第一印象は最悪。
それはお互い様だったと、後になってから聞いた。





青空にひとり






 後は若い2人で、なんてお見合いみたいな言葉を残してから、俺を連れてきてくれた上司はいなくなってしまった。まだ机と椅子が適当に並んでいるだけの雑然とした部屋は、会議室というよりは倉庫に近い。ここに来る前にちらっと覗いた他の部署と比べると、あんまりにもあんまりな扱いだ。もしかしてもしかしなくとも、この部署はまったく期待されていないのだろうか。輝かしい初日だというのに、俺は早くも将来に不安を覚えていた。

「あー、なんて言うか…思ったより華々しいスタートって訳じゃないんだな。俺てっきり、警察全ての期待を背負って、みたいなの想像してたからさあ」
「…ハッ」

え、今笑った?今、鼻で笑った?

 斜め向かい、会話をするには遠いけれど無視するには近すぎる、つまりは何とも微妙な距離を開けて机に腰かけている子供。(そう、椅子でなく机に、だ)随分と整った顔立ちは男か女か迷うところだけれど「弟」と紹介されたからには男なのだろう。どう見ても小学生な無表情のこいつが、これから俺のパートナーとなる、らしい。
(そりゃ、同じく未成年とは聞いてたけど…こんな子供だなんて聞いてないよ…)
 海人さんの弟で同じ10代、とだけ聞いていたから、俺はなんとなく同い年もしくは年上の、ガタイのいい奴を想像していた。話が合うといいな、とも。できれば仕事だけじゃなくて、ATの話とかたくさん出来たらいいな、とも。
それがまさか、こんな人形みたいな華奢な子だったとは。そりゃあ嘘はつかれていないけれど。同じ10代だって、前半か後半かで全く違うということをどうして大人は理解できないのだろう。
 しかも、こいつはどんなに控え目に見たって小学生だろう。俺だってまだ高校生だけど、こいつは労働基準法的には真っ黒なんじゃないだろうか。…大丈夫かなこの職場。緊張と期待で胸を膨らませて来たっていうのに、俺の不安はどんどん膨らむばかりだ。

「……」
「……」

 気まずい。どうにも、気まずい。想像していた相棒と違い過ぎて、いきなり2人きりにされても会話に困ってしまう。海人さんの弟は、俺が入室した時に頭のてっぺんから足の先までをじろりと眺めて品定めしただけで、それっきりだ。それ以来何のリアクションもない。俺を紹介してくれた上司にだって、挨拶の一言もなかった。とりあえず、無愛想というところは兄の方とそっくりだと分かった。
 うう、いっそ他のメンバーが集まるまで外に逃げたい。いやダメだ、年下相手に何を気遅れしているんだ。そうだ年下だぞ。俺の方がお兄さんだ。俺がリードしてやらなければ。口角を無理やりにぐいっと上げて、可能な限りの爽やかな笑顔を作ってみる。

「あー、その。自己紹介はさっきしたけど。これからよろしくな、相棒!」
「うぜ…」

 今度ははっきり聞こえた。しかも今度は見下したような冷めた視線付きだ。相手は机に座っているけど視線は立っている俺の方がまだ高い、位置的には見上げているはずなのに見下しているのが分かるってどういうことだ。
 おまけに1つ鼻を鳴らすと、未来の相棒は俺なんかもう用無しだと言わんばかりに腕組みをして目を閉じた。寝る体勢に入りましたからもう話しかけるんじゃありませんよ、ということか。
(あ、目ぇ閉じて眉寄せた顔、海人さんそっくりだ…)
ってイヤイヤ。何だこいつ?何だこの寒い空気?これから生死を共にする相棒との対面ということで緊張していた俺の気遣いはどうなる。俺の方が年上だからお兄さんらしくリードしてやろう、なんて思っていたことはすっかり忘れて大股で歩み寄った。

「ちょっと待てよお前…えーと、咢、だっけ?こっちが仲良くやって行こうと歩み寄ってんのにさ、その態度はないだろ」
「はァ?」
「あ、そういうのマジでそっくりだな、今なんか感動した。って、それはそうとしてさ。俺たちこれからペア組む訳だろ?何て言うか、もう少しさあ」
「ハッ、俺1人で十分だ」
「お、やっと文章話したな。いや、海人さんに教わってるんだからそりゃお前だって相当走れるんだろうけど、」
「まるでお前の方が走れるみてェな口聞くな」
「…悪いけど、俺だってこんなチビッコと組むくらいなら俺1人の方がうまくやれる自信あるよ」
「誰がチビだ!うぜえんだよあっち行けこの矢印頭!!」
「なっ、誰が矢印頭だよ!これはこういうセットなんだよ!」
「知るか、うぜえな消えろファック!!」
「お前それ3回目、どんだけ語彙力ないんだよ。ああそうか、まだガキだもんな」
「あァ!?てめーだって大して変わりゃしねーだろうが!」
「そんな高い声でキンキン喚くなよ…、耳痛いっての」


「待たせたな2人とも。お、どうしたもう仲良くなったのか?」

「良くねえ!!」
「良くない!!」

 ぞろぞろと入ってきた年上の同僚たちが目を丸くした一瞬の後、爆笑した。なんだ、若いと仲良くなるのも早いなぁとか何とか、勝手なことを言いながら席に着く。どうやら俺たちは無事ペアを組んだもの、と認識されたらしい。冗談じゃない、誰がこんな愛想のないガキと。

「集まったな、全員座れ。始めるぞ」

 ざわざわとしていた空気が一瞬にして凍る。さすがと言うか何と言うか、海人さんが登場しただけで、和気あいあいモードが一気にぴりぴりしたものになった。そうだ、俺だって。別にここには友達を作りに来た訳じゃない。じゃない、けれど。
 周囲に押される形で隣に座らされてしまった、相棒(仮)を横目でちらりと見てみる。自分たちの仕事がいかに社会に役立つかを独特の言葉遣いで語る兄を眺める瞳からは、何の感情も読み取れない。やっぱり綺麗な顔しているな、とは思う。白い肌に長い睫毛、小さくて形のいい唇。ぱち、とまばたきする度に、睫毛重くないのかななんて馬鹿なことを心配してしまう。

 自己紹介もそこそこに、さっそく打ち合わせに突入した。よく分からない政治的な話やATを取り巻く難しい環境が続いて、俺は何度も欠伸を噛み殺した。手の中で爪を立てるようにぎゅっと握ったり、頬の内側の肉を痛くなるまで噛んでみたり。会議中にうたた寝なんてしているのが見つかったら、今日が命日になることは確実だ。頑張れ俺の瞼、と言い聞かせてなんとか耐える。
(昨日緊張してなかなか寝付けなかったから…くそ、マジで…眠い…)
 もうダメだ、と本当に落ちかけたところで、前からプリントが回ってきた。首ががくんと落ちそうになった瞬間、ぱさっと目の前に置かれた一枚の白い紙。俺の後ろにはもう誰もいない、そして横には1人。ちょうどいいや、少しでも体を動かさないと寝てしまう。俺は回されたプリントを咢の方に滑らせて、自分の分をもらいに立った。

「全員行き渡ったな?これが俺たちの初仕事になるから一万回熟読してからかかれ。無理やり捻じ込んで取った仕事なんだ、これで失敗なんざしてみろ。俺たち全員の首が飛ぶぞ」

 ただでさえ張りつめていた空気が一層緊張したものになった。そりゃ、みんな生活がかかっているんだから当たり前だけど。本業は学生の俺としては、彼らのように背水の陣って訳じゃないから何となくノリが違う。
(それはこいつも同じなのかなあ)
 もらったプリントをざっと見つつ、首をこきこき言わせながら座る。隣に視線を遣ると、金色の瞳が俺をじいと見上げていた。黙ってりゃ可愛いのにな、と思ってこちらも見返していると、慌てたようにぷいと顔を逸らされた。なんだか好奇心の強い野良猫みたいな仕草だ。
 よし、立って歩いただけだけど、少しは目が覚めた。あと少しだ(たぶん)、せっかく見つけた居場所で必要とされているんだから、せめて期待通りの成果を上げたい。俺は両頬をぱんぱんと叩いて、海人さんの声に集中した。




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「お疲れっした!」
「お疲れさん」
「お疲れ様、今日はゆっくり休みなさい」

ドアに伸ばした腕は赤やら青やら痣だらけで、たいへんカラフルなことになっている。それは腕だけでなく、きっと見えないところも含めて全身そうなのだろう。一歩踏み出す毎に、ぎしぎしと関節が痛む。体中が痛くてだるくて、口の中がなんとなく酸っぱい。
(あー、疲れた)
はあと溜め息をついてみるけれど、気分はそう悪くなかった。体中痛いけれど。明日起きるのがつらいだろうけれど。それでも、気分は上々だ。俺たち特殊飛行靴暴走対策室(どうでもいいけど長すぎる、何か通称とかあればいいのに)の初仕事は大成功、と言っていい結果に終わった。

「へへっ」

スキップの1つもしたい気分で廊下を歩きながら、ふと思い出した。
(あいつ、どうしただろ)
あれだけ偉そうなことを言って俺より下手だったらなんて言ってやろうか、なんて意地悪なことをこっそり考えていたのだけど、実際一緒に仕事をしてみると咢の技術には驚くばかりだった。キレにスピードにバランスに、どれを取ってもトップクラスだった。自惚れる訳じゃないけど、今まで俺と同じ目線で走れる人間なんて1人もいなかった。初めて自分と同じくらい走れる人間を見たせいで、余計に浮かれているのかもしれない。
 うーん、と少し考えてから、踵を返した。どうせもう真夜中だ、ちょっと遅くなったって変わりゃしない。




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「あ、こんなとこにいた。お前ってホント野良猫みたいなのな」
「!?」

 へえこんなとこ登っていいんだ、もうちょっとそっち詰めて、と返事を待たずにずいずいとかなり強引に隣に座った。咢は海人さんと一緒に帰ることになっているのか署内にいるはずだと聞いたけれど、会議室にも廊下にもトイレにもどこにもいなかった。どこに隠れてるんだ、と散々探した挙句、屋上の更に上、給水塔に凭れかかっている咢を発見した。

「お前、なんでここが分かったんだよ」
「んー?ひみつ」

 本当は、廊下に薄く残るAT独特の跡を見つけて辿っただけなんだけど。なんとなくばらすのが勿体ないから、神通力ってことにしておこう。ぼんやりと夜風に吹かれていた咢の顔も、暗闇で分かるほど痣だらけだ。それでも、「人形みたいに綺麗なのに」とはもう思わなかった。

「お疲れさん」
「な、んだよ」

 こちらを胡散臭そうに見てくる瞳は警戒心が強かったけれど、俺はもうあんまり気にならなかった。最悪の初対面から数日、これがこいつの素なのだとしたら、そう言うもんだと受け入れてしまった方がいいし。ほら、と温かい缶を柔らかそうな頬に押し付けてやった。自分の分のコーヒーをちびちび飲みながら、並んで夜空を見上げる。風は冷たくて少し寒いくらいだったけれど、熱を持った痣にはちょうどいい。
 隣の咢が飲む気配がないので、気になってそっと横目で見てみた。コーヒー飲めないかもしれないからカフェオレにしてみたんだけど、余計なことだったかな。だけど渡された缶をまじまじと眺める咢は、ただ困惑しているように見えた。

「何、カフェオレ好きじゃなかった?」
「あ、いや…こういうの、飲んだことねぇから分かんねえ」
「えぇ!?マジで!?現代日本で暮らしてきて何で、…あ、ゴメン」

 しまった嫌な言い方だったかも、と反応を窺うけれど、咢は特に気分を害した風でもなかった。手の中の缶を物珍しそうに弄んでいる。
(…初めてのおもちゃ与えられた猫みたい、なんつったらまた怒鳴られるだろうな)
 咢は底の製造年月日まで確認してから、ようやくプルタブに指を掛けた。そしてそこで止まった。顔は変わらず無表情を装っているけれど、なんとかタブを持ち上げようとしてぷるぷるしている様子は必死そのものだ。咢には申し訳ないけれど、思わず噴き出してしまう。

「ん、開かない?貸してみ」
「いらね、こんなもん1人で…っ」
「開けられないなんて非力だなとかお子様だなとか、誰も言ってないだろ。こんな寒いとこにずっといるから指に力入らないだけだって、いいから貸してみ」
「今言ってんじゃねーか!」
「お前あんだけ走った後でよく怒鳴れるな、ほら」

 面倒なのでさっさと取り上げて、開けて返してやった。礼の代わりは尖らせた唇と、舌打ち1つ。だけど今は、全然ムカつきもしなかった。むしろ、そんな反応を楽しんでいる自分がいる。いつの間にか、俺のこいつに対する感情はぐんとプラスに向かっていた。
(会ってまだ数日なんだけど、何でだろ?)
隣でこわごわと飲み始めた咢の旋毛を見ながら思う。そんなの考えるまでもなかった、一緒に走ったからだ。我ながら現金というか、何というか。だけどしょうがない。だって俺は骨の髄までライダーなんだから。
 今日の仕事だって。本当は、置いて行くつもりで最初から飛ばしたのに。咢は難なく俺に追いついた、呼吸するみたいに当たり前に。俺の意図が分かったのだろう、こちらににやりと笑みをくれると、ぐんとスピードを上げてそこから見事なトリックを決めてみせた。あの時の、背中がぞくぞくするような感覚。どうだよと言わんばかりの、逆さまの得意気な瞳。
 今思い返してもたまらない。あんなの初めてだった。俺はいつだって誰より速かったし、俺の見る景色は誰にも見られないんだと思っていた。それが、今は違う。こいつがいる。こいつは、俺と同じ景色を見ているんだ。
 ごみごみとした街、無機質なビル群、排気ガスを撒き散らす汚れた車の群れ。その全てが万華鏡みたいに混ざってきらきら輝いて見える、あの世界。そこには俺1人しかいないんだって、そう思っていた。なのにこいつは、事もなげに俺の隣に並んで、笑ってみせたのだ。
 そんな俺の思いなど知らない咢は、今は隣で初めて飲むというカフェオレに夢中だ。おっかなびっくり飲んだ一口でたいへんお気に召したらしい、こくこくと美味そうに飲んでいる。尻尾でもついていたら、ちぎれんばかりに振っていることだろう。

「…ぷっ」
「な、なんだよっ」
「いーや、何でも。それよりお前さ、日曜ヒマ?」
「は?」
「一緒に走りに行こうよ」

 ぱちくりと開かれた目に(でっかい目だなあ)なんて思いながら、濡れた口元に手を伸ばして拭ってやった。そのまま指先をぺろりと舐めてみる、想像以上に甘い。ふむ、甘いのが好きなのか。じゃあ駅前のアイス屋にでも連れてったら喜ぶだろうか、なんてことを考える。

「れ、練習あっから…」
「だからさ、俺と走るのだっていい練習だろ?そこらのライダーよりよほどいい相手だと思うよ」

不足はないと思うけど?と自信たっぷりに聞いてみる。あの時の咢と同じ笑顔で。

「…へんなやつ」
「そりゃどうも、お互い様だね」

ふん、と顔を逸らされたのは了承と取っていいだろう。
(俺、こいつとの付き合い方分かってきた気がする)
なんだか楽しくってにやにやしていると、飲み終わった咢が立ち上がった。さすがに帰るようだ。ロックしたままのATで、ふわっと飛び降りる。何か声を掛けたくて、最後に何か話したくて身を乗り出したところで咢が振り返った。

「アキラ!」

ごちそうさん、と空き缶片手にゆらゆらと振ってみせる。あ、うん、と反射的に返す俺に尖った歯を見せてから、今度こそ去って行った。

(初めて名前呼ばれちゃった…)

いや、それだけなんだけど。むしろ数日一緒にいてこれが初めてかよ、とは思うけど。
なぜだか、心臓がどくどくとうるさく鳴った。

 俺もそろそろ帰らないと、と思いつつ、何となくごろりと寝転がった。打ち身だらけの背中がずきずきと痛んだけれど、構やしなかった。視界は暗黒に近い闇だ。東京の空じゃ星1つ見えやしない。自分が飲み込まれてしまったような、広大な宇宙に1人放り出されたような淋しい気持ちになるから、星のない夜空は好きじゃなかった。
だけど、今は。


「…次は俺が抜いてやる」


だって1人じゃないんだ。俺と並んで、この世界を見られるやつがいるんだ。
無限に広がる暗闇を前に拳を突き出して、ひとり誓いを立てた。









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