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幕府山の1万4千の捕虜

2008/12/27 13:53

 

snowdropとしては、今のところ

日本軍に南京東南から集中して攻められて、国民党軍は南京北の把江門や和平門から揚子江・下関(シャァカン)方面へ逃げたした。http://jp.youtube.com/watch?v=xkkcQR50ej4&feature=related

 

山田栴(せん)二少将、 両角業作大佐 率いる65連隊1500の兵士は幕府山付近で敗残兵1万4000と遭遇し、捕虜とした。

 

兵站の十分でない日本軍は扱いに困り、西側の中州に移送中 暴動が発生し、約1000の国民党軍兵士が死んだ。

 

あたりが真相に近いのかと思う。1000人という数は都会の中学校、高等学校の規模を考えれば想像できる数だ。40人学級で25学級、1学年8~9クラス規模の全校集会の規模の人数だ。

 

(2)幕府山の1万4千の捕虜

http://www.history.gr.jp/~nanking/reason06.html

 南京で最も多く捕虜を捕らえたのは、第13師団の山田支隊(山田栴(せん)二少将)麾下の歩兵第65連隊(会津若松市・両角業作大佐)である。
 同連隊が揚子江岸に沿って進撃した14日、幕府山付近でとらえた捕虜は1万4700人にも及ぶ大量のものであった。
 

 この捕虜の処置について、その真相を明らかにするため、鈴木明氏は、昭和47年、わざわざ仙台に山田少将はじめ、この時の関係者数名を訪ねて『「南京大虐殺」のまぼろし』にその真相をレポートしている。
 その真相というのは、山田少将はこの大量の捕虜の処置に窮し、ついに意を決して揚子江の中洲に釈放することにし、護送して目的地近くについたとき、暴動が起き、捕虜約1000が射殺され、日本側将兵も死傷したいうのである
 地元紙の福島民友新聞社も多数参戦者の証言を集めて『郷土部隊戦記』を発刊。その中で暴動――射殺説を明確にした。そして、これはそのまま自衛隊戦史室編集の『支那事変陸軍作戦(1)』にも掲載されている。
 

 ところが、59年8月7日「毎日新聞」は「元陸軍伍長、スケッチで証言、南京捕虜1万余人虐殺」という大見出しで、第65連隊の伍長であったK氏が多数の捕虜を揚子江岸に連行して1万3千5百人を皆殺しにしたという証言を発表した。それは従来の説をくつがえす計画的・組織的な虐殺説であった。
 続いて本多勝一氏がK氏を訪問してその記事を「朝日ジャーナル(21)」(59・9・14)に連載し、さらに詳しく1万3500人の虐殺の模様と、これは軍司令部からの命令だと報道した。
 

 K氏というのは、小金井市在住の栗原利一氏のことであるが、栗原氏は自分の意志とは全く逆な報道をされたことに対して、「毎日」に抗議を申し入れた。すなわち栗原氏は、中国側の公式資料集『証言・南京大虐殺』の30万・40万の虐殺に腹を立て、これに反論するため記者に話したのだが、都合のよい部分だけをつまみ食いされ、あのような記事になり、匿名の中傷や悪罵をあびて困っていると抗議したのである。
 毎日は、9月27日「記者の目」と題し、「匿名の中傷、卑劣だ」という記事の中で、栗原氏の「大虐殺否定」の真意を小さく報じたが、しかしその大げさな記事の力点は、K氏に対する非難は怪しからんというのであって、記者の誤った報道に対する反省も謝罪のカケラも見られなかった。
 実は筆者も電話で栗原氏に真意を聞いてみた。
 氏は電話口で、「毎日新聞にも本多氏にも、言いもしないことを書かれた。自分の本当に言いたいことは書かないで、結果的には逆なことになってしまった。悔やんでいる」としきりに嘆いていた。
 

 2度電話したがアポイントがとれないので、私は福島にとび、この捕虜事件に関係した第65連隊の連隊砲小隊長 平林貞治氏(当時少尉)にお目にかかり事件の真相を聴取した。
 平林氏は鈴木明氏のインタビューにも応じており、その内容は「「南京大虐殺」のまぼろし」にあるので、ここでは詳細は省略し、慨要のみにとどめる。

 (1) わが方の兵力は、上海の激戦で死傷者続出し、出発時の約3分の1の1500足らずとなり、その上に、へとへとに疲れ切っていた。しかるに自分たちの10倍近い1万4000の捕虜をいかに食わせるか、その食器さがしにまず苦労した。

 (2) 上元門の校舎のような建物に簡単な竹矢来をつくり収容したが、捕虜は無統制で服装もまちまち、指揮官もおらず、やはり疲れていた。山田旅団長命令で非戦闘員と思われる者約半数をその場で釈放した。(snowdrop:捕虜7000、釈放7000)

 (3) 2日目(snowdrop:昭和12年12月15日?)の夕刻火事があり、混乱に乗じてさらに半数が逃亡し、内心ホットした。その間逆襲の恐怖はつねに持っていた。(snowdrop:捕虜3500、釈放+逃亡合計10,500)

 (4) 彼らをしばったのは彼らのはいている黒い巻き脚絆(ゲートル)。ほとんど縛ったが縛ったにはならない。捕虜は約4千、監視兵は千人たらず、しかも私の部隊は砲兵で、小銃がなくゴボウ剣(銃剣の事)のみ。出発したのは(snowdrop:昭和12年12月16日?)正午すぎ、列の長さ約4キロ、私は最後尾にいた

 (5) 騒動が起きたのは薄暮れ(snowdrop:昭和12年12月16日午後4時すぎ?)、左は揚子江支流、右は崖で、道は険岨となり、不吉な予感があった。突如中洲の方に銃声があり、その銃声を引き金に、前方で叫喚とも喊声ともつかぬ異様な声が聞こえた。

 (6) 最後列まで一斉に狂乱となり、機銃は鳴り響き、捕虜は算を乱し、私は軍刀で、兵はゴボウ剣を片手に振り回し、逃げるのが精一杯であった。

 (7) 静寂にかえった5時半ころ(snowdrop:昭和12年12月16日 日没直後?1時間半後?)、軽いスコールがあり、雲間から煌々たる月が顔を出し“鬼哭愁々”の形容詞のままの凄惨な光景はいまなお眼底にほうふつたるものがある。

 (8) 翌朝(snowdrop:昭和12年12月17日?)私は将校集会所で、先頭付近にいた1人の将校(特に名は秘す)が捕虜に帯刀を奪われ、刺殺され、兵6名が死亡、10数名が重軽傷を負った旨を知らされた。

 (9) その翌日(snowdrop:昭和12年12月18日?)全員また使役に駆り出され、死体の始末をさせられた。作業は半日で終わったと記憶する。中国側の死者1000~3000人ぐらいと言われ、(注(1))葦の中に身を隠す者を多く見たが、だれ1人これをとがめたり撃つ者はいなかった。
 我が軍の被害が少なかったのは、彼らが逃亡が目的だったからと思う。
 

(snowdrop:捕虜1万4000人中、釈放+逃亡10,500+α(騒動中の逃亡数)、死亡1000~3000、残って捕虜となったのは何人なんだろう???中山門より入城し左=城内の南に位置した飛行場が捕虜収容所になったようだが・・・

 
 以上が平林氏の証言である。
ゼンボー」(60年3月号)によると、畠中秀夫氏は栗原氏と会い、栗原氏の証言を記述している。
 それによると、内容はほとんど平林氏の証言と一致していた。

 

 

下のyoutubeで、「鑑札を発行される人々」の数の多さ、その列に並ぶ人々は成年男性が圧倒的に多い事から、snowdropとしてはこの人たちが逃亡した国民党兵士たちのように見えるのだが・・・、何日の様子を撮影した物か???

http://jp.youtube.com/watch?v=ID8wxiluml8&NR=1

 

 

この方は「逃亡」は虚構で、すべての「捕虜の処分」を両角大佐が語っていないのだ とされている。

http://www.nextftp.com/tarari/morozumi1.htm

↑snowdropは仮に「捕虜の処分」があったとしても、十分な食料がない状況で、戦場ではそういう可能性を孕んでいる、つまり国際条約上赦される物だと考えるが、どうなんだろう?? そして、当時反国民党であったシナ共産党に追求される筋合いなど一切無いと思うのだが・・・

下関虐殺の元ネタ?(3)

朝日新聞の記者だった今井正剛氏による回想記『南京城内の大虐殺』(特集文芸春秋、昭和31年12月号)

http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page046.html

 

http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page047.html

 

当時の『アサヒグラフ』の写真を紹介

http://jp.youtube.com/watch?v=DKaPaUfOTR4

 

昭和12(1937)年12月17日撮影

「支那事変画報 第十五輯(大阪毎日・東京日日特派員撮影)1月11日発行」より
佐藤振壽(毎日新聞)特派員撮影

支那事変画報(大阪毎日・東京日日新聞特派員撮影)  わが軍から菓子や煙草の配給を受け喜んで日本軍の万歳を叫ぶ南京の避難民

http://www.history.gr.jp/~nanking/fukei_dec17_02.html

カテゴリ: その他    フォルダ: 蒋介石の南京放棄

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