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ここから本文エリア 県政回顧(5)ハンセン病下2009年01月30日
「大変残念な事態がいま、熊本の中で起きております」 03年11月18日午前10時過ぎ、定例会見で私はこう切り出し、宿泊拒否の事実とホテル名を公表しました。記者団は騒然となり、その後の報道はわれわれの想像を超えるものがありました。 対応に苦慮する事案も相次ぎました。ホテル側が11月20日、菊池恵楓園で謝罪しましたが、入所者自治会が「誠意が感じられない」と受け入れを拒否しました。するとその直後、入所者に対し、全国から差別的な中傷の電話や手紙が、数百件殺到しました。「県のお金を使って旅行をしているのに、なぜ(宿泊拒否を)問題にするのか」などと、心ない内容のものもありました。 記者会見前日、私は太田明・入所者自治会長に「何かあれば行政が責任を取る」と言いましたが、事態は予想を超えていました。これこそが太田さんが公表直前に懸念したことだったのだと分かりました。私は本当に情けなく思い、差別の根の深さを知りました。 私の自宅にも毎日1枚ずつはがきが届きました。「あんたはハンセン病の人と一緒に風呂に入れるか。一緒に食事ができるか」などと鉛筆で書かれ、同一人の筆跡と思われました。無記名なので反論のしようもなく、これほど卑劣なことはないと感じました。 翌04年には、行政処分のあり方も問題になりました。担当課が調べたところ、宿泊拒否で適用できる法律は旅館業法だけで、罰則は営業停止2〜5日間。厳罰を望む私は5日を主張しました。 ところが、他の県幹部の多くは3日を主張したのです。「人権侵害を理由に最も重い処分を下した前例がない」「もう社会的制裁は受けている」などが主な理由だったと思います。「許せないかも知れないけど、許すという気持ちを持つことも大事じゃないでしょうか」と説いた職員もいました。 結局、私も同調し、営業停止期間を3日と決め、発表しました。何らかの形で当事者がきちんと反省し、正しい理解をすることが大事だと思っていたのです。 ところがホテル側は、県が行政処分の方針を決める直前に突然、廃業を表明。これでまた、入所者を責める電話が相次ぎました。さらにホテル側は「一行が入所者であることを早めに知らせる責任があった」と県を批判しました。これはとうてい受け入れられない主張でした。入所者は病気が治った健康な人たちです。なぜ事前の説明が必要なのか。県議会でもそう主張しました。 この問題は、これまでの啓発のあり方に対する課題を浮き彫りにしました。啓発が、県の一方的な満足に終わっていたのではないか。パンフレットを読んで、病気のことを理解しただけでは、差別はなくならなかったのです。 04年度からは「恵楓園に学ぶ旅」を始めました。入所者と他の市民らが語り合い、お互いへの理解が進むことを期待しました。 新たな啓発事業が実施され、県民の理解も少しは進んだと思われます。人権教育で大事なのは、啓発し続けることです。このできごとを風化させず、ずっと継承することが必要だと思います。(第5部終わり。肩書などは当時) ■宿泊拒否をめぐる主なできごと
マイタウン熊本
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