
今日も家とミスドにこもってコブリアワセのネーム作業でした。
歩くコーヒーペットボトルと化してお腹がちゃぽんちゃぽんいってます。
ドラゴンエイジPure誌掲載の読みきり作品「シンデレラシューズ」の全頁解説第5回です。
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これ以上ないほどに、果てしなくネタばれなので
必ず本編を読んだあとで読みすすめてください。
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■p10(p156)
12時過ぎを示す時計塔<ビッグベン>の脇を通って自邸へ帰るシーン。
言うまでもなくシンデレラのシーンをイメージしており、
馬車のシルエットもカボチャっぽくなるようデザインしてあります。
しかし橋の上の馬車がわかりにくいので、輪郭に照明から受けるハイライトを入れておくべきでした。
ロレンゾが浮かれるアマリに「見つかったら大変でしたよ」とか言ってますが
実際問題、大会社を引き継ぐ子息が自社パーティに紛れ込んでバレないわけがないのですが、
ここはお城でのシンデレラの”変身”に継母や娘たちが気づかなかった定型を踏まえてあるので
ご都合っぽい印象はそれほど受けないかと思います。古典を下敷きにすると、こういうとき言い訳に助かります。
■p11(p157)
王子様への憧れをミーハーに語るシンデレラ。
思春期っぽい思いこみで恋に恋する状態なアマリに対し
おとぎ話の王子様をにべもなく否定するロレンゾ。
冒頭に続いてのおとぎ話(王子様)否定は、ロレンゾの中のおとぎ話を信じたい、王子様になりたい願望の裏返しですが
お姫様と釣り合う王子様は生まれながらに選ばれた存在であり、そもそも男じゃないとなれないという
階級社会と性差の2重の越えがたい障壁で立ち塞がれている状態でロレンゾはコンプレックスを抱えています。
それが無邪気に王子様語りするアマリに対して苛つく態度で垣間見られるシーンとなっています。
アマリもまた性差という障壁によって生まれながらにシンデレラになる道を閉ざされているわけですが
それでも愚直なまでに諦めずに追い続ける姿勢と、願望を胸中に燻らせつつ諦めようしているロレンゾとの対照構図となっています。
■p12(p158)
お前は男じゃん、と根本的な指摘に現実に引き戻され素がでてしまい、オッサンくさくどっかと腰を下ろすアマリ。
このシーンは「トランスアメリカ」という映画で性転換手術を控えている男性主人公が
自分に子供がいることを知りショックを受けて、女装の状態でベッドにのっそり腰を落とすカットを思い出しながら描きました。
この映画の女装主人公を演じているのはフェリシティ・ハフマンというベテラン女優で、熱演・怪演をたっぷり堪能させてくれます。
主人公役は調べるまで正直男だと疑わなかったので女性と知ってビビリました。
女装男性に見えるようなメイク、声質を意識してたとはいえ仕草とかもやたら生々しくてこの役者はただ者じゃない感じです。
パッケージは何かつまんなさそうだし性差がテーマだとなんだか及び腰になりそうですが、娯楽作品としても質が高くて
アメリカとジェンダーを横断する非常に良くできたロードムービーでした。オススメ映画です。
■p13(p159)
後段で手術し旅立つことを暗示させるシーン。
道をそれぞれに模索している二人を、ひとつの行くべき先を指し示すかのように宇宙港の灯台の光が照らし出します。
・・・というのはペン入れ段階で思いつきました。
ネーム・下書きではここはまだロンドン市街で宇宙港も灯台もなかったのを、灯台が見える郊外に変更しました。
直感的に浮かんだアイデアですが、結構お気に入りの演出です。
一生懸命考えたアイデアより、ポっと思いついた物の方が良かったりするのは
まま良くあることで困ったもんです、、、。
レンズフレアはmdiappのウニツールで表現してみましたが
静止画のマンガでは照明変化を表現するのは難しいですね。
■p14(p160)
蜃気楼のように地平の果てにある宇宙港と、魔法のように頭上に浮かぶ宇宙飛行船。
宇宙港はあえてファンタジックな意匠としました。
宇宙港はアマリにとって閉塞した現状から逃れる外界への扉となる(ある意味、現実逃避の具現です)ので、
王子様とお姫様が永遠に幸せに暮らすおとぎ話のお城のようなデザインが
しっくりくるんじゃないかと思ったので。
馬車の後部や火星行きの宇宙飛行船の底部で光ってるのは、燃素によるスターリングエンジンや慣性制御機関の放熱板です。
効率を考えたら、底部より上に付けた方が良さげなんですが、飛行船はほぼ下から見上げる構図でしか使わないのでこういうデザインになりました。
ちなみに今作では出てきませんが、英国の永遠のライバルフランスには金星行きの飛行船も存在しており、
太陽エーテル風に逆らって航行する都合上、涙滴・流線型の優美な外観をしています。
飛行船は手の届かぬ自由の象徴としてこのあとも要所要所で出てきます。
■p15(p161)
マザーグースの”What are little boys made of ?”を唄うアマリ。
童謡は子供のためにあるもの、親が子にきかせるものですが、
子供ではなくなった人間が誰に聞かせると無しに童謡を歌うとなんだか感傷的になりますね。
それはなぜなんだろうとか考えながらこのシーンを描いた覚えがあります。
本編でのこのシーンではアマリは、子供のような無邪気さで女性への憧れをこめて歌っています。
しかし、マザーグースやグリムが示すように子供の無垢さ純真さは時に身勝手や無知、残酷さといったものと表裏一体なものです。
アマリは色々な経験を経た後段で再びマザーグースを歌いますが、ニュアンスが変わる仕掛けとなっています。
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