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2007年1月31日 (水)

はやく世に出せたらいいね

デビューまもなく、自分のオリジナルのものが欲しいと思い、エンターテイメントの隙間を探す。まだ手垢がついていない所。

ようやくそれを見つけたのが去年の頭、すぐに制作に入った。

毎日少しずつ進めて、まもなく2回目の春を迎える。

時を同じくして、僕と同じ所に手をつけていた人間に出会う。

作家の下田さんと、オリエンタルラジオの中田。

たまたま気の合った飲み友達がたまたま同じ事をしていた。

正直言ってしまえば、出し抜けると思っていたので悔しさもあった。

ただ、気づかれた悔しさ2割、競争できる嬉しさ8割だ。

面白さは一人じゃわかりにくい、比べる対象があればこそ。

僕は、こういう競争が好きだ。

競争は自分の作品の内容を高めてくれるからだ。

 

2人とも真面目だから、どうせこの文章を見ているのだろうけど・・

世に出す順番はそのうち誰が最初でもいい。

 

ただ、僕のソレは結構面白いよ。

 

2007年1月30日 (火)

昔からスミマセン

収録前、楽屋にチュートリアルの徳井さんが遊びに来た。

徳井さんと言えば、当時「ガブンチョライブ」で共に汗を流した。

この時のメンバーを前にすると、僕はつい気が緩んでしまう。

先輩を捕まえて「僕、OOしたいんっすけど」「今、こんなモノ作ってまして・・」

と一方的に自分の話。

「おお」「なるほど」「すごいなぁ」

メンバーの中で一番年下の勝手な話を、最後まで聞いてくれる。

その優しさに甘えて、僕はついつい話してしまう。

話を聞いてもらい「気持ちがいい」というのと、「褒めて欲しい」という気持ち。

自分が暑苦しいとは承知だが、ブレーキが効かない。

でもソレは皆さんご存知、昔から。今に始まった事じゃない。

先輩、いつも感謝しています。

2007年1月29日 (月)

黒い点 終

玄関を開けると梶原の姿があった。

2ヵ月半前の文化放送の玄関より、少し顔がふっくらしていた。

喋らないと、頬もたるむらしい。

部屋にあがるやいなや・・

 

「すいませんでした」

梶原が土下座。

 

笑った。

 

事前に、笑い飛ばそうと計画していたのもあるが、若干本気で笑ってしまった。

用意していた笑いと、目の前の光景の奇妙さでの笑い、そして

「少しだけホッとした」という笑いもあった。

お互いこの2ヵ月半、どのように過ごしたか話した。

久しぶりに梶原と話した。

なんでもない事も話した。

解散するつもりで来た梶原も、この時間で考えが少し変わったらしい。

「リハビリがてら、とりあえずラジオに出てみるか」という事に。

ラジオはその時、唯一残っていた仕事・・というよりも残してくれた仕事。

(西野公論2006年4月20日の「ほにゃらじお」参照)

マネージャーの鈴木さんも駆けつけ、もう一度キングコングをやり直すことになった。

梶原が部屋に来る前に聴いていた美空ひばりサンのCDが流れっぱなしで、

その時には「愛燦燦」が部屋に流れていた。

「何、ええ雰囲気なっとんねん!」と3人で笑った。

仕事の予定はなかったが、清々しさがあった。

次の日、迷惑をかけた人達に謝りに行く仕事・・今度は僕一人じゃなかった。

 

 

・・あれから、もう4年が経とうとしている。

僕達キングコングがドン底を見た季節。

今となっちゃ笑い話。本当にいい経験だと思う。

梶原と真剣に向き合って話したのは、あれが最後。

お互い充分ドン底まで落ちて、充分話し合った。

「もう言葉もいらない」

そう思っていた矢先・・・

 

昨日、ラジオ終りで

「なぁ、ちょっと・・」と梶原。

いつになく真剣な表情。

あの日の目つきと似ていなくもない。

くしくも場所はあの季節の始まり、文化放送。

もう消えたと思っていた「黒い点」、梶原には残っていたのか?

よけいな事を考えてしまう。

梶原とこの感じで向き合ったのは、あの日以来。

僕に相談するくらいだ、相当悩んでいたのだろう。

そして梶原が話しはじめた。

 

 

「ココのホクロを取ろうと思うんやけど・・・」

 

 

口の上にあるホクロが気になるらしい。

生まれて初めてのプチ整形に戸惑う梶原。

僕は手術をすすめ、そして話がまとまった。

梶原は近々、レーザー手術をします。

 

先程、2人でパンフレットを見ていました。

 

 

2007年1月28日 (日)

黒い点 3

「とりあえず梶原を待とう」

そう思うようになったのは、文化放送の玄関から2ヶ月半も過ぎた頃。

その頃には上達した悪口も影を潜め、何か前向きな事をしようとボイストレーニングの教室に通っていた。喉をよく壊すからだ。

そんな矢先、梶原から一本のメール。

「コンビを残してくれてありがとう。そやけど、やり直す気にはなれんわ」

早朝の文化放送の玄関以来のコンタクト。

あまり前向きな内容ではないが、それでも連絡がとれたという事実。

突然のメールはレーザー銃で打ち抜かれたような衝撃。

「黒い点」を焼ききってはくれぬか、希望を抱く。

僕は「待ってるわ」と、強引な返信。

対して、

「とりあえず謝りに行く」と梶原。

僕の家に梶原が来ることになった。

「どうせ梶原は謝る、ソレをどう受けるか」、僕は考えた。

カッコつけの僕は受け方もカッコつけたかったのだ。

出した答えは「全て笑い飛ばす」、これはカッコイイに違いない。

 

2日後、家のインターホンが鳴った。

 

梶原が来た。

2007年1月27日 (土)

黒い点 2

その頃の僕の仕事と言えば、舞台のお客、営業先のお客に頭を下げに行くこと。

一ヶ月もするとその仕事も無くなり、いよいよやる事が無くなった。

何もやる事がなかった。

家で酒を飲んでTVをつけるとお笑い芸人が出ていたので消した。

そんな日が一ヵ月半くらい続いて梶原の悪口を言うのにも飽きてきた頃、この先の事を考えるようになった。待っていても戻ってくる保障はないし、戻ってきてもまた同じような事をされたら・・・考えるのは、コンビを残していつ戻ってくるかもわからない梶原を待つか、解散を決めてピンとして活動するかの選択。

あれだけ一生懸命やってこの状況。

正直、コンビでやりたいとは思わなくなっていた。

マネージャーの鈴木さんにその事を告げた。

鈴木さんには毎日のように「梶原を待とう」と言われたが、嫌だった。

その頃、人伝いに梶原が入籍して式も挙げたという事を聞かされた。人伝いに。

もう会いたくもなかった。

 

梶原がいなくなってから毎日鈴木さんが会いに来てくれた。

飲みに行ったり、シティーボーイズさんの舞台に連れて行ってくれたり、夜中オールナイトの映画に男二人で「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を観に行った。

ある晩、鈴木さんが酒とツマミとお泊りセットを持って僕の家に来た。

そんな事、鈴木さんと知り合って始めて。

夜中、鈴木さんは酔っ払って「また二人が舞台に立っている姿が観たい」と言ってワンワン泣いていた。僕もつられた。

梶原との間にあった「黒い点」は他の人も飲み込むほど大きくなっていた。

朝まで鈴木さんと何時間も話した。

コンビで活動していれば一人の仕事もできるけど、ピンになるともう二度と、漫才ができない。将来いつか絶対に漫才はしたくなろうと思ったし、やっぱり漫才をする時の相方は梶原しか考えられなかった。

 

ふっきれた。

2007年1月26日 (金)

黒い点 1

「マジっすか?」という大阪の番組のロケ。

朝9時にMBSの玄関集合。

梶原が来なかった。

スタッフさんは最初「寝坊だろう」と話をしていたが、昼になっても連絡がとれず、ロケチームは解散。夕方には舞台も控えていたが、夕方になっても連絡がとれず・・・しだいにただ事ではない雰囲気になっていた。

心あたりがあった。

前日・・東京での文化放送ラジオの生放送が夜中の1時に終り、そこから4時くらいまで大ゲンカをした。

始発で大阪に帰らないといけないので、一度ホテルに荷物を取りに戻る為、タクシーを拾う。

タクシーに乗り込む僕に、乗り込まない梶原。

「俺、歩いて帰るわ」

梶原を見たのはそれが最後。

 

ここ2年くらい、お互いに疲れていた。

デビューしてすぐに漫才の賞をたくさん頂いて、まもなくTVの仕事が入った。2年目には真ん中に立つ番組が何本かあった。

傍から見れば順風満帆。ただ本人達は違った。

舞台もロクに立った事もない人間、そんな人間がいきなりTVで喋れと言われても話の引き出しもなければ、トークをまわすノウハウも知らない。比べられるのは10年以上先輩の芸人、エリートという入りで結果が出せずに終わる。

そんな日が2年くらい続いた。

ネタ合わせ以外で会話する事もなくなり、ただただ疲れていた。

その最悪の状況で、ついに相方の線が切れた。

小さかった「黒い点」は、気づけば取り返しのつかない大きな「黒い点」になっていた。

 

 

次の日、梶原がいわゆる精神病という事がわかった。

一日中、街をフラついていたらしい。

何日か経っても回復のメドがたたないので、会社と話しあって2003年3月10日、キングコングの活動休止を発表した。

心底、梶原に腹が立った。

家にこもっているのならば、引きずり出してドツキまわしてやろうと思った。

コンビのネタは全て僕が書いていた。どんなに忙しい時でも週一本の新ネタと番組で作らないといけない月20本のショートコント、それに加えて2ヶ月に一回の単独ライブ用にネタを6本・・梶原が女といる間や、寝ている間、パチンコに行ってる間に作った。ツラかったけど作らないといけなかった。

それだけに先に梶原の方が「しんどい」と言って仕事を投げ出した行為は許せなかった。「しんどいのは俺の方や」そう思った。

結局ラジオ一本を残して、仕事は全部なくなった。

キングコングが出演する予定だった営業先に謝りに行く日々、その頃の僕は梶原の悪口を毎日言っていた。

それは真っ暗で恐い、僕の人生の「黒い点」の始まり。

 

2007年1月25日 (木)

SEXのようなもの

自分の番組に来ていただいたゲストの方に対して、カメラが回っていきなり喋りだすような事を僕はしない。そこだけで生かす、イカす自信がないからだ。

やはりゲストの方には「西野と絡んで気持ちいい」と思って欲しい。

本番前になるべく喋るようにしている。

それは愛撫のようなもので、これがなけりゃツッコんだってイカない。

ほぐして、ほぐして、バチコンだ。

愛撫を飛ばす事は、自分だけが気持ち良くなりたいだけ。

SEXでは僕はその失敗をよくするが、仕事ではしない。

お互い似たようなもの。

愛撫から本番だ。

 

2007年1月24日 (水)

吸収できること全て

人から何かを教わりたいと思い、やはり絵を選んだ。少しだけ得意だからだ。

長所で勝負、これに尽きる。

そんなこんなで絵画教室に入会の申し込みに行った。

少しの時間でも通えるようにと、家の近くの絵画教室。

これから、ここでキチンと絵の基礎から勉強をしようと思う。

これからも絵に限らず、とにかく吸収できることは全て吸収しようと思う。

 

とりあえず今は初回の受講が楽しみだ。

 

 

2007年1月23日 (火)

こんなもんちゃうぞ

今現在・・表に出せているのは、まだまだ3割程度。

「自分の全てを評価されたい」というのが、デビューからずっと思うところ。

僕は見せれていない部分がある。

「見せれていない」というのも能力。僕が劣っている部分。そこは努力で改善。

もっともっと汗をかいて、早く自分の全てをさらけ出せるようになりたい。

そして評価されたい。

「まだまだ、こんなもんちゃうぞ」

負け惜しみの台詞が、口からもれる。

頑張ろうと思う。

 

2007年1月22日 (月)

長所に甘える

何だってそう。せっかく長所があるなら長所で勝負した方がいいわけで・・

 

浮き沈み、流行り廃りがあるTVやラジオ。

その時々、オファーされたり、されなかったり・・・

とにかくまぁ、TVやラジオの出演量に関して言えば、デビュー当時からずっと波を打っている。それはしかたがない事。

やたらめったら出た時もあったし、まったく出れなかった時もあった。

 

ただ、変わっていないものが一つ。

僕達は「なんばグランド花月」、「うめだ花月」、「ルミネtheよしもと」と、

月に14,5回、劇場に立っている。

これだけはデビュー当時から、今でも変わらずの量。

この先も劇場側が許してくれる限り、そうでありたい。

なぜなら、それは自分の劇場を持つ事務所の芸人でないと難しいこと。

例えば、そんな事はありえないけど・・ヨン様が「この先、月に14,5回に舞台に立ちたい」と言ったところで、それはなかなか難しい。

劇場を手配して、お客がずっと訪れるシステムを作って・・・気が遠くなる話。

これは長所だ。

「劇場を持っている」という吉本興業の長所である。

 

吉本興業に対して、この点においては生涯甘えようと思う。

2007年1月21日 (日)

ブログの展開

その一つとして、書籍化というのがあるが・・ただタイミングもある。

やはり今の西野の考えを綴った本は、客観的に「まぁ僕なら買わないなぁ~」というのが、正直思うところ。

僕なら買わないので、皆さんも買わないと思う。ファンの方は別として・・・。

前々から言っているが、来年はやりたい事があって・・

書籍化はその後にでも、と考えている。

その後の西野の本は、僕なら買うと思う。

なので、このブログが展開するのは、もうちょっと先の話。

 

 

2007年1月20日 (土)

ネタを作るたびに思うこと

例のごとく会社の会議室にこもり、鍵を閉め、新ネタを作る。

本を書くときは、一人二役で身振り手振りしながら書き上げる。

ボケが思いついた時はニヤニヤしながら・・

その姿を切り取って見られたならば、病院に連れて行かれる程のものはある。

今回は「タクシードライバー」のネタ。

こういった漫才の定番みたいな設定が個人的には大好き。

相方に本を渡し、何度も合わせ、舞台にかける。

何度も何度も舞台にかけていくうちに、余計なものは剥ぎ取られ、必要なものが付け足される。時間が経つにつれ台本の段階より何倍も面白くなる。

そして、ネタがちょうど良くなった頃にネタバレの登場。

せっかくのそのネタはできなくなる。

おそらく、今回の「タクシードライバー」も。

一生懸命育てた娘が、どこの馬の骨かわからん男に取られるのと少し似ているかも。

 

印税は発生し、回を重ねるごとに盛り上がる、「曲」というものを羨ましく思う時も正直ある。「曲」に比べ「ネタ」は消耗品。

 

ただ、その「消耗品」を作るのに、ぶつかり合いながら汗を流しているのだ。

誇るべき事だと思う。

 

2007年1月19日 (金)

第十回西野亮廣独演会 in 札幌

これで十回目を数える独演会。今回の舞台は札幌。

2月11日が本番、1ヶ月を切っているが決まったのは3日前の話。

通常のライブではありえない。

スケジュールさえ空けば、独演会はすぐにできるとの事。

理由をマネージャーに聞けば「準備がいらないので楽なんです」、素晴らしい。

これぞ漫談の男前な部分だ。

このご時世、どこの劇場に行ってもマイクの1本くらいある。それで充分。

今回も旨い酒が飲めるよう頑張ろうと思う。

まぁ面白いと思うので、一度おこしやす。

 

2007年1月18日 (木)

芸人が何故モテる

お笑い芸人の度重なる熱愛報道、その度「芸人が何故モテる?」みたいな記事を週刊誌で目にするが、「何故」とはどういうことだ?

嫁や子供がいようが、ケツを出してムエタイ選手に蹴られるのである。

寝不足、体調不良、なんのその、打ち上げは最後まで参加して最前線で大声を張り上げて場を盛り上げているのである。

「モテて当たり前」とまで大それた事は言えないが、「何故」は違う。

言っておくが、芸人はカッコイイぞ。

2007年1月17日 (水)

タモリ

僕にとって東京の父ちゃんのような存在で、この人の言葉は1mmも疑わないほど尊敬している人がいて・・・題名ですでにバレてしまっているがタモリさん。

 

昼間、フラッとTVをつけ、当たり前のようにやっている「いいとも」を観る。

「どれだけ上手く言い訳ができるか」みたいなコーナーで、ゲスト登場した言い訳学の先生。メガネをかけて、髪は寝癖なのか外に跳ねていて、口はカタカナの「ム」みたいな顔をしている。

先生が登場してタモリさんの一言、

「先生、漢字の『風』みたいな顔してますね」

自分があの年齢になった時に、あの言葉が出てくるだろうか?

というより、今でも危うい。

3年くらい前、僕の髪が今よりも少し長い時、前髪がクリンと巻いてあるのを見て「ゴッホのタッチか」と。

 

昼間から真っ黒のサングラスかけて平気な顔してTVに出ているのである。

まったくブッ飛んでいるが、それに対して違和感がない。

 

そして今日・・

「ちょっと話があるから、飲みに行こう」とタモリさん。

カウンターに座り、タモリさんはいつものようにウイスキー、僕は覚えたてのウイスキー。それを飲み、まもなく本題に入る。

 

僕は絵を描く時に一本の線じゃ不安で、何時間もかけて線を足していき、仕上げる。タモリさんにその絵を褒めていただいた後、「日本画を見ろ」と。

僕の絵の対極にある絵だ。

中には数秒で仕上げたりする作品もある。

しかしソレは紙に筆があたっている時間であり、その前に頭の中で何時間も何時間も、そして下書きを何百枚も・・そして本番、一本の線で仕上げる。

ごまかしの利かない絵、それを見なさい。

冒頭でも述べたが、とにかく僕はこの人の言葉は1mmも疑わない。

別れ際、

「お前は絵を描いた方がいい」

そう言われたので、僕はもっと絵を描こうと思う。

 

最終的には、あの男にギャフンと言わせてやりたいのだ。

 

 

2007年1月16日 (火)

コミックヨシモト

吉本興業は「コミックヨシモト」と題した雑誌を今春から隔週発行する事を予定していて、今はそこに参加する芸人を集っているらしく、「ぜひ、どうですか?」とのこと。

こりゃ、まいった。

半年前から別で進めていることがあって、つけくわえて漫才も。

話を受ければ、それら出来上がりが遅れることも・・。

ただ、追い込まれてアップアップなる自分も魅力的だ。

そうそう経験できる事ではないので、なるだけやってみたい。

さて、どうしたものか・・

少し考えようと思う。

 

2007年1月15日 (月)

飯を食わす

年始、僕がやらせてもらっている番組の新年会が続いた。

その度、番組に携わっているスタッフさんの多さを知らされる。

スタッフさんの人数+スタッフさん達が養っている家族の人数・・番組を続けるという事は、これだけの人達に飯を食わせられるということ。

中途半端な事はできないと同時に、一日でも長く番組を続けないといけない。

そんな事を思った新年会。

 

2007年1月14日 (日)

嫉妬

こんな事を言えば、しょうもない奴だと思われるかもしれないが・・正直。

僕は最近、嫉妬するようになってきた。

一個人ではなく、大勢にだ。

あまり具体的には言えないが、「好き勝手しやがって・・・別に俺だって、よく知っているその場所で動き回れるなら負けないぜ」という気持ちが働いて、嫉妬に繋がる。

すなわち嫉妬の対象は自分が通ってきた道に立っている人に向けられる。

結局、ないものねだりか・・。

「今は、もっと上を向かなければいけない」というのは分かっている。

しかし、そういう対象に嫉妬してしまう。

ただ、言っておくけど・・それでも負けないよ俺は。絶対。

2007年1月13日 (土)

覆面パトカーを考える

沖縄の高速道路を走っている。

たった今、スピード違反の車が目の前で覆面パトカーに捕まった。

 

正義の味方が「覆面」ときた。

普通車と騙しておいて、実はパトカー。

事情はわかるも、「覆面」というのはあまりいいイメージではない。

やりクチといい、名前といい・・少し悪者の匂いがする。

せめて名前だけでも変えれば、もう少しはマシかも・・

 

そういえば、正義のヒーローにも覆面はいる。

「タイガーマスク」がそれ。

ただ、奴が「覆面タイガー」という名前だと少し悪者の匂いがする。

やはり「タイガーマスク」で正解。

それに習って、「覆面パトカー」というのも「パトカーマスク」にしてしまえば

正義っぽくはないか?

ただ、もう少しカッチョイイ名前がありそう・・

 

かのスーパーヒーロー「月光仮面」に習い、

「パトカー仮面」。

なかなかカッチョイイ名前だが、パトカーマスクと同じくらいか・・

 

・・難しい。

カッチョイイ路線は意外と難しい。

ただ、皆から愛される「覆面パトカー」であって欲しい。

こうなりゃ、カッチョイイ路線を辞めて、カワイイ路線に変更。

 

隠れ忍ぶという意味で「忍者」、そして「パトカー」が「取り締まる」という、3つの言葉をくっつけて出来上がった。

この名前なら皆から愛されるであろう。

「覆面パトカー」の新しい呼び名は・・

 

「忍者パットリくん」

 

2007年1月12日 (金)

ブログ

スタッフさんや、タレントさん、先輩や後輩・・現場で「ブログ見てるよ」といろんな人に言われる。

大口を叩いているブログ内容と、現場での仕事内容が伴わないわけにはいかない。毎回、言われるたびに背筋が伸びる。

ブログをやっている意味があると思う。

2007年1月11日 (木)

プロ

対象が誰であろうと、僕は疲れた顔を見せない。

TVで話す時と、楽屋で後輩と話す時に違いが出るのはよろしくない。

スイッチは家を出た時点で入れる。プロだからだ。

2007年1月10日 (水)

賞を取る時期

大阪の方以外は少し馴染みの薄い話で申し訳ないが・・

 

昨今のお笑いブームの後押しもあり、いきなり全国ネットのTVに出られたりするのが珍しくなくなってきたが、当時、大阪の芸人が全国ネットのTVに出る為には、まずは東京進出。その為にはまず大阪で名を上げることが必要不可欠で、その際に若手芸人が活用するのが「お笑いコンクール」だった。

大阪では各局がお笑いコンクールを開催しており、若手芸人は目の色を変えて賞を狙いに行く、当時ほどの濃さはないとは思うが、今でもそんな文化がある。

よく「賞なんか取っても意味がない」みたいな言葉を耳にする。

僕はこの言葉が気に入らない。

賞を取った後に仕事が続かなかった奴の言葉だとは思うが、そんな事はない。

それは取っても意味がない時期に取ったから、意味をなさなかったのである。

後輩ばかり集めて大賞を取っても、そりゃ・・芸暦重ねりゃ有利、難しくない。

「取って当たり前」の時期になっているのである。

飛躍的に前進する為には、その時期に差し掛かる前に取ることだと思う。

当時、僕達はそんな事を思って、「賞取り」を急いだ。

賞を取った事は十分意味があった。

2007年1月 9日 (火)

キリンの弱点

高い所にある飯を食うために首が長くなったのだとか。

おかげで低い所にある飯だって、かがまなくても食えるようになった。

一石二鳥。「首が長い」って、すんごい便利じゃないか。

しかし、何かしらのデメリットもあるはずだ。でなけりゃ、ほとんどの奴が首を長くしているハズだ。そのように進化したら不便があったのだろう。

そんな事を考えたら、答えがすぐにでた。

キリンの弱点・・

高い所にある飯も、低い所にある飯も食いやすいが・・中くらいの所にある飯がものすごく食いにくいのである。

狙っている飯から、かなり体を離さないといけないのだ。

目の前においしそうな飯を見つたら、テンション的には飛びつきたいところだが、キリンは2,3歩下がらないといけないのである。

「うわっ!コレうまそ~!」で、2,3歩バックだ。

ワンパクさのかけらもない野郎だ。

堤下の母親はこんな奴を嫌う。

2007年1月 8日 (月)

亀田戦の中継に思うこと

去年の12月に「はねるのトびら」の裏でやっていた亀田の防衛戦をビデオに撮り、じっくり観て思ったこと・・

セコンドに立っている亀田の親父さん。TVで幾度となくその姿は拝見させていただいたが、声を張り上げてアドバイスする本番の姿はあまりにも魅力的。

あの魅力は武器だと思う。

一視聴者として、親父さんがどんな言葉を息子にかけているのかが気になる。

ピンマイク、もしくはセコンドの近くに親父さんのアドバイスの声を拾うマイクを設置してくれないかと願う。

より一層、亀田戦が面白くなると思う。

2007年1月 7日 (日)

無理

「いろんな事」をしたいから、その前にいろんな話し合いをする。

「いろんな事」の中には「人がやった事」というのがあまり含まれておらず、厳密には「人がやっていない、いろんな事」となってくる。

「人がやっていない事」というのを何故今まで人がやっていないか?

「思いつかなかった」というのと、「思いついてはいるが、成功する可能性が低い」という2つだと思う。

今回は後者の場合について少し・・

 

思いついた時点で、机を囲みその話し合いを始めるが、

その時に口にしてはいけないのが

「無理」

という言葉だと思う。

ハナから「ほぼ無理な事」をやろうとしているのである。

そりゃ普通に考えれば無理だ。だから、人がやっていないのだ。

「無理」という言葉は全ての可能性を0にしてしまう。

「無理」という言葉を使っているうちは、「ほぼ無理な事」を達成できない。

話し合いの場を設けて、「無理」という言葉を使うのは、「殴らない」と決め込んでリングに上がるようなもの。

KOをとれるはずがないのである。

KOをとらないと意味がないのである。

「無理」という言葉を使う話し合いの場を設ける行為は矛盾している。

話し合いで生まれた可能性に机の上で結論を出すのではなく、とりあえず試す。

その結果が「無理だった」ならば、次を考える。

それが「人がやっていない事」の攻略法だと思う。

2007年1月 6日 (土)

大丈夫か!俺!

元日の爆笑ヒットパレード終りで、お正月休みなるものを頂き、明日がその最後。前半は芸人仲間と北海道旅行へ、次の日は実家に帰ったりもしたのだが・・TVをつけると生放送で芸人が汗をかいている。

僕がこたつに入り、おもちを食べている時間にだ。

こうなってくると、おみくじを引いていようが、家で新年会を開いていようが、ある事が頭をよぎる。

「大丈夫か!?俺」

焦りは膨らみ、いてもたってもいられなくなる。

とりあえず明日。お正月休み最終日は、パソコンとお絵かきグッズを持って、会社の会議室に閉じこもる事にした。

2007年1月 5日 (金)

シコシコ三昧

以前はスケベな事がしたくてしたくて、「あわよくばアイドルと・・」てな事ばかり考えていた。それがまぁ仕事のモチベーションにもなっていたのだが・・しかしデメリットもある。

Hに辿り着くまで。とにかく時間がかかってしまう事。

「時間がもったいない」とまでは言わない。自分の仕事にとってプラスになる事もあるから。しかし、その時間を使ってモノを作っていれば、それはそれで見事なモノが出来上がるだけの時間だ。

この時間は捨てがたい。

「Hをしたい」今でも思う。

そんな時は、その情熱はどれ程のものなのか、一度シコシコでオーディションをしてみる。精子を出してもまだ情熱が失われていなければ、その時はその時。

ただ、ほとんどがオーディションで落ちる。

ものの5分で済む話だ。

性欲は無くなり、チンポコを筆に持ち替える

その瞬間「勝った」と思う。

そんなこんなで、最近はシコシコ三昧である。

2007年1月 4日 (木)

はねるのトびら

僕が20歳の頃からやっている番組。

「とにかくコレで一発当ててやろう」と意気込み、番組がスタートした。

放送が不定期になったり、打ち切りの時期を越したり・・とにかくまぁイロイロあって今日に至る。

先程、番組プロデューサーから電話を頂き、正月スペシャルの結果を聞く。

ニンマリとするも、まだまだこれから。

とは言っても「ゴールデンに上がるぞ!」と吠えていた5年前とは目標が少し違う。今は一日でも長くゴールデンに居座ることだ。

難しいのはどう考えたってこれからの方。

なんてったって大御所とケンカする時間帯だ。

当時に比べ、コケた時に派手にコケる事になる。その分ケガも大きい。

ただこの環境にいれる事は幸せだと思う。

同時に自分がもしこの環境にいなければ目の仇にしているかもしれない。

「はなるのトびら潰し」、僕なら狙う。

おかしな事を言うようだが、ソレは今の僕も思うこと。

番組に「おんぶに抱っこ」しているつもりはないが、別の場所で「はねるのトにら」を超えるものを作りたいとは思う。

「エンタの神様」の裏にでもやらせてもらえんだろうか、と夢見る。

話を戻して・・

とにもかくにも、「はねるのトびら」に対して、そう思ってもらえているなら、勃起もんだ。

2007年1月 3日 (水)

看板を背負う人

baseよしもとから始まって、うめだ花月、ルミネtheよしもと、なんばグランド花月・・と、デビューからいろんな劇場を転々としている。

その都度、その劇場の看板を背負っている人達を僕は羨ましく思っている。

ホームグラウンドがあるというのは、一つ気持ちの整理がつく。あくまで推測。

逆にプレッシャーもあると思う。劇場を潰しかねないからだ。

いい看板なら客は寄るし、悪い看板なら素通り。「看板」というだけある

看板の「だらけ」は間違いなく劇場全体に蔓延する。

僕の身の回りの劇場にも、悲しいかなソレは存在して、「なんともったいない事か」と憤りさえ感じる。「それなら代わってくれよ」と思う。

ただ、僕らがデビュー時に立っていたbaseよしもとを当時引っ張っていたFUJIWARAサンは、ソレとは真逆。

大声で全力で劇場を引っ張ってくれて、ブームが起こって、皆に仕事が転がり込んできて・・本当に勉強になった。

デビュー時にあの人達と同じ舞台に立てたことを、ありがたく思う。

もし、自分が背負う事になろうもんなら、あの姿を見習いたい。

2007年1月 2日 (火)

ゲレンデの女性

キュートポイントが普段の4割は増されると思う。

条件があまりにも揃っている。

 

まず「服」

裾や袖が余っている。いわゆる彼氏のパジャマを借りて着ている彼女状態。

これに興奮を覚えない男は存在しない。

それに加えスタイルが隠れる。隠れているスタイルを期待してしまう男心。

 

次に「反射」

太陽光が地面の白い雪で反射して、顔に光があたる。

大物女優がTVに出る時に使うワザだ。コイツにかかれば小ジワなんか秒殺。

 

最後は「けな毛」

これはつまりボードを持ち運んでいる時の姿を指すのだけど・・女性が重い物を一生懸命運ぶ姿は、健気の極みだ。

この時に出現する、ほっぺたにくっついた少し乱れた髪を「けな毛」と呼ぶ。

この「けな毛」がたまらない。

衣装が入った大きなカバンを運ぶスタイリストさんや、荷造りしたダンボールをエレベーターまで運ぶ引越しの時の女性も時たま「けな毛」を見せる。

 

これだけの条件が自然に揃っているのは奇跡だ。冬の奇跡だ。

僕はゲレンデの女性を愛している。

2007年1月 1日 (月)

爆笑ヒットパレード

僕達の場合、大体は大晦日から元旦にまたがって吉本の特番があって、それ終りで出演する「爆笑ヒットパレード」が一年の仕事納めとなる。

生放送のこの番組、一昨年は中継でいろんな場所に行かせてもらった。

そして去年、今年はスタジオで漫才をした。

あらためて思う。生放送で画面に2人きり、「さぁ笑わして下さい」という環境に立てる漫才の方が個人的には好きだ。

背筋が正されるというか、誰の助けもない、ヘタすりゃ本当にヘタしてしまう。そういう仕事が1年の仕事納めというのは姿勢が正される。

決して中継を手を抜いてやっているわけではない。一生懸命やっている。

しかしセンターマイクが目の前に一本立っていると、ピリッとするのは本音。

最後くらいはピリッとした場所で締めたいもの。

願わくばこの先、芸暦を重ねてもネタのコーナーで出させて欲しい。

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