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少年兵シベリアに生きる


序  章

 アスファルトの割れ目からタンポポが咲く頃になると、否が応でも六十年前を思い出します。飢えに耐え切れず食べたタンポポやオバコの草が命を救ってくれました。

昭和二十年(一九四五年)八月十五日、日本は戦争に負けました。武装解除と共に捕らわれの身になってソ連軍の監視のもとに連行され、後に船倉に詰め込まれて着いたその場所は日本の地ではありません。食い物も与えられず、歩いて、歩いて、やっと辿り着いた所は、最果ての炭鉱の谷でした。

寒風が夏服の中を通り過ぎて行きます。太陽は昇る気配さえ見せず、日本の外套など何の役にも立ちません。此処はシベリヤ、凍て付いた凍土の上です。千人以上が列を作って並ぶ長い行列。寒い、寒い、提げた飯盒が風にあおられてカタカタと鳴る。
たった一杯の稗(ひえ)の重湯の為に、履いた革靴は凍って木の靴の様になります。

何故、如何して、下級兵士だけが寒さに晒されるのでしょう。この行列の半分近くは春を迎える事は有りませんでした。ストーブを囲んで談笑する将校が恨めしい。有無を言わさず、戦争に駆り立て、絶対命令で命を掛けて戦って来た部下達なのに、寒さに震え、飢えに苦しむ兵士の事は気にも留めなかったのでしようか。

敗戦から六十年を迎えます。未だに近隣諸国は痛い古傷をかき回して攻め立てます。精一杯謝罪して来たと言うのに、四年間のシベリアでの過酷な労働は何だったのでしよう。捕虜に人権などはなく、やっとの思いで生きて帰れば、勝手に赤いレッテルを貼られます。私達少年兵は誰に向って叫べば良いのでしよう。

平成元年九月二十日青春の代償として「銀杯」が一つ送られて来ました。此れだけの値打ちしか無かったのでしよう。あの時、極度の栄養失調と寒さの為、沢山の兵士が亡くなられています。暖かい外套と、もう一杯の重湯で生き残れたかも知れません。銀シャリが食いたいと言い残して逝ってしまった兵士は、何の大儀の為に亡くなったのでしょうか。

今も尚、その兵士達の屍は、人の訪れる事の無い原野の丘に、狼の遠吠えを聞きなから眠って居ます。鎮魂の思いで此れを書きます。



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