2009年2月3日(火)
見る 観る ミル
このブログの主題は2008年1月17日の【直観像】【ニキリンコ】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。
鏡を見る。鏡に関するエピソードは幾つかある。
しかし、単純に鏡を見ると言う行為から、哲学的意味を含んだ自己を見つめるという言葉までが含まれ、
なかなか簡単に言葉にする事が出来ないし、私自身まだそこまで分からない。
ただ今言えることは、妻を観察していると、鏡を見る行動自体間違っている様に感じるのだ。
ちょっと鏡を見て欲しい。
あなたは、間違いなく鏡を見ている自分の顔を見ていると思う。
ちょっと鏡の縁の方に目線をずらして見る。
部屋の壁か天井がうつっている。
さらに、よーーーーーく見ると、鏡の表面のガラスがあってそのガラスに埃か何かたかっていないか。
その埃がたかっているのは、鏡のガラスの本当の表面だ。
或いは、指紋が付いて汚れるのはガラスの本当の表面だ。
定形発達であれば、鏡を見なさい、と言うと当然鏡に写った自分の顔、体を見るだろう。
しかし、子供に鏡を見なさいと言って、鏡を見てる、或いは鏡の表面を見ているとしたらどうだろう。
どんなに鏡を見たところで、本来の目的は果たさない。
「あんた、鏡を見てから学校へ行きなさい」「はーーーい」
毎日素直に鏡を見てるはずなのに、とんでも無い格好をしてることがある。
そんな子供は、私が言うように「鏡を見てる」だけで、中に写っている自分を見ていないのかもしれない。
なーる と思った人も思わない人もリンクの最後の行をポチットね。
「鏡を見なさい」→「鏡の表面の汚れを見ている」・・・こういう感覚の違い、視点の違いを示してくださるので、ここに来たくなるんですよね。
単に違いがわかるというだけでなく、息子のなぞの行動とChipさんの説明が、いつもつながるんです。
うちの六歳の息子は、細かいものをやたらと見つけます。先日も、壁に押しピンの針だけが残っていたのですが(プラスティックの頭が割れたため)、「あぶないよ!」と教えてくれました。壁は茶系のわた壁(木造建築でよくあるあれです・・・・)なので、私たちの目には、その針はまず見えません。現に指を指されても、見つけるまでに十秒くらいかかりました。
ある医師は著書の中で、発達障害者は「概念化や汎化ができず、いつまでも細部を注視し続けている」と説明しています。
息子は3歳のころうけた検査で「視点の切り替えが出来ない」と言われていました。細部に囚われてしまうわけですね。
WISC検査では絵画完成が13点の高得点となりました。当初は息子の長所とだけ認識していましたが、後日、この高得点こそが息子が発達障害であることを象徴していると知りました。
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