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 <知を楽しむ人のためのオピニオン誌・「正論」>





「無防備都市」を喧伝する 朝日・毎日と国立市長の愚(3)


ジャーナリスト 時沢和男


中核を担うのは新左翼セクト

 朝日・毎日などの新聞報道を読むと、「大阪市民」「草の根」「市民グループ」「市民の会」が自主的に「無防備地域宣言」運動を行っているように思えるが、そうではない。「無防備」運動は、「MDS」という新左翼セクトによって組織的に全国展開されている。「無防備地域宣言をめざす大阪市民の会」「大阪市平和・無防備条例直接請求署名運動」も「MDS」の活動家が担っている。

「無防備」運動を最も詳細に伝えているのは、「週刊MDS」という「MDS」(民主主義的社会主義運動)の機関紙だ。「週刊MDS」は平成十五年十一月までは「統一の旗」という名前であったが、「統一の旗」に初めて「無防備」の主張が表れたのは平成十四年七月十九日号である。「注目すべき『無防備地域』宣言」。次の七月二十六日号には「無防備宣言は平和への対案」という記事あり、このころ「MDS」が「無防備」に着目したと思われる。

 それ以降、毎号のように「無防備」関連の記事が続く。「有事法制三法案に関連して東京の国立市長が質問書で言及するなど、ジュネーブ条約追加議定書や無防備地域宣言が注目されています」(平成十四年八月二日号)

「無防備地域宣言運動は…当面の運動課題である有事法案の成立を阻止する上でも大きな役割を果たすことができる」(平成十四年九月二十日号)

 大阪市の「無防備地域宣言」署名運動についても、「週刊MDS」には細かい内部事情が掲載されている。たとえば、「各区役所職員によってなされた妨害行為」として、此花区役所では「敷地から出て行きなさい」と警告され、「歩道に移動するや警察に(区役所側が)通報した」とトラブルがあったこと。市会議員の反応として、民主党の議員は「中身として良いものだし、会派のほうにも働きかけたい」。共産党の議員からは「成立に向けて努力したい」と電話とファックスが送られてきた、などなど。

 この「MDS」(民主主義的社会主義運動)とは何者なのか。「MDS」は平成十二年八月までは「現代政治研究会」を名乗っていた。その前身は「民主主義学生同盟」(民学同)である。「MDS」綱領(平成十二年八月)は次のように述べている。

「我々の変革の目標は民主主義的社会主義である」。「民主主義的社会主義とは生産手段の真の意味での社会的所有を実現することである」。「マルクスのいう『各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの協同社会』を実現することである」

 明言されているように、彼らは未だにマルキストであり社会主義者である(どういう訳か、「MDS」ホームページではこの綱領が隠されている)。

 実は、「民学同」は昭和三十八年に日本共産党から分派した「日本共産党(日本のこえ)」の学生組織であった。分派の原因は、当時のフルシチョフ・ソ連共産党書記長が日本共産党に「米英ソで締結された部分核停条約」への支持を押しつけことにある。中国共産党と接近していた宮本指導部はこれを拒否したが、日共内部のソ連派(志賀義雄など)は「党にかくれてひそかにソ連大使館などと連絡をとり」「対ソ盲従の裏切り行為をおこない、主人への忠勤ぶりをしめした」(『日本共産党の六十年』上巻、新日本文庫、三三八頁)。このソ連派が「日本のこえ」グループである。

 三つ子の魂百まで、というが、「MDS」が何のために「無防備地域宣言」運動をやっているのかを暗示している話ではある。

 その後、「民学同」は昭和四十四年に「共労党」を支持する一派と内ゲバを起こし、さらに昭和四十五年には「民主主義の旗派(学生共闘派)」と「デモクラート派(中央委員会派)」に分裂した。そして、多数派の「民主主義の旗派」が「現代政治研究会」を経て「MDS」となったわけである。親組織の「日本のこえ」は昭和五十二年に「平和と社会主義」に改称したが、現在ではほとんど活動していないという。

 全共闘運動の最盛期、昭和四十三年九月に発行された「民主主義の旗」第五十三号には次のような一文が掲載されている。

「帝国主義段階後期としての国独資の段階は、広範な大衆が反独占の戦列に加わる客観的必然性をますます明白にしており、そこにこそ戦闘的民主主義者(今日の民主主義は、本来戦闘的である)の結集体としての政治同盟の存在理由があったのである。民学同もまた同じ必然性に導かれた学生同盟であり、それはその前提そのものからしても、共産主義次元の意見の相違を乗り越えた戦闘的民主主義者の単一学生同盟への方向性を当然のこととして有していた」

 トロツキズムに流れたその他の極左勢力が自壊していった中で、「民学同」は共産主義の基本をそれなりに守りしぶとく生き残った、と言うべきかもしれない。

→つづく

 「正論」平成16年10月号 論文



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