「旅行記その2 ルドルフday」
BACK NUMBER vol.1

こんにちは。伊礼彼方です。
第1回目の旅行記を読んで下さってありがとうございます。
今回は2回目にして、いよいよ僕が一番行きたかったカプチーナ教会〜マイヤーリンクのお話です。題して「ルドルフday」(ひねりがなくてすみません・・・)
それでは早速、レッツゴー!!

ウィーン2日目。
時差ボケと疲れで深い眠りから覚めた僕は、目覚ましをセットした時間より一時間早く起きてしまったので、どれだけ今日(当日)を楽しみにしていたかが十分お分かりでしょう!?
さて、この旅行記で突っ込まれる前に白状します。
実は・・・この旅行には、服を一着しか持って行きませんでした!
だから写真に写っている姿がみんな同じ服だと思いますが、引かないで下さいね(笑)
なんで?と思うかもしれませんが、そこは僕の面倒くさがり屋な性格からきていて「荷物がかさばるくらいなら・・・」みたいな感じでついつい・・・。
まあ、怠けているわけではないのですが・・・はい!怠けています。
あっ!!でも下着はちゃんと日数分持って行きましたよ(汗)それから、ちゃんと風呂にも入りました!!!
って、俺はなにを長々と告白しているんだろう・・・。とほほ。お恥ずかしい・・・。

さあ本編に入りましょう。マイヤーリンクへの出発は午後からだったので、良い天気にも恵まれ、時間を有効に使おう!と、まずは市内にあるカプチーナ教会に行ってきました。


カプチーナ教会
建物自体は写真をみて知っていたので、すぐに見つける事が出来ましたが、思ったより外装が素朴だったのがちょっと意外。何故ならここにはハプスブルク家歴代の皇族たちの棺が納められている、由緒ある教会だからもっと派手なのかと思っていたんですが、それは漠然とした僕の願望でした。あくまでも教会ですからね。派手だから良い、っていうもんじゃないし。
ここに歴代の皇族たちが眠っている事実に歴史の深さを感じました。


マリア・テレジアの棺
中に入ってチケットを買うと、すぐ地下に続く階段を下り一歩進むごとに薄暗くなっていく演出に興奮を覚えた(演出ではないだろうけど)。階段を下り終わると奥にはさらに薄暗くなった部屋があったので、我慢しきれずにそこまで走った。
部屋に入った瞬間そこに広がった景色は、今まで見た事がない不思議な空間でした。様々な形をした棺が、とにかくズラーッと並んでるんです!あまりにも現実離れし過ぎたその光景は、まるで映画のセットのような迫力で思わず、ここがお墓や教会などという事をすっかり忘れ「すげぇ」っと声をもらしてしまうくらいでした。
多分、年代別に部屋が分かれていて棺があるのですが、ルドルフの棺に出逢うまで4〜5部屋くらい見て回った記憶があります。
その中で一番目に留まったのが、子供たちの棺に囲まれながら、そびえ立つような「マリア・テレジアと夫」の比翼の合同棺。

周囲をぐるりと回れるので、棺に施された彫刻を間近によく見ることができました。
日本ではあまり見かけない、王冠をかぶったドクロの彫刻とか女神像のような彫刻とかを棺の飾りにしてしまうって、文化や感覚の違いなんですね。なんだか棺じゃないみたいに思えてくる。

棺の装飾1

棺の装飾2

ちなみに、「マリア・テレジアと夫」の棺がハプスブルク家歴代の皇族の棺の中で最も大きかったです。僕も勉強不足で多くは語れませんが、とにかくこのウィーンに来て、マリア・テレジアの存在に驚きました。日本ではあまり知られていないかも・・・ですが、彼女の残した功績や歴史が、今でもウィーンにはたくさん残っています。
彼女の16人いる子供の末娘にあの有名な「マリー・アントワネット」がいます。それだけでまたもや「すげぇ」と思ってしまった自分(本当に羞恥心)。ちなみにもっと驚く事実が・・・。20歳に一人目を妊娠してから最後の子を産む39歳まで妊娠をしていなかった時はなかったそうです(驚)。すごくないですか?色々な意味で、偉大だ!

さて、ようやくたどり着きました。フランツ・ヨーゼフ皇帝一家の部屋。


フランツ・ヨーゼフ一家の部屋
写真やテレビなどで見るように花が供えてあるわけでもなく、普通に寂しく質素な感じでした。しかも所々工事中で作業中のお兄さん達が、なんか忙しなく動き回ってて、僕が想像していた静寂の中の厳かなイメージ・・・は、もろくも崩れていきました。
でも僕にとって、そんな外見はどうでもよく、「大事なのはここに来れた真実だ!」と自分に言い聞かせたので大丈夫!おかげで作業中のお兄さん達にいろんなパターンの写真を撮ってもらうことができました(泣笑)


ルドルフの棺
お兄さん達がいてちょっと恥ずかしかったけど、ルドルフの棺の前で手を合わせ、「この度、日本で行われるミュージカル「エリザベート」で“ルドルフ”役をやらせてもらう事が決まりました。初の大役で右も左も分かりませんが精一杯やりますので応援してください」と報告してきました。
この旅の目的の一つに「エリザベート」に出演する事を本人に伝えたい!という思いが強くあったので、それが叶った事は僕にとって物凄く大きな原動力になっている今日この頃です。棺の下にはこんなプレートもありました。つい撮ってしまう、自分・・・やっぱりミーハーです。はい(汗)。


ルドルフのプレート

エリザベートのプレート


皇帝と皇后と皇太子と・・・
そういえば、どの棺が誰のか説明してなかったですね!失礼しました。

右から「皇太子ルドルフ」・「フランツ・ヨーゼフ皇帝」・「皇后エリザベート」、そして作業員のお兄さん(笑)

旅の大半の目的を果たし僕はるんるん気分で、いざマイヤーリンクへの待ち合わせ場所の「アルベルティーナ広場前」でガイドさんと合流し、「ウィーンの森半日観光ツアー」に出発しました。余談ですが、一人旅をするのは生まれて初めてだったのでツアーと聞けば何十人もの観光者さん達と一緒に見て周るのかと思っていたんですが、集まったのは僕と女性の方とガイドさんだけ。ガイドさんが男で良かったーーー!!!(安心)
普段はバスで移動するらしいんですが、この時期は観光客も少ないのでバンで移動しました。しかもベンツ!憧れのベンツ!!いつか乗ってやるぜベンツ!!!
取り乱しました。すみません・・・。


マイヤーリンクへの途中

シューベルトの菩提樹

さて、コース内容は、リヒテンシュタイン城を見て、地底湖に入り、シューベルトが「菩提樹」の曲を作曲した所と言われているカフェでケーキを食べ(そこのオリジナルケーキを注文したのですが、いやーー甘いッ!無理!って思ったら、同じツアーの女性は「美味しい!」と嬉しそうに食べていたので、女性向きの味なのかな・・・)その後、 ハイリゲンクロイツ修道院を見て、やっとマイヤーリンクにたどり着く事が出来ました。
ここまで長かったです。


載せられなくてゴメンね!
そして、ここでまた白状します。
興奮のあまり、礼拝堂の外壁の写真を撮り忘れてしまった大ばか者です(涙)。
けれど、室内撮影禁止の場所で僕があまりにも熱心にルドルフについて質問するし、興味がありすぎる事を察してくれたのか、ダメ元で「お願いします。写真撮らせてください」ってお願いをしたら、なんと快く承諾して下さいました!その瞬間ホント「来てよかった!」と思いました(感涙)。でも、ここでは載せられないので、僕だけの宝物です!
でも、せっかくなので内容だけでもお届けしますね。

ルドルフが亡くなった当時は、ここは狩猟用の別荘で本や資料には2階の寝室で心中したと書かれていますが、修道院の人によると1階の祭壇が置いてある場所が実際にルドルフが倒れていた場所だそうです。祭壇の上には、天使達の絵が飾られていて、さっき見てきたルドルフの棺より、やはりこの場所が一番真実味がありました。

あとは、当時の新聞や写真、絵などが壁に展示してあって、特に僕の印象に残ったのが「崩れ落ちたフランツ・ヨーゼフ皇帝」の絵。じっと頭を下げて、悲しみをこらえながら祈りを捧げている絵で、いつも厳しいイメージの皇帝で、あんなに対立していた親子だったのに、やっぱり皇帝も親なんだなと思わせられた衝撃的な絵でした。

あとはガイドさんから聞いたのですが、亡くなったルドルフがベッドに寝かされている絵とかよく見るのですが、矛盾があるそうです。
亡くなる際、宗教的な意味合いから両手を胸に重ねる事は通説ですよね!?にも拘らずルドルフはいつも両手が隠れてます。実は暗殺された際に片腕が切断されて、暗殺された証拠を隠蔽するために両手をシーツの中に閉まってるんじゃないかという説があります。これはあくまでも暗殺説での事ですが。


本とポストカード

あと、礼拝堂の中で一際目をひいたのが、マリー・ヴェッツェラの棺。ご存知、ルドルフの心中相手の女性です。
ガイドさんによると、当時戦中、金目の物を盗むため墓荒らしをする兵隊さんが多くみられていました。いろんな人の墓を掘り起こされたとき、マリーの墓も被害にあい、無残に棺を壊されてしまったそうです。
そしてこれは「うたかたの恋と墓泥棒」という本に書いてあったんですが、(大先輩、井上芳雄さんに勧められた本です!勉強になりました!)後にもマリーの骨が盗まれて大事件になっているそうです。
生々しい話ですよね?ちなみに今は新しい棺に骨も移送されて、やっと安らかに眠ってるそうですが、マリーって生前も死後もすごく可愛そうな思いをしてる人だなと思いました。

いろんな説が浮上してるルドルフの死。
謎が残るマイヤーリンクでの出来事。その事実を知っているのはオットーさん(現ハプスブルク家の当主)だけなんじゃないでしょうか?
今でも僕は何かを隠してると思います。では、なぜ隠さなければいけないのか・・・。
あんな窮屈な王宮にいたら誰だって息は詰まるし、逃げたくもなるだろう。
しかも常に監視なんかされていたら余計だ。
皇太子に生れ落ちた宿命と言ってしまえばそれまでだが、皇太子だって一人の人間。
ルドルフの死因にはいろんな説があるが、心中だろうと暗殺だろうと結局は周りの人間達が何らかで彼を追い詰め、結果的に命を奪った事に変わりはないと思う。いわば心中と言う名の暗殺?
だが結局は彼の弱い心が、自らで自分の運命の歯車を狂わせてしまったんだろう・・・。


勉強中。
彼の生きた30年間はなんだったのだろうか?
幸せだったのか?それとも不幸だったのか?
その事実を知ってるのはルドルフ自身だけ。
僕が彼の立場だったら30年間耐えられたかどうかは定かではないですが、
どんなに美化しても、ココロザシなかばで死んでしまったら終わりだと思います。
もし彼が生きていたとしても、皇帝にはなれなかったかもしれないし、第一次世界大戦も変わらず起きていただろうとも思うし・・・。
ここに来てみて、ルドルフの生活やウィーンの空気に触れ、なぜかそう感じました。
ルドルフをすごく近い存在にも感じ、とても遠い存在にも感じました。
120年も前の出来事なのに、僕を含め未だに沢山の方を魅了し続けているルドルフの存在は凄まじいものです。
皇太子であるが故の悲劇。「皇太子ルドルフ」
これから演じる上で、どこまで彼の痛みを感じ取れるかが僕の課題だと思います。

さて、次回はウィーン3日目。
シェーンブルン宮殿や美術館など、市内に戻ってのレポートです。
お楽しみに!



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