米国の金融危機に端を発する世界不況が深刻な広がりを見せる中で、その立て直しにおける「原点回帰」の重要さを多くの人が感じ始めている。国際金融への規制の欠如や倫理観の低下に対する反省もあってだが、大切なのは「本来はどうあるはずだったか」を問い続けることだろう。
企業の経営は利益をあげて株主に奉仕するのが本質とされてきたが、経営の基本は顧客への奉仕であり、その目的に向かう社員の努力や協力の方がよほど本質に近い。利益は結果であり、会社への出資も、その結果にあずかることが不確実であることを前提に、資金を提供する仕組みだったのではないか。しかし、いつしか利益の方が目的となり、リスクを覚悟しても社会的に意味のある事業に参画し、結果として利益が出れば分配を得るという「投資」の喜びが、今では単なる「利殖」になっている。
会社に対する評価も結果主義で、経営者の志や会社の風土など、目には見えないが大切な要素は捨象されている。また市場においても短期の業績評価に比重が移り、その結果として経営者も、長期的に見て必要な投資や人の育み、研究開発への資源配分よりは、目先の業績を考える選択になりやすい。
その結果は企業の本来のあり方からずれ、体質も劣化することになる。それが極端に表れたのが米国の金融業界であるとすれば、原点回帰の焦点も自ら明らかだろう。日本の企業業績の当面の低下は厳しいものだが、そこに幻惑されると、日本企業が持つ強みや、今後果たし得る大切な役割も見えなくなる。その意味でも経営者や働き手の「質」の評価をもっと重視することでその歪(ひず)みを直す努力は必須だと思われる。(瞬)