分からないことだらけが実態
人間の脳の生理的な活性を測定して画像化する脳機能イメージング法の発達で、脳の各部位の機能解明につながるデータは増えた。だが、今も脳の実験の多くはネズミで行われている。人間の脳とは構造が大きく違うネズミでの実験結果を、そのまま人間にも当てはめるのは危険だ。また脳科学の分野も細分化が進んでおり、各部位の専門家はいても、脳の全体像を語れる者はいない。脳の研究は急速に進んでいるが、脳はまだまだ分からないことだらけというのが実際のところだ。
脳力アップをうたう本に書かれていることを実践したり、商品を使ったりすることが脳に害を与えるわけではない。だが、上に挙げた神話を、さも実証された事実のように紹介する本や商品は少なくとも「誠実」とは言い難く、忙しいビジネスパーソンが本気で取り組む対象ではないだろう。
哲学者、教育者という立場から、脳ブームに警鐘を鳴らすのは立教大学の河野哲也教授だ。河野教授はあるビジネス系セミナーの団体から「名前を使わせてほしい」という依頼を受けたことがあるという。自分たちの権威づけのために大学教授のお墨付きを得ようとするセミナー団体は珍しくない。脳ブームの行き過ぎに警鐘を鳴らす学者に広告塔の役割を依頼するずさんさは笑うに笑えない。
河野教授は「現在の脳ブームに骨相学ブームと同じにおいを感じる」と言う。
骨相学は、脳の活動量の違いが頭蓋骨の形状や大きさに表れるとし、19世紀に大流行した。例えば、前頭葉が活発に働いている人は、その部分がよく発達しており、額も広くなっているといった類の主張だ。骨相学は脳の機能を調べることから始まり、天才の作り方や犯罪対策、教育分野に援用されるようになった。そして頭蓋骨から犯罪に走る可能性がある者を判別できるといった議論へ暴走した。
脳ブームの中で根拠に乏しい神経神話が流布し、人々がそれに熱中する姿。そして、“脳科学者”が教育から政治、経済などの専門外の領域で自説を展開する風潮は確かにキナ臭さを感じさせる。
大切なのは、安易な脳力アップに飛びつくのではなく、きちんとした脳科学のリテラシーを身につけることだ。
小泉英明 氏
Hideaki Koizumi
日立製作所フェロー(理学博士)
1946年生まれ。71年日立製作所入社。光トポグラフィーによる脳活動計測の実用化成功。東大先端科学技術研究センター客員教授。
河野哲也 氏
Tetsuya Kono
立教大学文学部教育学科教授
1963年生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専攻は哲学・論理学。著書に『暴走する脳科学』(光文社新書)など。
「良い勉強法 危ない勉強法」
日経ビジネスアソシエ2月17日号
この記事は、2月3日に発売した日経ビジネスアソシエ2月17日号の特集「良い勉強法 危ない勉強法」の内容を一部抜粋して再構成しました。2月17日号の特集をぜひ合わせてお読みください。