アスペルガー症候群 これが本当の話

アスペルガー症候群を知らないくせに診断を与える無知な心理士

論文上の「ニキリンコ」は特定出来ない。そのニキリンコが流したガセネタを糺すブログ

「ニキリンコ」
商売のため、出版社花風社の浅見淳子上智大准教授の浅見昇吾が作り上げた自閉症キャラ

アスペキャラの「泉流星」「ジョン」も同様 2008年10月ブログ参照

← 2009年2月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28

新着コメント一覧

アバター

Yahoo!アバター
アバターとは?
この人にプレゼントを贈る
My Yahoo!に追加 RSS
Counter

2009年2月6日(金)

ピカソ

このブログの主題は2009年1月29日の【花風社 浅見淳子】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。

箱根に、箱根彫刻の森とピカソ館がある。
私は、箱根とピカソが大好きで、昔は何かある度に箱根に車を飛ばした。
最近は、小遣いが無いので行けなくなったが、昔は本当によく行った。

ピカソは12才の頃には、その時ある絵画の手法はすべてマスターしてしまった、と言われていて、実際その頃の写実画は素晴らしい出来だ。

そのピカソが独特のまさしくオリジナルの画風を身につけ、70才を過ぎた頃「ようやく子供の頃の様に書けるようになった」と言った。
この言葉について、皆ありきたりの憶測しか出来ずにいたが、妻が突然面白い事を言った。

妻は、潜伏斜視でさらに日常生活でもあまり立体視せずに生活をしているようだ。

その妻がピカソの絵を長いことじっと見つめ、
「あのね、ピカソの絵はね、こうやってずっと見てると、突然絵が飛び出して来るんだよ。
人物画が飛び出す絵本みたいに、ぐっと立体に見える瞬間があるんだ。凄いねーーーー」

私も色々目の焦点を変えたり、目の力を抜いて見たりすると、確かに瞬間的に、ぐわっと浮き出る事がある。
成る程、そう見えるように、ピカソは書いていたのか。
そう言えば、ゴヤの絵も人物画を極端な2面で捉えて書いている。

ピカソはきっと同じ様に見える人間に対して、メッセージを残していったのかもしれない。

ホンマかいなと思う人も思わない人もリンクの最後の行をポチットね。

作成者 Chip : 2009年2月6日(金) 06:47 [ コメント : 2]

2009年2月5日(木)

テレビ

このブログの主題は2009年1月29日の【花風社 浅見淳子】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。

私は立体視している。それこそ、アリの顔まで判別するのかと思うほど細かい物まで立体視している。

しかし、同時に、あの昔々のブラウン管式の白黒テレビを見ても綺麗に立体として、さらに色も付いて(付いた気になって)見ていた。

当時の子供番組「ブー・フー・ウー」から「ひょっこりひょうたん島」まで、本当のカラー放送になるまで色が付いた気でいた。
テレビは私にとって、現実であり、すべての知識の源であった。
母にスイッチを切られるので、しぶしぶ見るのを止めるが、母が居なければ心ゆくまでテレビを見ていられた。

ある時(小学4年冬)、新聞にテレビは平面画像だ、と書いていたので本当にビックリした。
将来は立体画像のテレビが出来るらしい。そう言われて、テレビを斜めから見たり、下から見上げたりしたら、確かに、
テレビの表面のガラスの所に絵が映し出ていて、平面画像と言う意味が分かった。
それでも、十分立体画像もどきとして、それからもテレビを楽しんでいた。

妻は、それを「過剰な立体視」と言う。
あまりに視覚に関する能力が高すぎて、平面画像も敢えて立体に変換しているのでは無いかという仮説である。

たしかに、老眼が進み目が悪くなると同時に、私の現実の世界が平面的になってきた。
自閉症の子供たちがテレビに飽きることが無いのは、こんな所に原因があるような気がする。

ちなみに立体視が苦手な妻は、テレビをほとんど見ないし、興味を示さない。

分かる人も分からない人もリンクの一番下の行をポチットね。

作成者 Chip : 2009年2月5日(木) 07:33 [ コメント : 10]

2009年2月4日(水)

鏡の向こう

このブログの主題は2009年1月29日の【花風社 浅見淳子】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。

私の妻は、今は目が悪くなったが、目はずっと1.5だったらしい。
しかし、その行動、様子を観察していて、
実は子供の頃から「立体視」をしていなかったんじゃないかという結論に達した。

人は、二つの目玉が正面を向き、そのおかげで、物の立体が分かるというのが定説である。
にもかかわらず、車との距離感が掴めず危険だったり、テーブルの上の物をひっくり返したり、注意欠陥だけで割り切れない行動が多いのだ。

立体視が出来なければ、現実の立体の世界と、鏡に写った平面の世界の区別はそれ程大きい物では無い。

妻は鏡が大好きだそうだ。
向こうを覗くと必ずこちらを向く何かが居る。その何かは非常に懐かしい感じで、いつもこちらを向いている。

妻にとって友達は、鏡の向こうでいつもこちらを向いている、懐かしい存在だけだったのかなぁと述懐するのだ。

んーー と思った人も思わない人もリンクの最後の行をポチットね。

作成者 Chip : 2009年2月4日(水) 08:50 [ コメント : 9]

ゴミ箱

このブログの主題は2009年1月29日の【花風社 浅見淳子】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。

こちらはゴミ箱

作成者 Chip : 2009年2月4日(水) 08:50 [ コメント : 3]

2009年2月3日(火)

見る 観る ミル

このブログの主題は2009年1月17日の【直観像】【ニキリンコ】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。

鏡を見る。鏡に関するエピソードは幾つかある。
しかし、単純に鏡を見ると言う行為から、哲学的意味を含んだ自己を見つめるという言葉までが含まれ、
なかなか簡単に言葉にする事が出来ないし、私自身まだそこまで分からない。

ただ今言えることは、妻を観察していると、鏡を見る行動自体間違っている様に感じるのだ。

ちょっと鏡を見て欲しい。
あなたは、間違いなく鏡を見ている自分の顔を見ていると思う。
ちょっと鏡の縁の方に目線をずらして見る。
部屋の壁か天井がうつっている。

さらに、よーーーーーく見ると、鏡の表面のガラスがあってそのガラスに埃か何かたかっていないか。
その埃がたかっているのは、鏡のガラスの本当の表面だ。
或いは、指紋が付いて汚れるのはガラスの本当の表面だ。

定形発達であれば、鏡を見なさい、と言うと当然鏡に写った自分の顔、体を見るだろう。

しかし、子供に鏡を見なさいと言って、鏡を見てる、或いは鏡の表面を見ているとしたらどうだろう。
どんなに鏡を見たところで、本来の目的は果たさない。

「あんた、鏡を見てから学校へ行きなさい」「はーーーい」

毎日素直に鏡を見てるはずなのに、とんでも無い格好をしてることがある。
そんな子供は、私が言うように「鏡を見てる」だけで、中に写っている自分を見ていないのかもしれない。

なーる と思った人も思わない人もリンクの最後の行をポチットね。

作成者 Chip : 2009年2月4日(水) 08:51 [ コメント : 2]

2009年2月2日(月)

コンパクト

このブログの主題は2009年1月17日の【直観像】【ニキリンコ】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。

「私は鏡を見るよ」以前鏡の話が出たときに、さも当然の様に妻は言った。
妻は鏡を嫌うより、むしろ好んでいる。
「部屋に鏡を置くと部屋が広く見えるんだよ」
我が家は狭く、鏡を吊すようなスペースも壁もあまりない。だから、模様替えの度に用の無さそうな鏡を仕舞うが、また気付かないうちに引っぱり出して何処かに置く。
様子を見てると、鏡なんか見ている風に見えないが、要ると言い張る。

ホームページの「自閉症カンファレンス2002−2」の記事の中に、妻が韓国へ1000万の未払い金の回収に行った話がある。
当時は、「韓国出張いいなー」位で、そんな大変な事になっているとは知らなかった。

その時、妻は会議室で相手方が居並ぶ中偉そうなことを述べたそうだ。
話が終わり席に着いたとき、隣に座る通訳の女性がハンドバッグからコンパクトを取り出し開いた。

言いにくそうに、小声で呟いた「・・ここ・此処見て下さい・・」
彼女が見せるコンパクトを覗くと、なんと自分の鼻先に、小さな鼻くそが付いていたのだ。


鏡は毎日見ると胸を張った妻だったが、鏡を見ても実用になっていなかったのだ。

成る程と思った人も、思わない人もリンクの最後の行をポチットね。

作成者 Chip : 2009年2月4日(水) 08:51 [ コメント : 0]

2009年2月1日(日)

ズボンの丈

このブログの主題は2009年1月17日の【直観像】【ニキリンコ】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。

引き続き質問です。【外見の客観視について】
(1)化粧や身だしなみを整えるのはどのようにしていますか?(2)鏡に映る自分をどう見ますか?鏡を普段どう活用しますか?投稿者 non : 2009年1月31日(土) 00:13
−−−−−−−−−−

最近面と向かって「お洒落ですね」と言われビックリした。しかし考えてみれば時々持ち物をほめられた事もある。
予算が無限なら、上から下まですべて気に入った持ち物で揃えたいが、吝嗇の母の血を引き、勿体なくて最近はすべて海外通販だ。
海外通販と言うと贅沢な気がするかもしれないが、丹念に探すとダイエーで買うより遙かに高い品質で良い色合いの品物が安く手に入る。

髪の毛は1000円床屋が出来てから5回位行き気に入ったが、それまで25年間自分で切っていた。

髭は延ばしていた時期もあったし、面倒くさくて4日に1回しか剃らない。妻はそれが大嫌いだが、私は構わず客先にも行く。
お客さんも驚いたかもしれないが、自分で自分の顔は見えないし、お客もすぐ慣れる。

ただ老いも若きも、特に老人のズボンの丈が一部の隙もなくぴったりなのが本当に不思議だ。どうやってズボンの丈を合わせているのだろうか。
丈がぴったりと思っていても、最近のウレタンソールの靴を履くと思ったより短かったりする。
長目のズボンもいずれ縮まるだろうと思うと、いつまで経っても縮まなかったり、珍しくぴったり出来たと思ったズボンが、
気が付くとビックリするぐらい縮んでくるぶしが出ていたり、ズボンの丈の調整はみんなどうやってあんなに上手く揃えているのか本当に不思議だ。

鏡はほとんど見ないから、全然必要ない。
洋服のシルエットは一度着てみれば分かるし、色の取り合わせも見れば分かる。
幼稚園児じゃないから、半ズボンの下に寝間着を着たまま出かけることもない。
せいぜい、時々腹が苦しくて、ズボンの前のボタンを外したまま人前に出るくらいで、別に恥ずかしいことでもない。

鏡は髭を剃るときか髪を切るときに見るくらいで、大体自分の顔なんか見たって気持ち悪いだけでなんの用途も無い。

そうだそうだと思う人も思わない人もリンクの一番下の行をポチットね。

作成者 Chip : 2009年2月4日(水) 08:52 [ コメント : 23]
前の記事  |  次の記事