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私の知っている中国
  

十一歳の春に河北省天津市の両親の下に参りました。
其れから昭和二十年迄中国で暮らしました。
初めの一年余りは日本租界に家が在りました。
その後は最後迄特別三区と云う昔ロシヤ租界だった所に住んで居ました。
此処は日本人は比較的に少なく中国人が沢山居る町でした。
日本租界に居た時より彼等の生活も垣間見る機会も多く3千年の歴史を覗く事が出来たかも知れません。
其れと学者の目と違って子供の目で見た中国とはかなり違って居るかも知れません。

引越した処は特三区九径路宝和里と云う前の道の向こう側は小さな堀が在りその中は学校の運動場が二つ位出来る広っぱでした。
其の向こうの方に大同特殊鋼と言う日本の工場が在りました。
ロシヤの人が造った街ですから大変道幅が広く殆どの路は車道も歩道も舗装されて居ません。
出来る前に革命が起こってロシヤ帝国は倒れたのでしょう。然し並木のアカシヤは大木に育って他の租界のより遥かに大きく堂々として居ました。
然し冬に成ると建物の少ない街は冷たい北風が土埃を巻き上げてとても淋しい街でした。この街で初めを入れると三回引越しをしました。中国人ばかりの胡同(フートン)の傍にも住みました。バスの走って居る幹線道路沿いの家には兵隊に行くまで居ました。

日本人だからと云った不安を感じる事は一度も有りませんでした。中国人は大変大らかで一度友達に成ると裏切る事は有りません。朋友(ポンユウ)と云われるともう裏切れないと云う感じします。


然し商売は全然別の世界の事です。100パーセント信用出来ません。半額に値切って喜んで居たら向こうは舌を出して居ます、食べ物は別ですが食料は絶対そんな事は有りません。
此の辺が3000年の歴史です。テレビのお宝拝見で中国土産は出さない方が良いですよ、自分で信じて大事に飾って置く事です。あの様なお宝を造るのも売るのも天才です。

私達が居た頃は偽札が多く出回って居ましたが日本人は見分けがなかなか付きません。彼らは一目で「ジャー」偽物と見破ります。矢張り歴史の差ですとても敵いません。
次はアルコールお酒の事です、酒で酔っ払って前後不覚に成るのは日本人だけだと思います。
私は中国に居た間日本人以外の酔っ払いを一度も見た事が有りません。路を酔って歩くのは外出中の兵隊さんが多かったですが、世界の民族の中で酒に弱いのは日本人が一番だと云う話しです。
老酒(ロウチュウ)は日本酒と同じ位ですが、白酒(パイチュウ)の良いのに成ると90度以上のが在るそうです。其のお酒を下に置かずに回し飲みをする彼等にはとても付いて行けません。


良く中国人の夫婦喧嘩を見ました、物凄く派手にやります家の中でジメジメした喧嘩では有りません。
胡同に出て来て嫁さんが大きな声で喚きます、近所の人が全員出て来て嫁さんを取り巻きます。嫁さんはこの時とばかり亭主の悪口を並べたてます。片一方では亭主が嫁の悪い事をまあ聞いて・まあ聞いてとやり合いますが、大抵母ちゃんが勝利して亭主が負けます、皆に宥められて静かに成ります、此れが大陸的夫婦喧嘩後に残さないのでしょう。
亭主は奥さんに逃げられたら大変です。高いお金を出して貰った奥さんですから。父の倉庫で古くから働いて居た劉と言う男は家の方にも手伝いに来て良く働く男ですが、幾ら経ってもお嫁さんをよう貰いません母が「早くも貰うように」と進めたら、どんなシステムに成って居るのか知りませんが「五百円」の人が居たと云って来ました。内地の大学卒の給料が四十円位の時代の五百円です安い値段では有りません。母がお金を出して結婚式を挙げましたお礼の料理が一袈届きました。
彼等は結婚式と葬式をしたら財産は無くなると云っていました。其れでも喧嘩をしたら旦那の負けです。あの頃は未だ清の時代の風習が残って居たのでう。


結婚の話をしたら矢張り終点の葬式の話しを、葬式の行列は滅多に見ないので相当の金持ちしか行列は出来ないのでしょう。綺麗に飾った神輿の様なものに死者を乗せて大勢で担ぎ其の前後を五六〇人の送る人が並び其の中に泣く専門の雇った泣き専門のおばさんが涙や鼻水を出して続きます。私達は泣き婆と言って居ましたがその人数の多さで位や資産の上下が解ると云って居ました。


長い歴史の大陸の国、時の流れはゆっくりと動いて行きます。朝お爺さんが大きなアカシヤの木の下で雲雀の入った鳥篭を置いて坐って居ます。学校を終わって四時頃帰って来ますと其のお爺さんは同じ所に未だ坐って居ます。
お爺さんは其処でツクツクポーシと鳴く蝉を待って居るのです。其の蝉が来ると雲雀の耳に被せて居る小さな覆いを外して蝉の声を聞かせます。蝉が居なくなる迄いつも同じ場所に坐って居ます。やがて雲雀がツクツクボーシと鳴くそうです。
私も其の当時の彼より歳を取ったと思いますがとても真似は出来ません。正に大人(タイジン)の国悠々と時を過すと云う感じです。


最後に中国人と云う人。日本人と余り変わらないのでしようが、はっきり云えるのは日本企業が行っても必ず広い黄土に飲み込まれて仕舞うでしょう。コセコセと働く日本人を微笑みながら飲み込んで行くでせう。其のてんヨーロッパの企業を見習うべきです。昔から目立たないけどきっちり儲けを本国に送って居ました。大陸では目先に捕らわれると大河に飲まれて仕舞いますよ。十八歳迄過した大陸私は好きでした。


第二の故郷中国へ