- 宮本
- いちばん最初に小田部さんが描いてくれた動画は
確かルイージがくるくると回るものだったんです。
ところがそんなにコマ数が使えないので、
ゲームじゃ使えないんですよ。
- 小田部
- そう、当時は使えない絵ばっかり描いていたよね。
- 宮本
- ところが「これは絶対に小田部さんに頼むべきや」と
思った機会がやってきたんです。
フジテレビさんといっしょにやった・・・。
- 岩田
- 『夢工場ドキドキパニック』(※12)?
- 小田部
- はいはい。
※12. 『夢工場ドキドキパニック』=1987年に発売されたファミコンディスクシステム用ソフト。任天堂とフジテレビのタイアップ作品。1992年発売の『スーパーマリオUSA』のベースになったソフトでもある。
- 宮本
- じゅうたんの動きをなめらかにしようと。
- 岩田
- あーあれを(笑)。
- 宮本
- 本物のじゅうたんみたいに動かしたかったんです。
これは小田部さんにお願いしようと思って。
小田部さんにですよ、この大先生に
「じゅうたんを描いてください」と(笑)。
- 岩田
- ひどい(笑)。
- 一同
- (笑)
- 小田部
- それでなめらかな動きのじゅうたんを描いたら、
「枚数が多すぎます」と言われちゃったんだよね。
- 宮本
- 元絵は10数コマのじゅうたんだったんです。
それを切り刻んで、同じのを使い回して、
コマ数は少ないけどなめらかに動くと。
- 小田部
- 確か3枚を逆に使いながら。
- 宮本
- それが小田部さんにお願いした
いちばん最初のゲームの仕事でした。
- 岩田
- 小田部さんには、マリオのイラストも
いろいろお願いしたんですよね。
- 小田部
- マリオはドット絵じゃないですか。
だから唯一の手がかりは、
『スーパーマリオブラザーズ』の
パッケージイラストしかなかったんです。
- 宮本
- そうです。
それを今のマリオの絵にまとめあげて下さったんです。
もともと、マリオのイラストは
『ドンキーコング』(※13)をつくっていた頃から、
僕がえんぴつで描いたラフを
外部のイラストレーターの方に渡して
仕上げてもらうことが多かったんですね。
ところが『スーパーマリオブラザーズ』を出すときに
プロのマンガ家や著名イラストレーターに
お願いするようなことも考えたんですけど
時間切れになってしまったので、
自分でパッケージイラストの原画を描くことにしたんです。
※13. 『ドンキーコング』=1981年に登場した任天堂のアーケードゲーム。1993年にファミコン版が発売。
- 小田部
- だから、マリオの絵を描こうにも
手がかりはそのパッケージイラスト1枚だけ。
それで、宮本さんが原作者だと言うから、
「こんな顔?」「こんなヤツ?」とか
しつこく聞きながら描いたんだよね。
- 宮本
- そうです。いろいろ聞いてくれるんです。
これがすごいところで、香西さんもそうでしたし、
小田部さんもそうでしたけど、明らかにうまいわけですよ。
- 岩田
- 自分より圧倒的に絵がうまい人から、
「どう描いたらいいの?」と聞かれたんですよね。
たまらないな、これは(笑)。
- 一同
- (笑)
- 宮本
- ピーチなんか見違えるようになりましたよね。
僕はいろいろ好きなことを言うわけですよ。
目はちょっとキツめのほうがいいとか。
- 小田部
- あと、聞かん気のタイプだとか。
- 宮本
- 聞かん気だけど、
ちょっとかわいいほうがいいとか(笑)。
クッパも大きく変わりましたね。
マリオは長い間描いていたので、
比較的こうしてほしいというのがあったんですけど、
クッパはそれほど描いてなくって、
線がまとまってなかったんですよ。
僕、「西遊記」(※14)の頃の東映動画が好きで、
そのとき出てきた牛が・・・。
- 小田部
- ああ、そんなこと言ってましたね。
※14. 「西遊記」=1960年公開の劇場用アニメーション映画。東映動画制作。
- 宮本
- 僕、あの牛が好きなんですよと言いながら。
- 小田部
- 牛魔王ですね。
宮本さんはその牛が好きで
クッパをイメージしていたんですね。
パッケージを見ると、確かに牛っぽいし。
でもその後、手塚(卓志)さんから・・・。
- 宮本
- 「これ、カメなんです」と。
- 小田部
- 「ああ、カメだったのか」と。
- 一同
- (笑)
- 宮本
- カメの体に牛の首がついているような、
わけのわからないものを描いていて(笑)。
でも、そういう会話を重ねながら
まとまっていったんですね。
同じカメ族だから
ノコノコとクッパの絵に共通のラインが出てきて、
僕らはそれを一生懸命にマネをして、
次のイラストを描くわけですよ。
で、「だいぶかっこよく描けるようになった」とか
自画自賛したりして(笑)。
- 岩田
- 小田部さんが描いてくれた線を、
自分のものにしていって、それをゲームに取り込むと
ぐぐんと良くなっていったんですね。
その後、ゲームが3Dになっていくじゃないですか。
小田部さんの力が僕らにとって
ますます重要になりましたね。
- 小田部
- 『スーパーマリオ64』(※15)をつくってたときは、
開発チームが集まって会議ばかりやっていましたね。
※15. 『スーパーマリオ64』=1996年発売のNINTENDO64用ソフト。3Dアクションゲーム。
- 岩田
- 『マリオ64』の話が出てきたところで、
ここから小泉さんにも参加してもらいましょう。
ホントは『うごくメモ帳』からのつもりだったけど。
- 小泉
- はい。
- 岩田
- そもそも小泉さんと小田部さんの出会いは?
- 小泉
- わたし、入社していちばん最初に、
いっしょにお仕事をしたのが小田部さんなんです。
- 宮本
- 実は、そもそも小泉さんを採用するかどうかを
小田部さんに相談したくらいだったんです(笑)。
- 岩田
- そうだったんですか(笑)!?
- 小泉
- 面接してくれたのはお2人だったんですよね。
- 小田部
- 小泉さんは卒業制作でつくった
アニメーションを持ってきていて、
それを僕は見ていましてね。
ちゃんと作品をつくっている人なんですよ。
そこで、なぜか僕が面接をすることになって、
しつこくイジワルな質問を小泉さんにしたんです。
「アニメーションがこんなによくできているのに、
なんでゲームの世界に来たいの?」とか。
- 小泉
- そこで僕も、アニメーション論をぶって、
さらにゲーム論もぶったんです。
- 岩田
- 小田部さんの前でアニメーション論をぶち、
宮本さんの前でゲーム論をぶつなんて、
すごい学生だ(笑)。
- 一同
- (笑)
- 小泉
- そのとき、まさか目の前に
小田部さんと宮本さんがいるなんて
知らなかったんです。
名前は知っていても、顔までは知らなかったんですね。
しかも、学生ですし緊張してるじゃないですか。
ここは勢いでいくしかないなというので、持論をぶって・・・、
いま考えると恐ろしいことをしました(笑)。
- 小田部
- で、小泉さんは
キャラクターのイラストを描く仕事を
ずっと続ける予定だったんですね。
宮本さんからそう言われていましたし。
- 宮本
- 育ててほしいと言ったんです。
- 小泉
- えっ、知らなかった・・・。
- 小田部
- その時代によく覚えているのが『マリオカート』(※16)ね。
東映動画で教わったことなんですけど、
「本物を見たほうがいいよ」と。
無理やり予算も取ってもらって。
- 小泉
- それで、ロケハンしに行ってきたんですけど、
初めてカートにも乗って、
カートの構造もしっかり観察しました。
- 小田部
- やっぱり写真を見たり、インターネットで
資料を検索するだけではダメなんですよ。
本物を見て、自分のなかに全部を取り込まないと。
その経験は『マリオカート』にも活きてたよね、ちゃんと。
- 小泉
- はい。おかげさまで。
※16. 『マリオカート』=『スーパーマリオカート』。1992年発売のスーパーファミコン用ソフト。
- 小田部
- そうこうしているうちに、
ゲーム開発のほうの人が足りなくなって、
小泉さんがひっぱり出されることになったんだよね。
- 岩田
- 宮本さんが「育ててくれ」とお願いしたのに
やっぱり返してくれと(笑)。
- 小田部
- だから僕は
21年も任天堂にいるハメになったんです。
- 一同
- (笑)