【 蛸 グ ラ フ 】
八方手詰まり。
 



今日はスーパーの特売で見つけてきた八頭を煮て食べました。
クワイと並んで好物なんですが、正月にしか食べられないのがざんねんです。


ドラゴンエイジPure誌掲載の読みきり作品「シンデレラシューズ」の全頁解説第7回です。


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これ以上ないほどに、果てしなくネタばれなので
必ず本編を読んだあとで読みすすめてください。
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■p20(p166)

19世紀のテニスウェアの資料がなくて大弱りしたシーン。
作業の土壇場で変更したため、チェックが不十分で左のページと父親の袖が違ってます、、、
変更前は半袖半ズボンで現代っぽかったのですが
近代テニスの礎を築いたとされるウイングフィールド少佐の資料を
アシスタントが見つけてくれたので、それを参考に長ズボンにしました。

描き手としてはすね毛を描くのも楽しくはあるのですが
正直、オッサンの半ズボンは読者には歓迎されないのでご退場いただいた形です。

背景の室内テニスコートは現存する最古のコートのひとつとされるハンプトンコートを参考にして描いて貰いました。


■p21(p167)

テニスを介してエスタブリッシュメント(社会的権威層)としての精神教育を息子に叩きこむ父親。
企業人として競争を勝ち抜くため、貴族のそれより厳しい物になっています。

なんでテニス?と思われるかも知れないですが
現在のウインブルドンでも垣間みられるように元々テニスは王室や貴族の娯楽として始まったので
ブルジョワな親子が体を張ってぶつけるのに適当だろうと思いました。


映画「イカとクジラ」はインテリな両親を持つ子供の話ですが
屈折した家庭環境を表現するのにたびたびテニスが登場してます。
特にオープニングの「パパサイド」「ママサイド」は出色で、うまいなあと舌を巻いてしまいました。
本編のテニスシーケンスはこの作品を思い出しながら描いていました。
お手本に比べて僕のはだいぶ不粋ですけど。


■p22(p168)

父親がアマリに対して過剰なまでに男性性を強要するシーケンス。

アマリの父親はことあるごとに”もっとオス度をあげろ”と要求してくるのは
階級社会の英国で成り上がってきた苦労を経験した彼なりの愛情表現なのでしょう。
もうひとつ、本編では省いたアマリの出生にまつわる大きな理由があるんですが、これは後の書斎のシーンで触れます。


■p23(p169)

父親に知力・体力で屈服させられる形となり
先の「自分の不完全さについて盲目」を思い知らされるアマリ。

自分自身では気づいていないものの、父親譲りの負けず嫌いや競争心を受け継いでいるため
「サービス」しろと父親からボールを放られたアマリはこれを侮辱ととって
(テニスの”サービス”は元来、レシーバーの召使いがコートにボールを放っていたことから来ているのだそうです)
テニスボールをフランス皇太子から贈られたヘンリー5世ばりにブチギレモードとなります。


■p24(p170)

解けない靴紐が、逃れられぬ運命の桎梏のように見えるシーン。

童話とは残酷な物で、どんなに望んでも、どんな努力を重ねようと
シンデレラの靴を履けるのはこの世でひとりだけであり、姫と結ばれる王子様もまた一対の存在です。
この運命は生まれながらに決まっていて、多くの人は”その他大勢”の端役としか生きることができません。

運命に対しては色々考え方があると思うのですが、
運命に逆らって新しい可能性を切り開く選択、自らの本分として運命を受け容れすすんで役割を担う選択
大まかには二つに分かれるかと思います。

現実世界では圧倒的に後者の生き方を余儀なくされるのですが
シンデレラを夢見る物語の主人公は前者の道を選ぶことになります。


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