・そうだそういえば、と思ったことがあります。
ぼくが広告の仕事をさかんにしている時代に、
広告のことを「いい広告か、よくない広告か」とか、
「この広告の効果はあるのか」だとか、
「もうちょっとこうすればいいのに」とか、
評論を含めて広告を語る人が多くなっていました。
その当時は、あんまり気にしてなかったのですが、
いまにして思えば、それ、ヘンでしたよね。
同人雑誌の合評会じゃないんだからね。
で、いまはですね、「笑い」について、
そういう現象が起きているように思います。
笑わせる職業の人が、笑わせようとしたら、
そこで笑ったり笑わなかったりするのではなくて、
「その笑いは、どういいか」とか、
「どのへんに改良の余地があるか」とか、
「他の芸人にくらべて、どこがすぐれているか」とか、
批評を考えちゃってる人が多くなってる気がします。
お笑い学校の同期生が、
居酒屋に集まってるわけじゃないのに、
そういう会話になっちゃう素人って、不思議です。
「送り手」と「受け手」のある
いろんなジャンルにおいて、
ただの「受け手」って、いなくなってるんじゃないか?
観客席の人たちが、いつのまにか楽屋に入りこんでて、
ダメ出しをしているような感じなのかなぁ。
レストランなんかでも、
「この店、ターゲットがしぼりきれてないよね。
客単価5000円っていうと、このへんのOLは来ないよ」
なんてね、客席で話していたりする人がいるもんなぁ。
どんどん分析的になって、受け止めるというよりは
「評価する」「批評する」という姿勢になっているのは、
つまり、「お客のいない劇場」がいまの社会なのかねー?
「一億二千万、総コンサル」の時代かよ。
‥‥って、こんなこと書いてるじぶんがいて、
それを読んでるあなたがいて、ってのもヘンなもんだよ。
どうも、まだ風邪だとか流行ってる感じがありますね。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
ぼくが広告の仕事をさかんにしている時代に、
広告のことを「いい広告か、よくない広告か」とか、
「この広告の効果はあるのか」だとか、
「もうちょっとこうすればいいのに」とか、
評論を含めて広告を語る人が多くなっていました。
その当時は、あんまり気にしてなかったのですが、
いまにして思えば、それ、ヘンでしたよね。
同人雑誌の合評会じゃないんだからね。
で、いまはですね、「笑い」について、
そういう現象が起きているように思います。
笑わせる職業の人が、笑わせようとしたら、
そこで笑ったり笑わなかったりするのではなくて、
「その笑いは、どういいか」とか、
「どのへんに改良の余地があるか」とか、
「他の芸人にくらべて、どこがすぐれているか」とか、
批評を考えちゃってる人が多くなってる気がします。
お笑い学校の同期生が、
居酒屋に集まってるわけじゃないのに、
そういう会話になっちゃう素人って、不思議です。
「送り手」と「受け手」のある
いろんなジャンルにおいて、
ただの「受け手」って、いなくなってるんじゃないか?
観客席の人たちが、いつのまにか楽屋に入りこんでて、
ダメ出しをしているような感じなのかなぁ。
レストランなんかでも、
「この店、ターゲットがしぼりきれてないよね。
客単価5000円っていうと、このへんのOLは来ないよ」
なんてね、客席で話していたりする人がいるもんなぁ。
どんどん分析的になって、受け止めるというよりは
「評価する」「批評する」という姿勢になっているのは、
つまり、「お客のいない劇場」がいまの社会なのかねー?
「一億二千万、総コンサル」の時代かよ。
‥‥って、こんなこと書いてるじぶんがいて、
それを読んでるあなたがいて、ってのもヘンなもんだよ。
どうも、まだ風邪だとか流行ってる感じがありますね。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。