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2009-02-04 キチガイ力

キチガイ力

「危険人物の田母神です」 こう彼は言い放って、彼は出版権を手に入れたのである。

Amazon.co.jp: 自らの身は顧みず 田母神 俊雄 (著)


田母神右翼サイドからもその問題になった論文の「我田引水性」、すなわち

「真相を探るうちに”真実”に至ったのではなく、予め『大日本帝国日』を

どうアイデンティファイしたいか着地点が決まってる、洗脳的な文体」だとして

ネトウヨの中でも割かしナイーブな連中には批判されたわけである。


が、そんな頭脳から出版物が出た世に、という「結果」が生成したわけである。

これはどういうことか一考に値するとは思わないだろうか、諸君?


要するに、キチガイ力です。キチガイというものは、浅薄な世間常識的には

何か「白いシーツが見えて消毒液の匂いがするイメージ」とか

もっと直截的には「劣等」という表象がもたれている。しかし歴史的にみると、

ア○ラムだとかイ○スだとか○○ハンマドといった「率いた」連中は、

キチガイであるという診断を下す歴史好きな医者は多い。


そしてもっと学問的に、すなわち進化医学的にみると、ある種のキチガイとは

サイズの大きくなりすぎた集団(それは飢餓や食料などの争奪戦を招く)を

率い分割し、遠くに持って行く、という「指導者」の機能を有していたという

説がある。もっと憶断を恐れない医学者などは(+1)、キチガイこそが

人類であると、つまりジュースに水を入れて薄めたものがいわゆる「正常」

といわれている人類であって、人類みなキチガイであり、キチガイ遺伝子

持たない生物をサルというのである、と主張している。


この「想像力」、限局すればある事象とある事象を強く体系的に結び付ける

「連想力」が、キチガイの本懐なのであるが、人類はみなキチガイ性をもっているが

故に、サルと違って「ストーリー」を楽しむのだろう。


ですから、田母神氏のように「整然とシロとクロが分かれ、僕らはまっ白な側に居る」

というストーリーを作れる人物は、世論を二分する、少なくともある熱狂的なファンを

獲得し、本を出版できる程度の経済付加価値生成圧と動員力をもつのである。

ここから現行左翼や「まともな学者」の「失敗の本質」も見えてくる。


「まともな学者」は、「語りえぬことは語らない」という断片的で体系性がない主張ゆえ、

あるいは大澤真幸のごとき「概念操作」に、社会で起こる事件や戦争のもつ「人間臭さ」

のすべてを還元=脱臭してしまう。

これらの学者は、記憶心理学の分類に基づけば、無味乾燥な「意味記憶(=意味知識)」しか

生成できない。魅力的なストーリー(=妄想)が作れないのである。


かつては「マスメディア」が「どのキチガイを大衆豚に見せてやるかな。

勿論我々の都合のよいキチガイをだが」というスタンスで”選別”を行っていた。

しかしネットの出現によりそれは崩れた。キチガイは並列かつ瞬間移動的な情報伝達により、

かなりの数の大衆に認知される。経済的価値がすぐ生まれるのである。


Web2.0のこの時代、キチガイ力を持つ者は、金と地位を手に入れる。

但し、己の行いから反作用として生じる「責任」にその身を砕かれないほど、

自我がほど良く崩壊していることが必要だが。


  1. 1:David Horrobin 英国分裂病協会医療顧問