「ほな、頑張ってくるし」。体重41キロ。すっかりやせ細った父(80)は、従容とした表情で手術室に運ばれました。
大腸が閉そくし、昨年末入院したのです。一時は緊急手術も想定されましたが、何とかしのぎました。点滴のみの栄養摂取になって3週間。「戦時中以来の空腹」と漏らしました。年末年始とあって手術日が決まりません。手術に耐える体力づくりのため、点滴しながら病棟を歩きました。余計に空腹になってつらくなりますが、「もう一度家に帰る」一心です。
49歳と59歳の時にも胃腸の手術を受け、驚異的な回復力で大工の仕事に復帰しました。ところが今回は高齢です。病院に毎日通う母は体重を6キロ減らしました。
「あした手術です」。先月中旬、突然決まりました。運よくキャンセルがあったのです。連絡を受け、私は6時間かけ、吹雪の中、帰郷しました。手術室が空いた夕方に手術は始まりました。病巣ごと大腸の半分近くを切除します。
病室で待つ間、何度も時計の針をにらみます。メドとされた3時間が過ぎ、不安が膨らみます。4時間、5時間……ようやく午後10時過ぎに終了し、ICU(集中治療室)へ呼ばれました。酸素吸入の機器をつけ、毛布でくるまれた父は痛々しい姿でしたが、予想以上に元気そうです。「よう頑張ったなあ」。母の呼びかけに父は軽くうなずきました。
翌日未明、私は高知に戻りました。術後の様子を故郷にいる妹にメールで送ってもらっています。
【術後1日】ICUを出る。母が手術日に続き、病室で連泊。
【同2日】貧血。輸血続く。上体を起こし見舞いの叔母と話す。
【同3日】なお貧血。「は~ふ、は~ふ」と言いながら寝ている。
【同4日】初めて歩く。酸素と小便の管が不要に。
【同5日】血液データの数値がよく、輸血なし。頑張って歩く。
【同6日】お茶を飲む。大半の点滴がいらなくなる。ガスも出る。患者仲間から「元気」と感心される。
【同9日】朝、三分がゆ、おかず(豆腐と小いも)、デザート(すった果物)。ほぼ1カ月ぶりの食事。抜糸。腹部の管も不要に。
貧血が続くと、傷の治りが悪いと聞いていましたが、その後は順調なようです。「腹ごなし」と、日に3、4回、院内を歩いています。母に電話すると、陽気さが声に戻っていました。比較的若い主治医がこんなことを言ったそうです。「手術前はどうなるかと心配していたけど、ありがとうございました」。父の頑張りをたたえる言葉だと母は受け取りました。
手術から約2週間。今月から普通のご飯が食べられます。今後も治療は必要ですが、「今の体調は絶好調」と言っているそうです。甥(おい)っ子の言葉が頭に浮かびます。「おじいちゃんは大丈夫。いつも120歳まで生きると言うとってやで」。81歳になる来月の誕生日は家で祝えそうです。【高知支局長・大澤重人】
※次回は11日に掲載します。
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毎日新聞 2009年2月2日 地方版