Q&A’03d・「ガイア・アセンション」シリーズ
頂いたメールへの応答の中から、共通の関心事と思われるものを抜粋して掲載しています。
原文のまま掲載していますが、固有名詞はアルファベットなどに置き換えてあります。
また、冒頭・末尾の挨拶やテーマに直接関係ない部分は省略してあります。
【目次】
(03/07)異常な事件
(03/07)インディゴ・チルドレンの教育について
(03/06)意図したら手放す
(03/06)気力が出ない
(03/06)経済学を知らない素人に、教えて
(03/06)「不定愁訴」は「不定」ではない
(03/06)ツインソウル
(03/06)戦争反対を叫ぶのは無意味か
(Q1)Q&Aを読ませていただき、また、長崎の事件(中学生の殺人事件)の報道に接して、お伺いしたいことがあります。
長崎の事件の子供も「インディゴ」だと思うのですが、彼に対する周囲の無理解がひとつの原因なのかなと思って私はみています。
ただ、彼らはどうも命というものの捉え方が一般常識と違っていて、「輪廻転生」の考え方があまりに身についているというか、三次元的な命の捉え方をしていない気がします。
家の子供たちは死んだ人が見えるらしいので、なおさら生と死のボーダーラインがあいまいなようです。
小松様のおっしゃるように、「インディゴ」の子供は人生に必要なものをすでに持っているとするならば、私は彼らに学校教育的なことは確かに必要ないと思うのですが、「人を殺してはいけない」という必要最低限のルールは逆にみっちりと教えてやらなければいけないと思います。
折にふれては「命って大事だよ」などと教えたり、自然に触れさせたり「体験」を大事にしようと努力していますが、この世界の常識に囚われない「価値観」との兼ね合いを教えるのは難しく感じています。
世間が「インディゴ」の存在を広く知るようになれば世界はきっと変わるでしょうが、それまでの間、親が子供にしてやれること、勉強しておくべきことがありましたら教えていただくと幸いです。
(A1)子供たちがみんなインディゴというわけではありません。
本物のインディゴであれば、「全てはひとつ」という根本原理を身につけているので、倫理面は何の心配も要りません。
例の事件について、最も可能性が高いのは、(数年前の衝撃的な事件と同様に)悪しき霊(非物質次元の存在)の憑依だろうと思います。この場合、加害者にみえる者も、本当は被害者ということになります。
いずれにせよ、一般化して論じるケースではありません。
(Q2)『インディゴ・チルドレン』の本に「学友や親を殺した子供たちにあったことがありますが、その全員がインディゴでした」というナンシー・アン・タッペのインタビューがあり、それが強烈に印象に残っていまして、「きちんと命の大切さを教えなければ・・・」と常々思っていたところに今回の事件が起こったのです。
確かに、今度の事件はとても異常です。
悪い霊の仕業なのかもしれません。ですが、あんな子供に悪い霊が憑依するということがまたびっくりです。
思わずテレビに釘付けになって事件に見入ってしまいました。(きっとそれが無駄ってことですね)
話が長くなりますが、昨日幼稚園の特養ホーム慰問のお手伝いで一緒についていきました。
子供が歌ったり、踊ったりするとお年よりはとても喜んでくださいましたし、私も良い経験をさせてもらいました。
私の子供は二人ともとても人懐こいところがありますが、特に下の子はおばあちゃんが大好きで、街でも知らないお年寄りに『おばあちゃんこんにちは!』と声をかけて喜ばれています。
キスも大好きで、昨日もキスしまくっていました。
「あなたは何歳?」などと失礼なことも訊くのですが、みんなうれしそうに答えられるので子供の力ってすごいなあ・・・といつも思います。
そういうことを思い出すと、小松様への質問は「心配のしすぎ」だったかもしれません。
それにしても、世の中が健全な方向に動いて、子供たちが自分らしく幸せに生きられるよういつも「意図」しています。
きっともうすぐのように思います。
(A2)ナンシー・アン・タッペのインディゴの定義と、私の定義は同じではありません。
重なる部分もかなりあるし、インディゴという言葉が便利なので使っていますが---。
私のインディゴの定義は、地球のアセンションの過程で特定の役割を果たすために、いま地球に転生してきている高度に進化した魂たちのことです。しかし、その全員が、「自分」に気付いているわけではありません。
子供たちの中で増えていますが、大人にもいます。
(Q)自閉症児と言われている孫のことですが、彼女はS市にすんでおりまして、この4月から療育センターに週3回通っています。
現在は親子で通っていますが、なかなかなじめずいつも大泣きしているようです。
笑顔が可愛い、歌が大好きな女の子です。
娘は、「私だから、この子を授かった。ほんのちいさなことでも彼女がしてくれると、長女のときの何倍も嬉しい。」といっております。
電話で娘とよく話をしますが、娘の言葉に教えられることが多くなりました。
孫は多動ですので、後をついて行くのが(体力的には)疲れる様子ですが、本人のペースでこれからも育って欲しいと娘は言っております。
自閉症児はインディゴ・チルドレンが多い、心を閉ざしている状態だと書かれておりますが、家族は具体的にどのように対応すればよいでしょうか。
インディゴについて娘に話したことはありません。
孫がインディゴ・チルドレンかどうかということよりも、心を閉ざしているのなら、開いて欲しいなと思います。
遠くに離れて住んでいますので、直接手伝うことは出来ませんが、一日のうちに何度か「おはよう」「げんき?」と孫の心に届くことを信じて声に出しています。
(A)お孫さんについての情報が具体的でないので、判断が難しい面がありますが、自閉症という「診断」を手掛かりに、一般的な考え方をお知らせします。
なお、下記も参考にしてください。
「Q&A.’02e」(02/09)学校に適応できない子供
「多動」ということは、エネルギーレベルが高いことの現われで、結構なことです。
「心を閉ざす」というのは、この社会の価値観の押し付けを拒絶しているということです。すべてのものを拒絶しているわけではありません。例えば、自然に対しては心を開いているはずです。
多くの大人が慣れ親しんでいるこの社会の価値観には、宇宙の真理に忠実な純粋な魂からみれば、とても受け入れることができない倒錯した観念が根本にあります。
したがって、それを拒絶することは、たいへん健全なことだと考えればいいでしょう。
そして教育についても、現世的な概念や価値基準をベースにした、学校で教えるようなものを、きちんと習得して欲しいというのが、多くの親たちの立場だと思います。しかし、そうしたものの必要性は、急速に消えていきます。
おそらく、お孫さんが成人になるはるか前に、この世界は様変わりしているでしょう。
そのとき必要になるのは、知識ではなく知恵です。
そして、インディゴたちには、知恵とそれを補強するアイディアや情報はふんだんに「内蔵」されており、必要に応じていくらでも湧き出してきます。必要がなければ出てきません。
テストという形で、人間を評価したり選別したりすることの根本的な間違いがここにあります。
いずれにしても、年とともに、彼らが適応し易い(現状にしがみつく者が適応しにくい)社会に変わっていきます――初めは少しずつ、途中からからは急速に。
そして、彼らが本領を発揮するようになり、あっという間に、社会で主導的な地位を占めるようになるでしょう。
心配なのは子供たちのことではなく、いま子供たちのことを心配している大人たちの行方です。
(A)私が頂くメールの中で、「意図する」ことについて混乱がみられますので、ここにまとめておきます。
私たちに与えられている最も大きい特性は「創造」です。
私たちは、天賦の創造力によって、自分や周囲環境の現実を創造しながら今生での目的を遂行するために、やって来た存在です。「意図」や「行動」は、そのための具体的な手段です。
ここまでの理解には大きい混乱はありませんが、問題はその先です。
意図したことが実現するまでに、普通は、何年もかかります(波動レベルが上がるにつれ、この期間は短縮されていきます)。
特に多数の者の意識や行動を変えることは、実現するまでに相当な期間を要することが避けられません――その内容が地球の意思に沿い、全体の進化に寄与するものであれば、これすらも不可能ではありませんが。
そこで、いったん何かを意図したら、それが実現することを信頼して、「手放す」ことが肝心です。
しかし、「手放す」といっても、簡単には「忘れてしまう」ことはできないでしょう。
ここから、「完全には忘れていない」点では同じでも、微妙な違いが出てきます。
(Aさん)手放して、その実現を信じている心の状態
(Bさん)ちっとも実現しないと思いながら、いつまでもそのテーマを引きずっている心の状態
(Bさん)のように、いつまでも引きずるのは、うわべだけ意図していて、本心では(潜在意識では)それが実現することを信頼していないのです。
信じていない現実を創造することは物理的に不可能なので、せっかくの「意図」が生きてこないことになります。
(Bさん)のようなワナに嵌まっている方は、自分の創造力を、もっと信頼する必要があります。
そしてそれを、「望ましくない現実」の創造に向けるのではなく、「望ましい現実」の創造に使う習慣をつける必要があるでしょう。
(Q)以前送ったメールで書いた、気功師の方に相談にいきました。
生活パターンを変えないと、治療しても意味がない、と言われました。
その人にアルバイトを紹介してもらいました。
心の病がある人でも雇ってくれるそうです。
自閉症やアスペルガー症候群などの人もいるようです。
おそらくアパートを借りて引っ越すと思います。
時給が安いので、いい暮らしができるとは思えませんが、テレビやゲーム、ネットなどから遠ざかるいい機会かもしれません。
小松さんにせっかくアドバイスを頂けたのに、実行できたのは、はじめだけでした。非常に申し訳なく思っています。
私は意志が弱いので、強引に生活パターンを変えないと、現在の狂った生活・精神状態から抜けられないのかもしれません。
まだ決断できていませんが、もしA県に引っ越す事になっても、小松さんに教えて頂いた呼吸法は続けるつもりです。
薬を飲むと一時的に悩みを忘れる事ができますが、寝起きなど薬が切れた時には、このままでいいのだろうか? という不安感と恐怖感に襲われます。
幻聴・幻覚の頻度は減りましたが、エネルーギーが枯渇した状態というか、最近ではテレビをしたりゲームをしたりする気力もなくなってきました。
何もするわけでもなく、ただベッドで寝る廃人のような生活をしています。
精神科のお医者さんが診たら、典型的な分裂病の破瓜型と診断するでしょう。
現在の怠惰で破壊的な生活から脱出する決断はできていませんが、仕事をする事がきっかけになればいいと思います。
何かしなければ、という気持ちになれたのは、小松さんに頂いたアドバイスを短期間の間でしたが、実行した効果かもしれません。
また、ネガティブなニュースに関する関心は完全に消えました。
感謝申し上げます。
(A) アルバイトの件は、いい話だと思います。
忍耐力を身につけるチャンスだと思って、取り組むといいでしょう。
機会というものは、そうたくさんやって来るものではありません。
私のHPで最近紹介している、「刺絡」や免疫についての2著を読むことをお薦めします。
気力が出ないのは、食事・栄養の片寄りが原因でしょう。
あなたは何億という細胞の働きによって生かされているので、常にそれについての配慮を欠かさないようにする必要があります。
おそらく、ビタミンBとC、カリウム、そしてカルシウムや微量ミネラル(マグネシウム、鉄、亜鉛、銅、マンガン)などが慢性的に不足していると思います。
玄米食に加えて、野菜や果物、小魚や海藻類、そして天然塩を意識的に摂るようにするといいでしょう。
そして、少しずつ運動を増やしていけば食欲も出て、相乗的に気力が充実してくるでしょう。
『新ビジュアル食品成分表』(大修館書店)を見て、更に研究してください。この本は、見ているだけで楽しく知識がつくように編集されています。
一人暮らしをする以上、自炊に親しむことは必須の条件です。
贅沢な食事をする必要はありません。
なお、下記も参考にしてください。
アセンション・オンゴーイング[第1回]「旅立ちの時」《自分の「環境」を創る》
(Q1)経済学を全く知らない素人の私に、教えて下さい。
先日読んだ本で、びっくり仰天しました。
『経済学を知らないエコノミストたち』野口 旭著(専修大・経済学部教授、1982:東大・経済卒)、日本評論社:2002
2000.1−2002.3「経済セミナー」誌に、2年も掲載した経済論壇的記事の集大成らしい。
(その1)経済学の理論的結論の多くが、感覚的な常識:「世間知」と相反する。
つまり、日常感覚:「世間知」を克服することは、経済学者においてさえ必ずしも容易ではない。敢えて言えば、経済学の歴史とは、「世間知」との闘いの歴史である。
経済学の専門知は、「世間知」とは大きくかけ離れているから、そこには当然、厳しい軋轢が生じる。
「エコノミスト」を自認する限りは、「世間知」と戦うという困難な仕事を敢えて引き受けねばならないのは、宿命のようなものである。
(その2)しかし、大多数の「エコノミスト」は専門知を裏切り、意識的無意識的に「世間知」に加担している。
(その3)結論を述べよう。より正しい経済認識や政策的処方の現実化にとっての、もっとも大きな障害とは何か。
それは、経済学を忌み嫌う一般人でも、「素人」としての政治家や経営者でもない。そうではなく、「専門家たち」である。
(その4)反論を述べる対象のエセ「エコノミスト」の例として、[K・R]、[I・S]、[T・H]、[S・S]、[K・T]、[N・Y]、[S・E]、[T・N]。これらのエセ「エコノミスト」の論調に、内容は良くわからないが、種々反論している。
著者の味方の「エコノミスト」は、次の五人などらしい。
[I・K]:G大・経済・教授、[H・Y]:Z省、[O・Y]:C証券、[W・M]:W大・政経・教授、[T・H]:J・ビジネス情報学部・教授
これでは、真贋の「エコノミスト」が、地動説か天動説かを血みどろの論争をしているようで、世間知しか知らない私のような一般社会人には、どちらを信じてよいのか、さっぱり判らない。
経済学者は何も明示し得ない、と言うのと同じである。
(A1)ご質問への正面からの答えにならないかもしれないけれど(というより、これ以外に答えようがないですが)、私から見れば全員不合格。
彼らの論争は、「コップの中の嵐」です。とても付き合う気になりません。
経済学者やエコノミスト、あるいは経済評論家を判断する、「リトマス試験紙」は1つだけです。つまり、《「景気」が無くなったことが分かっているか》---です。現代に通じる「経済理論」は、これだけです。
これでテストすると、全員不合格。つまり、(現実認識を刷新しない限り)みんな社会にとって無用の存在、ということになります。
彼らが余計なことを言うから、政治家やマスメディア、さらに経営者や一般の人まで、「私が景気を良くしてあげる」「景気を良くすることが最大問題」「何よりも景気を良くして欲しい」などと思ってしまう。
しかし、大多数の庶民の(表面意識でなく)潜在意識は、事実を正しく認識しています。
その認識が消費動向を決め、どんな政策手段とも無縁の、経済の本流を決めているのです。
これが本当の意味の「世間知」なのだから、経済学者たちが、これと「闘う」ことは筋違いで、単に事実として認識すればいいのです。
過去十数年を通じて、「見当違い」を埋め込まれた政治家たちがやっていることは、ひたすら墓穴を掘って、国民負担を増やすことだけです。
(Q2)明快な「景気・リトマス試験紙」説、有難うございます。
ただ、正直に言えば、理解・了解できないもやもやを感じていました。
最近、知人の紹介で、慶応大学・政治学の多田真鋤名誉教授:75歳を囲む、15人程の「21世紀を考える会」に月2回出席し始めました。
今やっていることは、輪読会で、講談社現代新書、岩崎武雄著「哲学のすすめ」を、読み合わせして、皆でワイワイガヤガヤやっています。
今日読んだ中に、「幸福」という常識的な人生観・哲学を目指して人間は生きていけばよい。
ただ、「幸福」の内容には一時的とか永続的とか、質的、量的など、いろいろな側面があるが、注目を引いた一句は、「幸福」を得るために絶対に必要なことは、もはや積極的に「幸福」を追求しないということ。
即ち、積極的に「幸福」を追求して達成できないときに不快を感じなければならない。それ故に、いかなる事態に直面しても、追求しないことによって得られる平静な心によって幸福が達成される。
この一句から、「景気・リトマス試験紙」説に理解・納得がいきました。
景気を追求して、一喜一憂するから景気・幸福が達成できない。景気がないと考えれば、平穏・無事な幸福感を享受できる。
このように自分流に解釈して初めて、貴兄の説の深遠さの一端を理解できたような、鱗が落ちたような気持ちです。
果たして当たっているのでしょうか。
〈蛇足〉景気の波動を示す指標が、本当に動かなければよいが、循環的な動きがあると、そうも言っておられないのかとも思い、悩ましいことです。
(A2)ご賢察のとおり、「景気」は今や、すべての先進資本主義国で「青い鳥」なのです。
「景気」が消滅したということは、「景気循環」が消滅したということと同義です。
1990年の「バブル崩壊」によって、日本はその局面に入りました。
そして、ヨーロッパに続いて、(2001年の「9.11」を契機として)アメリカもその局面に入りました。
ただ、「景気循環」を盲信している連中が、引き続き統計をとり続けているので、データとしての変動は出てくるし、それによって昔と同じように「景況判定」をする「愚行」は、今後も続くでしょう。
また、無知や錯誤をベースとした「期待」で動く株価が、上がったり下がったりすることは、これからもあるでしょう。
しかしそれらは、「景気循環」とは別のものです。
この十数年間、一度も「好況」を経験していないことが何よりの証拠です。
なお、(社会のあらゆる階層に誤った認識が浸透している)経済について、正しく理解していただくために、当HPの下記を参考にしてください。
1.「アセンション・オンゴーイング」:復刻版「タスマニアの羊(1)」02/7、「同(2)」02/9――『タスマニアの羊』春秋社、93/11
2.「混迷の星」:「景気はタスマニア・タイガー(1)」98/2、「同(2)」98/3――『混迷の星』風雲舎、99/7
3.「時代の分水嶺」:(第1回)「いま経済の深層で何が起こっているのでしょうか?」2000/7――『アネモネ(時代の分水嶺)』ファーブル館、2000/5
4.「アセンション時局’02b」(02.09.17)「景気」絶滅宣言
5.「アセンション時局’03」(03.01.08)新春メッセージ集(後段の《日本は、相変わらず「失われた10年」の延長戦をやっています。》に続く部分)
(Q)時々小松様にお手紙を出しているカナダ在住のCと申します。こんにちは。
いつも大変参考になるお話、どうもありがとう御座います。
「憑依現象に苦しむ」というお話を、また自分の事のように真剣に読んでしまいました。
彼のような幻覚,幻聴など、ひどい状態ではありません。
ですが、私も人から霊媒体質と言われたことがあり、大きな自覚症状はありませんが、なんとなく、あ〜〜いるみたいと感じることはあります。
私は、今ヒーリングの勉強に励み、光りの存在として、地球や生き物や(地球の動物が虐げられて生存も危ぶまれている状態に、人間の我侭愚かさに怒りがこみあげます、そしてこの現状を何とかしなくてはと、思います)、しいては多くの人々が人間の本質に気付いていけるような活動をしていきたく思います。な〜〜んて生意気な事を言ってすみません。
と、言っている私なのですが、どうも、その、光ではない存在を引き寄せている時があるみたいです。
自分では、毎日、アファーメーションをして、明るい心を心がけ、神様仏様、ガイド様、ご先祖様に感謝しています。
でも、ですね、私の深い根の部分にネガティブな波動があるのでしょうか?
小さい時に、怖い思いをしながら怖い映画などを、親と見ていたりして、そしてすごく怖い思いをして寝た思い出などが
あり、そういうところでそういう存在に波動が合ってしまうのでしょうか?
そういう話しも、しない方がいいと思いますが、その辺がわかりません。
関わらないように、しようとすればするほど、そういう存在が、私の隙を狙っているのを(気のせいかもしれませんが)感じてしまいます。
今は、光に包まれるような努力をしていますが、毎月ホルモンの変化で精神的に落ちこんだ隙に、さっと入ってくるように感じます。
元気な時は、光りに満ちていますので、入る隙がない気がしますが、でも、時々隙を狙っているような感覚がします。
やはり、そういうマイナスの波動に関わるのは、私自身が悪いのはわかります。
でも、無意識のところで引き寄せたくないのに、引き寄せているような現状のような気もします。
でも、小松様がおっしゃっていた方法を私もします。
そして根本からそういうのを跳ね返すぐらい、太陽のような存在になれるようにがんばります。
また、小松様に私の勝手な意見ですが、現在の社会の状況は悪い事この上ないです。
でも、私は社会の現実をしっかり見据える事も必要かと思います。
もちろん愚かな見る必要のないニュースもありますね。
例えが違うかもしれませんが、今の人たちは、臭いものには蓋をするような、見たくないものは見ないと、本当の現実が見えないで生きていけます。
たとえば、保健所にいった犬などは、72時間でガス室に入って処分されることや、公園に捨てられた猫など、カラスに食べられたり、飢えや寒さで死んでしまったり。
今回のSARSの件も、中国で小さい鉄格子に入れられた沢山の(食べるための)動物からSARSのウイルスが感染(極悪な環境)したことなど(バチが当たったとしか思えません)、話せばきりがありません。
実際に、見たくない現実をしっかり見て、そしてわたし達の考え方、行動を改めなければ、愚かな人類は一向にまともにならないのではないでしょうか?
私は、一般の人々に、見たくない現状を見せつけることも、必要なことのような気がします。
牛や豚や、鶏などについても、人間は食べさせてもらう感謝を忘れています。
そのような家畜といわれている動物が、食卓に上るまでの過程を知ることも大事な気がします。
大切な大切な命をもらっているのです。その重大さをどれだけの人が考えて食べているでしょうか?私自身も含めて。
生意気な事ばかり書いてすみません。
話しが脱線してしまいましたが、私は動物の事になると熱くなってしまいます。
この世の生きとし生けるものすべてが幸せになりますように、そして私はそれを意図します。
(A)あなたの状態は、医学的には「不定愁訴」に分類されるでしょう。
「不定愁訴」は、原因が分からないために、医者が逃げ口上として設定した用語ですが、実際には「不定」ではなく、すべての状態に原因があるはずです(これの解明と克服が先決です)。
その多くは、心の問題に原因があるようです。
例えば、対人関係から来る心の葛藤や痛み、個人的な悩み、あるいは心が創り出す精神的緊張などです。
それらが体にも影響して(最新の免疫学の概念では、交感神経を過度に緊張させて自律神経系を変調させ、白血球成分のバランスを崩して免疫力を低下させることによって)、様々な病気を引き起こします。それがまた、心にフィードバックします。
そこで、自分の心が何に支配され、影響されているかを、注意深く探索する必要があります。
そして、自分で処理できるものは、知恵を働かせて上手に始末する。自分が処理できないものは、初めから抱え込まないようにすることです。
あなたの場合は、動物への過度の思い入れが、精神的ストレスになっているように思います。何の達成感もなく、気持ちだけが空回りしている感じです。
小さいことでも、いま自分ができることだけに取り組むようにすることが大切です。
一方、あなたが既に気付いているホルモンの影響は、月経周期のことですね。
これは、「卵胞期」に妊娠に備えて子宮内膜をせっせと増殖させたのに、結果的に受胎・着床しないことが明確になって、(黄体が縮小し始める「黄体期」の晩期から次の月経にかけて)からだが「失意」を味わうことと関係があるかもしれません。
これを毎月くり返すことになるわけですが、子宮は(受胎した場合に簡単には流産が起こらない仕組みとして)交感神経のみが支配するようになっているので、周期の途中で、副交感神経を優位にする手法を使ってその働きを補正することはできません。
しかし、こういうメカニズムになっていることを認識すれば、(もともと今回は子供をつくる予定ではなかったのだから)心まで「失意」を味わう必要はないことがわかるでしょう。
女性に特有の、閉経や更年期障害も、本質は同じです。
このように原因をきちんと認識すれば、あなたの本質に関わることではなく、主として物理的な因果関係が作用していることが了解できるでしょう。
それによって、気持ちを切り替えたり、生活スタイルを転換させたりして、「愁訴」と縁を切ることができるはずです。
他に考えられることとして、例えば気圧変化の心への影響です。高気圧になって天気がよくなれば、交感神経が優位になり元気が出てきますが、低気圧になって雨や曇りになれば、副交感神経が優位になり気持ちが落ち着くだけでなく、気持ちが滅入る人も少なくないでしょう。
また気圧には年変化もあり、日本では、夏場(5〜9月)に低く、冬場(11〜3月)に高い傾向があります。その狭間の春と秋は、心の変調が起きやすい時期です。
また、仕事のやり過ぎや慢性的な夜更かし・不眠を含む、心身の過度のストレスは、交感神経が緊張しすぎて白血球中の「顆粒球」が過剰となり、あらゆる病気の原因になります。
この場合、性格的に、ストレスを心の深層に閉じ込める人がいます。
こういう人は、実際にはストレスがあるのに自覚していない(表面意識で認識していない)わけで、よほど注意深く自分の内面を観察するか、カウンセリングなどを通じで他者に発見してもらう必要があります。
また、ほとんどの人が経験する肩こりや腰痛は、筋疲労から回復しようとして血流が回復する際に「こり」が痛みに変わるもので、「治癒反応」の性格を持つことを知っておくといいでしょう。
なお、肩こりや腰痛の多くは、運動不足または筋肉の片寄った使い方が原因です。
人体は至るところ筋肉だらけで、あらゆる運動に耐えられるように大量の筋肉が準備されています。用意されたものを十分に使用しないので、「こり」になるのです。
以上に関連して、次を参照してください。
「アセンション時局’03b」(03.05.07)「刺絡」で免疫力を高めよう
安保 徹(あぼ とおる)『医療が病いをつくる ― 免疫からの警鐘』(2001年11月、岩波書店)
安保 徹・無能唱元『免疫学問答 ― 心とからだをつなぐ「原因療法」のすすめ』(2002年12月、河出書房新社)
前著はやや専門的で、後者は一般向きです。
これらを読むと、健全な心身を維持することは、結局「自己管理」に尽きることが了解できるでしょう。
その際に、(ストレスが多い現代社会に生きる者が)参照するべき「鏡」を与えてくれるのが、これらの著作です。
更に、現に進行中のアセンションのプロセスも、心身に影響を与えています。これについては、次を参照してください。
「Q&A’01c」(01/09)アセンション・プロセスの心身への影響
(Q)一週間ほど前に書店で「フォトン・ベルトの〜」という書物が目にとまり、内容は見なかったのですが『フォトン・ベルト』という言葉が頭から離れず、インターネットの検索で小松さんのHPを見つけて拝見させていただいている者です。
私はS市に住むKと申します。絵描きをしております。
小松様のHPを読む内に、自分で感じていたものに対する的確な情報をお持ちの方だと感じ、メールをお送りした次第です。
この話はあまり他人に話した事はありませんが、15年位前に奈良に旅行をした時に体験した話しがあります。
新薬師寺で遅めのお昼をとる事になり(3時位)、お寺にある休憩室の座敷に上がりました。友人と二人で庭側の3人かけのテーブルに座り、私は湯豆腐定食をたのみトイレに立ちました。
戻ってみると、テーブルのはしっこに見なれぬ女性が座っていました。時間が中途半端な事もあり、私達の他に客は無く、その席が特別景観の良い席でも無かった様に思います。
女性は30代の半ば位に見え、品の良い茶系のスーツを着ていました。小柄ながらとてもバランスの良いプロポーションに見えました。肌は浅黒く、ちょうどタイやフィリピンの人のようで、髪は黒く縮れていてショートカットだと記憶しています。
ただし外国人だとは思わなかったのは不思議です。
私は正直気持ちが悪かったので、あまりその女性を見ない様にしていたのですが、ふと気が付くと女性がこちらに顔を向けて私の顔をジ〜っと見ているのです。
私は鳥肌を立てながらその女性の顔を見ました。
まず思ったのは「仏像」みたいな顔だなって事です。たぶんこの人は子供の頃から「仏像」っていうアダ名だったんだろうな〜なんて考えている内に、その人の眼に吸い込まれ生まれて始めてリアルなテレパシーを体験しました。
それは会話というよりも、その人がもっている情報や想いが滝のように私に私の中にやって来て、その人と自分の区別が出来ないくらいの状態だったのです。
その時理解したのは、その人の年齢が300歳位だと言う事、他の惑星から来た事、私の事をずっと知っていて(前世から)これからも一緒だという事。
その他莫大な量の情報がありましたが、理解出来ない事もたくさんあり、それから必要な時に今回のように何か気になる事があった時に、直感や縁として紐解かれていくようです。
気が付いたらその人の姿は無く、その人が食べたと思われるわらび餅の容器だけがテーブルに置いてありました。
その日の夕方、若草山から奈良の街を見ている時に、奈良の街の上空にダイヤモンドみたいに光る光体を見つけ、スウーっと移動しては又元の位置にパっと現われる現象があり、5、6回繰り替えした時に、私が「今日会った人が乗っていたら合図して」と念じた瞬間、ピカピカっと返答してくれたので涙があふれました。
その後その人とは会っていませんが、心のどこかでつながっていく感じは、たまに強く感じます。以前テレビでサイババを見た時に同じ眼をしていたので、「もしや」と思いインドまで行って来たほど会いたいのですが。
小松様のお話を読むと私の体験した事を理解していただけると思い、またあの人の正体(?)を御存じかと思い、失礼ながらメールをお送りした次第です。
お忙しいとは存じますが、もし気が向いたら教えていただけると嬉しいです。
(A)たいへんいいお話ですね。
その方は、あなたの「ツインソウル」です。
魂は、いくつかに分かれて、様々な次元の、多様な世界の体験をするものだから、「ツイン(2つ)」に限らず、「トリプレット(3つ)」、「クワッド(4つ)」、「クイント(5つ)」、またそれ以上の分岐もあります。
したがって、「魂の片割れ」の方が、より正確な用語です。
あなたは、「自分」を捜して、サイババに会いに行った。そして「自分」が見付からないまま帰ってきた。
しかし、インドまで行く必要はなかったのです。あなたが捜し求めている「自分」は、「あなた自身」なのだから---。
魂の次元では、つまり事の本質としては、こういう説明になります。
ところで、「ツイン」の一方が、より高い次元や、より進んだ文明で現実体験をしている場合は、あなたの事例のように、情報のやり取りは一方通行になることが多く、地球社会の観念では受け入れられない情報も少なくないでしょう。
なぜなら、相手の方が、情報の量と正確度において圧倒的に高いレベルにあると同時に、あなたのことは「あなた以上に」詳しく知っていて、(あなたに)教えてもらう必要がないからです。
また、相手は、片割れであるあなたを簡単に見付けることができ、見守ったり(あなたの進歩のために)刺激を与えたりすることもあります。
しかしこれは、相手の体験の方により大きい価値があり、あなたの体験がそれに劣るということではありません。
特に今は、この地球での現実体験に貴重な意義があるので、全宇宙の様々な魂たちが、地球人の肉体に転生してきているわけです。
一般的には、「ツインソウル」の情報の交流は次のようになります。この事例は、「ツインソウル」について、理解を深めるのに役立つでしょう。このケースでは、「ツイン」は異性ではなく、同性です。
男性のAさんが、たまたま女性のBさんと知り合って、ふたりの交流が始まります。
それから間もなく、全く別の場所で、Aさんと女性のCさんとが行き会って、お互いに惹かれるものを感じて、こちらの交流も同時並行的に進行します。
BさんとCさんは知人同士ではなく、生活圏は全く離れており、お互いが行き会う可能性もありません。
そのうちにAさんは、自分についての「そこはかとない情報」が、BさんからCさんへ、またはその逆方向に、(本人たちが気付かないうちに)「流れて」いるのを、それぞれの相手の自分に対する態度から感じ取るようになります。
そして、この2つの交流は、不思議なぐらい細部まで同じようなパターンで進行します。
結局、ふとしたきっかけで、AさんとBさんとの交流が破綻したとき、AさんとCさんとの交流も「自然に」解消することになります。
はからずもこのケースは、「この世に偶然はない」ことを教えています。
もう1つ、別の事例として次を参考にしてください。
『イナンナの真実』第1部・第4章
これに対するリンクは、次にもあります。
アセンション・オンゴーイング[第7回]「《当事者》が語る宇宙と人類の真実(1)」
おそらくあなたは、この小説のイナンナの事例のように、この物質次元で、相手とのロマンチックな交流を求めているのでしょう。
しかし、現時点では、その交流を可能にする用意が、あなたのサイドにできていないようです。早い時期にそれが実現することが、あなたにとってプラスになるとも言えません。
肉体意識の要求に、あまり振り回されない方がいいと思います。
どのみち、魂の次元では、現に一体なのだから、じたばたすることはないでしょう。
あなたに対するアドバイスとしては、いま自分ができることをやること、つまり地球での現実体験を心ゆくまで味わうこと、そして地に足をつけて自分の課題に専心することです。
なお、フォトン・ベルトについては、いいかげんな情報が流布されており、それがそのまま本になったりしているので、あなたがその本を買わなかったのは正解です。
(Q1)私たちが唯一出来ることは、戦争反対を声高らかに叫ぶのでは無く、一人一人が平和で‘在る’ことでは?
野生のイルカに触れると、心の病が自然に治ってしまうことがあると聞いたことがあります。
もし一人の、「絶対的なアセンドした者に相当する固定波動を発する者(イルカの様な人)」がいれば、それだけで何万人もの人が、アセンションという過程を知ろうが知らないでいようが、自然と感化されると思うのですが、いかが思われますか。
つまり宗教的地位が高くカリスマ性があるということではなく、無条件に愛する、無条件に受容する、無条件に許す、ことの出来る、どこにでもいるような人、のような人のことです。
オセロゲームではないですが、盤(物理的現実)はそのままでも、コマ(個人)が黒から白に変われば、真っ黒から真っ白に変わってしまいます。
怒りながら戦争反対と叫んで、その人々に感化されても、戦争をしている人たちと同じ土俵の波動に巻き込まれているだけで、平和への貢献にはならないと思うのですが。
平和で在るということは、絶対的な心の平和を保つことで、その中には悲しみも憎しみも怒りも恐れもありません。きっとイルカはそうだと思います。
戦争をなくそうとするのではなく、個人個人が絶対的に平和でいるということです。その集合体が人類です。人類ウン十億人のオセロです。これは理想論でしょうか。間違っていますか。
アセンションに至る道はひとつではないといいますが、個人の持つ課題、選択によってそれぞれ違いますか。
個人の意思、選択の自由に介入しない範囲でアドバイス頂けましたら幸いです。
(Q2)無条件に愛する、許すということを学ぶ課程において。
無条件に愛する・許すという事を学ぶ課程で、どうしても嫌いなもの、いやなものを《好きになる、愛する、許すという課題》が出てきます。
自らの波動がそれを引き寄せることはわかります。嫌なことばかりですが、これはネガティブな波動から引き寄せているのではなくて、無条件の愛を意図することから引き寄せているのであり、それを意図する限り避けられないものなのではないでしょうか。
これでもかこれでもかというくらい、この世に嫌で嫌いでどうしようもないということが無くなるまで、人生の一時期そのような状態が続くとは思います。しかしそれを克服した暁には、無条件の愛を実践できると思うのですが。
ワクワクを選択すればワクワクライフが送れます。それもひとつの人生です。しかし無条件の愛を学ぶ機会を失ってしまうのではないでしょうか。いかが思われますか。間違っていますか。
アセンションに至る道はひとつではないといいますが、個人の持つ課題、選択によってそれぞれ違いますか。
個人の意思、選択の自由に介入しない範囲でアドバイス頂けましたら幸いです。
(A1)望ましい現実を創りたいときは、それを積極的に「意図する」ことが基本です。「意図」には、大きい現実創造力があります。それを、大勢でやれば、更に大きい力になります。
戦争反対や平和を願うデモなども、整然とやるのであれば、グループによる「意図」の表明の手段として理解できます。そうした思いを持つ者が、自分ひとりでないことが分かって、勇気づけられる人も少なくないでしょう。それによって、更に大きい輪が広がることもあるでしょう。
(A2)嫌いなものを引き寄せるのは、あなたが持っている「カルマ」です。もっと簡単にいえば、あなたの「クセ」です。無条件の愛を意図するから引き寄せるのではありません。
アセンションのプロセスで、それらのカルマを、一つひとつ表出させて浄化していく必要があるのです。
浄化しないかぎり、類似のものを繰り返し出現させることになります。その必要性が消えていないからです。
「無条件の愛、つまり無条件の受容」は、覚醒への道程の究極の到達点ともいえますが、それに抵抗するカルマやクセは、誰でも無数に抱えているものです。
あなたの質問は、それを克服する難しさを察知して、自分を納得させる筋書きを考えたものでしょうね。
ついでに、「無条件の愛」への簡単なヒントを言えば、あらゆる局面で、「いま愛ならどうするだろう」というチェックを掛けることです。
ところで、あなたの付帯条件「個人の意思、選択の自由に介入しない範囲でアドバイス頂けましたら幸いです」は、無用のものです。
どんな解答やアドバイスに対しても、その内容に関係なく、あなたは常に受け入れるかどうかの選択権を持っていることを忘れないでください。
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