ラジオから流れるのは80年代のロックミュージック。
ダッシュボードの煙草、足元に転がる無数の酒瓶と、助手席には可愛い女の子がひとり。
その真っ赤なアメ車が搭載するオプションとして、彼らには最早不足など無いだろうに。

 

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原始的なロック音楽は暴力であり《セックス》だ。
イーグルス。砂漠を疾走する車の中で大音量、こっ恥ずかしいくらいにかの律動は我々の空気に嵌っていて、規則的なリズムを刻む重低音が腹の底を突き上げてくるような感覚に、昨夜の雲雀恭弥の動きを重ねた は内心狼狽してしまう。こんなに明るい内からマフィアのセクシーなお兄さんに欲情している場合ではないというのに、《私は何を考えているのか》。

「雲雀さん、ラジオのボリュームちょっとだけで良いからダウンしてくださいよ!」
直線的な突風に踊り狂う髪の毛を両手で押さえながら、 はロックに負けじと大きな声を運転席に放つ。「鼓膜が破れそう」

「鼓膜が破れそう、の前に、パンツが濡れそう、だろ。 の場合は」

後部座席の山本武が助手席と運転席の間とに顔を突き出してそんなことを に向かって冗句するから、彼女は狼狽の色を一層濃くした。
一言も言ってない。濡れてるなんて素振りも見せなかったというのにどうして、 がちょっと濡れてしまっていることに気づいているかのような、含みの在る笑みを見せる、山本武。

はいくらか赤くなった顔を山本に向けて、「濡らしてません」と口答えした。「私は生まれてこの方、濡れたことなんて一回も無いですから。そんな状態に陥ったことなんてありませんから」

「よく言うよ」

ハンドルを切りながらぼそっと雲雀が呟くので、 は羞恥のあまり頭の回転が俄かに停止してしまう。言外に、昨晩の自分の乱れっぷりを揶揄されたような気がしたのだ。ほんの一瞬だが二の句が告げなくなった。

「ぬ、濡れてない!」

思わずむきになって声を張り上げた。《どうしてお天道様も高いうちから、濡れるの濡れないの言い争わねばならぬ。ジーザス!》

「オレ、 が濡らしちゃってるに100ドル」
山本がにやにや笑いながら言った。「獄寺は?」彼は振り返って後部座席で煙草を吹かしていた青年に向き直る。

獄寺隼人は煙草の先を山本の顔面に押し付けるような真似をしてみせながら、片方の眉を吊り上げた。サングラスの奥の鋭い瞳がわずかに細められる。彼は面倒くさそうに、「濡らしてるに100ドル」と一言。

「僕も、 が濡れてるに200だ」運転席の雲雀が賭けに入ってきた。

「あんたら昼間っからセクハラですか!? そして賭けになってないですよ!」

「お前が《濡れてない》って自分で主張してるんだから、《 は濡れていない》に400ドル掛けるのはお前の役目だ」

獄寺がぶっきらぼうな口調で言う。

「なぜ400も!」

私が眼を剥いたら、雲雀が隣から、「後ろの二人に100づつ、それから僕に200払わなければいけないから」と答えた。それはつまり、《私が100パーセント負けると見越しての、オッズ2倍、ということか》。

「ぬ、濡れて……ません」

は尚も言い張った。

「じゃあ僕が確かめようか。指で」

「ひひひ雲雀さんっ、さては飲酒運転してますねっ!? 何ですかそのナチュラルな痴漢宣言は」

「んなことしなくても、 がパンツを脱げばいい」
かったるそうに獄寺が言う。「さあとっとと脱いで山本お兄さんに渡してあげなさい。こいつが判断します」

「獄寺の言うとおりだ。さあ脱げ今脱げここで脱げ」

山本が手を突き出してくる。

「エロ軍団が! 散らすぞ」

は力任せに山本の掌を叩いた。

まったくこの人たちは一体どういう神経をしているのか。
一台の車に、 が彼女のボスから同乗を命ぜられて2週間。マフィアのお兄さんたちのお守りを仰せつかったが、ドン・ボンゴレが大変申し訳なさそうに「彼らが無茶をしないか注意して見てやって欲しい」と言ったことが今ありありと思い出される。
はグルーピーじゃなくて、この人たちのお母さん役のはずだったのである。《やってることは既にグルーピー。困ったもんだ私の節操なしめ》。

彼らは仲良しグループと言うわけではなく、むしろ反目しあっているというか、すぐに揉め事を起こすし諍いが絶えない連中であり、そんな一匹狼の群れの緩衝材の役割として、 がこの旅に同行させられているわけだが、ドン・ボンゴレは人が良すぎる。色気も性欲も盛っているピークのお兄さんたちの群れに放り込まれて、 、無事で済むわけが無かった。
ほんの二週間足らずで、 は山本武と恋に落ち、そして昨日、雲雀恭弥と寝た。獄寺隼人とは唯一何の関係も持っていないが、それは彼がひとえに「10代目命」だからで、そして と獄寺がイタリア時代からの幼馴染であるということに於いてのみ、現在のバランスを保ち得るわけである。

仲良しなのではなく、ただの腐れ縁。そんな彼らが何年落ちが知れたものではない真っ赤なアメ車で砂漠のハイウェイを疾走するのには、訳がある。

ドン・ボンゴレの探し人。――かつての家庭教師の行方を追っている。

「リボーンさんも人が悪ぃよな」
車窓から吹き込む埃っぽい風に髪をめちゃくちゃにされながら、獄寺隼人がサングラスの奥の眼をきつく細める。「10代目が立派にボンゴレ・ファミリーのボスとして独り立ちした途端、煙みたいに消えちまうなんて。10代目にはまだリボーンさんが必要だってのに」

「どうだかな。案外、この大陸のどっかで、ダメダメな落ち零れを立派なボスに育ててる最中かも知れない」

山本が応える。

ドン・ボンゴレはかつての恩人の消息を欲している。
何の音信もなく忽然と消え去った家庭教師。再び戻ってきてくれなどと懇願する気など、ドン・ボンゴレにはさらさら無いのだろうが、彼は人並みはずれた心配性で、また誰よりも恩義を重んじる男だった。どうしても、あの家庭教師にもう一度会いたい、そう言うことらしかった。
そして、ボンゴレ幹部である雲雀恭弥・獄寺隼人・山本武が自ら進んで家庭教師の消息を追う役目を買って出た。彼らは一様に「暇だから」と言ったそうだ。違う。きっと、その家庭教師とか言うのに、彼らもドン・ボンゴレ同様、会いたくて仕方が無いのだろう。居ても立っても居られず、と言ったところに相違ない。
男の人はいつまで経っても子供だ。

そして

彼女はドン・ボンゴレの身代わり。各地で揉め事を起こすであろう三人の狼たちをどうにかこうにか纏めている10代目は、多忙さ故にこの旅への同行適わず、やむなく代理人を立てた次第であった。《ドン・ボンゴレは私を過大評価しているのではないか》。


「もう二週間にもなるんですねえ」
はダッシュボードの上の煙草を、こちらに向かって片手を差し出してくる獄寺の掌に放り投げながら、言った。「かつての家庭教師がアメリカにいるっぽいよ、なんて漠然とした情報をよくもまあ、我々は馬鹿正直に信じてしまっているものです」

「仕方ねえだろ、他に手がかりなんてねえんだから」

ガラムの甘い香りを紫煙と一緒にたゆたわせながら、獄寺が肩を竦める。
ラジオからひび割れて流れるイーグルスに鼻歌を交え、彼は片足を車のシートに上げて頬杖を突いていた。クローブがぱちぱちと弾けて、例えば獄寺のそのパンツに穴を開けることすら懸念されるであろうに、彼は終始無頓着で、その重くて濃密な煙を好んで吸う。
がいつだったか彼の吸いさしを一口貰ったことがあったが、スパイシーな刺激にむせ返っただけだった。美味しくもなんともない。
獄寺は、煙草を重たくする代わりに本数を減らしたらしい。「吸うこと自体をやめるべきである」と進言したら、「じゃあ、禁煙中、口寂しくなったらその度にお前にベロチューかますけど、それでいいならやめる」ととんでもない交換条件を出すものだからそもそもやめる気など無いのだろうなと は諦めモードであった。


ラジオのDJが陽気な声で、次の曲紹介を始めている。ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ピンク・フロイド、どれもこれも我々が生まれる前に一世を風靡したロックバンドだ。なのにどこか懐かしい。かつて耳に慣れ親しんできたような、そんな感覚。ロックは原始だ。我々の原点であり、終着点。暴力と破壊とセックスに埋もれた輝かしき若さのサイケ。
この鳴動に身体を委ねることの心地よさ。
が眼を閉じて助手席のシートに靠れかかると、その時、

ずどん。

と、ドラムのビートとはまったく異なる種類の衝撃が車内に走った。
口を半開きにして、彼女は眼を剥く。
フロントガラスに放射状のクラック。ヒビが走って真っ白だ。
雲雀恭弥が、無言のままバックミラーの位置を調整した。

「また性懲りもなく咬み殺されに来たらしい」

彼は言った。
が上半身を捻って後部座席を振り返ると、獄寺と山本が車のシートから上半身をずり落としていた。

「あっちゃあ。獄寺のかわいこちゃんがまた襲われてら」

顎を逸らせて、フロントガラス同様、リアウィンドウにも走った蜘蛛の巣状のヒビ割れを見て、山本が頭を掻く。この車、獄寺隼人の持ち物である。にもかかわらず、このフェアレディはご主人様との相性がすこぶる悪い。獄寺がどれだけキーを回してもうんともすんとも言わないのだ。なのに、雲雀が運転席に乗ると彼女はすんなり言うことを訊く。獄寺は真っ赤なフェアレディを、最近とみに「浮気性」と呼んでいた。


「ちょっと、またぁ!?」

は声をとんがらせて、車窓から頭を突き出す。
砂漠のハイウェイの砂埃を巻き上げながら、黒いドイツ車が我々の赤いアメ車を追走している。
と同じように車窓から顔を覗かせているのは、金髪の、ガラの悪い男で、彼はこちらにカラシニコフAK47――色気の無いソビエト製簡易軍用ライフル――を、構えスコープを覗いていた。

「お前ら方々で恨み買いすぎではないですか」

が唇を尖らせてドイツ車を睨みながら、車内の三人に向かって文句を垂れる。この2週間というもの、雲雀獄寺山本の命を狙う不貞の輩がやたらと付きまとってくる。死に掛けたことなど一度や二度ではなかった。

「窓から顔なんか出してると、真っ先に吹っ飛ばされるよ」
ハンドルを左右に切りながら、雲雀が の肩を掴み、シートに引きも戻す。「刺客が襲ってきた時は大人しく震えてる子が好きだな、僕は」

「ったく、どこのファミリーだよ、いちいちしっつけえなあ!」

獄寺が声を荒らげて、車のドアを蹴り開ける。上半身を乗り出して、追走する車に向かってダイナマイトを放擲した。爆煙が後方で立ち上がる。向こうもハンドルを上手く捌いたようで、砂煙の向こうから黒いドイツ車が再度飛び出してきた。

「そりゃ、ボンゴレのカポが三人仲良くバカンスの旅なんかしてるって聞きつけりゃ、無鉄砲な下克上を狙う組織があったっておかしくないだろー」

山本がシートに低く身を沈めたまま、太平楽な声で応じる。

「ってめ、山本、あくびなんかしてねえで手伝えよ!」

「んなこと言われたって、オレ近距離戦専門だぞ」

「どの道僕が咬み殺す」

雲雀が小声で呟いた。
彼は左右を砂漠に挟まれた道路のど真ん中で車体を90度旋回させた。黙ってクラッチを蹴ると、アクセルを踏み込んでドリフト走行の真似事をする。砂埃が嵐のように立ち上がった。
車が停車するのを余裕でたっぷり構えて、彼らは面倒くさそうにのたくたと外へ出た。

「向こうは何人の群れ?」

仕込みトンファーを構えて、砂埃に眼を細めながら、誰にともなく雲雀が問うた。

「五人だな。狭い車にぎちぎち詰め込まれてやんの」

山本が額の上に手庇を作って答える。

「僕が四人殺る。あと一人は君たちで適当にしていいよ」

「っざけんなよ勝手に配分決めてんじゃねえ」

獄寺が歯を剥いて雲雀に突っかかる。

「まず君から咬み殺されたいわけ?」

雲雀が獄寺を睨み据えて吹っかけられた喧嘩に乗ろうとする。

「ちょと、身内で揉めてる場合じゃないですよ!」

が焦って車から飛び出す。
そんな彼女の肩を山本がゆるく抱いて、車のフロントに丁寧に腰掛けさせた。

は黙って見てな。お兄さんたちが片付けてくるから」

「でも、私も、」
私も戦えます。と答えようとしたら、山本の手が の太腿を撫で上げて、スカートの中に突っ込まれた。「っあひゃ」

思わず変な声を出してしまう。ああそこダメですよ山本さん、昨日雲雀さんに弄ばれたばっかりで敏感なのに。まだ棒が挟まっているみたいな違和感があって、触られたら変に感じてしまう。
もじもじして脚を閉じようとしたが、山本の手が強引に太腿の内側に滑り込んで、おいおいコレは流石にやばくないですかどうしてこのタイミングでセクハラをなさるのですかこのイケナイ手は、と思ったら、山本は の太腿に巻きついていたホルスターから掌に収まるくらいのサイズの拳銃を引っ張り出した。

かつてアメリカ大統領のナントカと言うのを抹殺したキュートなレミントン・ダブル・デリンジャー。どうしてその隠し場所をお前が知悉していやがる、と は瞠目したが、山本がそのバレルをアメリカのギャングが行儀悪くそうやっているように、パンツのウェストに突っ込んで、それから、「 ちゃんは大人しくしていましょう」と、口答えも許さず の太腿を撫でたのと同じ手で彼女の唇を塞いだ。

「私は何をすればいいの?」

「これ見張ってろ」

と言って、今にも雲雀とつかみ合いの取っ組み合いを始めんとしていたはずの獄寺が、 の頭に黒の中折れ帽を乱暴に被せた。鍔に生々しい弾創が残ったその帽子は、彼らの家庭教師がかつて愛用していたものである。
帽子ひとつ残して、リボーンと言う男は彼らの元から消え去ったのだ。
ドン・ボンゴレが、「御守りに」と言って我々に持たせたものだった。ドン・ボンゴレがただの沢田綱吉だった時からずっと眼にしていた、彼の家庭教師のトレードマーク。

は彼らの大切な宝物を無造作に押し付けられて、俄かに緊張した。「判りました死ぬ気でまもります」と家庭教師でありヒットマンであった謎の男の忘れ物を胸に抱いたら、山本が の頬に気軽にちゅうをして、獄寺が彼女の頭を乱暴に撫でた。《帽子を見張る、これが私の仕事か、まあそれも良い》。

「いつまで とベタベタしてる気」

トンファーが空を切る音。砂煙を豪快に払う。雲雀が無愛想な声でそう獄寺たちを咎めると、甲高い銃声がこちらに向かって放たれてきた。トンファーが銃弾を跳ね除ける。
雲雀恭弥は風にたなびくネクタイをひょいと首の後ろへ回すと、ドイツ車からのそのそと降りてきた完全武装集団に向かって歩き出した。

「あ、ずりー抜け駆けだぞヒバリ!」

山本が慌てて踵を返した。獄寺がそれに続く。「寝てろ」と の頭を軽く叩いて、彼はダイナマイトを取り出しながら背中を向けた。

がフロントに腰掛けて、帽子を抱きながら空を見上げる。青い。青い。鋭く突き抜けるように空が青い。

背後で絶叫。断末魔。爆裂音。破壊。命乞い。銃声。また悲鳴。

は眼を閉じて、埃まみれの気だるく重たい空気を肺に吸い込んだ。

ドン・ボンゴレとそのカポ、彼らにここまで慕われる男と言うのは、どんな人間だったのであろう。《私もその家庭教師に、今は、会いたくて堪らない》。







殺戮一歩手前の甘さが命取りだというのに、ボンゴレのカポはめったなことでは人殺しなどしない。ドイツ車で追走してきた男たちは文句なしに再起不能であったが、命だけは助けられた。雲雀が完全にダウンした彼らを引きずってドイツ車の中に放り込むと、ドアをばたんと閉めて、「運がよければ通りかかったトレーラーにでも助けてもらえるんじゃない」と言う。死のうが生きようが知ったことか、と言うことらしい。甘いのか残酷なのか、たまに判らなくなる。

カラシニコフの無骨な弾丸が貫通したフェアレディを転がしてハイウェイの中途に在るモーテルに入ったころには、日も沈んで宵の一番星が空から湿潤な光を散らしている。
チェックインを済ませた彼らは方々の部屋に散っていったが、私は山本に引きずられてガソリンスタンドへ向かい、ぼろぼろのウィンドウを直す作業をスタンドのカフェブースから退屈に眺めるという作業を供にさせられた。

「お前、昨日ヒバリと寝た?」

紙コップの中の、香りの薄いコーヒーに口を付けながら、スタンドの向こうで中年の技術士がひび割れたウィンドウを前に途方にくれている様を見つめている山本武。いきなり核心を突いてくるから は息を止めてしまった。

黙って俯く。
完全なる肯定を意味している、饒舌なしじまだった。

「何で」
山本が問うた。その声は少し掠れている。「お前、オレのこと好きだって言ったよな」

「言いました」
は頷いた。「あなたのことをずっと見てた、と、言いました。ずっと好きだったって」

「オレも応えたよな。 が良いって」

「そう聞きました」

「どうしてヒバリと寝た?」

彼は頬杖を突いたまま、子供が泣きそうなのを堪えるような表情で、そっぽを向いていた。拗ねているようにも見えるし、ひどく苦悩している風でもある。 は、安っぽいステンレスの灰皿に立てかけられた山本武のシガリロが、一口も吸われることなく紫煙だけ立ち上らせているのを見つめながら、「山本さんが、」と小さな声で応じた。

「山本さんが、私に何もしてくれないから」

「何もって?」

「雲雀さんが昨日私にしたようなこと」

「してくれと頼まれていないから」

「そういうの、女のほうからお願いします、って言わなきゃならないの? する気もないって言うのが態度に出ている」

山本武が黙った。

「私に、冗談めかして触る意外のことを、しないから」

「あてつけで寝たのか」

「自惚れている」
私は唇を噛んで、残酷な言葉を吐いた。「雲雀さんに乗り換えただけです」

「嘘付け」
山本がぼそりと呟く。「オレのことばっかり好きなくせに」

「自惚れている、」

が自惚れさせているんだ」

「苦しいですか?」

「苦しい、かな」

「今日も雲雀さんの部屋に泊まる、って言ったら、どうしますか」

「一生許さない」

山本武はそこでようやく、シガリロに指を伸ばした。灰が零れ落ちる。 は何故かその灰を、慌てて受け止めようとしてしまう。あれはただのゴミなのに。

「どうして山本さんは、私に何もしないんですか」

「何かして欲しい?」

山本が口元にゆるい笑みを浮かべる。

「からかわないで。子供じゃないんです」

「お前が子供じゃなくても、オレが子供だから」

シガリロは、たったの一口山本武の唇に触れて、それから、無慈悲な力で灰皿に押し付けられた。彼は無言で立ち上がると、 に背中を向けて、カフェから出て行った。
山本が、ガソリンスタンドの従業員と、無残な姿を晒しているアメ車を前にああでもないこうでもないと論議している様を、 はただ黙って、見つめていた。《こういう時、涙のひとつも零すことが出来たら、今の私はきっと、こんなに苦しくなんて無い》。



あいつは人を殺したことがある、と獄寺隼人が、煙を吐き出すついでに、うっそりと応えた。
モーテルで行き場もなく が流れ着いたのはかつての幼馴染の部屋で、彼は眉を顰めて「夜這いか」と言ったが、 が「夜這いです」と即答した途端、彼はソノ気を無くしたらしかった。
シャワーの直後で濡れた髪をかきあげながら、 が難しい顔をして山本武がきちんと を愛してくれないということを相談したら、獄寺はずっと黙って煙を製造していたけれども、やにわに唇を開いて放った一言が、それだった。あいつは人を殺したことがある。

はベッドで両足を組んで天井を睨んでいる獄寺に背中を向けるようにして座りながら、「それとこれと、何の関係があるんですか」と彼に問うた。

山本武が人を殺したことがある、ということと、彼が をちゃんと恋人のように扱ってくれないことと、何の因果関係があるというのだ。

「永遠に自分を断罪し続ける気だ」
獄寺は言った。「その辺の虫けらみたいなギャングを殺ったのとは訳が違う」

「……だから、それとこれと、何の関係が」

「お前が無垢だからいけない」

「どこが。私は、誰とでも簡単に寝る」

「そう言う女に、なりたいんだな。お前、ヒバリと一回ヤっただけだろ」(何でお前まで知っている、獄寺よ)「汚れたい、と思うこと自体、イノセントであることの証左だろ、バカ。オレが言ってるのは、身体がまっさらかどうかじゃない。魂のことで、」

「もっと判んない」

「要するに――」
天井に向かって煙を吐きながら、獄寺は言うのだった。「山本は、己の幸福を希求することに、罪悪感を覚えている」


幸せになることに抵抗している。 を心身から受け入れることで、彼が自分に訪れるはずであろうと予測している魂の安寧を忌避している。
そう言う、ことなのだろうか。
関係ない。私には、山本武が過去に誰を殺して、どんな風に殺して、一体何故殺してしまったかなんて、関係ないのに。何でそんなに悲しいことをするのだろう。それでいて、 が誰かに靡こうとしたら、子供みたいに駄々を捏ねて、拗ねて、怒ってしまう。
山本武、貴方は私とどんな風になりたいの?

ああ、泣きたいのに涙が出てこない。ただ静かに乾いてゆく。泣けたら良いのに。さめざめと泣いて、「ちゃんと私を見て、」と言えたらいいのに。



獄寺が、「10秒以内に出て行かないと食うぞ」と脅すので(そんな気ないくせに)、 は渋々彼の部屋を後にする。
自分の部屋に戻ったら、携帯電話の青色LEDが深海に沈んだ宝石みたいにちかちか点滅していた。

《猛反省中。誤解しないで欲しいのは、山本武は確かに君を愛しているということだけですが何か》

ふざけようとしてふざけ切れなかった、山本武からのメール。何これ、昔の芸人のネタみたいな結句。つまんない。全然面白くないのに、何故か少し笑うことが出来た。私たちはお互いを好きだと認識しているのに、どうして愛し合うことが出来ないのだろう。
山本武は自分をひたすらに責め続けていて、 は愛されることにばかり貪欲でついしてはいけない禁忌に手を伸ばす。バカの二乗だ。
私は泣けない。
泣きたいのに。

《今から雲雀さんの部屋に行くって言ったらどうしますか》

レスポンスが早かった。

《泣いて止める》

《かっこわるい》

《かっこわるくて無様な山本武をどう思う》

《大好きですが、何か》


隣同士の部屋で執り行われたメールは、それだけだった。




 




「ヒバリぃ、本なんか読んでねえで手伝えよ馬鹿野郎!」

フェアレディは獄寺が強引に運転しようとしてへそを曲げてしまった。

昨日、エンジンを見てもらったばっかりなのに、エンストエンスト、しまいにはうんともすんとも言わなくなる。結局この赤い貴婦人は雲雀恭弥に貞操を捧げてしまっているということが判明した、気だるい暑さの午後である。砂漠のど真ん中で、我々は立ち往生を食らった。

獄寺は腕まくりをして、もうもうと煙を立ち上げる車のエンジン部分を弄っていたが、スパナを放り投げて「山本パス!」と最終的に他人の手に貴婦人を委ねてしまった。

雲雀恭弥は運転席で眼鏡を掛けて、呑気に読書している。動かない車がエンジンを回すまで、そうしているつもりらしい。泰然自若、岩のようである。

「ヒバリが触れば直るんじゃねえの?」

エンジン部分を覗き込みながら山本が言うが、運転席の彼はしれっとした顔で、「僕、オイルまみれになるの嫌だから」と言う。貴婦人も、薄情な男に惚れこんだものだ。

「しゃあねーな。次のスタンドまでこいつ押して行くか?」
獄寺が髪をくしゃくしゃに掻きながら言う。「何キロあるんだよ一体」

「9マイル」

が地図とにらめっこをしながら応えると、獄寺がオイルまみれにしたスーツで口元の汗を拭いながら、「ぅげえ」と漏らした。

「9マイルは遠すぎる。雨の中なら尚更だ」

雲雀がぽつりと零す。

「ああ!? 何言ってんだおめーはよ。この快晴の何処が雨だ」

「ハリィ・ケメルマンですよ、獄寺のお兄さん」

が言う。雲雀は助手席で地図を片手に欠伸していた に向き直って、「そう言うの読むの、君」と言った。

「雲雀さんこそ、そういうの、読むんですか」

「手伝えば?」

難しい顔でエンジン部分を覗き込んでいる山本を指して、雲雀が言った。


「山本のお兄さん、如何なもんですか」

私が車から出て山本の隣に並ぶと、獄寺は入れ違いで車の中に戻っていってしまった。完全にさじを投げた模様である。

「ベルトが緩い」

山本が言った。

「山本さんのが?」

の言葉に、彼は困ったように笑う。「まあね。オレのベルトもゆるい。可愛い女の子見ると、すぐに外したく――」

に向き直った山本の、オイルまみれの頬を両手で挟んで、触れるだけの口付けをした。濃密な機械油の香り。嫌いじゃないが、ロマンチックには程遠い、山本武との初めてのキスだった。
エンジン部分のカバーを上げていたから、車内に残っている二人には、 と山本の姿は見えていない。

「……びびった」
山本が、眼を丸くした。「え、何、今の」

「ちゅう」
が小声で答える。「山本さんがしてくれないから、自分でしました。何か文句が?」

山本は、少し悲しそうな顔をして、 から逃げるように、エンジン部に頭を突っ込む。

「……ああ、バッテリーもお釈迦だな。よく今まで持ってたよ、奇跡的」

「山本さん」
はぎゅう、と力いっぱい、山本のシャツを掴んだ。「無かったことにしないで」

「……ごめんな」

搾り出すような、山本武の声。
ごめん。応えられない。好きだけど。
そんな風に扱われて、彼女が雲雀恭弥と寝ることを、彼に咎める権利なんか無いのに。

「どうして、そんななの」
は俯いて、眉をきつく寄せながら問う。「どうして逃げるの」

「オレの手は血がこびりついてて、どんだけ必死に洗っても落とせない」
彼は言った。 を見ずに。「こんな汚い手で、お前のこと、抱けない」

「そんなの、いい。抱きしめてくれなくていい」
は山本の肩を掴んで、自分の方に引き寄せて、その頭を胸に掻き抱いた。「貴方が誰のことを抱けなくても、私が貴方を抱きしめられます」

、オレは、」

「貴方がどれだけ幸福を拒絶しようが関係ない」
揺ぎ無い声で言い放った。今、どうしても言わなければいけない。この人は今にも壊れてしまいそうだった。「けれど、私が幸せになる権利はある。私は、貴方を幸せにすることができなくても、私が貴方で幸せになる自信がある」

、」

「ごめんなさい。こういう時、泣けたらいいんだけど」

山本武の腕が、恐れるように、ためらいながら、そっと壊れ物を扱うように、 の身体を抱きしめた。

「泣かなくていい」
彼は言った。「笑え」


どん。

山本武が の耳元で多分何かを囁いたと思ったが、爆音に全部掻き消された。

「うぉあ!? んだよいきなり!」

獄寺が車内から飛び出す。反射的に と山本はお互いから離れる。
雲雀が読書を邪魔されたことで、不機嫌そうに文庫を閉じた。

背後を振り返る。

砂漠の道を、黒いドイツ車が、こちらに向かって激走してきていた。ずたぼろの男たちが猛然とした勢いで息巻いている。

「げえ! 昨日のやつらじゃねえか」

「タフだなー! ボンゴレにスカウトすっか?」

呑気な声で言いながら、山本が額に手庇を作る。

「群れてる草食動物は好きじゃない。咬み殺す」
雲雀が眼鏡をダッシュボードに投げて、トンファーを構え車外に出た。「ついでに車を奪う」

「おお、ナイスアイディア。あのベンツ実は狙ってたんだ」

山本が不敵な笑みを浮かべながら、言う。

「わ、私も、」

戦う、と言おうとしたら、獄寺が帽子を投げつけてきたので彼らの大切なそれを地面に落としてしまわないよう、 は慌ててキャッチした。

「黙って帽子見てな」

獄寺はそう言いながら、サングラスを額の上に押し上げて、ダイナマイト片手に先陣を切った。

「はい」

は帽子を抱きしめて頷いた。

空を見上げる。

青い。青い。あそこに落ちていきそうになる錯覚。まぶしい太陽を見つめていたら、涙が滲んだ。

山本武が日本刀を背中に構えて一歩、踏み出す。けれども彼は不意に振り返った。 の手を引き寄せて、彼女の唇にキスをした。

怖がらなくてもいい。私はちゃんと泣くことが出来るし、山本の腕は私をしっかり捕まえていられる。


悲鳴が上がった。爆音。炸裂。何かが砕ける容赦の無い音。絶叫。笑い声笑い声笑い声なんて楽しそうに!


ただ息をしているのと生きているのとは違う。我々は今、たしかに、ここで生きていた。血を流しながら。原始のロックを口ずさみながら。

 

 

 

 

 

 

Takeshi Yamamoto : Steady

Kyoya Hibari : Easy Rider

Hayato Gokudera : childhood Friend

And You : Cry baby

 

 

For  Waki

From  Muc Idobata

 

 

ROAD MOVIE

 

Fin