Q&A’03・「ガイア・アセンション」シリーズ
頂いたメールへの応答の中から、共通の関心事と思われるものを抜粋して掲載しています。
原文のまま掲載していますが、固有名詞はアルファベットなどに置き換えてあります。
また、冒頭・末尾の挨拶やテーマに直接関係ない部分は省略してあります。
【目次】
(03/03)「内なる声」を聴きたい
(03/03)エンターテイメントを仕事にしているが
(03/03)対人関係が希薄になってきた
(03/03)HPを読みたいという9歳の子供
(03/02)個人は無力か
(03/02)自閉症児とインディゴ・チルドレン
(03/02)みんな一緒にアセンションさせたい
(03/01)不愉快な相手にどう向き合うか
(03/01)カルマの授受
(03/01)創造性とは
(03/01)セックスはマイナスか
(Q)昨年の11月に小松様のHPにたどりついて、一気に読んでしまい、私が探していたものはこれだ!と思いました。
私はT市のある独立行政法人の研究所に20年事務職として働いてきました。
高校の頃から貧しさのために夢を捨てた!という虚無感があり、職場の人間関係はもちろん仕事にも熱意を持てぬまま、心の苦しさは絶えることなく、いつも仕事をやめたいと思っていました。
6年ほど前から精神世界の本を読むようになり、何かが私を変えてくれないかとさまよっています。
3年前にホメオパシーに出会い、心の苦しさをいっさい取り除きたいと思い、何回かレメディーを処方してもらいましたが、ある程度のわだかまりは取れたのですが、根本的には癒されていません。
死ぬまで勉強というか、苦しむのも生きる勉強なのかと、悟ったほうがいいのかとも思いましたが、割り切れませんでした。
今はただ毎朝毎晩、小松様のアセンションを意図する言葉をとなえています。
実は今までも何度もいやな人間が現れて私を苦しめていたのですが、2年前から同じ職場にいる人がとても私にとって苦しいのです。カルマなのか、それとも仕事をやめろということなのか、考えてしまいます。
私は個人的なカルマというのは既に存在しないと解釈していたのですが、間違いですか?
いつも「内なる声」が聞こえないかなと切望しています。精神世界の本を読むとそういう能力のある人がうらやましいと言うか、自分にもその声がどうしたら聞こえるのか、そのすべを知りたいと思ってしまいます。
苦しくて悶々として、インターネットで、いろいろな地球にやさしい生き方をしている人のHPなどを探して読んでいます。
そして、「100の言葉より1の実行」みたいなことを書いてあったのを読んで、私は机上で考えてばかりで何も踏み出していない!とも感じています。でも、勇気がないのです。とりあえずの目の前のお給料に。
でももし、内なる声がはっきりと「その仕事をやめて、あなたは○○に進みなさい」と言ったら、本当にそうしたいと思います。
小松様はどのように自分の内なる声を聞くのですか?またどうしたら、そのように自分を本当の自分に導くようにできるのでしょうか?
お忙しい中、長々とすみませんでした。なにかアドバイスをいただけるととてもありがたいです。よろしくお願いします。
(A)あなたにとって、何が苦しみの原因なのか、職場の人間関係だけなのか、他にもあるのか、今一はっきりしません。
しかし印象としては、あなたは、答えを外に求める傾向が強いようです。「内なる声が聴こえるようになって、それに従いたい」というのも、根っこは同じです。
自分の現実は自分が創っている、というのが不動の原理です。ネガティブな思考は、ネガティブな現実を引き寄せます。従って、自分の思いの中身を、よく調べてみることが大切です。
同じ理由で、自分にとって好ましい現実を「これからでも」自在に創造できるわけですから、「夢を捨てた」などという過去のことは、それを超越することを意図するだけで済む話です。
対人関係の問題は、いつも普遍的な愛、無条件の愛を思念の中心に置くようにすれば、ほとんどは解決するものです。
カルマ的な関係を浄化する鍵も、ここにあります(カルマは、逃げないで正面から向き合い、その上でクリアしていく必要があります)。
「内なる声を聴く」ということについて、ラジオを聞く場合や友人と会話する場合のようなレベルを望んでも、それは誰にとっても、(肉体に宿っているかぎり)ほとんど不可能に近いことです。
「内なる声」からのメッセージは、インスピレーションのような精妙な波動でやってきます。いわゆる直感と思っていることの、多くがそれに該当するでしょう。
しかし普通は、雑念が作る頭の中の「雑音」が、「受信」の妨げになっているようです。
また、感知したとしても、それに論理の網をかけて握りつぶしていることも多いでしょう。
従って、リラックスして頭の中を空っぽにしたようなとき(脳波でいえばアルファ波やシータ波のとき)、「受信」することが多いわけです。
また、直感を信頼して、論理でなく直感に従って行動する習慣をつけることも大切です。
更に、次のように意図することも効果があるでしょう。
☆
(1)私は、母なる地球、自然界そして私の源からの明白な導きを、聴くことを意図します。
☆
(2)私は、すべての導きを、識別することを意図します。
(Q)前に、ゲーム会社に勤めていてディレクターの立場になったので、アセンション情報が盛り込まれているようなゲームを創りたいなどと夢を語った者です。
が、その会社倒産し、現在別のゲーム会社に勤めております。
会社の倒産の時点で、もっと考えて行動しておけば良かったと後悔もしているこの頃ですが、すぐに会社を移れたので現在は格闘ゲームを作っております。
昔から、TVゲームはどういう理由があり存在して作られているのだろうと自問していましたが、カルマの清算に役立っているはずだと自分に言い聞かせて働いていました。
発祥当時からTVゲームは悪だ悪だと言われ続けておりますが、映画や小説と同じで、作り手次第でジャンルを問わず善いものにもなるはずだと思っております。
ジャンルと言いましたが、今作っているのは格闘ゲーム。善い波動が出る訳ないんです。
職場の雰囲気も最悪ですし、作品にも影響するでしょう。
もし、転職するとしたらゲーム業界はもう嫌だと思っていますが、これからこの手のメディアはどうなると思われますか?
ゲーム業界だけじゃないと思うんです、flashアニメやネット系で作られるすべてのものが、流れが速く情報過多な方向に進んでいるのは、最近すごく疲れるのです。
電気が使えなくなるという情報を出しておられますが、いっそのことリセットされちゃえという気持ち半分、PCでしか仕事が出来ない人間としてはある意味恐怖です。
これから先、PCのツールのスキルを磨くのは意味があることなのでしょうか?
すみません、人生相談みたいになっちゃいました。
PCを使っていても小松さんのように情報発信している人もいるので、そういう職に就こう思いますが、家族を養う身としましては暮らすという重みが辛いところです。
映像関係、TV番組制作、またゲーム制作でもいいのですが、みなの波動を上げるような仕事が出来る会社が欲しいところです。
(A)あらゆる人工的なエンターテイメントが、いずれ消滅することは間違いありません。
むしろ、人との交流や自然に浸ること、または「神」の創造物たとえば宇宙を観察することなど、これ以上の「エンターテイメント」はないことに、皆が気づくようになるからです。
エンターテイメントに限らず、現存するあらゆるものが変わり、また消えていくのは必然の流れです。残るものはごく僅かでしょう。
しかし、そこまでの道のりは、たいへんな長丁場です。それは、人類の現状を見れば、容易に想像できるでしょう。
従って、慌てて無理をして、事を始める必要はありません。適切な時期に適切な転機がやってくることを信頼して、とりあえず当面の目標を宇宙へインプットしておくといいでしょう。
そして、「自分の現実は自分が創造」しているし、またそれができることを忘れないようにしましょう。
具体的な目標が見出せないなら、次をやってみてください。
☆
私は、母なる地球へ最善の奉仕をする機会が、すべて現実化することを意図します。
ところで、私がパソコンを操り、インターネットで情報発信しているのは、そうしないと間に合わないからです。
いずれ消えていくものでも、現時点で利用できて、地球や人類への加害の程度が極度に大きくないものは活用するようにしています。
クルマや列車に乗るのも同じです。
(Q)いつも小松さまのサイトを楽しみに拝見させて頂いています。
何度かメールもさせて頂いて、お返事もちょうだいしております。ありがとうございます。
さて、私たちが意識しようがしまいが、地球上の誰もがガイアとともにアセンションに向けて、すこしずつ進んでいるという認識でおります。
個人的なお話で申し訳ないのですが、私は過去の自分に比べて、人間関係が希薄になって、自分からも求めていなくなってきたように感じていますが、自分ではそれをコントロールできず、なんとなくいつも独りであることを感じています。
1つのことに意識を持続していることができないというのが、根本のような気がします。
家族といても喜怒哀楽を共有していないで、淡々とした自分になってしまった自分に気づき、何に対しても心が躍らないことにも、寂しさを感じています。
アセンションといいながら、アセンションを意識するあまり、別の方向に向いているんではないかと思ったりもします。
と思いながらも、一方では、急に新しいことに取り組みたくなったり(話し方とか司法の勉強とか・・・)して、支離滅裂です。
こういった状態の方をどう思われますか?できましたら、アドバイスをおねがいします。
(A)アセンションのプロセスでは、対人関係を含めてこれまで保持してきたものが「肌に合わなく」なって、意識的にまたは自然に、それらを「切り捨て」ていくようになります。
これは必要かつ意味があることで、古いものが詰まっていては、新しいものが入る余地がないわけです。
しかし、あなたが設けている選別基準が、適正なものでない可能性もあります。その結果、必要なものまで排除しているかも知れません。
この辺のところは体験を通じて学んでいくしかないので、あまり硬直的なスタンスを取らず、むしろ人生への大雑把で柔軟な姿勢を持つようにするのがいいでしょう。
あなたのスタンスは、いわば「匂い」として周囲に発散しており、人はそれを感じ取るものです。つまり、すべての状況は自分が創っています。
家族との関係は、恒常的に得られる貴重な人間関係なので、これを「活用」しないのはもったいないことです。
たまにファミリーレストランなどで見かけますが、例えば、父親と中高校生ぐらいの兄妹との組み合わせで、3人が一言もしゃべらずに料理を待ち、出てきたら無言で平らげて去っていく――これほど不気味な光景はありません。
話題に貴賎はありません。何でも種にして、積極的に会話するようにするといいでしょう。これも「現実創造」の1つです。
一般に古い人間関係は、学校や職場などによって、いわば「与えられた」ものが多いと思います(その中にも貴重なものはありますが)。
これからは、「自分で生み出す」人間関係を創っていく必要があるでしょう。そのきっかけは、行動することによって生まれます。例えば、これまで決して声をかけたことがなかった「路傍の人」に話し掛けるとか。
まあ最悪でも、自然(界)があり、母なる地球が居てくれます。これらはあなたへの最高の贈りもので、また最良の友となるべきものです。
この地球にいるかぎり、孤独はありえないことを知っておきましょう。
(Q)10日ほど前にこのホームページを知り、少しずつ読ませていただいております。
我が家には5歳のADHD(注意欠陥多動症)の傾向を持つ男の子がおります。
今は随分落ち着いて行動できるようになり、会話もできる様になりましたが、歩き始めてから4歳くらいまでは目が離せず、大変な思いをして育ててきました。
それと同時に(様々なことがあったのですが)、遠くに住む実家の家族ともうまくいかなくなり、悩んでいました。
小松様のホームページを読んでいるうちに、ずいぶん気持ちが楽になりました。ありがとうございます。
これからも、子供と向き合って一生懸命暮らしていこうとおもいます。
ひとつお伺いしたいのですが、9歳の長男も、「ぼくも《ガイア・アセンション・シリーズ》読みたい」と興味を持っていますが、35歳の私にも難しいので、どこから読ませていいやらわかりません。
9歳の割には読解力はありますが・・・。
もしよろしかったらアドバイス頂けると幸いです。
(A)インディゴ・チルドレンの多くは、この世界の「喧騒」に対する違和感が大きく、しかし自分の本質を思い出すこともできず、いわば路頭に迷っています。
しかし、内在する傾向の求めに従って、もがいているうちに、何かのきっかけで自覚が生まれることもあるものです。
このホームページを読むことも、その1つになるかもしれません。
その場合、内容を「左脳的に」理解することを期待する必要はありません。ディテールよりも行間から、本質を汲み取っていくでしょう。
スタートとしては、「時代の分水嶺」の中の《地球の魂が語る ― これからの地球》あたりがいいと思います。
(Q1)とても分かりやすく、説得力あるレポート、ありがとうございました。
これを小泉やBBコンビに直接送ってはいかがでしょうか?それとも、もうとっくに送付済み?
こんなに情報豊かで、全く正当性ありとだれからも納得してもらえるレポートでも、ただ、やはり肉声やデモ行進のような直接行動の持つ迫力が生まれないのは、残念としかいいようがありません。
私にしても、この思いをどう実際の反戦・戦争拒否行動として、実現できるか、悩みつつずっとここまできてしまったのです・・・
女性グループの戦争反対アピールなどには、いろいろかかわってはきましたが、なかなかそれが、それこそマス・メディアには反映せず、したがって世論形成に役立っていないようですね。
英星さんは今後、どうされるつもりか、教えてください。
(Q2)私は今、カナダで留学中なので、BBCやCBCなどの、アメリカ、カナダ、イギリスから来るニュースを毎日見ることができる状況にあります。でも、テレビからの、絶え間の無い音やCM、ブラウン管からの電気音?などで、頭がぼうっとしてきて物事をクリアーに考えられなくなるので、私はほとんど見ていません。
パウエル長官のことも、ESLの先生から聞いたくらいです。(その前日に、特殊な予感がありましたが)彼は、「これはとっても、重要なことで、歴史的瞬間の一つだ」と言っていました。
カナダに留学しているわけの一つに、日本とアメリカを、外側から見てみたい、というのがあります。そうして、観察を続けて分かってきたことは、「アメリカは、もう、巨大な張りぼてなんだ」ということです。英語力もまだまだなので、これは、ハッキリとした資料を素にした感想ではありません。(小松様の資料くらいです)
空気から読み取っているようなものです。アメリカ政府は、隠しているETたちの情報や、新しい技術から、アメリカ国民の目を逸らそうとしている様にも感じます。
でも、戦争を始めたとしても、それは長く続かないでしょう。アメリカ自身が、それを知っています。そして、この地球は、とっくに限界を超えているので、今年中に、もし、本当に もし、勘があたれば5月辺りから、世界がもっと大きくひっくり返ることが起きると思います。私は、今年に入ってからというもの、強い、すばらしい予感でいっぱいです。毎日毎日、その予感は、深みを増し、新しいことを発見しています。
愛と喜びのみが、世界を変えるでしょう。愛と喜び、慈悲にあふれたプランが、もうすでに沢山用意されています。
おそろしい出来事、奇天烈なことは、世界を変えることはしません。もし世界を憎しみを持った目で見、誰かの手でぶち壊されるのを望んだり、自分たちで復讐をしようとしたら、それは、オウムと同じになってしまうでしょう。
私は、たった一人一人が、愛を持って生きることを望みます。
(Q3)トニー・ブレアがブッシュのプードルなら、小泉純一郎はブッシュの忠犬ポチですね。(心情的に忠犬ハチ公とは言いたくない)
砂嵐が来る前に、ブッシュはイラクの罪もない多くの老若男女をミサイル攻撃で虐殺し始めるでしょうが、我々には彼らの命を救うことはできません。のみならず、日本の自衛隊は再びペルシア湾へ艦船を派遣し、この大量殺戮の手助けを自ら買ってでるのです。
日本国民の血税がイラク国民の流血に使われるのです。筆舌に尽くしがたい口惜しさ無力感に襲われます。
国連常任理事国5カ国のうち3カ国が反対しても、ブッシュはこれを無視すると言っています。
イラクの油田を占拠すれば、そこを拠点としてパイプを地下からサウジアラビアになど隣国の地下に伸ばして、原油を盗む計画もあるとか。石油資源をもつイラクの国民はそのために虐殺されるのです。これは戦争ではなく単なる虐殺です。戦争とは双方の力量が互角拮抗するもの同士が行うものですが、アメリカとイラクでは軍事力の差において大人と赤ん坊の違いがあります。
フセイン大統領は外国のプレスのインタビューで、「大量破壊兵器というものはポケットの中に隠せるようなサイズのものではない」と答えていましたが、その通りでしょう。
「悪の枢軸」とはまさにアメリカという帝國です。
CIA・NSA・FEMA・DIA・FBI・NASAなどの陰険で邪悪な諜報機関を総動員して全地球を監視し、自分達の利益のために全人類を支配コントロール、不従順なものには死を与えるワンワールドオーダーという彼らの蜘蛛の糸から、もはや人類は逃れることはできないようです。
それが可能だとすれば、早期にアメリカ経済がクラッシュして、軍隊や、これらおぞましい諜報機関員に給料の支払いができなくなることだと思われます。日本もアメリカの膨大な国債を早急に叩き売って、米国経済のクラッシュに一役買いたいところです。
暗澹たる状況の中で多少希望が持てるのが、ドイツ・フランス・ロシア・中国がアメリカのイラク人虐殺に反対していることです。
かれらは、みんなアメリカ人の祖先にあたる古い友好国であるにもかかわらず、是は是、非は非として直言する勇気をもっています。
イギリスでもブレアのプードル化を揶揄し、戦争に反対論する国民の声が前面に出てきています。
それに引き比べ我が日本では、政治ポチ、マスコミポチの声も小さくて、おびえるばかりで聞こえてこない。
成り行きに任せるしかないのでしょう。イラク問題が日本人の生命財産に直接関与することはないだろうと、たいていの日本人は考えています。それは北朝鮮に対しても同様、テポドンだろうがノドンだろうが、そんなものが日本に降ってくることはない。
もしあっても、アメリカ様、ご主人様が守ってくださると信じて疑わない、この無垢で純粋な日本人!一億総ポチ化していませんか?
冗談ではなく日本人は、これほど屈辱的下僕の扱いをされても、唯々諾々として、同じ人類の虐殺に荷担しなくてはならないのでしょうか?
日本国民として我々はどうすべきだと小松さんはお考えでしょうか?
(Q4)「アセンション時局03」を拝見させていただきました。
とても論理的でよくわかりました。
もちろん私自身は、「世界の平和を意図する」ことに心より賛同します。
今までの経験上、地に足をつけた生き方が一番重要なのも身にしみて感じております。
私が今思っているのは、まず家庭での調和であってその上で、身近の人よりアセンションに気づいてもらうよう働きかけることです。
足元が不調和であって、その先が開けるとはとても思えません。私は、すべての事象が意味があって大切だと思うからです。私にできることは、全ての生命が幸せになってほしいと想う(祈る)ことです。
それには、意識を、現代社会から一時的に宇宙(地球)・光の方向へ移し、社会(3次元意識)から離れ(ある程度までしか今の社会には合わせられません)、想うことだと思います。今は、テレビ、他娯楽はほとんど別次元のものとして意識しています。これから光が強くなるに従って、影(テレビ等)は消えていくと感じております。
(Q5)貴重な「アセンション時局」を拝読しました。
ブレア首相は世論から完全に浮き上がっていますが、一人だけで大英帝国の亡霊にとり憑かれているのでしょうか。
「イラクへの戦争は不必要」の背景について、私は『現代イラン』(桜井啓子著)[02/07]で勉強しました。
湾岸戦争などでは、ニュースがワンカット映像(虚像)で伝えられてきました。
映像社会で、全体像(実像)に迫ることの難しさを実感しています。
(A)表面意識(肉体意識)の権化のようになっている相手に、例えば手紙やデモによるアピールのように、こちらの表面意識をストレートにぶっつけることは、あまり上策とはいえません。もちろん手紙は、本人に届く前にゴミ箱へ処分されるでしょうし、デモは連帯を強める効果はあっても、相手を動かすことにはつながらないでしょう。
ここでのポイントは、第1に、人は物質次元だけの存在ではないことを再認識すること。第2に、私たち誰もが与えられている、意識による現実創造力を信頼することです。
いま大統領を動かすには、大統領の潜在意識(真我、ハイアー・セルフ)にアピールすることが上策です。
例えば、当分の間、毎日次を意識で語ります。(日本語で)声を出しても結構です。
「ブッシュ大統領のハイアー・セルフにお願いします。問題解決に武器を使わないでください。この世界での戦争は、もう終わりにしましょう。」
意識の波動は宇宙の共通語で、時空の隔たりに関係なく、直ちに伝わります。そして、どんなに幼い魂であっても、ハイアー・セルフは(他者への加害が結局は自分に戻ってくるという宇宙の原理を含めて)すべてを知っており、絶えず本人(表面意識)に働きかけています。その働きかけを強めてもらうことが、ここでの狙いです。
人は、どんなに表面意識に強く支配されていても、何かの弾みに、ハイアー・セルフからの精妙な波動を、インスピレーションのようにキャッチすることがあるものです。
こうしたアピールは、多数が心を合わせてやれば、なお効果があります。そのために、マスメディアは必要でありません。目に見える華やかさは幻覚のようなもので、実効はありません。むしろマスメディアを排して、静かに祭祀のようにやるのがいいのです。特定の場所に集まってやるのもいいですが、目に見えない意識の連帯でもかまいません。Webのネットワークもその1つです。
また、当事者の確信が強ければ強いほど、効果があります。私は、皆さんの確信がぐらつかないように、現象界を観察した結果も交えて、適切な情報を提供するように努めています。
世界は(そして宇宙の全体も)、私たちの周囲環境です。それが平和であることを心底から望むなら、(自分の現実を自分で創造する)天賦の力を使って、それが実現するように意図することです。これは、人類の集合意識が私たちの現実の大部分を創っているという事実から、ある程度の数のまとまりを必要とします(ひとりの意識が、その周辺に自動的に広がることによって、それが可能になるでしょう)。そして、意図したことが実現するまでの懐妊期間というものがあります。それらを念頭に置いて、意図した通りになることを、信頼することが大切です。
この先、短期的に局部的に何が起こっても、「テロとの戦い」という欺瞞によって、世界に恐怖をバラ撒く行為は「風前の灯」です。(メジャーであれマイナーであれ)すべての「恐怖ゲーム」のプレーヤーたちが退場するのは、時間の問題です。プレーヤーたちもいずれは、みんながそうしているように、地球の波動上昇に追随できるよう内なる光を増やす方向に変わっていくでしょう。
(Q)『リセット』という本から「インディゴ・チルドレン」のことを知り、もっと知りたくてサイトを巡っているうちに、小松さんのサイトにたどり着きました。
何年か前に「地球は決意した」ことを知ったのですが、その時はまだ私の方の準備が出来ていなかったと見えて、今やっとこのサイトが読めるようになったのかな、と思っています。
質問があります。
私は、不登校や軽度障害児のケアに携わってきました。あまりに「気」を吸い取られてしまう仕事なので、退職してボランティア程度に減らし、現在は散歩・瞑想の日々を送っています。
ただ後輩を育てるために、自閉症児について自分の考えをもう少し確かにしたいと思っているのです。
小松さんは、「自閉症はインディゴの子どもの病気だ」と「Q&A」で答えていらっしゃいました。健常(?)人から見ると「病気」なのですが、彼らの身体感覚、時間感覚は、もしかすると、我々よりずっと進化しているのではないか、それが理解されないだけなのではないか、と思えてくることがあります。その辺りについてもう少し詳しく教えていただけると幸いです。
『アブダクション』を読んだ時に、自閉児は宇宙人かも?と直感したのですが、「インディゴ」を知って、もっと具体的に彼らへの接近法を考え直さなくては・・・と思うようになりました。
(A)インディゴ・チルドレンについて、ご参考になりそうな個所は下記です。
「アセンション(4)」インディゴ・チルドレン
「Q&A.’02e」(02/09)学校に適応できない子供
いわゆる自閉症は、インディゴが陥り易い「病状」の1つですが、すべてのインディゴが自閉症になるわけではありません。大人の意識が変わっていくにつれて、だんだんその割合は減っていくでしょう。
一方、自閉症児のすべてがインディゴに該当するとは限りません。中には、成長過程での何か大きいトラウマがきっかけになっているケースや、家庭での両親の不仲、あるいは子供のしつけのスタイルが原因しているケースもあるでしょう。したがって、1人ひとりを慎重に見極めて対応する必要があると思います。
(円を1つ描きます。その隣に中心を少しずらしてもう1つ円を描きます。1つの円は自閉症の集合、もう1つはインディゴ・チルドレンの集合です。2つの円が重なった部分が、「自閉症」を持つインディゴ・チルドレンだと考えればいいでしょう。)
(Q)質問は、アセンションに対する私なりに感じたことについてです。
私はアセンションを意図する場合、その心の出所がとても大切なような気がするのです。
私達は肉体を持って生まれるときに、私達の前世や過去世の記憶を肉体まで持ち越さないようにして生まれてきます。
それは自分が描いた青写真にそって自分の魂を現世で向上させていきたいと願って、その青写真に集中して取り組めるように、との意味があるのだと受け取っています。
残念ながら、その青写真を感じ取ることを忘れ、どんどんずれた生活を送る人々もいるのが現状かもしれません。
しかし、魂に上も下もなく、貴賤もないと感じているので、そのような「自らの魂の目標を忘れてしまった人」でさえも、私にはとても大切な兄弟の存在のように思えてなりません。そして、この世のことはすべて人智を超えた宇宙の采配がすべてを導いていると感じているので、今は道をずれてしまったと見える人でも、必ずやその魂にとって最高で最善の方向へ導かれるはずだと私は信じています。
自分を変えるのは自分であり、自分の人生は自分が選び取るしか方法がないのは知っています。
ただ、私達がアセンションを選び取るときに、「乗り遅れたらたいへんだ」「自分は何が何でもこの地球とともにアセンションするぞ」といった思いではなにかが違う(足りない)ような気がするのです。
私はもちろんアセンションを選びます。
ですがそれは、私だけがアセンションして進んでいけばいいといった思いではありません。
私がアセンションすることで、私の周りにいる方々がアセンションなど知らずとも、自然にアセンションする方向に導かれることを望んでいるからです。そして、この地球のすべての兄弟たちと共に新しい夜明けを迎えたいと望むからです。それこそが私が描いた青写真だと信じるからです。
自ら頑なに変化を拒み、物質社会の価値観を守り続けようとする人々に出会ったとき、私達に一番必要なのは、「彼らはそれではアセンションできない」などといった思いではなく、彼らの変化を恐れる恐怖や不安に対して、出来うる限りの愛や光を注ぎ、それらがとけていくことを皆で選ぶことではないでしょうか?
ちなみに私はなにか特別宗教に入っているわけでも、特別な信仰を持っているわけでもありません。
ただ、アセンションを選ぶときに、一番大切なのは「自分だけが」といった思いを捨てることだと思ったものですから、思わず貴方様のご意見をお聞きしたくなってメールを書きました。
アセンションのことを考えるたびに、このことが疑問として浮かんできます。
(A)アセンションの目的を、狭くとらえない方がいいと思います。
今回のアセンションの目的は、私たちが属する宇宙に、本来のものである光を取り戻し、恒久平和を実現することです。
たまたま地球が、その鍵となる惑星という位置付けになっているので、(宇宙の)全体からみれば、何よりも地球自身のアセンションを実現することが最大の課題です。
そこで、この時期に地球で生を受けて、何かの経路を通ってアセンションに関心を持つようになった人の多くは、自分自身がアセンションを目指すことを通じて、地球のアセンションをサポートすることを、今生での魂の目的としているはずです。
それは、多大の犠牲を伴なう奉仕的な行為で、現世的な価値観でみれば、得るものはほとんどなく、様々なものを捨て、たくさんのものを失って、はじめて達成できる「仕事」です(この地球サポートという大役は、地上の人類が十分にできていない分を、イルカ・クジラ族や地底の人類がカバーしています)。
ですから、アセンションは個人的な(利益のための)行為だという観念を、まず捨てる必要があります。
そして、人それぞれに魂の目的があり、カルマがあり、タイミングがあり、生き様があり、価値観があります。その深層まで第三者が察知することは、とてもできないでしょう。
したがって、他人の状態について善悪の判断を加えたり、本人が選ぶべきものに、あなたの価値観を持ち込むことなどは控えた方がいいでしょう。
どんな選択であっても、(他者を加害するものでないかぎり)本人が選んだものが、その時点の本人にとって「正しい」のです。
しかし、情報が錯乱しているこの社会でアセンションのことを教えてあげたり、どう進めばいいか分からず困っている人をサポートしてあげたりするのは、結構なことです。
その場合、してあげることができる相手は、せいぜい一度に一人だけです(そして、それをどう生かすかは、本人の自主的な選択によらなければなりません)。
あなたの場合は、自分以外の不特定多数を対象にして、観念だけが空回りしている感じがします(注意しなければならないのは、「愛」と「おせっかい」との混同です。「愛」は、相手のありのままを受容することです。一方「おせっかい」は「愛」の対極で、似て非なるもです。これは、いつも「いい子」になってきた人が、陥り易いワナなのです)。
何よりも、アセンションを目指す人が向き合うべき相手は、自分の内面です。
あなた自身のアセンションが、保証されたものでないことを念頭に置いた方がいいでしょう。
あなたができることで、全体の利益に最もかなうことは、あなた自身が個人として、(わき目もふらず)日々に少しずつでもアセンションへ前進することです。
(Q1)私は半年ぶりにお里帰りをし、両親と過ごしましたが(いつもは独りぐらし)、家族のしがらみというか、母も父も、私が言うのもおこがましいですが、目先の現実だけを真実と思い、自我に振りまわされている状態です。
そういう私も、そうなのですが、少しだけ、自我に振りまわされないようになってきた気がします。
そういう両親を見ていると、少しでも自我という、心のベールをはがしていくことが、わかれば、生きていくことも少しは楽になるのになあと、思いました。
そこで質問は、精神世界では、私が見ているものが、私の心を映し出しているもの、だとすると、たとえば、誰かが、非常に人に不愉快な事をする人が現れた場合、それも私のある部分を表している事になりますよね。
そうしたら、私は不愉快なことをした人に、その点を直した方がいいというアドバイスは、どうなんですかね?
その、不愉快な思いは、私の心の表れだとしたら、その人に、お説教をするというか、これからのその人に、絶対マイナスだから、愛を持って話すことは、いいと思いますが、でも、イコール自分の中にもあるから、そういう現象をみせてくれたことになるんですよね。
その辺のところを、もし、よろしかったら、ご教授ねがいますか?
(Q2)私は、現在35歳で、母の経営する美容室を手伝っています。
昨年に、小松様のホームページに出会って以来、私が思春期の頃より求め続けてきた答えに、ようやく巡り会うことができたことに、とても感激しています。
そして、この時期に生まれて来たことの意味の重大さを痛感しています。
私もアセンションに向けて加速したいと思いつつ、心にひっかかっていることがありましてメールさせていただきました。
もともと、結婚願望もなかったうえに、結婚はアセンションの足かせになりやすいとわかりつつ、つい2ヶ月程前に結婚しました。主人は穏やかな人で、私が話すアセンションのことにも理解を示してくれる人です。
ただ、一緒に同居している舅(奥様とは25年程前に離婚しています)とは、あまりにも波長が違い過ぎて、私は一緒の部屋にいることさえ息苦しく思ってしまいます。
私の行動のひとつひとつに介入してくるたびに、相手の表面の現象にとらわれずに、本質の完全さを信じることが大切と思いつつ、心が乱されます。
私も気が強い性格なので、同居生活におけるルール違反だと思うことは、舅にはっきりと口に出して言っているのですが、どこまでいっても平行線なので、最近では距離をおいて、なるべく関わらないようにしています。
別居も考えましたが現在住んでいる家は、私の主人が10年程前に新築し、毎月ローンを払っている家なので、ローンを抱えた上に別のマンションに住むのはやはり大変なので、躊躇しています。
舅は私の主人と喧嘩をすると、「老人ホームにいってやるーー」と昔から口癖のように言っているらしく、最近は特に頻繁に叫んでいます。持病の糖尿病をかかえている上に数年前に軽い脳梗塞を起こして倒れているようなので、(といっても普通に生活し、車も運転しています)、私としても施設に入ってもらうことを望んでいる反面、罪悪感も感じてしまいます。
これから、子供を妊娠したら・・・・と思うと、私の心が不調和なままでは、生まれてくる子供にも申し訳なくて今、決断して別居すべきだと思いつつ、いろいろなことを考えると、決断が鈍ります。
情けないメールではございますが、アドバイスを頂けたら幸いです。
(A)ご存知のように、人はそれぞれ個性を持っているわけですね。
そうした異なる個性とのかかわりの中で、人は色々勉強するわけです。
というわけで、あなたに関わる方は、あなたが持っている一面を見せてくれることもありますが、それ以上に、あなたが少ししか(または全く)持っていない「特質」を、あなたに投げかけてくれることの方が多いのです。
そこで、「不愉快」に感じる場合ですが、原則は「我慢しない」ことです。我慢しているうちに、どんどん《「気(生命エネルギー)」を奪われる》ケースもあります(先方は、どんどん元気になって。――このような、無意識に人の「気」を奪う行為は広範にみられます)。
具体的には、次のような対応が考えられます。
(1)「あの人はこういう人だ」「こういう持ち味がある」という感覚で、気持ちを切り替えて、少し客観的にみることで収まればそれでよい(第三者の評価が参考になるでしょう)。
(2)その都度、あなたが機転をきかして、相手の「加害」を「中和」するような、適切なボールを相手に投げてバランスをとる。これは間髪を入れずやる必要があり、また的を射たものでないと効果がないので、かなりの高等テクニックだといえるでしょう(疲れるかも)。また、あなたは気が済んだとしても、その相手は、他の人には同じ「加害」を続けるかも知れません。
(3)相手に、何がどう「不愉快」なのかを直接、しかも誠心誠意話してあげる。
ほとんどの場合、習慣的、本能的にやっており、「不愉快」を与えているとは思ってもいないので、これはかなり効果があるでしょう(その結果、疎遠になることがあっても、効果は生きます)。
(4)(3)の手段が難しいと感じられるなら、その相手に近づかないようにする。または会う機会をできるだけ少なくする。
一般論としてはこういうことですが、相手が同居の親族となると、少し複雑になります。
舅さんは、「嫁」というものの理想像または先入観があって、それをベースにあなたを評価しているかもしれません。あるいは、自分の流儀というものにひどくこだわる方で、それに合わない状態が我慢できないのでしょう。または、あなたにかまうことが日常の刺激ないし楽しみになっていて、それから自分の元気を引き出している(上記の「気」を奪う)ケースかもしれません。
さらに、あなたと舅さんとの間にカルマがあって、それを清算しようとして出会ったのかもしれません(カルマは、それぞれが先祖から引き継いだものがあり、今生に原因があるものだけではありません)。
いずれにしても、お話の様子では、お互いに目指すものが違いすぎるので、舅さんとの交流をできるだけ少なくするか、(しかるべきタイミングで)ゼロにすることが、お互いのためにいいと思います。たぶん、そうした方向の解決策が見付かるでしょう。
具体的には、舅さんが何を望んでいるか、その本心を見極めることが必要です。
手始めに、あなたが短期的に実家へ帰って、あなたが居ない生活(つまり元の生活)を再体験していただくと、方向が見えてくるかもしれません。
できるなら、家を少し増改築してお互いの生活ゾーンを分け、(最小限必要な場合以外は)動静が見えないようにする。
あるいは、実家があまり遠くなければ、あなたは実家を本拠にして、いわゆる「通い婚」を始めてみるのもいいでしょう。それでも、単身赴任や長期出張よりは、濃密な結婚生活がキープできます(子供が生まれた場合のことは、いま考えなくていいでしょう)。
また施設に入ることは、人によって感じ方や適応性に大差があり、案外ご本人は満足するかもしれません。一概に悪いことだと決め付けることはないでしょう。経済的に許されるなら、選択肢のひとつです。
いずれにしても、必ず解決するという意志だけは強く持って、あとは多面的に柔軟に考え行動するのがいいでしょう。
どの方向に進めるにせよ、ご主人の理解を得て、全面的に協力してもらうことが必要になることは言うまでもありません。
(Q)「Q&A (03/01)セックスはマイナスか」で「カルマを貰う」ことがあるという事ですが、私は「カルマ」とは因果応報をあらわす言葉で、個人の行動で積み上がるものと思っていました。カルマは貰ったり与えたりできる物なのですか?
そして、そもそもカルマとは何ですか?
(A)ご存知と思いますが、「因果応報」の原義は、犯罪人に対する処罰のことです。
カルマはそれとは違って、誰かが(例えば「神」が)審判したり刑罰を課したりするものではありません。
あくまでも自分で種を蒔いて、自分で刈り取るものです。
単に原因に対する未清算の課題、例えば負債を負って返済が済んでいない状態、あるいは何かの約束をしたけれど履行していない状態、と考えればいいでしょう。
ただ、「自分で種を蒔いた」といっても、今生だけのものではありません。前世から持ち越したものもあります。
更にそれに、先祖の(未清算の)カルマがかぶさっています。先祖から身体を頂いた以上、カルマも「頂く」ことになります。
こうしてカルマは、先祖や前世から引き継いだものが、また今生で発生したものが、ホログラム的な記録として保持されているのです。からだは、それを知っています。
ホログラムとは、光(レーザ光)の干渉を利用して、立体の3次元像などをフィルムに(2つの光の干渉縞として)記録したものです。これに光(参照光)を当てると、元の像が現れます。見る角度によって像が違います、つまり立体的に見えます。また、このフィルムを、どんなに細かく切り刻んでも、それぞれの断片に同じ元の像が記録されおり、それを再現することができます。この技術を、ホログラフィーといいます。
このように、カルマの本質は波動であって、それがある種の歪み(または傷)を持っているために、絶えず思考、感情、欲求そして行動などを刺激し続けます。それを、表面意識がきちんと認識することはめったにありませんが、潜在意識は心的負担として認識し、それが浄化されないかぎり、完全な自由を得ることができず、進化の妨げになっているのです。
したがって、個々のカルマを表出させ、一つひとつ解放していくことが、アセンションの最大のテーマといっていいでしょう。これは、容易なことではありませんが、大いに挑戦に値する課題です。
そして、ご質問の点については、人体の本質も波動であるために、カルマを先祖から引き継ぐのと同じように、他人から貰い受けることもあるわけです。この授受も、またホログラフィックなものです。つまり、波動の干渉やパターンの共鳴が関係しています。
(Q)『ガイア・アセンション』シリーズのHPを見つけるかなり前から(大学時代の1995年以降)社会に違和感を感じ、精神世界や宗教、科学、超常現象、環境・経済などの社会問題、西洋思想、東洋哲学、超古代文明など多方面の分野を総合的に自分なりに調査していました。
といっても市販の文献を読み漁っていただけですが・・・。
おかげで、人類の進むべき方向性が次第に見えてきました。
また、現代文明が行き詰まった原因もわかってきました。
それは、ほぼ小松様のHP『ガイア・アセンション』シリーズと同じです。
結構、すんなりと理解できました。
ところで創造性とはどういうものなのでしょうか?
ある新聞に「科学ほど創造的なものはない」と言っていた科学者が紹介されていました。
「科学は芸術よりも創造的」だそうです。
どうなんでしょうかね?
アセンション後の地球社会では、科学は存続するのでしょうか?
直感や感性で創造できるようになるため、科学的知識、科学的思考(論理的思考)は必要でなくなるんですよね。
(A)人類は、誰でも一様に、素晴らしい創造力を持っています。
それは、個人としてまた集合として、「思い」によって自分(たち)の現実を、日々に創造していることです。
多くの場合、どのような「思い」を発しているか(宇宙にインプットしているか)、または過去に発したかに、気づいていないか忘れてしまっているようです。あるいは、そのような創造力を持っていることを、信じてさえいないかもしれません。
しかし、人間のやっていることで、これ以上に創造的な行為はありません。
科学は、人類をコントロールしてきた存在たちが、その状況を定着させる手段として、宗教と共に利用するようになって以来、宇宙の真理から外れた「誤解」の上塗りを重ねているようなものです。
その「ぐるぐる回り」のために莫大な費用や労力を投入する代わりに、身を清めて、つまり科学技術を何よりも殺戮や抗争の手段にしようとする状態を卒業して、「宇宙(の同胞)」から教えてもらうことが近道です(真の科学的創造は、それらをマスターした後に来るでしょう)。
芸術は現代において、大局的に見ると、その価値の評価が、低レベルの人心やコマーシャリズムに左右される状態にあります。したがって、それに迎合する形の「創造」活動が活発に行われているようです。
一方、歴史を通じて真に価値のあるものは、人類の啓発のために、高次元の存在がインスピレーションとして与えるものが多いので、それを受け取った本人と宇宙存在との「共同創造行為」と言うべきものです。
(Q)性交渉は相手のカルマを貰ってしまうと聞きました。性交渉したその人数分のカルマを背負い、多ければ多いほどその分アセンションから遠のいてしまうというのは本当でしょうか?
(A)この社会では、セックスを、性欲を処理する手段としてとらえる傾向があります。それによって、いわゆるセックス産業が、時には文学でさえ、繁盛している状況がありますね。
あなたの場合、そのレベルの話ではないと思いますが、それを超えただけでは十分でありません。
お互いが、経済的に心情的に誰にも依存しない、自立した大人であること。
そして、相手への愛情に加えて、普遍的な愛がベースにあること。つまり、相手のどのような選択や行動に対しても、それをコントロールしたり嫉妬したりする気持ちが起こらないこと。
こうしたことが満たされていれば、セックスがマイナスになることはないでしょう。
そうでなければ、あなたが相手からカルマを貰うだけでなく、あなたのカルマも相手に投げつけて、お互いがカルマのキャッチボールをする関係になるでしょう。
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