京津線を走る和諧号には2種類ある。一つは日本の川崎重工業が造る東北新幹線「はやて」型。もう一つはドイツのシーメンス型だ。日独メーカーは一部車両を完成車で輸出したものの、中国の国産政策にもとづいて、その多くは日独の部品供給を受けて中国メーカーが生産している。
実はこの「はやて」型を巡って、技術協力した日本側と中国との間でひと悶着(もんちゃく)あった。はやては東北新幹線では時速275キロで走っており、12年末に時速320キロを達成するため現在、車両を開発中だ。川崎重工は「設計上の安全走行の上限は時速275キロ」と中国側に伝え、運行技術を教えたJR東日本の協力条件は「時速200キロまでの走行」だった。
にもかかわらず中国鉄道省は、試験走行で時速350キロ超を出せたことから、能力いっぱいでの営業運転に踏み切った。五輪観光の目玉の一つにという思惑もあったのかもしれない。
収まらなかったのが日本側だ。川崎重工幹部は開業の4日後、中国鉄道省の幹部を訪ねて、抗議した。JR東日本首脳は「もし事故が起きても、これでは責任は取れない」とカンカン。中国側から「責任は求めない」と確認する文書を取った。
結局、京津線は2月までにすべて独型車両に置き換えることになった。はやて型は時速250キロまでしか出さない他路線に移すという。
それにしても、車両規格を一本化せず、運用が難しい日独2方式で開業したのはなぜだったのか。
鉄道省はもともと、安全走行に定評があり軽くてエネルギー効率もいい日本の新幹線を高く評価していた。日本の関係者によると、一時は日本に決まりかけていたようだ。だが当時、日本の首相・小泉純一郎が靖国神社に参拝して日中関係がぎくしゃくしたことで事情が変わった。新幹線導入は中国側にとってタブーとなり、独メーカーの受注が先行した。
もう一つの理由は、あらゆる技術を試したい、という中国のどん欲さだ。最たるものが上海市内~上海浦東空港間の30キロを7分間で結ぶリニアモーターカーだ。最高時速430キロ。営業鉄道の速度としては世界一だ。車窓の景色が飛ぶスピードからその速さを体感できる。
JR東海が中央新幹線計画で実用化しようとしている「超伝導」は軌道から車体が10センチ浮く。これに対し、ドイツ社から技術導入した上海リニアは1センチ浮く「常伝導」式だ。03年から試験営業を始め、06年に正式開業したリニアは、元上海市長でもある当時の首相・朱鎔基(チュー・ロン・チー)の肝いりで導入された。世界の先端技術を積極的に導入しようという考えからだ。実はドイツ方式を導入する前、「中国側から日本に、より高速が可能なJR東海の山梨実験線のリニア技術が欲しい、とさまざまなルートで打診があった」と日本の鉄道関係者は明かす。だが、当時の国交省とJR東海は「まだ実用化段階ではない」と断った。
朱の構想を引き継いだ中国科学技術省や上海市は、北京~上海の高速鉄道もリニア方式で結ぶ構想を進めた。これに反対したのが鉄道省だ。リニアは、新幹線などの鉄輪方式に比べてエネルギー消費量が多い。投資額も膨らむ。それに主要都市を結ぶ高速鉄道の一部だけがリニアでは、他の車両の「乗り入れ」ができなくなる、という理由だった。
結局、この綱引きは06年、鉄道省の「優勢勝ち」に終わった。北京~上海の大動脈は鉄輪方式に落ち着き、リニアは上海~杭州という「支線」にのみ認められたのだ。
景気対策という追い風を受けて、中国の高速鉄道投資は当分の間、バブルが続きそうだ。その間、世界の鉄道技術が、この広大な「実験場」に吸い寄せられることだろう。
(文中敬称略)