イタリアで映画「シ、プオ・ファーレ(大丈夫、できるよ)」(08年、ジュリアーノ・マンフレドニア監督)がロングヒットしている。労組出身の意固地で気の荒い中年男が、精神障害者を率いて、タイル張りの事業で大成功するという物語だ。原案の舞台、ポルデノーネの共同作業所を訪ねた。【ポルデノーネ(イタリア北部)で藤原章生】
映画はジャック・ニコルソン主演の75年の米作品「カッコーの巣の上で」=ことば=に敬意を払ったつくりで、閉鎖的な精神病棟からの解放を唱えた作品となっている。
イタリアでは精神科医フランコ・バザリア=ことば=らの提唱で、78年の法施行を機に、単科精神病院が次々と閉鎖され、遅れていた南部も含め、98年末に全廃された。映画「大丈夫、できるよ」の時代背景は、その法律が施行されて3年が過ぎた81年。精神科の知識など何もない主人公の中年男がひょんなことから施設に通うようになり、そこでほとんど何もせずに放置されている精神障害者らを、その話術で次第に奮い立たせていく場面が見ものだ。
「働けば金がもうかるぞ。君は何が得意だ。何ができる」。男の呼びかけに、おずおずと「僕にできるかな?」と患者たちが応じた時、すかさず放つセリフが、タイトルになっている。若い患者の自殺など不幸もあるが、少しずつでも前に進もうというイタリアらしい前向きな気分が作品にあふれている。
「彼らに仕事などは無理だ」。当初、医師や行政当局に相手にされなかった事業は今、「コープ・ノンチェロ」という名の大きな協同組合になっていた。
ベネチアから列車で北東に1時間。ポルデノーネの駅から車で10分ほどの広々とした土地に、中堅の工場といった趣の白壁の二階屋があった。雪山のすぐふもとにあり、スキー場まで30分ほどだ。
発足直後から勤めてきた組合代表、バッリ・ボンベンさんは、映画のムードを体現したような明るい、おうような中年女性だ。「日本はどうなの?」と聞くので、「精神病院の全廃という方向になかなか進まない。健常者とそうじゃない人との間に深い境界があるという考え方がまだ強い」と答えると「100年遅れてるんじゃないの」と冗談っぽく言って笑った。
「精神病院を組合に変えるという私たちの実験で解放されたのは患者だけじゃないんです。周囲もずいぶん変わりました。彼らが通りの清掃や草刈り、ソーラーパネル張りなどで、日々顔をさらし、町を自由に歩き回ることで、その存在が当たり前になったのです。『はっきりと線引きできる違いはない』と感じ、安心したのです」
現在、組合員は546人で従業員は25人いる。91年の法改正で「グループ作業」が導入された。精神障害者は全体の4割弱。他に所外労働が許された受刑者や禁治産者、アルコールや麻薬中毒患者、売春からの脱却を目指す人々がいる。混合の6人ほどのチームでそれぞれ作業に当たる。
「労働効率をみると受刑者が一番だが、精神障害の人々の中にはときどき非常に生産性の高い人がいる。平均では、サボりがちな麻薬中毒患者よりも優れている。繰り返しの作業を得意とする人、定期的に持ち場を替えるとうまくいく人とそれぞれなので、毎月の人事配置が大変。ただし、病名や病歴で分類はしない。あくまでも個人を見る。トラブルもあるが、治療は外の医師に任せてある」
映画では、もめ事が原因で壊されバラバラになったタイルの破片と共に放置された2人の患者が幾何学模様の見事な床をつくり、評判になる。「現実にはそんな劇的な場面はなく、淡々と家具の修復や陶器づくり、清掃などをする毎日。でも、皆家にいるよりよほど楽しんでいる。ただ、居心地がいいぶん、ここを離れ一般の仕事に就く人が少ない」と組合広報のマリア・ビットリア・アウコネさんは語る。
8年前に近郊の町スピリンベルゴの病院から移ってきたそううつ病のロザンナ・ドゥリさん(55)は自宅から組合のマイクロバスで通い、朝の4時間、陶器製造に当たる。「病院では狭い所に入れられていたけど、ここは自由で、しかも絵柄などを自由に表現できるのがいい。友達もできた。若いころから家で一人閉じこもっていたけど、ここに来たせいか、今は午後や週末、町をよく歩くようになりました」
バザリア法の施行から30年が過ぎた。犯罪者が入所する司法精神病院には約1200人がいるが、一般の単科精神病院はイタリアの地からなくなり、こうした組合が増えている。
模範的な「ノンチェロ」の例はまだ全土には広がっていないが、「犯罪が増えるといった不安もあったが、現在までのところ、むしろ状況は良くなっている」とボンベンさん。「収容されてきた人々に威厳が回復され、社交性がはぐくまれた。それだけを見ても、私たちの取り組みは成功したと言えるんじゃないでしょうか。世の中の寛容さを試す機会でもあるのです」
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■ことば
ミロス・フォアマン監督の米映画(75年)。男(ジャック・ニコルソン)が刑務所の強制労働を逃れるため、病気を装い精神病棟に入院。患者を厳しく管理する婦長に対し、他の患者と反抗した。最後は脳の手術を受けさせられ動けなくなった男を、患者仲間の大男が殺し、抱えて脱走する。米アカデミー賞で作品賞など5部門を獲得。
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■ことば
1924~80年。ベネチア出身の精神科医。患者への拘束や暴行が横行していた精神医療を批判。イタリア北部トリエステの病院に赴任し、「狂気とは人間の一つの状態であり、まず社会が受け入れるべきだ」と精神病院の全廃を唱えた。患者が地域で暮らし自立する運動はイタリア全土に広がり、約12万床の病院が消えた。バザリア氏の名を冠した昨年の第1回バザリア学術賞に「ルポ・精神病棟」を著した元朝日新聞記者の大熊一夫氏が選ばれた。
毎日新聞 2009年2月5日 東京朝刊