江戸川大学
平成9年度卒業論文

小室哲哉の道程

社会学部応用社会学科 9460181 大和 正明

ゼミ指導教員 高田正之
提出日 平成9年12月19日


−目次−
◎序論−自分と小室サウンドとの関わり ・・・・・・・・・・・・・2
◎経歴 ・・・・・・・・・・・・・3
◎転換点 ・・・・・・・・・・・・・8
◎「旬であり続ける」ということ ・・・・・・・・・・・・・10
◎世界への夢 ・・・・・・・・・・・・・11
◎現在の小室哲哉の考え ・・・・・・・・・・・・・11
◎台湾公演 ・・・・・・・・・・・・・13
◎TK NEWSとは ・・・・・・・・・・・・・13
◎ライヴビデオを見て ・・・・・・・・・・・・・14
◎結論 ・・・・・・・・・・・・・16
★付録−メディアミックス企画(1993年〜)・・・・・・・・・・・・・18
◎序論−自分と小室サウンドとの関わり
私は、小室哲哉が参加していたユニットTMNのファンになったのは1994年で、TMNがプロジェクトを終了した前後だった。
日本音楽史上空前のヒット・メーカー、プロデューサー小室哲哉。
ほんの1年前までは「小室プロデュース」というだけで曲が売れに売れ、ひとつの「小室ブランド」なるような盲目的な人気ぶりであった。
活動拠点をロサンゼルスに移し、95年以降は、彼のプロデュースするアルバムも他の作曲者への依存度が増えており、最近の彼の活動は作曲はもはや仕事の一部にすぎず、世界に視点を向けたプロジェクトの準備を着々とこなしているようである。
その一方で、小室人気も一段落し、"MR.CHILDREN""MY LITTLE LOVER"の小林武史、"SPEED""MAX"の伊秩弘将に代表される小室に追随するようなプロデューサーも出現し、彼の作品も、以前のような売上は記録しなくなった。
そんな中、ハリウッド映画『SPEED 2』のテーマソングを作るという仕事の後に今度はフランスワールドカップのセレモニーの曲の依頼が舞い込んできた。どちらの仕事も合弁会社TK NEWSの会長ラクラン・マードック氏の力が大きく絡んでいるという話がある。
私は、卒業論文として小室哲哉が売れた理由を社会学的に考察するというものを書きたいと思ったのだが、資料を集めてるうちに、小室のスケールが大きくなるごとに、いわば行き当たりばったり的に世界に進出しようとしているのではなく、小室が若い頃から長い間考え続けて行動し、その結果として現在の小室がいるというような、その行動に一貫性があることに気がついた。
なぜ小室哲哉なのか。なぜ小室プロデュースなのか。なぜ売れるのか。小室はなにを考えているのか。これからの目的は何か。なぜ勢いが止まったのか。
『小室プロデュース』という社会現象が一段落した今、小室の経歴、目的、行動様式、未来のコンセプト等を今まで小室が世界に向けて一貫して行動してきたと仮定して着目してみたいと思う。
◎経歴
現在のヒット・メーカー小室哲哉に至ったまでのポイントは、今までの彼のたどった道筋とその思考に隠されている。ここで彼の経歴を見てみたいと思う。
http://www.komuro.net/tk_history.htm
http://www.kt.rim.or.jp/~s-aki/TM.html#SEC1より抜粋
小室哲哉/Komuro Tetsuya
1958年11月27日生まれ。東京都出身。血液型O型。幼少時には柏市に住む。 母の勧めで3歳の頃よりバイオリンを始め、東京芸術大学教授のレッスンを受ける。母も学生の頃バイオリンを修め、合奏するのが夢のひとつだった。
6歳の頃、東京都府中市に転居。引き続きバイオリンのレッスンを受けた。この当時に音感のベースが形成された。
小学校5年生の頃、母がエレクトーンを購入。これが鍵盤楽器との出会いとなる。母より先にコードを覚え、エレクトーンの先生を驚かせたこともある。同じ頃、母方の親戚の叔父からギターコードを習い、マスターするのが速くて叔父を驚かせた。
1970
大阪万博で冨田勲が指揮する「マルチスクリーン+12チャンネルステレオ」を駆使した演奏に大きな衝撃を受け、この出来事が後のシンセサイザーへの興味につながった。
1972
母に内緒で友人にエレクトーンを売って、初めてシンセサイザーを手にした。
高校入学の頃から、プログレッシブ・ロックのレコードをあさるように聴く。当時の好みは、「エマーソン、レイク&パーマー」(EL&P)、「レッドツェッペリン」、「キング・クリムゾン」、「Tレックス」、「ユーライヤ・ヒープ」など。
1977
早稲田大学社会科学部に入学。三多摩地区の仲間たちとのコンサート活動に明け暮れた。
19歳の頃、三鷹市にあるフィルキア楽器店主催のコンサートで、当時、第一期スピードウェイというバンドを組んでいた木根尚登、宇都宮隆、青木高(後のTM NETWORKのマネージャー)らと出会う。
1983
ボーカル:宇都宮隆、ギター:木根尚登とともに「TM NETWORK」を結成。
フレッシュサウンズコンテストに出場するためのデモテープが製作される。これは24チャンネルのマルチを駆使し、Roland MC-4によるシーケンスで組み立てられた「1974」という曲だった。この曲は予選において史上初の満点を獲得した。
1984
「金曜日のライオン」でデビュー。コンピュータを駆使した画期的なサウンドで音楽シーンを席巻した。
1985
ソロワークとして「吸血鬼ハンターD」(アニメ)のサウンドトラックを制作。
作曲家としてアーティストへの楽曲の提供を始め、1986年にリリースされた渡辺美里の「My Revolution」が大ヒット、人気コンポーザーの地位を築く。
1987
7枚目のシングル「Get Wild」で初のシングルチャートNO.1を獲得する。
1988
イギリスに制作拠点を移す。そこでの第一弾角川映画「ぼくらの7日間戦争」のサウンドトラックを手掛け、映画とともにこのサントラが大ヒットした。
TM NETWORKではアルバム「CAROL」を発表。CAROLというひとつのコンセプトを中心に動く、メディアミックスをプロデュース。
1989
初のソロシングル「Running To Horizon」をリリース。このシングルとセカンドシングル「Gravity of Love」が連続初登場1位という快挙を達成。12月リリースのソロアルバム「Digitalian is eating breakfast」は65万枚のセールスを記録した。
1990
話題の映画「天と地と」の音楽監督を担当、質の高い楽曲の提供が評価された。
TM NETWORKは「TMN」にリニューアルし、新たなプロジェクトとして、音楽活動の領域を拡大していく。
1991
ソロワークをさらに充実させ、「X」のYOSHIKIとのスーパープロジェクト「V2」を結成。初のミュージカルサントラ「マドモアゼルモーツァルト」などが話題に。宮沢りえ、小泉今日子、中山美穂、観月ありさ、中森明菜、牧瀬里穂らをプロデュースし、楽曲を提供した。
1992
日本初のテクノ・レイブユニット「trf」をフルプロデュース。
1993
2月シングル 「TK RAVE FACTORY」でレコードデビュー。 「EZ DO DANCE」「愛がもう少し欲しいよ」 「Silver and Gold dance」 「寒い夜だから…」 「survival dAnce〜no no cry more〜」と次々にヒットソングを生みだし、同時にアルバム 「TK RAVE FACTORY-THIS IS THE TRUTH」 「trf HYPER TECHNO MIX」 「EZ DO DANCE」「trf HYPER TECHNO MIX 2」とシングルリリースあわせて8曲をチャートインさせた。
1994
trfのアルバム「World Groove」が初のアルバムチャートNo.1を獲得。
TMNデビュー10周年に「Night of The Knife」をリリース(オリコン初登場1位)、そしてプロジェクト終了宣言。
5月18日、19日/東京ドーム「TMN 4001 DAYS GROOVE」に104,000人を集め、熱狂のうちに総売上600億円のプロジェクトの幕を降ろす。
篠原涼子with t.komuro「恋しさとせつなさと心強さと」(94年7月21日リリース)は200万枚(95年2月15日現在)のセールスを記録した。
1995
ダウンタウンの浜田雅功とのプロジェクト“H Jungle With t”の「WOW WAR TONIGHT〜時には起こせよムーヴメント」をリリース。オリコンで7週連続1位(初登場1位)を記録し、ミリオンセラーを達成(95年5月15日/190万枚)。
「CX LIVE UFO’95」で日本初のダンスミュージカル「月が地球にKISSをする」の音楽をプロデュース。
8月「avex daNce Matrix'95 TK DANCE CAMP」でオーガナイザーをつとめ、東京ベイサイドスクエアに6万人を動員する。
現在、自らもメンバーとして参加するglobeを始め、trf、華原朋美、EUROGROOVE、hitomi、H.A.N.D.、安室奈美恵など、構成中の新ユニットを含め8プロジェクトを抱え、プロデューサー、ミュージシャンとして多彩な活動を展開している。自らのレーベルORUMOKも設立。年間2000万枚を越すセールスを達成。これは日本音楽史上初の記録であり、後世に残る成績である。
1996
元日に発売されたglobeの4枚目のシングル「DEPARTURES」は230万枚を越えるセールスを記録し、小室がプロデュースしたシングルでは過去最高の売上となった。(数字は97年3月現在)
1月19日、20日幕張メッセで、久しぶりのソロとしてのライブ・パフォーマンス「tk-trap」を開催。このためだけのスペシャルユニットを結成し、最先端の音と映像、照明技術を使い、新感覚のライブが行われた。
2作目の「GOING GOING HOME」で終結かと思われた H Jungle With tが、4月に日本テレビ系のドラマ「竜馬におまかせ!」の主題歌「FRIENDSHIP」をリリースし、ドラマにも浜田雅功が竜馬役で出演した。
6月、東京・新高輪プリンスホテルにて「華原朋美ヒット記念パーティー」を開催。レコード業界・報道関係者ら1000人以上が出席し、大変なにぎわいとなった。
globeの1stアルバム「globe」が440万枚、華原朋美の「LOVE BRACE」が270万枚、安室奈美恵の「SWEET 19 BLUES」が370万枚と、シングルのみならず、アルバムのプロデュースでも記録的な枚数を達成した。(数字は97年3月現在)オリコンチャートのベスト10のうち6曲をシェア。ベスト3も独占。共にオリコン史上初の快挙である。また、globeはアルバムの初回生産が200万枚。それも1日で完売。
マガジンハウス発行の雑誌「ポパイ」において、「小室哲哉のネットパラダイス」の連載を開始。各界の著名人らを迎えた対談をPLANET TKと連動で行う。
TBC 東京ビューティセンターの主催する、'96 ザ レディプロデュース・キャンペーンをプロデュース。コンテスト優勝者をデビューさせる企画から大賀埜々が誕生した。
globe初のライヴ「ロードムービー」を4会場にて行う。「観客も出演者である」という小室の意図により観客は無料招待された。
9月、岐阜で開催された「マルチメディア国際会議」に小室が出席。マルチメディア・ネットワークに関する講演をおこなう。
11月6日、NTTの発表した「こねっと・プラン」に小室が賛同し参加することが決定。
11月13日、厚生省の開催する麻薬・覚醒剤禍撲滅運動の一環として、小室プロデュースによるライブ「イエス・トゥー・ライフ dance alive」を実施。
TM時代のメンバー、宇都宮隆、木根尚登らの楽曲をプロデュース。これによりメディアまでもがTM復活説に揺れ動いた。また、ほかにも中森明菜や円谷憂子などの多方面にもプロデュースをし、活動をひろげる。
ソニーPLAY STATIONのゲームソフト「ガボールスクリーン[gaball screen]」をプロデュース。音を拾い集めるゲームをクリアすると、TMNの新曲が聴けるということで話題になった。
「1996年ベスト・ドレッサー賞」芸能部門ベスト・ドレッサー賞を、小室と安室奈美恵が受賞。
12月4日、'97年夏公開予定のアニメ映画「エルマーの冒険」の制作発表が行われた。この映画の音楽部分を小室が監修。元TMNの木根尚登はサウンドトラックを制作、宇都宮隆とTRFのボーカルYU-KIがそれぞれ主題歌をつとめる。
12月7日、L.A.にて、新会社「TK NEWS」を設立し、アジア各国をはじめワールドワイドな活動を展開していくとプレス発表を行う。
第38回 日本レコード大賞を、安室奈美恵の「Don't wanna cry」が受賞。また、globeのアルバム「globe」はアルバム大賞を受賞した。
ネットワークイベント「TK Trillion Net」を年末年始にわたって実施。こねっとテーマソング「YOU ARE THE ONE」には主旨に賛同したアーティストらがチャリティーにて参加。六本木・VELFARREに参加アーティストが集結し楽曲を披露。この模様は「TK Trillion Net」とテレビ朝日の番組放送と連動し公開された。
1997
1月、安室奈美恵のゲームソフトがセガサターンより発売。
3月、「第11回日本ゴールドディスク大賞」授賞式で安室奈美恵が邦楽部門のグランプリに輝く。また、globeは「グランプリ・アルバム賞」を受賞する。
3月1日完成したばかりの大阪ドームを皮切りに、東京、福岡、名古屋において4大ドーム"globe@4_domes FACES PLACES"が行われた。
4月6日、小室の祖父の出身地、福島県西白河郡中島村に「からくり時計」を寄贈。「ヨカッペ時計」とネーミングされた時計の楽曲を小室が提供。式典にも出席した。
4月11日よりフジテレビ系列にて小室がフィーチャーされた番組「KOMU@COM」の放送がスタート。小室関連の情報をオンタイムに発信していく試み。
20世紀フォックス配給映画「SPEED2」のテーマ曲を手掛ける。
5月27・28日、台湾において初の海外ライブ「TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI」を開催。globe、安室奈美恵、TRFが出演し、会場となったサッカー場に4万人の観衆を収容した。
世界のメディア王、ルパート・マードック氏率いるニューズ・コーポレーションと小室の合弁による新会社「TK NEWS」において、アジアからスターを発掘するオーディション番組「TK NEWS −小室魔力−」の番組監修をつとめることが決定。
10月10日より、小室がパーソナリティを務めるラジオ番組「kom sat radio」がスタート。小室が音楽をテーマにトークを進めながら、リスナーのハガキ、FAX、e-mailに答えていく。
中日邦交正常化25周年記念の一環として行われる小室初の中国ライブ公演「TK Presents GROOVE MUSEUM」が決定。11月14日北京を皮切りに、上海、香港にて公演。

◎転換点

これまでの小室の歴史を「TM NETWORK期」「TMN期」「プロデューサーTK期」とに分けて転換点として考えてみた。
●TM NETWORK期
TM NETWORKは1984年にデビューしたが、デビュー当時から1988年の「CAROL」までのうっすらとした青写真は描いていたと思われる。小室が抱くTM NETWORK(の活動)は「音楽と映像の融合」をその存在意義としていたように思える。
「音楽と映像の融合」とは、ミュージカルの要素に加えて、当時としては斬新な大型スクリーンをステージに配置し、音楽とリンクさせて音楽・映像単体では出せないような音楽と映像が一体化した空間を作り出すというものである。
そして、「音楽と映像の融合」はプロジェクト「CAROL」で一応の完成を迎えた。その時点で、小室はTM NETWORKとしてやるべきことはすべてやり終えたと思ったのではないだろうか。
CAROL後の「DRESS」などは以前から温めていたアイディアではなく、ふと思いついてのリリースだったように思える。常に新しいものを追い求めてきたTMのものに反するかのごとく、今までの曲をアレンジして新しいバージョンとして発表しただけのものにすぎなかったからである。
「CAROL」までの一貫した活動とその後の活動を見比べる限りでは、小室がTM NETWORKで本当にやりたかったことは「CAROL」までで終わっていたのではないだろうか。
そして1990年秋、TM NETWORKは「TMN」へと変貌した。
●TMN 期
TMNへとリニューアルしてからの活動は、もはや小室にとっては存在意義の無いものだったようだ。
「CAROL」という壮大なプロジェクトを終えた小室にとって、「TMN」としての存在意義は、「探さなければ見つからない」状況にあったのではない だろうか。
その中で見い出したひとつの結論が、「TMN終了」だったのだろう。
「TMN終了」は一種のファンサービスだったように思える。いつの日か3人での活動の再開を約束しての、「終了」だったからだ。
●プロデューサーTK期
小室がロンドンに移住した頃(1988年)、彼はロンドンで全く新しい音楽創作形態に遭遇したそうだ。それが「プロデューサーシステム」である。
TMN活動中から、彼はロンドンで見た「プロデューサーシステム」の方法を日本において取り入れるようになった。 その試みはTMN終了後に一気に開化するのだが、それは同時に日本における音楽プロデューサー像の確立でもあった。
そしてまた、その「日本における音楽プロデューサー像の確立」こそが「プロデューサーTK」の「存在意義」だったのではないだろうか。
小室の成功を追うようにして、ひとりのプロデューサーが幾人かのアーティストの楽曲を手掛け、ヒットチャートに送り込むようになった。そして、ヒット曲の影にはいつも「タイアップ」と「カラオケ」がついてまわるようになった。それはプロデューサーTKが提案し、実績を積み上げてきた方法であると言える。
そんな音楽シーンの中でアーティストをプロデュースし楽曲を送り出すことに、小室は満足していなかった。
プロデュースの話をする時に、テレビで度々小室はこう言った。
「これは、僕がやるべきことじゃないから。」
また、最近(97年11月)、小室は「TK MUSIC CLAMP」の中の「TK」のコーナーで華原 朋美の2nd.アルバムについてこう語った。
「ただ、楽曲を並べるだけのアルバムにはしたくない。」
既存の方法で作品を創り、送り出すことに小室は満足しておらず、さらに、常に自分のプロデュース活動に「創作、発表の意味や価値」を求めている。
◎「旬であり続ける」ということ
小室がシンセサイザーを手にしたのは、高校2年生の時で、ローランドSH1000という16万5千円のものだった、と小室は記憶している。以来、小室は常に最新の機材を購入し続けながら今日に到っている。
TMネットワークの初期には、通称「ヤオヤ」と呼ばれていた「ローランドTR808」というリズムボックスも使っていた。当時それは発展途上の楽器で、チープな音しか出ないという定評があった。プリンスやフィルコリンズがそれを使ってヒット曲を量産するようになるのは、もっと後の話だ。
だが小室は、発売されるとすぐに録音機材に採り入れた。シンクラビアが出れば日本で最も早く採り入れ、常に最新式の機材に囲まれた環境を作っている。こんな言葉も残している。「桑田さんやユーミンは普遍を追い求めていけばいいけれどボクは常に最先端にいないと駄目なんだ」
何故そんなに新しいものが好きなのだろうか。彼は言う。「シンセサイザーという楽器を手にした時から、ボクには最先端にいることが使命になったんです。なぜなら、シンセサイザーの世界は演奏の技術ではなく新しい機材の能力で全てが決まってしまうからです。どんなにテクニックがあっても、機材の性能が違ったら追いつけないものがある。それがシンセサイザーの宿命です。だからボクは、常に旬でないといけないんです」
◎世界への夢
小室をめぐる1995年のビッグニュースのひとつに、イギリスの雑誌『i-D』とアメリカのビルボード誌が小室の特集インタビューを組んだという出来事があった。
10月上旬に行われたロサンゼルスでのレコーディングの時に小室はこう語った。「世界へ進出したいというのは、もう20年間思い描いていた夢でした。最初は高校生の時。次がTMを組む前。ヴォーカルにオーストラリア人を迎えて、木根と3人で出ていこうと思ったことがあります。次は「CAROL」の時。TMインタナショナルというユニットを組もうというアイディアがありました。今年はこうしてロスに来ていても、自分の曲がイギリスのダンスチャートで1位になっているし、ナショナルチャートにも入っていますから、なんとなく落ち着いて仕事をすることができます。」
96年の小室哲哉の最大の興味は、インターネットに象徴されるネットワークの構築に向けられている。このホームページ、『PLANETTK』も月間で500万ヒット(ページ単位のアクセス数)の実績を誇っている。
「ホームページを使って、イベントをやりたいね。去年のダンスマトリクスのように」この小室の言葉を受けて、スタッフはインターネットを使った小室流のイベントのあり方を模索中だ。核として構想されているのは、小室のスタジオからリアルタイムの映像が流され、小室プロデュースによるアーティストが総出演、未発表曲も披露される等々……。
「インターネットは、ヴァーチャルではなく、リアルだ」 これが、最近の小室の口癖になっている。
◎現在の小室哲哉の考え
小室哲哉が現在考えていることを如実に表すものが彼自身のホームページに書かれてあった。それを抜粋したい。ちなみにこれは小室に対する質問コーナーにある応答の一部である。
http://www.komuro.net/ask/htm/9711ask19-j.htmより引用
Q.
TRF、安室奈美恵、globeに次ぐ日本のスターを今後プロデュースする予定は?
安室奈美恵が休業する今、斬新なサウンドを背負った新しいスーパースターが待ち 望まれます (Akira/日本)
A.(小室)
10カ月近く日本を空けているので、日本の現状もやはりいろいろと変わってき たんだろうなと思いますし、次から次に新しいグループも出てくるでしょう。それ はいいことだと思います。
だけど、今はボクが生みだしたものが、日本からじゃなくて、海外で流行って、 それが日本に入ってくる以外に、他の方法って、ないと思うんですよ。ボクの場合 は極力、逆輸入という風に、新しいジャンルの音楽が今のチャートを賑わせている 中に、どうやって食い込めるか、だと思うんですよね。
ボクがもう日本発信というのをやっても、繰り返しているだけになってしまうの で、海外から発信する形がふつうになるようにしたい、と言うか、今年1年はその 準備をしていた年なので、来年は具体的にそれで動こうということです。
http://www.komuro.net/ask/htm/9711ask20-j.htmより引用
Q.
アジアでの新人発掘に力を入れられていますが、日本ではもうオーディションな どは行わないのでしょうか?私にチャンスをください!(Chisato/日本)
A.(小室)
ボクのせいもあるのかもしれないですけど、日本ではプロデューサーの人がポジ ションを持ってきたし、デビューするという意味での広がりはもう増えたと思いま す。
今はボクよりも確実にヒット曲を作っているプロデューサーという人は、日本に はたくさん存在しだしているわけで、実際ボクが日本に戻って、日本だけで日本の 歌手の人たちだけを今オーディションするということは、たぶんボクの役目じゃな いと思うんですよね。
ただ、コスモポリタンというか、日本語だけではなくて、他の言葉も使えて、視 野が広い人、広く持ちたい人がたまたま日本人だった場合は、そういうアーティス トの人は、今すごく必要としています。
だから、以前よりも条件が厳しくなっちゃっていますが、そういう人を探してい るので、それがたまたま日本人だったということはありえますね。
これらの質問に対する答えからもわかるように、小室にとって、日本での仕事に対する興味はもう無いというか、日本で自分のやるべきことはすべてやってしまったというのが正直なところのようである。世界進出をねらう小室にとっては日本ももはや世界の一部であり、市場の一部にすぎない、ということであろう。
◎台湾公演
小室がプロデュースするglobe、安室奈美恵、TRFのジョイントコンサートが5月27、28の2日間、台湾・台北市の中山サッカー場で開かれた。現地の公演タイトルは「小室家族97年環太平洋巡廻台北演唱會」。小室ファミリー初の海外公演に合わせて4万人の台湾の若者たちが熱狂した。小室によると、今回の台北公演の計画はマードック氏との合弁企業『TK NEWS』の準備と同時進行する形で昨年六月から進められていた。
「アジアのみなさんが、僕の音楽を聴いてくれているっていうんでうれしかった」との言葉を裏付けるように、globeのアルバム「FACES PLACES」が台湾で10万枚の売り上げを記録。安室の「CAN YOU CELEBRATE?」が台湾の国内の音楽総合チャートで5位にランクインしている。27日の公演終了後、記者会見で小室は中国大陸進出を正式に明らかにし、「TK Presents GROOVE MUSEUM」として北京、上海、香港にて公演した。
◎TK NEWSとは
本社所在地:8th Floor, 1 Harbourfront, 18 Tak Fung Street, Hunghom, Kowloon, Hong Kong
経営執行委員会:
会長 / ラクラン・マードック(Lachlan Murdoch)、TK(小室哲哉)
社長 / ガイ・ダンスタン (Guy Dunstan)
取締役 / 丸山茂雄
資本金:200万米ドル
音楽とマルチメディアをプロデュースする新会社『TK NEWS』は、総合メディア企業のニューズ・コーポレーション (The News Corporation Ltd.) と、日本の音楽プロデューサー・小室哲哉による世界規模のジョイントベンチャーとして設立。
アジアをスタート地点として、世界最大の音楽市場であるアメリカを含む世界各地に小室のサウンド、ノウハウを紹介していく計画。
急速な発展をみせるアジアの音楽市場に、小室がプロデュースしたアーティストを紹介すると同時に、アジア地域で発掘した新たなアーティストをバックアップする。
更にアーティストにとどまらず、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、及びビデオプロデューサーの候補となる新人の起用も準備。起用された新人には最高レベルのレコーディング技術、テレビ制作技術を提供する。
アジアの主要なレコード会社とライセンス契約を結び、プロデュースするレコード製作、販売、マーケティングをサポートしていく。
更に情報発信は、ニューズ・コーポレーションが持つ世界規模のエンターテイメントネットワークを活用、世界をターゲットに新しい音楽テレビ番組の企画を打ち出し、提供していく。
様々なアプローチを通じて、音楽ファンの獲得・拡大を目指す。
より一層の市場拡大のため、マルチメディアという新しい可能性をも追求。小室の持つ音楽的なクリエイティビティとビジョン、そしてニューズ・コーポレーションの持つメディアの世界的訴求力というノウハウに、アジア地域をはじめ世界規模で見出される才能が加わることにより音楽とマルチメディア分野での無限のチャンス・可能性を追求する。
◎ライヴビデオを見て
今回卒業論文を書くに当たって多少ながらライヴビデオを見たので、歴史順に振り返りながら私見を述べた。
「TMN EXPO -ARENA FINAL-」より前のライヴは手元に資料として存在はしてなかったので、以前の記憶をもとに書くが、パントマイムや空中浮 遊など、音楽的な面で言うならキーボードを前面に押し出した当時としては極めて斬新であったライヴ構成だった。

●TMN EXPO -ARENA FINAL-

1992年4月11日・12日横浜アリーナにて開催。このころはTMNにリニューアルしたということもあってかなりロック色が強くなっており、ギターが全面に出ている。
映像は無く、レーザー光線など普通の照明で、キーボードが前面に出ていること以外は他のバンドのライヴと特に変わったところは見られない。
元AXSで現在ICEMANのメンバーで、TMRevolutionやPool Bit Boysのプロデュースもしている浅倉大介がキーボード、現B'zの松本孝弘がギターで参加するという、現在ではかなり豪華なメンバーをバックバンドとして従えていた。「小室ファミリー」という存在の前身には「TMファミリー」なるものが存在し、AXS、B'zはその代表格であった。B'zの初期の曲に打ち込みが多いのは、言うまでもなくTM の影響を受けたからである。浅倉サウンドといわれるものも、TM時代の「小室サウンド」を色濃く残している。現在亜室奈美恵やhitomi、天方直美の曲を作っている久保こーじも「小室哲哉の一番弟子」といわれ、このころからライヴに裏方として参加していた。
●TMN FINAL LIVE 4001 DAYS GROOVE 5.18/5.19
1994年5月18日・19日東京ドームにおいて2日間行われたTMNの終了ライヴ。4001DAYSとはその名の通りTMNetwork結成から終了までの日数を意味している。いわゆる解散ライヴの類でベスト版とも言えるがライヴ形態としては特に目新しいものは無かった。
●TK DANCE POWER '95
1995年8月に「avex daNce Matrix'95 TK DANCE CAMP」というイベントを開催し、小室哲哉がオーガナイザーをつとめ、東京ベイサイドスクエアに6万人を動員した。
「小室ファミリー」と言われたTRF(当時trf)、安室奈美恵、篠原涼子、内田有紀、Hjungle with t、EUROGROOVE、hitomi等、当時のポップス界を席巻した超豪華メンバーが集結した。globeのお披露目もこのとき行われた。6万人という超大規模な野外ステージを作り、1人の男が30近くものアーティストを一堂に会してライヴを開くというまさに夢のような構成であった。
globe preview
1996年に行われたglobe初の単独ライヴ。観客は無料招待で、応募で選ばれた。女性ボーカルと男性ラップとキーボードという日本では今まで無かった構成。和製「2 UNLIMITED」を目指すという。
●TRF ARENA TOUR [SILENT NIGHT]
ボーカルとダンスとDJという3つのジャンルが融合したもの。ライヴそのものは特筆すべきことはない。
●globe@4-domes
東京、福岡、名古屋、大阪4大ドームで公演を行おうという企画。globeが一般にチケットを発売した大がかりなライヴは初めて。メンバーのバックに巨大なモニターをおいて音楽をリンクさせて独特な雰囲気を作り出すという演出だったが、すでにTM時代に確立した手法である。
◎結論
小室はもう20年も昔から世界への進出をにらみ、行動してきたことがわかった。
TMNになってからは、小室は個人のグレードアップのための足がかり段階として、ソロワークを基本として活動し、やがてTRFのプロデュースをはじめとしてglobe、安室奈美恵等いわゆる「小室プロデュース」プロデューサー活動。ここでも小室は「H jungle with tは必ず200万枚突破する」と、当時としては破格の枚数を堂々と宣言したが、その通りに大ヒットした。globeの「DEPARTURES」然りである。
小室は売れることがもうわかっているのである。どのようなものを出せば売れるのか。しかもそれは常に新しいものである。
では、なぜ最近は活動が沈静化してきたのか。売れるものを作れるはずなのに、なぜ出さないのか。それは、小室にとってもはや日本の市場は興味の範囲ではなくなったからである。
これは私見だが、この卒論を書くに当たって、TMNetwork時代からglobeに至るまでのライブビデオを見てきたが、globeのglobe@4-domes(4大ドーム公演)ではそれまでの小室に見られたような斬新さはなく、それまでのような小室のライブに対する熱意というものが感じられず、ただ演奏して聞かせているだけという雰囲気を強烈に感じてしまった。そのときに、「小室はもう音楽界だけの人ではない、この人はもっとずっと先を見ている」ということを確信したのである。
小室哲哉の目は、今確実に世界へと向いている。ただそれが終末点とは限らない。
今後も最先端を走り続ける小室哲哉に注目していきたい。

●参考資料

http://gwww.math.s.chiba-u.ac.jp/~94s1002/music/
http://www.fujiint.co.jp/TKMC/
http://www.komuro.net/tk_history.htm
http://www.momo.it.okayama-u.ac.jp/~ken/files/tk/report/
http://www.sainet.or.jp/~fujiweb/
http://www.komuro.net/ask/htm/9711ask19-j.htm
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/1997/0529gn.htm
『電気じかけの予言者たち』 1994年5月 発行
木根尚登 著 ソニーマガジンズ 刊
『告白は踊る』 1994年12月 発行
小室哲哉 著 角川書店 刊
★付録−メディアミックス企画(1993年〜)
メディアミックスに徹したプロデュース手法には定評があり、小室がプロデュースしたユニット、ミュージシャンはヒット曲とともにCM、ドラマと各方面で活躍している。
●globe
「Feel Like dance」フジテレビ系木曜劇場「ひとりにしないで」主題歌
「Joy to the love」TOYOTA「サイノス」CMソング
「SWEET PAIN」TDK「ニューDJ」TV-CFソング
「DEPARTURES」JR東日本 JR ski skiキャンペーンソング
「FREEDOM」KDD TV-CFソング
「Regret of the Day 」TOYOTA「サイノス」CMソング
「MUSIC TAKES ME HIGHER」KDD TV-CFソング
「Can't Stop Fallin'in Love」JR東日本 JR SKI SKI キャンペーンソング
「FACE」フジテレビ系木曜劇場「彼女たちの結婚」主題歌、NTTまるちね っとフェア告知CFソング
「FACES PLACES」銀座ジュエリーマキ エステートツインジュエリーTVCF イメージソング
「Because I LOVE the NIGHT」カネボウマイルドコートシャンプーCMソング
「Wanderin' Destiny」TBS系ドラマ「青い鳥」主題歌
●安室奈美恵
「Body Feels EXIT」タイトー家庭用通信カラオケ「X-55」ソング
「Chase the Chance」日本テレビ系ドラマ「ザ・シェフ」主題歌
「Don't wanna cry」ダイドーmistioイメージソング
「You're my sunshine」SEA BREEZE '96イメージソング
「SWEET 19 BLUES」映画「That's カンニング!史上最大の作戦?」エンディング・テーマ
「Joy」maxell UD イメージ・ソング
「a walk in the park」maxell UD イメージ・ソング
「CAN YOU CELEBRATE?」フジテレビ系月曜21時ドラマバージンロード主 題歌
「How to be a Girl」SEA BREEZE '97イメージソング
「No Communication」ダイドーmistioイメージソング
「Whisper」maxell ニュー・カラーMDイメージ・ソング 「Dreaming I was dreaming」銀座ジュエリーマキ エステートツインジュエリ ーTV・CFイメージソング
●華原朋美
「keep yourself alive」ORACLE テレビCFイメージソング
「I BELIEVE」1996ミナミCMイメージソング
「I'm proud」TBC東京ビューティセンター TV-CMソング
「LOVE BRACE」第一興商通信カラオケDAM TV CFイメージソング
「save your dream」ロッテ紗々CFイメージソング
「Hate tell a lie」カネボウブロンズラブTV-CFソング
「LOVE IS ALL MUSIC」銀座ジュエリーマキ エステートツインジュエリー TV ・CFイメージソング
「たのしく たのしく やさしくね」カネボウ REVUE TV-CFソング
●TRF
「EZ DO DANCE」シー・ブリーズTV・CMソング
「愛がもう少し欲しいよ」日本テレビ系「吉本印天然素材」番組エンディングテーマ曲
「Xmas dance wiz U」「ワイルドブルーヨコハマ」CMソング
「Silver and Gold dance」JAL SKI’94 北海道キャンペーンソング
「survival dAnce〜no no cry more〜」フジTV系「17才」ドラマ主題歌
「BOY MEETS GIRL」コカコーラCMソング
「CRAZY GONNA CRAZY」フジTV系「我慢できない!」ドラマ主題歌
「masquerade」カメリアダイヤモンドTV・CFイメージソング
「Overnight Sensation〜時代はあなたに委ねてる〜」HONDAライブDio CFソング
「BRAND NEW TOMORROW」テレビ東京系ドラマ「クリスマスキス〜イブに 逢いましょう〜」オープニング・テーマ曲
「teens」森永チョコレート「ジョイム」「チョコブロッキー」CMソング
「Love & Peace Forever」HONDA ライブDio CFソング
「Hey! Ladies & Gentlemen」TBC東京ビューティセンター '96 theレディープロデュース・キャンペーンCMソング
「BRAVE STORY」HONDA Live-Dio CFソング
「SILENT NIGHT」Panasonic DVDプレーヤー Dream CFソング
「LEGEND OF WIND」JAL ハワイ・キャンペーンCMソング
●YU-KI
「dragons' dance」松竹映画「エルマーの冒険」テーマソング、ハウスククレカレーCMソング
●hitomi
「Let's Play Winter」日本テレビ「アクション!SNOW BOARD」エンディングテーマ
「WE ARE“LONELY GIRL”」ドコモのポケベル「ベルミー」CMソング
「CANDY GIRL」Kodak スナップキッズ EX CMソング
「GO TO THE TOP」テレビ朝日系月曜ドラマ・イン「カケオチのススメ」挿 入歌
「Sexy」東京ビューティセンター '96 theレディープロデュース・キャンペーンCMソング
「In the future」明治アメリカンチップス CMソング
「Shinin' On」ASAHI DRY Shoes CMソング
「by myself」関西テレビ・フジテレビ系ドラマ「もう我慢できない!」エンディング・テーマ
「BUSY NOW」ダイハツ・テリオスCFソング
「problem」COSMENITY SHISEIDOヘアマニキュアジェルCF ソング
「PRETTY EYES」銀座ジュエリーマキ エステートツインジュエリーTV・CFイメージソング
「Digital Worker (Who's he?)」ダイハツ・テリオスCFソング
●dos
「Baby baby baby」資生堂 ティセラ TVCFソング
「more kiss」TBS系ドラマ「ひと夏のプロポーズ」主題歌
「CLOSE YOUR EYES」テレビ東京系 TOWER COUNT DOWN 11月度オープニングテーマ
●taeco
「deep GRIND」ロッテ新紗雪CFイメージソング
●TK PRODUCT featuring asami "dos"
「10 TO 10」PerfecTV! STAR digio CMイメージソング
●観月ありさ
「happy wake up!」クノールカップスープCMソング
「PROMISE to PROMISE」フジテレビ系ドラマ「ナースのお仕事」主題歌
●大賀埜々
「Close to the night」TBC 東京ビューティセンター'96 theレディープロデュース・キャンペーンCMソング
「TOMORROW HEART」東京ビューティセンター '96 TBCクリスマス・キャ ンペーンCMソング
「Days 〜虹のベールに抱かれて」JAS 日本エアシステム レインボーセブンCMソング
「Virgin?」OTSUKA Slender Snack こんにゃく POTATO CHIPS CMソング
●宇都宮隆
「discovery」プレイステーション・ミュージック・ソフト[gaball screen]キャンペーンソング
「if you wish...」松竹映画「エルマーの冒険」テーマソング
●木根尚登
「REMEMbER ME?」第一興商通信カラオケDAMイメージソング
●内田有紀
「BABY'S GROWING UP」映画「花より男子」主題歌
「EVER & EVER」フジテレビ系ドラマ「翼をください!」主題歌
●円谷憂子
「Mystery of Sound」東映映画 金田一少年の事件簿 主題歌
「CONFUSED MEMORIES」読売テレビ・日本テレビ系アニメ「金田一少年の事件簿」オープニング・テーマ
●H Jungle With t
「WOW WAR TONIGHT 時には起こせよムーヴメント」フジテレビ系HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP
「FRIENDSHIP」日本テレビ系水曜ドラマ「竜馬におまかせ!」テーマソング
●H.A.N.D.
「Prime High」コスモ石油「シィーヤカード」CMイメージソング
「SPARK SPARK SPARK」テレビ東京系列ASAYAN「コムロ・ギャルソン」テーマソング
「Don't tell yea MAMA」テレビ東京系列「ASAYAN」エンディングテーマ
●篠原涼子
「恋しさとせつなさと心強さと」劇場用アニメ「ストリートファイター・」主題歌
「もっともっと…」マンダム・トリーティアハーブinウォーターTVCFイメージソング
「Lady Generation」ファミリーマートサマーキャンペーンCFソング
●EUROGROOVE
「MOVE YOUR BODY BABY」avex rave '94テーマ曲、「'94 ジャパンスーパーク ロス」キャンペーン・ソング
「DIVE TO PARADISE」テレビ朝日系 '94 FIVBワールドスーパー4バレーボール 番組テーマ曲
「rescue me」松竹映画「写楽」イメージ・ソング
「BOOGIE WOOGIE」フジテレビ系「湘南リバプール学院」挿入歌
●No! Galers
「IT'S HEAVY, TONIGHT」プレスアシュアCMソング
「TOKYO CITY CALLING」Budweiser TV-CFソング
●天方直実
「逢いたい君がいない」第一興商"DAM CUP '96" テーマソング、TX系「ASAYAN」エンディングテーマ
「can'T」第一興商BIG ECHO CFイメージソング、TX系 「ASAYAN」コムロギャルソンオープニング・テーマ
「STEP UP・1997」テレビ朝日あなあきロンドンブーツ エンディングテーマ、第一興商 BIG ECHO CFイメージソング
「・・・・tears」TX系「ASAYAN」エンディングテーマ
「ZUTTO ZUuTTO」摂津商事志布志の自然水CM、テレビ朝日 MIDNIGHT AQUARIUMオープニング・テーマ
                                      


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