妄想近未来がんセンター(前編)
単なる妄想です。細かいことは気にしないでください。
「お待たせしました。外科の霧田刈です。お名前はえーと,『うおむれ』とお読みすればいいですか?」
「ええ」
「では魚群さん,お話を伺う前に一言申し上げておくことがあります。この部屋の様子はこの天井のカメラとあそこの隅のカメラ,2台の防犯カメラで録画されています。ご了承いただけるでしょうか?」
「室内に防犯カメラ?」
「ええ,近頃医者や看護師に暴力をふるう患者さんがたまにいまして」
「やれやれ,さんざん待たされたあげく犯罪者扱いですか? ついでに待合室の様子も録画したらどうです? そうすれば患者がどれだけ待たされているかがわかるでしょう」
「すみません。外来の待ち時間が長いことは承知しています。申し訳ありません。今日はこの病院に朝早くから来られました?」
「10時頃」
「今が15時50分ですので,待ち時間は約6時間ってところですね。10時の来院ならまだマシなほうです」
「予約してきたはずなのに」
「申し訳ありません。初診は日にちの予約だけで,時間までは指定できないんです。紹介状があるとはいえ,初診ではどうしても待ち時間が長くなります。同じような初診患者さんが他にも大勢来られますので。ところですみません,本人確認がまだでした。あのカメラを見ながらフルネームを言ってもらえますか?」
「う・お・む・れ・の・ぼ・る」
「えーと,今日の日付は2015年○月×日火曜日でよかったですね。魚群登さん?」
「ええ」
「では早速本題に入りましょう。お持ちいただいた紹介状と検査結果を拝見しました。えーと,職業はジャーナリスト…ですね?」
「紹介状には患者の職業まで書いてあるんですか?」
「いえ,書いていません。変わったお名前なので覚えていただけです。何年か前に本を書かれましたよね。えーと,救急搬送の受け入れ問題がテーマで,確か『患者を見殺しにする医師たち』とかいうタイトルの」
「そう,あの本を書いたのは僕です。それがどうかしました? 先生も『医者を非難するくらいなら医者にかかるな』という口ですか?」
「いえ,とんでもない。本も読んだわけではありません。タイトルにインパクトがあったので印象に残っていただけです。ところで今日はお一人ですか?」
「ええ,家内も働いているんで」
「そうですか。では結論から申し上げます。搾潤病院の銭多先生のお見立てどおりだと思います。早期の胃癌です。手術が必要です」
「え? いきなりそんな…。銭多先生からはここで精密検査を受けた方がいいって言われただけなのに」
「胃カメラもCTも搾潤病院でしています。追加の検査も必要ないでしょう。銭多先生は告知されなかったようですが,ここでは例外なく癌を本人に告知することになっています。何より当院の名称は『P県立がんセンター』です。ここを紹介された時点である程度覚悟されたでしょう?」
「そんな,どこも痛くないし自分がまさか癌だなんて。それに必ず告知されるとは知らなかった」
「総合受付の上に電光掲示板があったでしょう? 新幹線のなかでニュースを流しているようなヤツ。あれにいつも流れているんですけどね。『癌の告知をされたくない方は当院を受診しないでください』って」
「電光掲示板は見たけど『誤診はプロ野球選手のエラーと同じ』とか『病気になった時点で半分負け』とかひどいことしか…」
「最近は掲示板に流す情報が多くなってきましたからね。僕はいつも,これらの情報を待合室の液晶モニターにも映し出せと医局会では言ってるんですよ。ほとんど変化のない待ち時間情報だけではせっかくの大画面がもったいないですよね」
「告知のことはもういいです。それより,手術はいつですか?」
「それが,魚群さんもご存じとは思いますが最近の外科医不足は深刻で,手術を必要とする患者さんがどんどん溜まってきています。ですので,順調にいっても8か月ほど待っていただくことになります。あるいはもっと先になるかもしれません」
「そんなに待ってても大丈夫なんですか?」
「大丈夫ではありません。癌が大きくなったり転移しないうちにできるだけ早く手術したほうがいいでしょう。しかし他の患者さんも順番待ちをしています。割り込むことはできません」
「手術までの間はどうするんです? ずっと入院してるんですか?」
「経口投与の抗癌剤がありますので,それを服用して貰います。外来で処方します。入院の必要はありません。というか,化学療法のための入院も数か月先まで予約がいっぱいです」
「その薬を飲めば手術を受けなくて済むのですか?」
「そんなことはありません。その抗癌剤は癌の進行を遅らせるためのものです。癌が小さくなることもたまにはありますが,まったく消えることはありません。手術は必要です」
「その薬が効かなくて,手術までの間に癌が大きくなったりしませんか?」
「もちろんありえます」
「手遅れになることも」
「ええ,あります。正直に言いますと,胃癌は癌のなかでも抗癌剤が効きにくいほうです」
「手術を待っている間に手遅れになったらどうしてくれるんですか? 責任をとってくれるんですか?」
「二人に一人はそういうことを言われるんですよ。で,皆さんにこのようなパンフレットをお渡ししているんです。これの36ページを見てください。ここ,『手術待ちの間に手遅れになる可能性』です。ここに書いてありますように,病院としては責任のとりようがなく…」
「そんな馬鹿な,もっと早くに手術してくれる病院を紹介してもらうわけにはいかないんですか?」
「それもいつも言われるんですがね,私が直接知っている病院はどこも同じようなものです。全国津々浦々の病院を片っ端から当たればもっと早く手術してもらえる病院が見つかる知れませんが,手術が上手かどうかもわからない見ず知らずの病院をこちらで手配することはできません。病院探しはご自身で行ってください。その点に関してもパンフレットに書いてあります。えーと,ここです。51ページ,『当院よりも手術待ちの短い病院を探す際の注意点』。もちろん診療情報の提供はいたします。大丈夫,本日お持ち帰りできます。今日はもう夕方ですので,どこの病院も受付が終了してるので無理ですが,明日から別の病院を受診することも可能です」
「がんセンターが毎日手術していても追いつかないくらい患者が多いのですか?」
「いえ,当院の外科の手術日は月・水・木です」
「なぜ火曜や金曜も手術をしないんです? 土日も含め一年365日,先生らが毎日手術をすれば癌患者の手術待ちはもっと短くなるはずでしょう?」
「仮に私が月曜から金曜まで毎日朝から晩まで手術をするとします。そうなると外来はどうなります? 今日は火曜日。いま私が手術に入っていたら,ここに私はいません。代わりの外科医もいません。あなたはいつこの病院を受診するのですか? 外来だけではありません。胃カメラなどの検査もしますし術後管理,重症管理,インフォームド・コンセント,診断書などの書類作成…。外科医だからといって手術だけしているわけではないんです。それに,土日なんて論外です。月曜日に疲れた状態で執刀したくありません。ミスにつながります。休日は休息します」
「じゃあお聞きしますが,先生の家族や先生自身が癌になっても同じように何か月も手術を待つんですか?」
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