慢性的な医師不足に悩む平戸市度島(たくしま)町(度島)の島民たちが島で唯一の医療機関で「命綱」である市の診療所(医師1人)を守ろうと「度島の診療所を支える会」(吉村初實会長、14人)を立ち上げた。度島では昨年春、同市内の別の市立病院を退職予定だった医師に頼み込み、「2年程度なら」との約束で診療所長になってもらうなど医師確保の苦労が絶えなかった。支える会は、診療時間外に軽症でも診察を頼む「コンビニ受診」を控えるよう島民に啓発したり、医師への感謝の気持ちを伝えるなど医師との意思疎通を明確にし、島民自らが診療所を守り続けていく。
度島の北方にあり、医師一人で診療所とその出張所の2カ所をかけ持ちしている同市大島村(的山大島)でも、島民が協力して医師確保や診療所の充実を図る「大島の医療を考える会」(仮称)が今月中にも設立される。
度島は平戸港からフェリーで北へ約40分で、人口約900人。度島診療所は1956年11月に開設。66年10月から7年ほど常勤の医師が見つからず、平戸島の市立病院の医師が週2日、出張で診察していた時期もあった。市保険福祉課は「長時間勤務など過重な勤務環境の影響で、今も離島を希望する医師は少ない」と危機感を募らせる。
今回、度島の島民は市とともに、同市生月町の生月病院を昨年3月で退職の意向だった柴田匡之医師(67)に「診療所長としてまた来てほしい」と要望。柴田医師は98年8月から4年間、度島に勤務した経験があり、島民との信頼関係も厚かったからだ。
柴田医師は自宅がある佐賀市川副町に戻るつもりだったが、顔なじみの島民の強い希望に「2年間程度の勤務だったら…」との約束で昨年4月、度島に着任した。
支える会の吉村会長は「島民にとって診療所は命綱でなくてはならないもの。柴田先生には1年でも長くいてもらいたい」と話した。
=2009/02/03付 西日本新聞朝刊=