2009年02月06日
すみません。今日は模型に関係ない話です。
一昨日、たぬきは所用で有楽町の辺りにおりました。
帰りがけ、近道で国際フォーラムを通り掛かったとき、
当日の予定を示す電光掲示板に次のような文字がありました。
「ホールA:小林旭 芸能生活55周年記念コンサート」
学生時代、すでに歴史となっていた日活アクションコメディを追いかけて、三番館四番館巡りをしていたたぬきにとって「小林旭」という名前には特別な響きがあります。
「芸能生活55周年か・・・いくつだっけアキラは?」
と三歩歩いたたぬきは、次の瞬間、踵を返していました。
時計の表示は午後7時過ぎ。すでに開演から30分以上経っていましたが、
「ナマのアキラを聴けるのは、これが最後かも・・・」
という気持ちが、たぬきをチケット売り場へと向かわせたのです。
席は5000人を収容するホールの天井桟敷。
ステージは1/144(顔がわからない)サイズのアキラ。
場内に入ったときは、日活時代のメドレー中。
あの脳天を突き抜けるカン高い声がホール中に響き渡っていました。
公式プロフィルによれば小林旭は1938年生まれ、当年70歳。
しかし、その声は聴くに、その身のこなしを見るに、到底その年齢には見えません。
メドレーの最後でやや声がカスレたものの、わずかに音程を狂わしたときがあったものの、とにかく歌いまくるアキラに圧倒されました。
翌日のスポーツ紙によれば50曲は歌ったそうですが、ゲストの方が二曲ほど歌った以外、J-POPのミュージシャンのような長々としたMCもなく、2時間40分の間、その喉は止まることを知りませんでした。
「これが最後」なんてことは私の思い過ごし。
この調子ならば100歳になっても歌っていそうなパワフルさです。
小林旭の素晴らしさは、私がリスペクトしている人たちが繰り返し書いていますから、いまさら付け加えることもないのですが「あの底が抜けた明るさ」はアキラだけのものだとつくづく思わされます。
昭和という時代がいいことばかりだったとは言いません。
しかしある時期「明日は今日より良くなる。あさってはもっと良くなる」と思って日本中みんなが生きていた、その明るさ、希望、せつなさはアキラという存在によって今でも感じることができます。
そう考えるとコンサートの終わりが『昭和恋歌』だったことは、よく考えられた構成と言えましょう。
たぬきにとっては、カラオケの持ち歌である『ダイナマイトが150屯』を始め、ナマ『自動車ショー歌』ナマ『恋の山手線』ナマ『熱き心に』などが聞けて大満足。
遅れて会場に入ったため、『銀座旋風児』『ギターを持った渡り鳥』』『北帰行』あたりが聞けなかったのは実に残念でしたが、アキラはこれから2年ほど掛けて全国を回るとのこと。
関東エリアで公演するときは、是非また行くぞ〜。

一昨日、たぬきは所用で有楽町の辺りにおりました。
帰りがけ、近道で国際フォーラムを通り掛かったとき、
当日の予定を示す電光掲示板に次のような文字がありました。
「ホールA:小林旭 芸能生活55周年記念コンサート」
学生時代、すでに歴史となっていた日活アクションコメディを追いかけて、三番館四番館巡りをしていたたぬきにとって「小林旭」という名前には特別な響きがあります。
「芸能生活55周年か・・・いくつだっけアキラは?」
と三歩歩いたたぬきは、次の瞬間、踵を返していました。
時計の表示は午後7時過ぎ。すでに開演から30分以上経っていましたが、
「ナマのアキラを聴けるのは、これが最後かも・・・」
という気持ちが、たぬきをチケット売り場へと向かわせたのです。
席は5000人を収容するホールの天井桟敷。
ステージは1/144(顔がわからない)サイズのアキラ。
場内に入ったときは、日活時代のメドレー中。
あの脳天を突き抜けるカン高い声がホール中に響き渡っていました。
公式プロフィルによれば小林旭は1938年生まれ、当年70歳。
しかし、その声は聴くに、その身のこなしを見るに、到底その年齢には見えません。
メドレーの最後でやや声がカスレたものの、わずかに音程を狂わしたときがあったものの、とにかく歌いまくるアキラに圧倒されました。
翌日のスポーツ紙によれば50曲は歌ったそうですが、ゲストの方が二曲ほど歌った以外、J-POPのミュージシャンのような長々としたMCもなく、2時間40分の間、その喉は止まることを知りませんでした。
「これが最後」なんてことは私の思い過ごし。
この調子ならば100歳になっても歌っていそうなパワフルさです。
小林旭の素晴らしさは、私がリスペクトしている人たちが繰り返し書いていますから、いまさら付け加えることもないのですが「あの底が抜けた明るさ」はアキラだけのものだとつくづく思わされます。
昭和という時代がいいことばかりだったとは言いません。
しかしある時期「明日は今日より良くなる。あさってはもっと良くなる」と思って日本中みんなが生きていた、その明るさ、希望、せつなさはアキラという存在によって今でも感じることができます。
そう考えるとコンサートの終わりが『昭和恋歌』だったことは、よく考えられた構成と言えましょう。
たぬきにとっては、カラオケの持ち歌である『ダイナマイトが150屯』を始め、ナマ『自動車ショー歌』ナマ『恋の山手線』ナマ『熱き心に』などが聞けて大満足。
遅れて会場に入ったため、『銀座旋風児』『ギターを持った渡り鳥』』『北帰行』あたりが聞けなかったのは実に残念でしたが、アキラはこれから2年ほど掛けて全国を回るとのこと。
関東エリアで公演するときは、是非また行くぞ〜。
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