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知覚過敏もあります
エベレスト及びその高所順応プレ登山の準備が嵐の大詰めを迎えている。エベレスト登山ルートはチベットの政情不安定を理由にネパール側からの登山に変更になった。
それに伴い登山にかかる費用も変わり、準備にも多少の違いが出る。とはいえ僕は北からでも南からでも大丈夫の様に、気持ちを準備していた。きっと事故さえなくばどちらからでも山と向き合える心構えはできていると思う。
さてさてそういう高所登山に備えての準備の一つにデンタルケアというのがある。僕は昔から甘い物好きで、仕事の合間や疲れた時に、ほとんど毎日チョコレートを食べる人間だ。というわけで年がら年中虫歯が耐えない。
登山の最中に虫歯が悪化したら大変だ。歯が痛くて山に登れませんでしたじゃ、洒落にもならない。
そういう事で僕は今時間を見つけては近所の歯医者通いを繰り返している。5日間をかけた歯垢取りが一段落して、今は知覚過敏の部分に薬を塗りつける治療中だ。
結構流行っている歯医者で、一回通院するのにそれなりの時間もかかるし、お金も馬鹿にならない。
しかもこれで登山中に虫歯にならないという保障は無いのだが、それでも背に腹は変えられない。
準備大詰めとなっても僕は歯医者通いをギリギリまで続けなければならないだろう。歯を削ると共に、ただでさえ少ない準備時間も削られている感じがして、気が気でなかったりする。
僕には今山ほどやる事はある。装備とか資金繰りとかの事意外にも、仕事上の段取り、住民税、所得税、健康保険、年金、登山の保険、旅行の保険、家族の生活費等々、もう数えられないくらいだ。
準備と仕事のストレスで歯を悪くして、知覚過敏で歯医者通いというのも冴えない話だ。とはいえ何か一つ人と違う事をやろうと思えば、そこには大変な苦労が伴うのは当然だ。
また一つの事をしっかりできる人間は、また幾つモノ事もしっかりできる。
そう思いながら、決して逃げ出さず、最後の準備の詰めを誤らない様にしたい。 |
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いつまで続く泥るみぞ
昨日は午後に手術が2件、それなりに緊張を要する手術だったが、それ程の寝不足手術では無かった。軽い二日酔いを感じながらも、手術自体は問題なくこなす。
いちおうこの2件の手術を済ませたら、14日の日本出発まで僕には大きな予定手術は入ってない。各種処置や分娩はたくさん残っているが、もし緊急手術が入ってこなければ、これで僕はエベレスト登山後まで手術しないですむ。
これはやはりそれなりの開放感があった。昨日2件目の手術が終わり閉腹に入った時には、肩の荷が軽くなった様な開放感をじわりと感じた。
今日は朝からひたすらの外来が続く日である。僕がしばらく仕事を休むという事をどこかで知ったのだろう。多くの駆け込み形の患者さんが受診された。
中には手術が必要な方もいるが、今更手術を組む時間的余裕は僕には無い。何とか僕の帰国後まで手術無しで持たせる様、あの手この手の工夫をこらす。
猛烈な秒単位外来の合間には、分娩や各種処置も入り込み、今日も相当に忙しかった。前後の状況を何も知らない代務の先生が、いきなりこれと同様の仕事をせよと言われても絶対にできないと思う。
今はとにかく、僕の不在に備えできることなら外来患者さんや入院患者さんを徐々に減らして行きたい。
ところがそんな考えは全く甘くて、今日も外来はあまりの慌しさに患者さんも笑ってしまう(もちろん秒単位診察に不服そうな方の方が多いですが・・)ほど混み、病棟には要注意の患者さんが多く入院していた。
どうやって上手く代務の先生方に引き継ぐか、世の中には不可能な事もあるわけで、やはり心配はある。昨日の閉腹時に感じた開放感を味わうのは、どうやらまだ早すぎる様だ。
あと日本を発つまで実質10日残すのみとなった。僕は今、公私共に焦りの塊みたいなものかもしれない。
看護師さんの中には「先生これから長いこと休むんでしょ。私等は休めないのだから、先生は仕事しなさいよ」とおっしゃる方も見える。ところが様々な事情を知る僕には「世の中そんなに単純でないよ」と反論したい気もする。僕は普通なら看護師さん以上に休める訳は無い状況なのだ。
とはいえ今はじっと我慢して、プッツンせず、何とか少しでもスムーズに事を進め準備していくしかない。それが唯一無二の選択肢に違いないのだ。 |
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子供は走り、親は飲む
この土日は三男の少年サッカー大会(城西招待)が岐阜市内の河川敷サッカー場で開かれ、そのお世話で岐阜まで出かけていた。三男の所属する高山FCの保護者の一員として、、少年サッカー観戦を楽しんでくる。
土曜の夜はサッカー選手の子供等と共にグリーンプラザというスポーツ者用宿泊施設に泊まったが、もう既に何度も泊まりの遠征サッカーを経験している子供等は、もう十分自分の事は自分でできた。
父親の僕に、子供らの面倒見る必要はほとんど無い。試合以外の時は、親さん、監督、コーチらとひたすら酒飲んでばかりいた気がする。
一方子供等は、生活態度が駄目だったり、試合で思惑通りのプレーが出来なかったりしたら、即退団とか途中帰宅を命ぜられる。それが怖いのか元々なのか、もう皆真面目で良い子ばかりという感じだ。
喧嘩したり悪さしたりする子はいなくて、試合が終わると、風呂入り、飯食って、反省ノートを書くと、騒ぐ事も無く速攻で寝てしまっていた。
その一方親さんらは、夜遅くまでうるさく飲んで夜更かしだ。朝起きるのも子供たちの方がよっぽど早くて、親さんは飲みすぎで疲れていたりする。
試合の方でも子供達は寒い中良くがんばって、一日目は3勝1敗、2日目は2勝1敗1分けと、まあまあの良い結果を出してくれていた。
というわけで高山帰宅後も親さんらは、子供等の成果と成長を祝って2日連続の祝杯?となった。
一方肝心の子供等は家帰って、祝杯ならず宿題となる。
小学校5,6年生ぐらいの子供等は、社会性というのが芽生えて、実に保護者や監督コーチ等のいう事を良く聞く。
一方その親さんらは、だんだん立場も上になり、そろそろ社会性が失われてきて、自分勝手の行動をしたりする。その際たるものが自分の海外遠征なのだろうが、そんな事を思って少し複雑な少年サッカーの週末なのでした。
子供たちはひたすらに走ってました

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年は取りたくはないけれど
昨夜は高山と古川の産婦人科開業医さんらが、僕のエベレスト壮行会を開いてくれた。
エベレスト登山前で節制した暮らしを良しとしている僕ではあるが、折角の食事会である。これから先しばらくは食べる事もないであろう美味しい和食と美酒を堪能する。
寝不足だと言うのについつい2次会にも行き、帰宅はやや遅くなる。とはいえ夜中に起こされる事は無く、酔いも回り夜はぐっすり眠る事が出来た。
今朝はまず朝一番でインドネシアとロシアとスイスからのメールをチェックして、返事の内容を考えながら何時もながらの秒単位外来をこなす。
僕が日本を発つ前の内にと、駆け込み方の患者さんも増えているし、担癌患者さんや新規ガン患者さんも多い。病棟にはターミナルの方も含め多くの大変な患者さんらが入院している。
周囲がこんな状態で、僕がこのまま日本を発って良いのかという倫理的な問題も感じない訳ではない。とはいえそんな事を言っていたら僕は何時まで経っても何処にもいけない人間になってしまう。
完璧に周囲を落ち着かせてから海外に出るなんて事は、僕の場合元々不可能な事だ。ここは多少冷たい感じがしても、ひるまず僕の人生を一歩前に前進させよう。
今日の午後はこれまたとある理由で要注意の手術が控えていた。術前には血圧が安定せず手術の延期も考える。とはいえ臨機応変な対応で無事に手術は完遂できた。これでまた一つ遠征前の山を越えたと思う。
さてさて今日の手術は癌手術や帝王切開とは異なった、いわゆる身体機能回復手術だった。お年寄りになると誰もが筋力衰え、身体機能が悪くなるものだが、そういう加齢変化に対するアンチエイジング手術だったと言えよう。
この手の手術は人手不足の産婦人科の中では、直接命に関係しない分優先順序が下がるのだが、それでもこの時代これまた圧倒的な需要がある。
術者である僕もエイジングは大問題だ。髪を短くしたら、白髪が随分と増えた気がするし、最近は疲れると視力の衰えも感じる。僕の家系は一説によると、泌尿器系に問題を抱える事が多いという話もあり、何だか最近は頻尿気味だ(これはデパスのせいかもしれませんが・・)。
こんなんで高所登山ができるんかいなと、昨日僕はネットでこういうモノを購入した。これはインドネシアからのメールでも登山に必要とされていた。
はたしてこれは何でしょう?

その答えは・・・

携帯尿瓶だったりする。こんなものも登山に必要な年になりましたかと複雑・・・トホ |
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サッカーでも病院でも走ります
何だかんだと仕事は多いし、遠征準備も大変だが、それでも昨日はまあまあの時刻に帰宅できた。大急ぎで夕食を食べると、三男の親子サッカーにも参加し、ビックアリーナの体育館でひとしきり汗をかく。
帰宅して軽くストレッチして、ビールの前に風呂に入ろうとしていたら、分娩室から分娩呼び出し電話が入った。そのまま出動、やや大きな裂傷縫合にせっせと励む。
その後自宅でやっと遅い風呂に入っていると、今度は別の用事で病棟から次々と電話が入りだした。
どうやら入院中の骨盤位の方が陣発したらしい。既に日付は変わっていて時刻は深夜だ。本来なら週明けに予定帝王切開の方だったが、今から深夜の緊急手術は避けたい。
この時刻に手術室看護師さんや手術助手の方を呼び出しても、それなりに準備に時間がかかるのも当然だ。
とにかくは明日まで持たせようと、絶対安静とウテメリン増量を指示して眠りに付く。
ところが案の定夜中の2時過ぎにまた突然の電話で起こされた。
骨盤位の方が破水して、もうすぐ産まれそうだという連絡だ。普通の分娩らともかく、逆子の場合、助産師さんに「何とかして」で済ませる訳には行かない。
すぐさま服を着て、半ば寝ながら凍った道を車で病院まで飛ばした。病院の階段を上がっている時に再度助産師さんから慌てた電話が入る。「足が出てきたから早く来て」という内容だ。
これはいけないこの先児頭が引っかかると、新生児死亡の危険もある。
久しぶりに深夜の病院廊下を走って、分娩室まで急いだ。間一髪分娩には間に合い、大きな会陰切開の後、八ノ字からブラハトで胎児はきちんと娩出させる。
分娩時に着替える事も間に合わず、上着が羊水と帰り血で濡れてしまった。丑三つ時の突然仕事にしては、中々に過酷だ。妊婦さんには感謝されて、縫合も得意の半月眠り縫合で対応したが、それでも睡眠時間は大きく削られる。
今日も朝から外来は混んだ。日々の疲れも貯まり、ちょっと目を閉じると直ぐに眠れそうだ。
後日本を離れる事が出来るまで2週間ちょっとだ。このままトラブル無く出発の日が来て、早くこんな暮らしから開放されたいよとホトホト思う。 |
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文無しになっても
昨夜は深夜の問い合わせ電話こそあったものの、突然夜中に起こされる事は無く平和に過ごせた。
2月14日をスタート予定にしている春の大遠征準備もまあ着々と進んでいる。
このところ僕は、診察の合間のちょっとした時間に、様々な趣旨のメールを世界中の様々な場所に送っている。一方で深刻なガンの話などをしながら、一方で飛行機やお金の段取りを考えていたりする。
自分の好きな事のためなら、まるでコンピュータの様に同時に様々な事を考えれる。患者さんがどう思うかは?だが、とにかく僕はそういう比較的器用な頭を持って生まれて幸運だと思う(好きな事のためなら誰でもそうでしょうが・・)。
さて遠征準備も大詰めを迎え、今の僕の最大の関心事はやはり登山費用の工面の事だ。もとよりエベレスト遠征のためには文無しになるのも覚悟の上だったが、実際に大きなお金が動き出して、少しづつ貯金通帳の額が減ってくるの見ているとやはり不安な気もする。
今日もほんの僅かなあいた時間を見つけ、病院を抜け出し、高山で最も大きい?銀行からインドネシアに9500USDという大金を送金してきた。
ついでに銀行内のドルキャッシュが無くなりそうになる程の多額のドルも購入する。ちょうど世間は円高でこの辺も僕は幸運な人間だと思う。
さてさて先日の戸隠パウダーキャンプで、僕は多くのバリバリ山スキーヤーと貴重な話をする事が出来た。
山スキーの話をするのがその集まりの趣旨なのだが、僕がそれら話題の中で最も印象に残ったのは、なぜか世間の不景気の話題だった。
輸出関連の製造業に勤められている方々は、本当に今仕事が無くて大変なご様子だ。仕事が無くて山に行けるのは良いけど、給料が下がるから堪らんよという話がそこかしこから聞こえてくる。
日本の誇るモノ作りの技術が、海外発の不景気の大波にさらされているのだ。そんな中で忙しい仕事を進んで休み、海外登山に出かける僕は究極の贅沢遊び人だと思う。
しかし良く考えてみると、こういう時に海外でお金を使うと言う事は、本当は良い事じゃないかと思えなくも無い。
景気と言うのは、その始まりは人の気分で左右される事が大きいものだ。サブプライム問題やリーマンショックをきっかけした個人の需要の冷え込みが不景気の最大の原因なのだ。
だからこういう時に、僕みたいな人間が多額のお金を海外で使う事は、実は理にかなう事じゃなかろうか?
世間の人がお金を使わない時こそ、僕みたいな人間が無一文になるまでお金を使う方が良い。僕はそう思う。僕が海外で落としたお金で、現地の人が日本のデジカメや液晶テレビを買ってくれたら言う事は無い。
そんなこんなで僕はお金を使う事に、この際ひるまない。もちろんこれは自分の身に付いた技術や知識に自信があるからできる事なのだろうが、とにかく無一文になっても今回の計画は完遂させたいと思っている。 |
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緊張と開放の連続です
日曜日の高妻沢滑降は今から思ってもなかなか痺れる冒険的な山スキーだった。久しぶりの充実感でこれは確かに癖になると思う。
とはいえ僕にはゆっくり思い出に浸る時間は無い。HPに記録をUPする時間も無い。日曜夜遅くに戸隠から帰宅してからも、忙しい時間が延々と続き息つく暇も碌に無い。
まずは月曜未明から要注意の勝負誘発が入ってしまった。月曜日は朝早くから分娩室を睨みながらの外来業務となる。午後にはこれまたかなり危険な準緊急手術も入った。
これはとある理由で麻酔も手術も難度が高く、高妻沢滑降さながらの手に汗握る命懸け?手術となった。とはいえやはり高妻沢と同様無事にこなす。
こういう緊張感から開放感へのダイナミックな変化は、手術も山スキーも似ているろ思う。その後はもちろん仕事が夜遅くまで続いた。
更に今日は昨日よりの勝負誘発の方が分娩停止気味で残ってしまった。しかし僕には緊急手術を組む時間が無い。一日中各種業務に追われ続けて、やっと緊急手術が出来る状況になったら、上手い事分娩が進みだした。
勝負には無事勝って?先ほど無事に分娩が終わる。
今日はその他にも幾つモノ緊張の場面があった。中には上手く行かず内科の先生にヘルプを頼んだものもある。これは山スキーで言ったら救助を要請したようなものかもしれないが、それも病院機能の一つだと思えばそんなものだろう。
平日は仕事で緊張し、休日は山スキーで緊張する。既に僕はアドレナリン中毒で、しかも緊張の合間の開放感が堪らないくなってる状態なのだと思う。
それが悪いとは思わないが、こういう暮らしを続けていれば長生きできないよと思えなくも無い気はする。
山スキーは緊張と開放の連続とも言える。(深澤名人写真有難うございました)
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山スキーオールスターズの戸隠集合でした
この土日は、長野の奥座敷、戸隠高原まで車を飛ばし、著名な山スキーヤーMiuraOsuke氏主催による戸隠パウダーキャンプという催しに参加してきた。
もちろんそのついで?には、戸隠、妙高近辺の山スキールートを幾つも狙う。今春のエベレスト登山を控え、この週末は今年度山スキー出動できる最後の休日となる。
少しでも体力を付けコンディション整えるためにも、能率よく行動して身体をできるだけ動かしておきたい。
というわけでまずやや天気不良の土曜日には、赤倉スキー場から妙高前山滝沢尾根と関温泉三角という2本のクラシック山スキーを単独で楽しんだ。
続いて昨日日曜日には金沢のYasuhiro先生を始めとする最強山スキーヤーグループに混ぜていただき、高妻山山頂から高妻沢と言う近辺で最も難度の高い山スキーコースを滑降する。前夜宴会後での厳冬日帰り滑降だから、なかなか上等な記録だと思う。
僕としてはもちょっとポピュラーなルートを滑降するつもりでいたのだが、Yasuhiro先生等が弱い僕を頂上から滑降まで引っ張ってくれたのでした。おかげでレベル以上の山スキーを楽しめました。どうも有難うございました。
常に後ろ向き?で弱気な僕を、高妻沢まで引っ張ってくれたYasuhiro先生Fukazawa名人パーティーには、エベレスト登山前に闘魂注入、気合を入れられた感じだ。
これで一気にエベレスト頂上まで元気持続すれば良いが、低酸素、低気圧という長高所ならでは特別な環境に日本の山スキーで培った体調が役立つだろうか?
それはともかくきちんとワークアウトもできたし、蕎麦や温泉も楽しめた。山スキーの勉強のみならず、社会情勢や世間の不景気の話も聞けた。大変有意義な週末を過ごせて僕は大満足の気分だ。
皆、山スキーのつわものです。
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長期海外登山でグルメはできません
ここのところ夜中の分娩少なく、生活リズムも整っている。このまま仕事スムーズで海外遠征に入れれば言う事は無いが、仕事上では何時もながらの暗雲漂っていて、気が気でない感じだ。
僕の仕事はいつ何時大きなトラブルに見舞われるか分からない仕事だ。このまま無事に日本を出発できれば、それだけでかなりの幸運と言えるだろう。
さて昨日の夜は大学の友人等が、わざわざ高山まで来て僕のエベレスト壮行会を開いてくれた。僕は仕事で高山を離れられないので、彼等がわざわざ、美人どころ同伴?で高山まで来てくれたのだ。というわけで昨日の夜は、高山の美味しい寿司屋で夜遅くまで飲んで食べてしまう。
さて僕は今高所登山に向け、生活を律し体調を整える必要がある。
ところが僕は悪い癖で、何時もこの手の飲み会では、調子に乗って飲み過ぎ食べ過ぎしてしまう。昨日も食べすぎ飲みすぎで今朝は少々二日酔いだ。
先の週末のラッセル大会でせっかく燃焼した脂肪も全く無駄となり、昨日の霜降り美食でお釣り繰るほどカロリー摂取してしまった。
こんな事ではいかんなあと思う。
とはいえこれでも友人等は僕の事を、「意外に小食だねえー」と評していた。僕としては胃袋一杯食べたつもりであるのだが、それでも少ないと思うらしい。
考えてみたらグルメの方には、海外長期旅行は向かない。ヒマラヤやインドネシアの山奥で美味しい日本食が食べれる訳は無いのだ。
更に長期ヒマラヤ登山する人には、大食いの方も向かないだろう。むしろ少ない食事でたくさん動ける、低燃費ハイブリッドカーみたいな人間が長期登山には向いている。山では食べる食事を自分で運ぶのが原則だ。美食大食家がヒマラヤ登山なんできる訳は無い。
僕は子供の頃から何でも食べる雑食粗食動物だったので、その点海外長期登山も若い頃はできたのだろう。しかし僕も今や贅沢中年オジサンとなった。果たして来月からの海外生活にどれだけ耐えられかどうか、大いに心配だ。
そういえば今日の朝食は、バリュー特売の1円食パンだった。昨夜の豪華ディナーと内容全く異なるなあと思う。
とはいえこういう1円食パンでも美味しいと思って食べれる心を、何時までも持ち続けていたいものだ。そう思う僕も確かにいる。 |
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暖房の設定温度は?
昨日は一日中の外来と会議、更にその後に夜の分娩と、何時もながらの忙しい一日だった。とはいえ夜中に起こされる事は無かったから寝不足感は無い。
さてさすがに暦も大寒となり、高山ではそれなりに寒い日が続いている。今朝の気温計はマイナス5度で通勤途中の道路も所々でカチカチに凍っていた。
僕の家は今年からオール電化住宅となり、備え付けのセントラル灯油暖房が無くなった。しかも家の中には呼吸の道タワーというのが設置されていて、自動的に何時も空気が対流する様にできている。その分換気の心配は少ないのだが、家の中には何時も少し軽い風が吹いている。
だから今までの社宅住まいより家の中は寒い。寒ければクーラーを暖房に入れるか、電気コタツもしくは灯油ストーブを使う事となる。
家の子供等は、さすがに日々の長距離雪道通学で鍛えられていて、僕より皆ずっと寒さに強い。
暖房の設定温度も20度よりは決して上げようとしない。今時の子供は大人よりずっとエコだ。大人より子供の方が将来地球温暖化の影響を受ける可能性がずっと高いという事を、子供等はどこかで学んで良く知っているのだ。
僕が暖房の設定を高くしようとすると途端に「そんなんでエベレストに行けるんか?」と家族からブーイングが飛ぶ。
それは確かなので、ここで僕が寒いから暖房付けようとはやはり言えない。20度で寒いなんて言っていたらやはりいかんだろう。
僕はエベレストに備えて、身体を少しでも寒さに馴らしておく必要があるのは間違い無いからだ。
とはいえ今年は僕は例年よりどうも、寒がりになっている気はする。これはデパスの常用によるものだろうか?それとも単なる年のせいだろうか?
エベレストの気温は普通でもマイナス20度位には平気で下がると言う。しかも低酸素だ。
20度で寒い寒いなんて言っていたら駄目に決まっている。せめて今週末はまた山の中に入り、寒さに負けない強い身体を少しでも作っておきたいと思うが、僕の身体はそんな苛酷な環境に本当に耐える事ができるのだろうか?すっかり自分に甘くなってしまった中年現代人には、やはり8850mの心配は多い。 |
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アイウェアには苦戦してます
エベレスト遠征及びその各種高所順応登山に向けての準備が大詰めを迎えている。何事も大詰め頂上付近が一番風が強いと言うが、今がちょうど遠征準備の8〜9号目と言った所だろうか。
準備の段階で既に様々な風に叩かれているが、それらは皆覚悟の上の事だ。ここはひるまず各種行程を進めていこう。
さてそれら遠征準備の中の一つに、僕の場合アイウェア準備というのがあった。
今回の高所登山では、上手く酸素を使うのがその重要な成否の鍵を握っている。
ところが僕は今まで登山用酸素を使った事も無ければ、見た事も無い人間だ。生死が関わる事であると思うと、それなりに酸素ボンベ使用登山というのには不安がある。
とはいえ酸素を使わなければ、僕がエベレストの頂上に立てる可能性は限りなく0だ。登頂のためには背に腹は変えれない。
さてさて何でも聞いた話ではサングラスで酸素マスクをつけると、ガラスが曇って視界が非常に悪くなると言う。
つまり僕の様なド近眼人間はコンタクトレンズの使用に馴らせて置かなければならないのだ。ところがこのコンタクトに馴らすというのが、僕にとってかなりの難行だった。
コンタクトの脱着練習も目が痛くて楽でないが、どういうわけか僕の場合コンタクト使用中に、突然コンタクトが外れたり、一気に視界が悪くなったりする事がある。これは僕の目がドライアイ傾向にあるという事が関係していると思う。
乱視矯正レンズというのはそのレンズの向きが、眼球の軸ときちんと合ってなければならない。
その分レンズが角膜の上を回りやすく、外れやすいのに違いない。高所登山の最中に目が突然見えなくなるのは相当の恐怖だ。今から眼球にレンズと友達になる様、強く言い聞かせておかなければならない。
その他に今回は度付きサングラスを新調し、最高級?のゴーグルも購入した。コンタクトと合計するとかなりの出費だ。しかし目は身体の中で最重要の知覚装置だ。やはりここでケチる訳にはいかん。
もう様々な出費が重なり、生活にも影響しそうな雰囲気だ。とはいえもはやここからやっぱり辞めますなんて選択肢は僕には無い。どこまで行けるか分からないが、とにかく世界の最高点目指し、突き進んで行こうと思う。
これら新調アイウェア。合計金額は10万円越えだ〜。
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歯とか髪とか
代務の先生が来てくれているお陰で、深夜に呼ばれる事無く今日も朝まで眠れた。この土日のラッセル修行による筋肉痛も無い訳ではないが、気持ち良いくらいで大丈夫だ。
今日の外来では、救急診察と分娩が重なり、更にやや難しい患者さんも多かった。一時ドタバタはしたが、午後に手術の無い珍しい月曜日で、空いた時間にはさくっと歯医者さんにも行き、歯ブラシチェックなど受けてきた。
さて僕は来月から3ヶ月間以上日本を離れる。海外で虫歯治療を受けるのは嫌だし、高所で歯が痛くなるというのは良くある話だ。僕は普段からやや歯周病気味なので、海外遠征前のデンタルチェックは欠かせない。
そこで金曜夜の業務終了後、大急ぎで近所の歯科に受診した。そしたら早速あちこちの歯と歯肉の不具合を指摘されてしまう。
ここは海外遠征中に歯が痛くならない様に、しっかりと治療をお願いした。その分通院にかける手間も時間も必要となるが、これは仕方が無いだろう。
更にこの土曜日には、猿ヶ山スキーから帰ってから、各種段取りを済ませ、更にその後に子供スキーのワックスがけをし、次男と床屋にも行った。全く忙しいお父さんだ。
サッカーをやっている次男は、床屋で短いスポーツ刈りにしてもらう。
僕も忙しくてこれから先しばらく床屋に行けないかもしれない。そう思うと、僕も一緒にスポーツ刈りにしてもらう事とする。
ただあまり短くすると地肌が透けて見えそう?なので、「長めのスポーツ刈りね」とお願いした。次男には、ちょっと中途半端でずるいぞという顔をされたりする。
というわけで、今日の僕は短髪で、前歯を治したすっきり顔?となった。ついでに眼鏡を外してコンタクトレンズにしたら、次男三男と似たような子供?顔立ちだ。
看護師さんらからは「若返ったね」と言われたが、家族からは「白髪が増えて年寄りに見える」とも言われる。
まあどう言われ様とも、僕には気にする余裕は無い。それよりも床屋と歯医者に行ったくらいで、そんな風に多くの人たちから反応してもらえるとは有難い事だ。
今度の海外遠征で何がどう変わるかは分からないが、少なくとも僕の顔には様々な変化が現れているのかもしれない。
これは猿ヶ山での僕のセルフ撮影写真の顔。だからどうと言う訳ではありません。この後で床屋に行きました

大滝山では頭すっきり(懲りないおじさんからの写真拝借すみません)
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五箇山の山スキーは手強いぞ
パウダースキーシーズンの真っ盛りの週末。この土日は飛騨トンネルが開通して近くなった五箇山周辺で山スキーを楽しむ事とした。
チョモランマ遠征直前の冬シーズン、本来なら少しでも標高の高い山に向かうべきなのかもしれないが、やはりこの時期ならではの近場藪山系山スキーで確実なパウダーゲットも捨て難い。
特に五箇山周辺は過去にあまり僕が出没した地域ではなく、個人的にも興味があった。
というわけで昨日土曜日は単独で猿ヶ山、今日は強い味方の☆さん、操先生と共に大滝山を目指す。
共に標高は1500mにも満たない低山?だが、スタート地点からの標高差は1000mを軽く越える。
平湯当たりの軽い雪とは異なり、潜って重たい湿り気のある雪のラッセルで、両方の山共に大いに苦戦した。単独で向かった猿ヶ山は頂上に遥か届かず、標高1200m地点で引き返す。
今日は3人のラッセルパワーで無事に大滝山頂上を猪谷集落から往復したが、「地図で思ったよりも手応え十分」とあの強力☆さんも感想を述べていた。
過去の登山記録を見ると案外あっさり登っている気もするが、とんでもなくて五箇山の1500mの山を往復するのは、乗鞍岳周辺の3000m近い山を往復するにも匹敵するパワーが必要だと思った。
標高は低くても、十分なトレーニングでき、パウダースキーもそれなりにゲットでき、僕としては大満足の嬉しい週末となった。
17日は猿ヶ山でパウダーゲット。だが単独のパワー不足で頂上には届かず

今日は3人で大滝山を往復できた
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人事が全てですから
昨日は午後にやや気を使う手術があったが、幸か不幸か大手術とはならなかった。お陰で仕事自体は比較的早く終わる。夜からは各種人事関係の準備業務も出来た。
やや気がかりな分娩が深夜まで一つ残ったが、夜中からは三寺祭り見学を兼ねで仕事に来てくれた有難い代務の先生が高山にみえる。
何度か術後管理に関する問い合わせ電話は病棟から来たが、とにかくは夜中に起こされる事は無く幸せに眠る事が出来た。
さて僕のチョモランマ遠征期間における久美愛産婦人科維持のため、各種人事準備が今大詰めを迎えている。
久美愛病院産婦人科は飛騨地域周産期医療を崩壊させないための重要な砦だ。久美愛産婦人科を守る事はすなわち地域の周産期医療を守る事と同じと言って過言ではない。従って本来ならもっと早くから人事関係の事は煮詰まってくれてれば良かったとは思う。
しかしただでさえ産婦人科人事は、砂漠のようにカラカラに乾き切った世界だ。僕の海外ヒマラヤ遠征は、絞りきったカラカラ雑巾の中から最後の一滴の雫を搾り出す行為とも言える。ギリギリまで人事では苦労する事は最初から見えていたし、また予想していた事でもある。
さて僕は人事にも運や流れがあるという事を知っている。
たまたま周囲人材に恵まれているか否かで、その人の運命は大きく変わってしまうものだ。僕は今、天の時、地の利、人の和の流れの中で、周囲人材に非常に恵まれた状態にある。
こういう時はきっと上手く行くと信じて、前進あるのみだ。
今回の海外遠征登山で、僕はチョモランマとエルブルースとカルステンピラミッドで公募型登山に参加する予定にしている。更にその他にヒマラヤのメラピークと言う山で個人手配のヒマラヤ登山も予定した。全て基本は個人単位の登山で、他にどんな隊員が来るのか僕は全く知らない。
それでも僕は一人で山に行くのとは、やはり全く異なると思う。
僕が山に行っている間、それこそ何十人と言う方々が、僕の培ってきた仕事を継続維持するために働いてくれている。しかも山の中でも僕は、多くの人と出会い、また関わりあうだろう。
そういう中で大きなプラスエネルギーが産まれてくれるだろうか。この結果は神のみぞ知る世界の事でもあるのだが、考えるだけで今からドキドキする思いだ。 |
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ガンの手術は何歳まで
今日も朝から外来と貯まった業務に追われる一日を過ごした。午後にはやや大きな手術が組まれていてやや緊張する。とはいえ何とか必要にしてかつ十分と思われる業務を、少しでも早くこなす事で、何とか様々な時間を作るしかない。
さて聞いた話では日本の65歳以上の人口比率は世界で一番高いらしい。人類歴史上にかって無かったような超高齢化社会に今日本はなっているようだ。
これはそれだけお年寄りに優しい社会という事で、世界に誇らしいことなのかもしれない。
とはいえこのまま子供が増えないと、これから先ますます社会に活気が無くなり、若年世代の負担はどんどん高くなる一方だと考えてほぼ間違いないだろう
残念ながら高齢者は子供と異なり、将来社会に労働力を還元する見込みはほとんど無い。つまり高齢者に優しくすればするほど、社会に重く負担がのしかかるという事実は歪め様もないのだ。
さてさて産婦人科と言うのはこの強烈な現実を目の当たりにする、最前線の現場の一つと言える。特に僕は高齢者の膣脱やガン手術をしながら、新しい世代のための帝王切開とか不妊治療とか各種産科業務にも携わっている。
僕のもつ時間は有限だ。どういう業務に自分の時間と手間を割くべきか、良く考えなければいけない。高齢者の膣脱を直したり、超高齢者のガン手術のために、何人もの分娩が危険にさらされる事になる事態は、避けるべきなのかもしれないのだ。
しかし僕もいずれ年を取る。生きていれば自分も高齢者になったり、運良く長生きすれば超高齢者の仲間入りする事もあるだろう。そう考えると、高齢者の治療を切り捨てる事も忍びなかったりする。
今日も超高齢者の手術をしその術後経過に気を使いながら、同時にやや要注意の分娩も診ている。
まるで現代社会の構造の縮図の様な業務だなあと思いつつ、昔見た楢山節考の映画を少し思い出したりしている。 |
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さくっと隙を見て
正月明けの猛烈な忙しさはとりあえず一段落したようだ。上手く行けば、仕事を比較的楽に設定してある水曜日の午後くらい、何とか少しの空いた時間ができるかもしれない。
というわけで今日は無理やり仕事を午前中に詰め込む事で、午後に時間を作りだした。病院の分娩お留守番は強い味方の開業医先生にお願いする。
春の海外遠征に向けて準備期間はもう残り少ない。僕には銀行等々の準備関係で、どうしても平日昼の時間帯に名古屋に行きたい思惑があったのだ。 ところがその時間が中々作れない。昨年度の暮れ辺りから何とか画策して、今日になってやっとその時間が出来た訳だ。
大急ぎで朝早くから各種業務を片付けて、僅かな時間に急患さん診察もこなし、昼から車に乗り高速で名古屋を目指す。
高速道路が高山まで延びたお陰で、昼からでも名古屋往復できるようになったのは、僕にとってとっても有難い事だ。
何とか銀行の開いている時間にも間に合わせる事が出来、短い時間に旅行代理店や山道具店も訪問できた。
帰りの高速運転は雪のためやや緊張したが、病院は落ち着いていて、名古屋で最低限のやれる事はやれたので満足だ。おそらく後は1ヶ月先の遠征出発当日まで、僕に平日に空いた時間はもう出来ないだろう。
後はインターネット等々を駆使して、全ての事が上手く進むよう、出発当日まで祈るような毎日を過ごすしかないに違いない。 |
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雪が降っても
昨夜は夜中に起こされる事は無く、きちんと朝まで眠れた。医局会に間に合わせるためちょっとだけ早くに出勤する。通勤途中の気温計は氷点下5度と出ていた。昨夜はそれなりにまとまった雪が降ったらしい。一晩で外はすっかり雪景色だ。
これで高山も何時もの冬らしくなってきた。寒いのは嬉しく無いし、雪またじ業務は大変な訳だが、やはり高山の冬はこうでなくっちゃいけないと思う。
今日はまとまった雪だから、多少の受診抑制がかからないかと少し期待して仕事を始めた。ところが3連休明けの外来が混まない訳は無い。たとえ外がどんなに寒くても、今日も熱くて長い外来が僕の産婦人科では続いた。
ここのところ僕は春の不在期間中に少しでも代務医の負担を減らす様、いろいろと工夫して患者対応に当たっている。しかしそれでもある程度の患者さんは僕の不在期間でもそれなりの診察対応が必要だ。その辺上手く経過してくれるよう、祈る気分すらする。
先ほど病棟回診も終わったが、幸い正月明けの猛烈な忙しさの中で診察手術した患者さん方の経過は順調だった。まだ次々と難題は山積しているが、大きな山を越えた様な気がして、少しホッとした。
後1ヶ月後に、僕は10数年ぶりに日本を出て、人生を賭けた冒険に旅たつ。普段の仕事があまりに忙しいので、十分な準備が出来ない事はもう目に見えている。
せめて雪降る道路を、できるだけ薄着で通勤し、病院内でも薄着を励行する事で、山に行くトレーニングに少しでもなれば良いと思っているが、それはエベレスト登山にはあまりに甘い考えではあるだろう。 |
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子供も負けてお父さんも負けましたか・・
今日は3連休の最終日。名古屋からの代務の先生も午後には帰ってしまう。天気は冬型で山の悪天は目に見えているが、春の遠征に備えて少しでも運動はしておきたい。
というわけで今日は、五箇山の猿ヶ山という標高1450m程の山で午前中限定?山スキーを楽しむ事とした。
ところが山はそれほど甘くは無かった。底なしラッセルにはまる。スタートが遅かった事もあり昼前に標高1050mであえなく撤退を決める。上部は吹雪だが天気はやや回復傾向ではあった。
ギリギリまで頑張ればもっと頂上まで近づけただろうが、そうなると代務の先生が帰ってしまう。要は僕の体力スピード不足と、遅いスタートがいけなかったのだ。
昨日は子供がサッカーで負けて、今日は僕が山で負けた。こういうのは情けないと心底思うが、如何せん実力不足はどうにもならない。
さて何かに呼ばれたか?、さくっとパウダー滑降すると、今日は珍しく温泉にも寄らず高速で真っ直ぐ帰宅した。
午後3時ごろ高校サッカー決勝を気にしつつ家で風呂に入っていると、案の定分娩室から緊急呼び出し電話が入ってくる。胎児心拍が下がるから吸引をかけてくれという出動要請電話だ。もちろん風呂はそこそこに分娩室にスクランブル出動し対応した。
結果的に今日は無理して山頂を目指さないで良かった。もし僕の帰宅が遅れていたらこれは胎児仮死となっていたかもしれない。山から途中で引き返して正解だったのだ。
山で負けても、サッカーで負けても、大事な人生で失敗しなければ、捲土重来を来たせる事もある。そんな少し負け惜しみっぽい事を日記に書きながら、今日遅く結果惨敗で静岡からバスで帰ってくる三男にどう話しかけようかと何となく考えていたりする。
黒点で引き返した。赤点線が予定コース

吹雪とラッセルに負けたとは書きたくは無い
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結果はドベです
この3連休は、富士山の裾野静岡市で、新春静岡ジュニア選抜U-11サッカー大会という全国規模の5年生以下少年サッカー大会が開かれていた。東京ヴェルディや横浜マリノスといったJ-リーグのユースチームを始め、横浜や静岡の選抜トレセンチーム、更には遠く韓国からのチームも招待されている。
全国から選りすぐられた少年サッカーエリートが集まる大会と言っても過言で無いだろう。もちろん将来プロサッカー選手になる少年もこの中から出てくるに違いない。
今回そういう上級レベルの大会に、昨年、一昨年と2年連続でで岐阜県代表となった少年サッカーチームである高山FCが初めて招待されたと言う。
組み合わせよく勝ち抜けば、高山の田舎チーム??でも、韓国のチームと戦ったり、Jリーグのユースチームと戦う可能性もあるらしい。これは保護者の端くれとして、できるだけ観戦し、少しでもお手伝いをしなければいかんだろう。
というわけで金曜の仕事終了後、何はさておき深夜から、三男の戦いの応援ツアーに家族で出発する事とした。
さてその内容はというと、初戦で当たった優勝候補の横浜トレセンに6−0で負け、それからはリズムを崩したのか、引き分け一回のみで負けが続く。結果は参加24チームの中でドベという惨敗であった。何時もながら?ほのかな期待が裏切られた感じで、やはり少々落胆する。
もちろん悔しくもあるが、多くのサッカーチームが必死でしのぎを削る少年サッカー界で、子供達を短期間に強くし、結果を出すというのは、世間の想像より遥かに難しい事だ。
先輩達の成果のお陰でここまで来れただけでも、子供達には幸せな事かもしれない。
僕は都合で観戦できなかったが、今日はフレンドリーマッチで、高山FCはグランパスジュニアと戦ったと言う。結果は7−0でこれまた惨敗だったらしいが、グランパスと戦ったと言うだけでもきっと子供達には良い思い出だろう。
とはいえこの高山FCは半年後には消えて無くなるかもという噂もある。もちろん今回は戦う相手のレベルが高かったのだろう。
しかしこのまま先も負け続け、グランパスと戦った事があるというのが、高山FC2009の唯一の素敵な思い出なんて事にはならないで欲しいと、どうしても子供に期待して思ってしまうお父さんなのでした。
子供達は何時でも一生懸命に戦ってました

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ストレス減らせと言われても
昨日の勝負誘発の方は案の上夜遅くに進行停止となった。まだ児頭は高くややクリチカルな状況であったが、ここは今更夜間の緊急帝王切開なんて何とか避けたい。
ここは勝負一発吸引をかけて無理やり経膣分娩とする。会陰裂傷もシビアなものであったが何とかきちんと対応した。
帰宅は疲れきった状態で、夜遅くとなる。ここは早く寝て疲れを少しでも取りたい。
しかし人生は厳しい。何とその後深夜に2件の分娩があり、更に追加の深夜出動を要した。もちろん睡眠時間は大いに削られる。
短い時間に深く眠るため、眠りには睡眠薬を使用したが、それでも光刺激と緊張が持続して眠りは今ひとつ浅かった。
今日は午後からややタフな手術が3件組まれている。眠りが浅くなった理由の一つには今日の手術に対する緊張感もあった。
というわけで今日は朝から寝不足外来、寝不足手術となった。頭痛、不整脈?及び睡魔と戦いながら延々と仕事を続ける。
今日最後3件目の手術はとある理由で殊の外タフだった。やや朦朧としてきた頭で必死に執刀する。
名古屋からの代務先生にも助けていただき、何とか手術は概ね最後まで成し遂げれたが、最後はやや逃げに入る部分もあった。しかしこれは仕方が無いだろう。寝不足頭で無理に奥まで手を出して、取り返し付かない事になったら大変だ。
先ほどやっと回診を終え、仕事が一段落したが、今日も辛くて長い一日だった。
なんでこんなに大変なのかと思うと、涙とも怒りとも言えるものがこみ上げてくる。
ここは患者さんの為と思い、自分で耐え忍ぶしかないのだろうか。僕は誰からももっと仕事せよなんて言われた事は無い。ただ患者さんが、何とかしてくれと僕のところに来る。ただそれだけの事なのだから。
来月からの遠征に備え、仕事のストレスを少しでも減らしておい方が良いと有難いアドバイスしてくれた方は、僕の周囲に何人かいた。
しかしこんな状況で働いていて、どうすればストレスを減らせるのだろう? 僕は自分にも山にも仕事にも負けるつもりはない。どうしたら良いのか、誰か教えて欲しいと思う。 |
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僕に仕事を持ってこないで
案の定正月明けから、仕事依頼に追われ続けている。
何とか手術して欲しいと言う駆け込み?形の患者さんも多いし、あちこちからの診察依頼も引っ切り無しだ。
僕は何時でも忙しい。それなりに受診の敷居を高くしておかないと、何時まで経ったも僕の仕事は終わらない。そうなると肝心?の遠征準備が何時まで経っても進まないとなる。
準備不良で遠征に行くと、色々な理由で遠征が失敗する可能性も高くなる。
そうなると何のために、これだけ周囲に迷惑をかけて海外遠征に行くのか分からなくなる。最初から失敗するのが目に見ている遠征に行くほど、僕も暇人じゃない。
また留守中の準備不良のまま僕が病院からいなくなると、留守を預かる代務の先生や助産師さん、また病院経営の方も困るだろう。そして何より最も困るのは残された患者さん方だ。
僕がいない間でも、スムーズに飛騨の周産期医療が回って行く態勢を作らないといけない。しかしその準備時間が今をしのぐためにどんどん無くなって行く感じだ。
つまり何が言いたいかと言うと、僕の留守中に備えるため、今の僕にはできるだけ仕事を持ってこないでと、ここに書いておきたいのだ(これって我侭ですかねえ・・)。
さてさて今日は朝から、緊急手術を睨んだ勝負誘発の方が入っていた。常に分娩室を気にしながらの一日となる。外来をとにかく早くこなして、その後の空いた僅かな時間に各種準備に励む。
別の分娩もあり、救急の方もいる。入院患者さんは要注意の方ばかりで頭が痛い。後僕が日本を発つまであと5週間しかない。そして5ヵ月後には今回の大遠征?の全ては決している。
焦りばか募るが、これも元から言えば身から出た錆なのだ。完璧主義者では絶対に出来ないことばかりで、運が必要な事も多い。とにかくここは何とか上手く凌ぐしか他に手は無いのだろう。 |
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仕事のレベルは色々あるけど
今朝は救急外来からのやや切迫した雰囲気の電話で始まった。聞いたら血圧70で、顔面蒼白の方が診察室で倒れているらしい。これはスクランブル発進が必要だ。妊娠反応の指示を出して、大急ぎで髭だけそり髪ボサボサのまま車で出動する。寒い朝で路上は氷点下5度だ。
外来でダグラスを刺し腹腔内出血を確認、同時に妊娠反応陽性が確認できたので、そのまま手術室に直行した。典型的な子宮外妊娠破裂のパターンだ。全麻下緊急開腹すると腹腔内は血の海であった(詳細な説明は全部省略します)。
この辺は慣れているので、素早く止血し手術は無事こなす。命を救い輸血も避けれそうだからまあ良いだろう。
しかしその陰で、約30人のドック患者さんの診察ができなくなった。
そのほとんどは納得できる説明も無いまま(多分)、診察無しで帰宅していただく。こういう事は仕方が無いとしか言いようがない。もともと産科医が一人しかいない病院で、分娩からガン治療、救急まで行い、その上検診業務まで引き受けている方が異常なのだ。
手術終了後は、今度は年明けの山ほど積もったペーパーワークが待っていた。あまりに汚い字で読めない書類も多いだろうが、そんな事は気にしない。
午後からは集団検診があり、次いでなんともう一つ別の子宮外妊娠手術が入ってきた。今日は外妊デーだった様だ。一日の内に子宮外妊娠の緊急手術を2件行った事は、僕の記憶には無い。
その後は更に流産等々の処置が幾つも待っていた。
猛烈に忙しい時間がひたすらに流れるが、目の前にある苦しんでいる人を助けるしか、僕には他に方は無いだろう。
それにしても勤務医の仕事には、色々なレベルのものがあると思う。命を救う業務もあれば、生命保険の書類を書く業務もある。何とかねじ込んだ手術をこなしながら、入院患者さんのサマリーをPCに打ち込んだり、更には自分の時間外勤務の紙を書いていたりする。その上僕には春のエベレスト登山の準備と言う特別なものまである。登山準備とはいえそのほとんどは人事にまつわる各種連絡業務だ。
これらの業務は全て避けては通れない事は良く分かっている。それにしても一日でこれだけ色々な事をやる人は珍しいだろう。
アメリカのヒットテレビドラマに24Hと言う、アクションリアルタイムドラマがあるらしいが、僕の24Hもかなり面白いぞと此処に書いておこうと思う。 |
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僕がいない間に
正月休み明けから予想通り猛烈に忙しい時間が続いている。外来待合室は何時見ても満員御礼状態で、机の上に並べられたカルテや診察券の束は何時まで経っても減らない。患者さんの診察券の束ででトランプ出来るよと思いながら、ひたすら我慢の診療を昨日から続けた。
その間には、手術もあれば、分娩、各種処置も入る。
とにかく短い時間にたくさんの人数をこなす必要があるので、一人一人の訴えを聞く時間はほとんど無い。もちろん世間話なんて一切無い。肩や背中や尻の痛みが出てこないよう姿勢には気をつけ、年末の立山の大ラッセル大会を思い出しながら何度も何度も椅子と内診台の前の往復を続けた。
さて、分娩台帳を見たらこの年末年始の正月休み中に病院では8件の分娩があったらしい。8連休の最中に8件の分娩だから、だいたい僕の病院では標準的なところだ。
中には大変なお産もあったようだが、皆無事に済んでいてホッとする。代務の先生にはお世話になりました。大変に感謝しております。
この正月休み期間中、僕はあえて病棟にはほとんど顔を出さない様にした。これはこの正月休みは、今春の僕の不在期間中のシュミレーションと言う意味があったからだ。
8連休は助産師さんと代務の先生で無事クリアできた訳だから、何とかこの春の3ヶ月間の僕の休暇期間中も何とか僕以外のスタッフでクリアしていただきたいと思う。
さてさてとはいえ病院休業期間中の8日間と、普段の平日も含む3ヶ月間の代務は、その重みが全く異なる事は当然だ。
連休中は外来診察は救急以外無くなる訳だが、普段の平日には外来診療が加わる。更にガン患者さんの治療も大変な事だ。
僕は今これらの事を、僕の不在期間中どうクリアするか毎日頭を散々痛めている。不在期間中の分娩制限準備はもう半年以上前から始めているのだが、今回の場合それだけの準備では足りないのだ。
僕はもう今やる事だらけだ。焦りもある。患者さんの事も全てなるように任せ、プッツンしてしまいたいと思う事もある。
しかしここでプッツンしてはエベレストの頂上はきっと門戸を開かないに違いない。何となくそんな気がして、とにかくやれるだけの準備段取りはしておこうと心に決めている。 |
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