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2009-02-03 17:26:37 stanford2008の投稿

桜井淳所長の市川裕『ユダヤ教の精神構造』(東大出版会、2004)の特に研究方法についての感想 2

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私が神学について考えるようになったのは数年前からのことです。それまでは、単なる教養として、新約聖書の英語版や日本語版、それらの解説書を通読する程度でした(本欄バックナンバー参照)。特に、強い関心があったわけではなく、また、強い違和感や拒否感があったわけでもなく、ただ、仕事との関係で、他の専門分野を優先しただけです。しかし、いまになって、やっと、時間に余裕ができてきたため、必然的に、やり残した分野に目を向けただけです。作家の五木寛之先生は、一時期、執筆活動を中断し、龍谷大学に入学して、仏教の勉強をしましたが、執筆再開後から今日まで、特に、最近、寺院や仏教について、深く考察した内容の対談や著書を発表してきました。それらは、一般読者を相手にしている啓蒙書であるため、特に、難解な理論や哲学を展開しているわけではありません。しかし、それは、意識してのことであり、対談『神の発見』(本欄バックナンバー参照)を読むと、深い考察の中で得たいくつかの本質的な結論について、実に、ていねいに、分かりやすく、諭しています。それを読んで批判的に検討することは、誰にでもできますが、認識を著書としてまとめ、世の中に公表することは、なかなか、勇気がいり、困難に遭遇するものです。五木先生について言えることは、作品にもその精神が流れていますが、大変誠実で、真面目て、思慮深く、他人への思いやりが深く、社会への関心が高く、まさに、道徳や倫理の教科書のような人間のように思えます。私もやがて神学で著書がまとめられるように研究に励みたいと考えています。歴史を考察してみて、それは、現代社会に限ってもよいのですが、社会の構造や現象をどのような"座標軸"で整理できるかと言えば、その項目として、政治、経済、理学、工学、社会科学、哲学、神学(仏教も含む)・・・・・・等が考えられますが、神学をとおして社会を見ると、これまでの"光景"(社会認識と解してください)と異なった"光景"を目にすることができるようになります。そのように考えると、内村鑑先生の「宗教とは人生に対するそのひと自身の解釈」という言葉は、実に、深い考察に基づくものであり、重く受け止めねばなりません。

2009-02-02 16:29:40 stanford2008の投稿

桜井淳所長の市川裕『ユダヤ教の精神構造』(東大出版会、2004)の特に研究方法についての感想

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神学研究というのは、史的研究、旧約聖書と新約聖書の一次資料に当たっての解釈、各々の検討対象の時代や社会の背景、他の宗教との比較等を科学史的・哲学的・社会科学的に研究する必要があり、私のこれまでの経験の範囲外の物が多くあるため、なかなか、大変な分野であると感じました。しかし、意外と分かる部分もあって、大きな魅力を感じています。
2009-02-02 14:14:16 stanford2008の投稿

"水戸"だより-大学や研究機関の知り合いの人達によって要約される桜井淳所長の実像-

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このブログは、無味乾燥な業務中心のことばかりで、何の面白みもありませんが、それでも、毎日、わずかばかりのアクセスがあり、最近の記事更新は、"水戸"のスタッフ2名とボランティア外部協力者1名、"カリフォルニア"のスタッフ2名とボランティア外部協力者1名によってなされており、特に、"水戸"のボランティア外部協力者1名の貢献が大きく、桜井淳所長とスタッフ一同、感謝しており、特に、際立った貢献は、昔、桜井所長が大学・研究機関・原子力学会で実施した仕事内容やそれにからむエピソード等を正確にまとめていることで、桜井所長本人の視点や価値観ではなく、まったく異なった第三者に近い視点であるため、桜井所長は、辛辣な指摘に、ただただ、恐縮するばかりです。

2009-02-01 22:16:36 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-社会主義経済と資本主義経済の崩壊から何を再構築できるか-

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【講演要旨】ここ20年の間に、予想に反してと言うべきか、予想どおりと言うべきか、まず最初に、ソ連邦と東欧諸国の社会主義経済が連鎖的に崩壊し、一部のオピニオンリーダー達は、そのことをもって、資本主義経済の一方的な勝利と位置付け、得意になって、批判にもなっていないマルクス主義批判を展開しましたが、それから20年経って、今度は、近代経済学をより発展させた先端経済理論や金融工学を駆使した資本主義経済が"崩壊"の危機に直面しており(以上の主張内容は本欄バックナンバーに掲載済み)、この"崩壊"という表現は、決して、極論でも虚構でもなく、実際には、現代資本主義がかつて経験したことのない経済的リスクに直面していることは、否定できない真実であり、そのことは、"水戸"に毎日のように訪れる多くの銀行や証券会社の人達とのやり取りから、手に取るように分かり、"水戸"は、規模が小さいため、米国に発生して世界に波及した経済的リスク(低所得者層対象高金利住宅融資にともなう焦げ付き)の影響に押しつぶされるほどのかかわりもなく、規模か小さいためにリスクを回避できたわけで、ビジネスに無関係な人達でも、まとまった金額の株式投資や投資信託等に投資していれば、いまの評価額は、2007年秋頃の評価額の良くて半額、大部分の物は、三分の一かそれ以下に落ちており、もはや紙屑同然に陥っており、もちろん、売却すれば、それだけの損失ですが、そうでなければ、単なる含み損に過ぎませんが、長期にわたって評価額が好転しなければ、その見込みがないならば、損失額に等しく、今回の経済的リスクの影響とは、そのような性格であり、好転が絶望的であることを考慮すれば、近代経済学を駆使した現代資本主義経済の未来は、20年前のソ連邦と東欧諸国の経験と五十歩百歩の世界であって、では、両者の欠点を克服できる経済体制を備えた物がどのような内容であるのかということです(政治や経済は、生き物であって、理想的に運営できるはずがなく、だからこそ、好不況の繰り返しは、当然の現象であって、そのことにいちいち一喜一憂するのは、本当に大人げないため、"水戸"では、これまで、できるだけ、この問題に触れないようにしてきました)。
2009-02-01 19:14:20 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院総合文化研究科のR先生への手紙 -理工学・科学史・哲学・神学の研究室-

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R先生



私は、これまで、日本でも代表的な大学(東大)や研究機関(原研)の研究室に籍を置くか、あるいは、社会科学・科学史・哲学・神学(本欄バックナンバー参照)の研究室に必要に応じて立ち入ることがありましたが、その大部分は、理学の研究室か工学の研究室であって、社会科学、科学史、哲学、神学の研究室に出入りするようになったのは、還暦近くになってからであり(米国まで含めるともう10年早くなります)、社会科学の研究室の雰囲気は、理学や工学の研究室の雰囲気とは、大きく異なり、その原因は、部屋の配置と書籍の配置・整理法・大きさ・デザイン色彩にあることに気付き、社会科学、科学史、哲学、神学の中で、特に、これまで経験したことのない雰囲気は、東大の神学の研究室であり、大変重いものを感じ(多分に、研究者のセンスもあるでしょうが、書籍の大きさやデザイン色彩も大きな要因なように思えました)、身の引き締まる思いでしたが、その分野の原著論文等に目をとおして感じることは、問題提起や先行研究や結論の記載に特有の表現法を用いており、これまでの社会科学の研究にない不思議な重さを感じたものです。



桜井淳

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