Q&A’03f・「ガイア・アセンション」シリーズ
頂いたメールへの応答の中から、共通の関心事と思われるものを抜粋して掲載しています。
原文のまま掲載していますが、固有名詞はアルファベットなどに置き換えてあります。
また、冒頭・末尾の挨拶やテーマに直接関係ない部分は省略してあります。
【目次】
(Q)(03/10)のQ&Aを読みまして、質問させていただきます。
3ヶ月位前から、時々左の胸部がブルブルと振動することがあります。
携帯電話をマナーモードにしている時の振動に似ています。
(弱い振動が何度か繰り返されます。不愉快なものではありません。あれっ・・・???という感じです。)
人体がこのように振動するなどとは聞いたことがありませんので気味悪く感じていました。
病院で受診しようかと思ったのですが、モーターを埋め込んだような症状と言っても笑われそうなので行かずにいます。友人に話したところ、大爆笑でした。
9月には振動を何度も感じていたのですが、10月の最初に背部に(心臓と胃の裏あたり)痛みがあり、強い肩こりの症状が持続した後は、2、3回振動を感じた程度で現在はおさまっています。
これは、横隔膜の拡大に関係があるのでしょうか。
また、アセンションに伴って、なぜ横隔膜は拡大するのでしょうか。
(A)あなたがそれに該当するかどうかは判断がつきませんが、横隔膜は変化の一部です(同じことが起こっている可能性があります)。
まず最初に、これまで眠っていた遺伝要素が活性化すること、次にDNAに第3鎖が追加されることです。その先もありますが---。
これに伴ない、からだの構成が、概して大きくなる方向に変わってくるわけです。
(Q)はじめまして、最近小松さんのホームページを知り、大変うれしく感心しながら勉強させていただいてます。
実は、私は1999年から体内に感電のような気のながれと共に、生活に関するアドバイスのようなラジオ的な聞こえ方の幻聴をききだしました。
始めは戸惑い、バリ島に住んでいるため、現地の霊能者のかたに見ていただき、「悪いものではないので気にするな」といわれ、ただ「あまりにも聞こえつずけていて、つかれてるのが、かわいそうだから」と強すぎて違和感のあった振動を弱めていただきました。
その時点では、私は日本で電波系といわれる幻聴をきく精神病患者がふえておることも、アセンション、フォトンベルトといった事柄もまったく知りませんでした。
その後ある日、偶然プレアデスの本を読み感ずるところがあって―
なぜなら、振動を感じて以来、胸の横隔膜がまるで内側からギブスでもはめられているかのように開きっぱなしのような感覚になり、猫背になれないで胸が大きくなり、健康的になってたのです。
ただ、私としてはわけがわからないので戸惑い、その不慣れな感覚にストレスをかんじていました。
が、もしかしたら、霊能者の方が「悪いものではないから」と言ってたのは本当だったのではと感じました。
実は強すぎる振動を弱めてもらってから、また胸が徐々に小さくなり、横隔膜をむりやりひらかれている違和感からも解放されほっとしていたのですが。
その後、感謝の気持ちや人を心から思いやる意識状態になると、その振動がなんともいえない暖かく気持ち良いもの、に変わるようになり、言葉は悪いのですが、ドラッグでハイになるとこんな感じかしらと言うような至福感がながれます。
ただひとつ気になるのが、これはアセンションのヒントになるものなのか、それとも意識を吸い取るための電気的な仕掛けに載せられているのか、判断がつかないのです。
なぜなら、ときにプラズマ映像のような鮮やかな映像を見るときもあり、おとといはカルフォルニア震度8.2などという図面が突然表れ、気になっています。
潜在意識が作りあげた妄想のビジョンかもしれないし、自分で判断しかねます。
私自身アセンションにはほど遠い汚れた意識を手放せないでいると、自覚しています。
もちろん私が救われなくても良いから、周りのためにも、浄化して行こうとは思ってますが。なぜならもう十分幸せだから。
まとまりの無い文になってしまいましたが小松さんの知っておられる範囲で私の体内の振動や幻聴幻視について、説明していただけたら幸いです。
(A)波動が低落する前の、もともとの人類は、誰もがあなたのような知覚力を持っていたのです。
今では、あなたのような方は比較的少ないですが、例外というほどではありません。
しかし、それを否定する社会環境に置かれているために、本来有効活用できるはずのものを、邪魔者のように感じる場合が出てくるわけです。
テレビやラジオそしてケータイ、また高次元からのものや人間の想念も含めて、ありとあらゆる波動が空間を流れているので、その一部分をキャッチしたとしても不思議ではありません。
むしろ積極的に感覚を磨いて、テレビのチャンネル合わせのように、意志によってコントロールできるように努めてみてください。
そうすれば、「特異能力」を楽しむことができるでしょう。
決して否定的に考えないこと、そして抵抗しないことです。
問題は意識の焦点の合わせ方なので、出てきたものから逃げようとしないで、積極的に感じ取るようにするのがいいでしょう。
そのときの状況を、ノートなどに記録して、経過を観察するといいでしょう。
もし何か危険な兆候を感じたら、「意図」をうまく使ってください。
普段の心のあり方も大切なので、次を参考にしてください。
アセンション・オンゴーイング[第12回] 意図の「アセンション・パッケージ」
横隔膜の拡大は、アセンションに伴なう肉体の変容の一部です。
あなたは進度が速かったのでしょう。ちょっと残念なことをしました。
今後は、からだの外見が変わってきても、それに抵抗しないことです。
体の振動は、あなたの「特殊な」感覚の一部で、悪い性格のものではありません。
DNAレベルで、体の変容が進んでいるかもしれません。
否定的に考えず、状態を受け入れるようにしていれば、いずれ慣れてくるでしょう。
(Q1)昨日あなたのページを発見したものです。
私も今はTVを止めております。
NHK海外ドラマの{ロズウェル}の放映が終わったのをきっかけに。
このドラマは大変に面白かったのです。
地球で繰り広げられる宇宙勢力の駆け引きなどは小松さんの文章と類似します。
おそらくは役割分担の書き方が相当違っているでしょうけれど。
私が見始めたのは第二シリーズの「リズの決断」という回からで、主人公のリズ・パーカーの恋人でエイリアン(正確には1947年ロズに墜落したUFOで逃れてきた宇宙人が死ぬ前に、人間のDNAを利用して作った惑星アンタールの王の地球版)のマックスが、2014年の奴らの総攻撃で地球が滅びる時に過去の間違いを訂正するために、2014年の未来からやってきます。
そしてリズ(地球人)に「テスという結ばれるはずのアンタールの王妃の生まれ変わりを袖にしてリズと結ばれたために、テスとバラバラになって力が出せなかったために地球を救えなかった」のようなことを言って、未来を変えるために現在のマックスを拒否せよという内容でした。
もしかしたら正邪の取替えなどがあるかもしれないけれど小松さんの話に類似しています。
2012年じゃないけれどこのドラマすごい人気だったのに、なぜかスポンサーに見放され第三シリーズ骨抜き状態で終わっちゃいました。
なんか深いですね。
(A1)エイリアンの襲撃などという話に、安易に感心しないことをお勧めします。
いま問題なのは、宇宙人ではなく地球人です。目を開けて世界を見れば、すぐ分かるでしょう。
下記を参考にしてください。
(02.11.04)スピルバーグ監督の「テイクン(Taken)」は(たぶん)お薦めできる映画ではない
(Q2)日ごろより小松様のガイア・アセンションを愛読させていただいております。
お忙しいなか誠に恐縮ですが、ゼカリア・シツチンで有名になりました惑星ニビルが、ZetaTalk のホームページなどによりますと、2003年5月15日にその接近が大津波や日(火?)の雨が起こり人類の大半が甚大な被害を被るとのべています。
そういえばファチマ第3の予言に符合するような気も致します。
そこで、小松様のお考えでは来年の5月15日のニビルの接近と(疎開)が同時期になる可能性について、ぜひご見解をメールもしくはホームページにてお教え下さいますようお願い申し上げます。
(A2)あなたへのアドバイスは、ネットサーフィンをやめることです。
このような情報をかき集めているうちは、あなたは一歩も前進しないでしょう(いま必要な情報は、「地球の波動が上昇しつつある」ということだけです)。
まず、識別力を身につけてください。
2003年(今年)の5月15日に、実際に疎開しましたか?
ニビルはAD1800年頃、遠日点にいたはずなので、3600年の周期から勘定すると当分接近は考えられません。
(Q1)以前から小松さんのウェブページのことは知っていて、断片的に読んだりはしていたのですが、つい最近あらためて「地球人の覚醒」を全部通して読んでみました。
それで、興味が湧き「アセンション・オンゴーイング」や「Q&A」も読みました。
大変勉強になりました。今は、ページ上で紹介されている瞑想法をやってみたり、前よりも外に出て散歩をするようになり、その効果の大きさに驚いています。
問題が浮上してきたり、精神的にストレスのかかる出来事に直面したりすると、早くアセンションしてくれればいいのになぁ、と「待ち」の状態に入ってしまうこともありますが、瞑想中や散歩中はただただ存在しているだけで嬉し楽しいという状態で、アセンションが来ても来なくても幸せという感じです。
いつもこの状態にいられることが理想ですが・・・。
さて今回は、いくつかお聞きしたいことがありメールいたしました。
ひとつは、小松さんは「意図すること」を強調していらっしゃいますが、所々で「選択すること」や「あらかじめ感謝すること」、また「肯定形で述べること」についても触れていらっしゃいますよね?
「神との対話」にも上記四つが創造するためのツールとして紹介されていた(記憶が曖昧ですが)ように思いますが、これら四つはなにか違うのでしょうか?
「意図すること」と「選択すること」は比較的に近いように思いますが、「あらかじめ感謝すること」と「肯定形で述べること」は前者二つとは少し違うように思います。
「アセンションを意図します」、「アセンションを選択します」、「アセンションしたことを感謝します。ありがとうございます」、「わたしはアセンションします」のどれが一番いいのだろうと時々迷います(たいてい、意図しますを使います)。
話が逸れますが、「〜を意図します」という表現は普段ほとんど使わないせいか、今でも少し違和感を覚えます。英語の"I intend to..."や"I intend
.... to...."の方がしっくり来る感じです。
ふたつめは、意図したことが現実化するまでは「懐妊期間」があり、そのプロセスをいじくることは望ましくなく、一旦意図した後はその意図を手放す必要があるとのことですが、これは一旦意図したら現実化するまではその実現を信じているだけで、もう同じ意図を繰り返す必要はないのでしょうか?
何度も同じことを意図するのは、その現実化を信じられていないような感じを受ける一方で、その方が意図が強化されて現実化も早まるのではないという気もします。
(A1)始めに、「意図する」という表現について言えば、ここでの使い方は、どの文明にとっても一般化されたものではありません。
近似的に近い表現を援用しているわけで、要は「慣れ」の問題だけです。
言語は、それぞれの文明のあり方と密接に関係しており、それぞれ特徴がありますが、どれが優れているいうような判定は簡単には出来ません。
次に、意図したことが実現するかどうかは、意図の仕方よりも、その実現についての、あなたの信頼の深さによって決まることを知っておいてください。
したがって、実現についてのあなたの信頼が十分に強ければ、端的に言って、どんなやり方でもいいわけです。あまりスタイルを気にしない方がいいでしょう。
声に出して唱えるもよし、暗黙の思いでも結構です。
一般に、明示的な意図は一度やれば十分で、その後は、その通りになるという信頼感が持続できていればいいわけです。これは、「忘れてしまってはいけない」ということではなくて、意識(または潜在意識)の中で信頼感が崩れていないという意味です。
しかし、意図するテーマが多岐にわたっていて、安定的な意識状態を保てないような場合は、次善の手段として、同じことを繰り返して意図してもいいでしょう。意識を絶えずリフレッシュして、感度を落とさないようにするわけです。
また、物理的な結果を伴なわないテーマについては、意図すれば直ちに実現して、それで終わりということもあります。
一方、「選択する」のは、「意図する(宇宙へインプットする)」前の段階の意思決定です。
さらに「感謝する」は、「意図する」より軽い感じで、日常的に使う意味とほとんど同じです。こちらは、むしろ繰り返して唱える性質のものです。
ただそれを、既実現・未実現に関係なく完了形(実現した状態)で表明するのは、宇宙の仕組みに適合させるためです。
例えば、水や液体を飲む都度、「健康にしていただいてありがとうございます」と唱えます。
(Q2)《一般に、明示的な意図は一度やれば十分で、その後は、その通りになるという信頼感 が持続できていればいいわけです。》
ということは、「わたしはアセンションを意図します。」といった意図も一度やれば充分ということでしょうか?
信頼感を持続させるために、時々同じ意図を繰り返すというのは有効だと思うのです(これが、小松さんのおっしゃる、「安定的な意識状態を保てないような場合は、次善の手段として、同じことを繰り返して意図してもいいでしょう」という言葉の意味だと理解しています)が、これが"懐妊期間をいじくる"ことになるのではという思いもあります。
ウェブページ上の記述からは、はっきりと読み取ることが出来なかったのですが、懐妊期間をいじくるというのは、一度意図したこととは違う意図をすると言ったことをさすのでしょうか?だとすれば上記のぼくの心配は無用ですね。
《一方、「選択する」のは、「意図する(宇宙へインプットする)」前の段階の意思決定です。 さらに「感謝する」は、「意図する」より軽い感じで、日常的に使う意味とほとんど同じです。こちらは、むしろ繰り返して唱える性質のものです。
ただそれを、既実現・未実現に関係なく完了形(実現した状態)で表明するのは、宇 宙の仕組みに適合させるためです。》
「神との対話」では意図することも感謝することも実現した状態で表明すること(「わたしは何々です」)も、同様な作用をもたらすように書かれているように思いますが、小松さんの考えでは自分の意志を宇宙にインプットする最適の方法が、意図することということでしょうか?
(A2)信頼さえあれば、形はどんなものでもかまいません。自己流で結構です。
しかし最適の方法は、一度だけ「意図して」手放すことです。
同じことをリピートする場合は、確信の駄目押しという感じでやることです。前のが弱かったかもしれないから再度やるということではなく。
次善の策というのは、いつの間にか日常の雑事に埋没して本来の目的を見失うよりはマシ、という程度のことです。
同じことを反対に意図するのでないかぎり、意図の対象が多数あるのは当然のことで、何の問題もありません。
「アセンションすること」に限っていえば、日常の意識のなかで、それが「通奏低音」のようになっているのが理想です。
【参考】アセンション・オンゴーイング[第12回]意図の「アセンション・パッケージ」
(Q)私は以前、日本やアメリカの金融機関に勤務していたのですが、平成のイワト開きということで、何故か北海道から九州まで富士という名のついた山を巡るめぐりあわせになってしまい、一回人生をご破算したような経緯がありました。
今は、宇宙科学を地球に降ろすお手伝いができればと思い、特許事務所にて国際出願を担当しています。
主としてエレクトロニクス関連の出願が多いのですが、もうすぐ地球は電気エネルギーの波動を受けつけなくなるとのことで、磁気波動のエネルギーというのが、近いうちにこの地球で開発可能なのかしらと思いメールさせていただきました。
最近、燃料電池というのが出てきましたが、2004年までには、あまり時間が残されてないような気もするのですが。
(A)アセンションに関わる状況は、地球自身のアセンションのペースと人類の意識変容の進度などによって刻々変化しているので、具体的な年月に関することは、なるべく新しいページを参照してください。
「Q&A'01」(01/05)《アセンションの実質期限》に、次のように書いてあります。
「つまり、人類が電気をエネルギーとして使用できる最終期限の予想が、2007年ということになります。」
---これすらも幅のある話ですが。
本件については、下記も参考にしてください。
・「Q&A'01d」(01/12)《電気が使えなくなる時》
・同《「2007年」の意味》
・時代の分水嶺[第4回]「地球の魂が語る―これからの地球」《「先端技術」のほとんどは使えなくなります》
・アセンション・オンゴーイング[第5回]「アセンションの新展開」《難航するグローバル・アセンション》
問題は、地上の人類の大勢が、地球の波動上昇など「どこ吹く風」という状況にあることです。いま世界で行われていることをみれば、これは疑問の余地がないでしょう。
電気のことを心配する前に、まずこちらを心配しなければなりません。
電気や放射性エネルギーからの離脱は、アセンションのプロセスで避けることができない課題です。私たちには選択の余地がありません。
私たちの「グレート・セントラル・サン」に由来するフォトン・ベルトは磁気波動のエネルギーで、地球はすでにアセンションを選択して、本来のものである磁気波動に移行しつつあるからです。
実際問題として、エレクトリックな人間が、マグネッチクなシステムを開発することは難しいでしょう。
逆に、人類の大勢がアセンションを目指す状況になれば、問題解決の糸口は自然に出てくるでしょう。
なお、ご質問にある燃料電池は、石油や天然ガスなどの「化石燃料」から(または水を電気分解して)水素を造ることが前提になっているので、資源や環境問題の本質的な解決にはなりません。
そして、その本質は電気の利用技術の1つですから、「電気の問題」の活路を開く性質のものではありません。
(Q)初めてE-メールを送らせていただきます。
友人から紹介してもらって以来、ほぼ毎日ホームページを拝見し、私の人生の指針とさせて頂いております。
ちょっと大袈裟に書きすぎたかもしれません・・・が、私が最も信頼を置いている情報のひとつが小松様の発信されている「ガイア・アセンション」シリーズなのです。
いつも人生に大切なヒントをいただき、本当にありがとうございます。
他の読者の方からも、もう質問があったかもしれませんが、最近世界各国でつづく一連の大規模停電につきましてお教えいただけませんでしょうか?
アメリカはニューヨークから始まった大規模停電は、
8月28日にイギリス
9月 3日にメキシコ(500万人に影響)
9月23日にスウェーデンとデンマーク(500万人に影響)
9月28日にイタリア・・・・・・・・・・・・・・とつづいております。
「アセンション(8)」や2001年12月の「Q&A」の中でも書かれていますが、ガイアが電気エネルギーをまったく受け付けない波動のレベルを達成するのは、これからの地球や人類の動向によっても変わるので流動的ではあるが2004年頃と予想されていました。
この一連の停電は、ガイアが電気エネルギーを全く受け付けなくなる波動レベルに到達するのが、予想どおり真近に迫っているという解釈でよろしいのでしょうか?
以前の小松様のお答えにあったように、我が家でも家族4人でヒーターより着膨れを選ぶなど不必要な電力消費を避け、根本的なライフスタイルの見直しをした結果、生活の快適さはほとんど変わらずに随分と電力消費を減らすことができました。
環境家計簿を居間の壁に貼っているので減り具合は一目瞭然です。
ただ、エネルギー消費はずいぶんと減ったものの、正直なところやはり生活の基幹部分は電気製品に頼っているのが現状です。
電気エネルギーが使用できなくなる時が目前に迫ってきている現在、磁気波動主体の状態への移行期間にあたる今後の生活に対して、何かアドバイスいただけませんでしょうか?
(A)地球が電気エネルギーをまったく受け付けなくなる時期については、地球自身のアセンションの進み具合と人類の意識の変革状況に関係しており、幅を持って考えた方がいいでしょう。
その進み具合は、地域によっても違います。
「地球の守護者」という人類本来の使命に意識的または無意識的に気付いて、そのように行動する人が多いほど、その地は「マグネチック」になって、電気の働きがうまくいかなくなってきます。
スウェーデンやノルウェーなどでは、電車がスムースに動かないケースが増えているようですが、これは「悪いこと」ではなく「良い兆候」です。
こういう場所では、マイルドな形で早くから状態が出てきて、少しずつ慣らされていくわけです。
そうでない地域では、激烈な状況が突然襲ってくることが少なくないでしょう。
個別のケースについて調べてはいませんが、世界各地で起こっている電気系統の不調のなかには、この現象が先駆的に起こっているケースがあるはずです(そうしたことを信じない当事者は、こじつけてでも「人為的な」原因を造るでしょうが)。
いずれ、誰もが「電気からの離脱」を真剣に考える時がやってくるでしょう。
この問題への対応として、あなたのように実践するのはたいへんいいことです。
電気エネルギーは、アセンションへの前進を妨げる要素でもあるので、それに耽溺することを、できるだけ避けることが望まれます。
例えば、インターネットへの接続をADSLにして、つなぎっ放しにすると、必要以上にパソコンの前に座る時間が長くなるでしょう。
面倒でも必要な時間だけ接続するように、料金も定額でなく従量制にして、自己規制をかけることが望まれます。
同時に、先回りして心配しすぎないことも大切です。
必要な時に必要なものが出てくることを信頼して、現在自分で出来ることに注力することが基本です。
(Q)はじめてメールいたします。
自己を探求しているうちに、「ガイア・アセンション」に辿り着きました。
ここで一番驚嘆したことは、私たちは創造神と同じ神であるということ、神の分身(神である自己)であるということでした。
これは私の魂を覚醒させるに十分な言葉でした。
私はクリスチャンですが、8年ぐらい前から教会に行かなくなりました。
内村鑑三のような無教会派ということではなく、教会の波動が自分と合わなくなってしまったからです。
つまり日曜礼拝に出席をしても自分の居場所を見つけられず、居心地がわるくて行かなくなってしまったのです。
その時期、ちょうど牧師が交代してしまったことが、引き金になったと思います。
どうしても、新任牧師の説教が、魂に響いてこないのです(牧師や説教の良し悪しの問題ではなく)。
実際、他教会の牧師や役員から、陰湿なイジメをうけたこともありました。
これは私の信仰の持ち方が悪いのだろうと思い、自分自身を責めた時期もありました。
しかし、求めるものが教会では見出せなくなり、聖書以外にも神を求めるようになったのでした。
例えば、「思考は現実化する」のナポレオン・ヒル成功哲学を勉強したり、エドガーケイシー著作を読んだりしていました。
そして辿り着いたのが、「ガイア・アセンション」であったわけで、「あなた自身が神なのだ」という言葉でした。
結局は自己の中に神を見出したということでしょうか。
It's all in the mind
すべては心の中にある
イエス・キリストが本当に伝えたかったことは、私たちは神であること、神の分身(神である自己)であるということ、ではなかったかと思います。
2千年前の当時、それをストレートに話しても、人々に受け入れられにくい背景もあったでしょうし、当時の理解力に合わせた言葉で話したのではないでしょうか。
そんなふうに思ったりします。
私は今、小松様の文章をワードに貼り付けて、読みやすい文字の大きさに編集し、印刷、製本して手軽に持ち運び出来るようにしました。
自宅や電車内でもいつでも読めるようにしています。
「私たちが自分の現実を自在に創ることができる、創造主としての能力を持っている」、これを知り得ただけでも素晴らしいことだと思います。
(A)正しく理解して前進されていると思いますが、少し補足します。
宗教や信仰心に係わることは、一見たいへん悩ましいテーマのようにみえるかもしれません。しかし、その根源を探ると、極めて単純な事実に行き当たります。
宗教がらみの全ての問題が、そこから派生しています。
ただそれが、今では人類全体に広く浸透して、その根っこは限りなく深いものになっているのですが。
その根源とは、アヌンナキが行った最大の罪悪つまり、(地球人類を都合よく支配しコントロールし続けるために)人間が本来持っている現実創造力を無いものと思い込ませ、創造者つまり「神」は、自分たち以外にいないと思い込ませたことです。
様々なトリックを駆使して、時には人間の恐怖心を利用して、その「信念」を人の心の深層に埋め込んだのです。これを「アヌのインプラント」と呼ぶことができるでしょう。
これが見事に成功して、何万年の時を経て現在に至っているのです。
傑出した言語学者で、シュメールの粘土板の文字を解読して、核心に迫るアヌンナキ情報を世界に提示したゼカリア・シッチンでさえ、まんまと一杯食わされました(『人類を創成した宇宙人』などの著作があります)。
彼でさえも、アヌンナキの「悪」の本質を見破ることが出来ませんでした。
しょせん彼も人の子で、「アヌのインプラント」をしっかり抱え込んでいたのです(といっても、彼の人類への貢献を過小評価するものではありません)。
アヌ一族とその子分どもは、世界中に散らばって様々な姿で現れたので、「神」のことが、「アヌンナキ」という共通語で伝承されていないことは本質ではありません。重要なことは、「メニュー」の共通性です(例外的に、一部の優れたネイティブで、この「統一メニュー」に従っていないケースもありますが)。
「神」を崇拝する裏には、依頼心と盲従があります。そして当然、自己の神性の完全な否定があります。
これらが、地球人類という種族の、強固な「土壌」になっているといえるでしょう。
釈迦やキリスト、そしてマホメット(ムハマンド)などの高次元の使徒は、この土壌の上にやって来たのです。
むろんこれらの使徒は、教条的で排他的な現在のような宗教を興すことを目的としたわけではありません。
単に、迷える群衆に対して、宇宙の根本原理を様々な語り口で伝えようとしただけです。
しかし、その土壌のもとで起こったことは、使徒が伝えようとする真髄を理解しようとする以上に、依頼心を発動させて現世利益を求め、自己の救済を希求する動きが素早く蔓延したことです。
当然ながら、こうした状況を利用する弟子や後継者たちが現れてきました。
最初は、利用するというよりも、純粋に使徒の教えを広く伝えようとしただけなのかもしれません。
しかし結果としては、教えの中の都合のいい部分だけを編集して経典とし、組織化した教団を維持し拡大することに重点が移ってしまったのです。
その過程で、人間の現実創造力をについて説かれている部分を抹消することについては、おそらくアヌンナキの介入があったのでしょう。
その点だけ抑えておけば、各種宗教の勃興は、アヌにとって少しも痛手にならないだけでなく、大いに利用する価値があったのです。
アヌンナキといえども、全人類の心をコントロールすることは容易ではありません。しかし、少数のリーダーのマインドを左右ぐらいのことには、大して苦労は要らなかったはずです。
人は「神」ではなく、現実創造力を持たない(哀れな)存在だという「教え」を、宗教は、絶えずリフレッシュしながら、より強固なものにすることに「貢献」してくれたのです。
この状況のもとでは、少し気のきいた者なら、「先人」の手法を真似て「即席教祖」になることは難しくありません。
このような者に加えて、何千人も殺した武将など、だれかれなしに祭り上げて「神」を捏造(乱造)してしまうことが、平然と行われてきました。
そしてこの地上が、法の保護も手伝って、「神々」や様々なタイプの宗教の、天国のような場所になってしまったわけです。
また教団は、歴史を通じて、利益集団・圧力団体としても、社会に大きい影響を与えてきました。
こういう次第ですから、帰依や入信あるいは礼拝や参拝にしても、その動機や心情をよくよく考えてみる必要があります。
「何かしらいいことが有りそう」という、何気ない心が問題なのです。
個人的なことなら、全ての答えは自分の「内」にあります。「何かしらいいこと」は、自分で創るものです。
いわゆる「バチが当たる」という観念も「アヌのインプラント」の一部で、実際には、自分の心の外には、心配するような実体は何も存在していないのです。
もっと高邁な動機から、人類の安寧と平和を祈念したいなら、単にそれを意図すればいいわけで、これはどこにいても出来ます。
あえて場所を特定してそれをやりたいなら、人類史上最大の犯罪行為の現場、つまり広島や長崎の爆心地こそ、それにふさわしいでしょう。
このように私たちは、どんな現実も自分の力で変えられることに気付き、自分で選んだこと以外は起こっていないことに気付いて、自分の外に答えを求め続けることをやめる必要があります。
なお、次も参考にしてください。
「Q&A'02d」(02/05)アセンションと宗教について
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