で「交通事故で危篤状態に陥った漫画界のニューウエーブの旗手・岡崎京子の奇跡に向けた闘病記"最新情報"」(レポーター正田佐世)という5ページの記事が載りました。
内容からいうと"最新情報"はなく、夫や親しい編集者ら関係者への取材の結果、情報が乏しいのは周囲の人が語りたがらないためとしています。
その理由として筆者は、彼女の病状がよくなく、再び漫画を描けないかもしれないため、今それを語ることは彼女を"過去の人"にしてしまうからみんな口をつぐむのだろうとしています。
これは、誰もがうすうす感じていることです。待つ者の不安が初めておおっぴらに語られた、というのがこの記事の意義です。
当ページの見解としては、現在は長期のリハビリの途上で、まだ先のことを言える段階ではないと考えます。少なくとも悲観的になるのは早計でしょう。今は岡崎さんの生命力を信じて、手紙を書くなどして回復を待つ時期だと思います。
●5月、新刊『UNTITLED』編集付記からは、なお意思の疎通ができないことが推測される。
●ロッキング・オン・ジャパン1998年11月増刊号『H』(ロッキング・オン、490円)に「岡崎京子とその時代」吉本ばななと貞奴の対談(p40-47)。事故当時の状況などが語られています。
●80年代の投稿マガジン『ポンプ』から岡崎さんと親交を深めていた鈴木琢さんが、闘病中の岡崎さんにエールを送ろうと掲示板を立ち上げました。メッセージを本にして届けた時の岡崎さんの様子が書かれています。最近の岡崎さんの状態が、具体的によくわかります。