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県政回顧(5)ハンセン病

2009年01月29日

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宿泊拒否問題について坂口力厚生労働相(右)に説明する潮谷知事=03年11月20日、東京・霞が関の厚労省(肩書は当時)

  前知事の潮谷義子さん(69)に県政を振り返ってもらう「県政回顧」第5部は、ハンセン病元患者に対する宿泊拒否問題を取り上げます。県が公表に踏み切った経緯などを振り返ってもらいました。(聞き手・林国広)

  知事を8年務めた中で、最大級に怒りや衝撃を感じた事件が起きたのは、03年11月でした。

  合志市の国立ハンセン病療養所菊池恵楓園の入所者22人が、県が02年度から始めた「ふるさと訪問事業」で南小国町のホテルに宿泊を申し込んだところ、元患者であることを理由に宿泊を拒否されたというのです。

  記録によると、報告を聞いたのは11月13日。私は怒り心頭に発しました。あぜんとし、情けなく思いました。「何ということが起きたのか」「とんでもないこと」「おかしいじゃない」などと言った記憶があります。

  私は90〜99年に人権擁護委員を務め、人権には強い関心があります。ハンセン病問題は知事就任前からのライフワークで、01年に熊本地裁でハンセン病国家賠償訴訟が原告勝訴となった際も、知事として深くかかわりました。

  翌14日、担当者に知事名の申入書を持たせ、ホテルを経営する東京の化粧品販売会社に行かせました。入所者は完全に治っており、感染の恐れはない。ホテル側の対応は「人権侵害」だとして、遺憾の意を表明したものです。交渉で相手の態度が変わる可能性にも期待しましたが、会社幹部は改めて拒否の姿勢を示しました。

  「場所を変えても、事業は予定通り実施してほしい」との入所者の意向を受け、別の宿泊場所を探し始めました。

  折も折、定例記者会見が18日に予定されていました。これほどの人権侵害が闇に葬られるのは許せない。ホテル名も隠さず、すべてを説明すべきだと考えました。差別の原因には多くの場合、無知がある。無知を啓発するため、事実をきちんと伝えるべきだ――と考えたのです。県幹部にも相談せず、「事実を言います」と結論を伝えました。

  知事の決断に面と向かって反対する職員はいませんでしたが、担当課や県幹部、地元自治体関係者らは消極的でした。風評被害など影響の大きさを懸念したためでしょう。ホテル側から損害賠償を請求される可能性も検討しましたが「何かあれば受けて立つ」と覚悟を決めました。

  記者会見前夜、私は菊池恵楓園の太田明・入所者自治会長に電話で説明しました。すると太田さんは、ホテル名などの公表に躊躇(ちゅう・ちょ)したのです。

  これは意外なことでした。長年差別に苦しんできたであろう太田さんらも今回の問題をとても情けなく感じたはずで、「よくぞ決断した」と評価いただけるものと思っていたからです。私は「問題が出たら、県が責任を取ります」と説得しました。

  電話の後、少し迷いましたが、最終的には公表を決断しました。毅然(き・ぜん)とした態度こそ必要だと感じたからです。(肩書などは当時)

  03年当時、菊池恵楓園入所者自治会長だった太田明さんの話 潮谷知事からの直接の電話には驚いた。知事が翌日の会見で公表すると言うので、私は「慎重に対応してほしい」と求めた。自治会としてもいずれ公表するつもりだったが、風評被害で他のホテルに迷惑がかかるのは本意ではないし、入所者らへの誹謗(ひ・ぼう)中傷も恐れた。いま思えば潮谷知事らしい毅然とした対応だったし、その後啓発が進んだことを思うと、あの時点で公表して良かったと思う。

宿泊拒否をめぐる主なできごと
 2003年9月17日 県がホテルに宿泊を予約
 11月7日 県がホテルに宿泊者名簿をFAXで送り、菊池恵楓園入所者であることを連絡
 13日 ホテル側が宿泊拒否の意向を連絡
 14日 県担当者がホテルを経営する東京都内の化粧品販売会社を訪れ説得。拒否姿勢変わらず
 15日 県、菊池恵楓園入所者に事情説明
 17日 入所者らがホテル側に抗議。潮谷知事が太田・菊池恵楓園入所者自治会長に事実関係の公表方針を説明
 18日 潮谷知事が定例記者会見で事実を公表

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