■昨日見た、笞刑のスレ
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1875578
nominallyが追記をしているので、今日ご覧になっていない人は、一度チェックを。
しかし、レスが700も付いているので、PC環境によっては、ページが開かない人も居るかも知れない。
はっきり言って、エンコリの吐き出すhtmlは極めて無駄が多い。特にレスの部分など、完全に資源の浪費である。論外と断じて良い。作ったやつ、馬鹿じゃねーのか、と。
さて、上のスレは、まとめると「総督府は笞刑を実施しましたね。」「総督府の刑罰として活用しましたね。」という事実の指摘だったはずだが、nominallyが朝鮮笞刑令(明治45年制令第13号)の条文を全て読んでいないため、かなり無駄な方向に迷走してしまっている。
(全文読めて、内容を理解していれば、種々の間違いを指摘されずに済んだはずである)
そもそも刑罰は、その社会での「禁忌」を担保する概念の具現化であり、社会的要請に基づく物であり、その社会に適合した物でなければならない。例えば、イスラム圏にヨーロッパの刑罰をそのまま持ち込んでも意図した通りに機能するはずがないし、逆もまた同様である。各国の刑法が様々に異なり、外国人にとって「奇妙」とも思える刑罰が諸外国に存在しているのもその為である。
故に、総督府は、朝鮮笞刑令を公布するにあたってその理由を次のように記している。

要約:朝鮮には古くから、微罪を科すのに笞刑を用いる慣例があり、刑事令の例外として朝鮮α人には、微罪刑罰の代替罰として笞刑を使いたいからです。
そして、この朝鮮笞刑令を廃止するにあたっての理由として、

要約:笞刑は古来朝鮮で広く用いられ、民度に適した刑罰であったため、旧制を踏襲して軽微な犯罪の制裁としてそのまま使ってきましたが、肉体に直接の苦痛を与えるものは現代の文明思想に基づくものではありません。またこの頃、朝鮮α人は著しく向上を自覚して、民度も昔とは変わってきたので、笞刑を廃止して基本刑である懲役や罰金刑に変えます。刑政上も全く支障はありません。
と書いている。
総督府は、統監府時代の司法代行の関係から朝鮮社会の情勢を知っており、「軽微な罪に対する制裁」として笞刑を使うのが妥当だと判断したのである。(当時笞刑を採用する利点はいくつも挙げられると思うが、ここでは省略する。)
nominallyは「総督府も笞刑を採用しましたね」と主張したが、その内容も同じだったと言っていいのか。総督府の笞刑の方法は、李氏朝鮮・大韓帝国時代の笞刑と同じなのか? 同じ笞刑という言葉で、内容を精査することなく、「同じだ」と簡単に言ってしまって良いのか?ということである。
私も一応調べてみた。目撃談・ネット上のソース曖昧な情報から判断すれば、両者の内容は全く違うものだと考えるしかない。例えば笞刑に用いる道具も全く違う。総督府の笞刑に使う道具は「竹のヘラ」であり、朝鮮の道具は「竹の棒」に近い。破壊力が全く違う。
笞は長さ一尺八寸厚さ二分五厘広さ笞頭七分笞柄四分五厘にして
竹片をもってこれを作り
疎節を削除し
麻をもって縦にこれをくるみ笞頭は断余を片頭に一寸二分を余し笞柄は六分を余し
麻糸をもって密にその外部を横纏し一縞毎に背部に交結してもって一条稜をなし
長さ五寸布片をもってその笞柄を包み
外径は笞頭二寸三分笞柄一寸五分とす
残念ながらネット上では大韓時代の笞刑のルールは閲覧できなかった。
国会図書館には蔵書があるようなのでその内、yonaki氏がupしてくれるだろう。(報償鰻は無いけれど)
またnominallyも、『予定された 2部は大韓帝国の苔刑に関することで…中略…大韓帝国法律第3号刑法には苔刑が規定されている』と書いているようなので、その内に詳細が掲載されるかも知れないと期待している。( ´H`)y-~~
( ´H`)y-~~ 常識的にはこれで終わり。ここで終わり。
[参考資料]
朝鮮刑事令(明治45年制令第11号)
朝鮮笞刑令(明治45年制令第13号)
朝鮮笞刑令施行規則(明治45年朝鮮総督府令第32号) 40号はnominallyのスレ参照
如何に笞刑が刑事令の例外として使用されたとしても、条文を正常に読めているならその笞刑が定めるところの対象・量刑限度・実施に当たっての手順作法・使う道具・叩き方に至るまで、全てにおいて細密に決定されている点。さらに、情状を加味し、受刑者の安全とプライバシーを守り、見せしめ的要素を一切排している点。これらを見れば、これが前近代的刑罰を近代ルールに則って実施した物である事は明白であり、疑惑や悪意の立ち入る余地はない。まぁ…条文が読めたら、だけどな。
( ´H`)y-~~ でも、韓国に限って、これが常識的に終わる訳もなく。
韓国の歴史教科書では思いのままに笞刑を行ったと記載されていたし、
憲兵警察の主要任務は警察の業務を代行すること以外に、独立運動家を捜索し処断することにあった。彼らには即決処分権がありわが民族に対し思いのままに笞刑を行なった。韓国人のあらゆる行為は憲兵警察の判断によって裁判もなく拘留されたり重い罰金が賦課された。また、一般官吏はもちろん、学校教員にまでも制服を着せ、刀を下げさせたことは威嚇的な憲兵警察統治の一手段であった。
『西大門独立公園西大門刑務所歴史館』では、合法的に極刑にかけて、死に駆り立てたと書かれているし、
1912年3月18日、朝鮮笞刑令を制定して同年12月30日、'笞刑執行心得’という笞刑準則を制定し、いわゆる合法的に極刑をかけることによって数多くの愛国志士たちを死に駆り立てた。
http://parks.seoul.go.kr/main/japanese/independence/prison05_3.htm
独立記念館では、ひどい笞刑を行ったと書いているし、( ´ー`)なんて素敵な定常運転
韓国人の抗日意識を完全に奪い取る目的で、1912年5月8日に「朝鮮笞刑令」を公布し、韓国人に対しひどい笞刑を行った。その時に使用された笞刑台である。日本は、韓国を強制的に併合し、陸海軍大将を朝鮮総督に任命して、武断統治を実施した。各級官公署の官吏たちと、学校の教師にまで制服を着させ、刀をつけさせる強圧的な武断統治を行い、韓国を支配した。
なお『白き衣を羽織る隠者の記録』さんのサイトには面白いことが
書いてあったのでご紹介しておく。韓国すごくて~
▼2005年1月10午前4時45分 からずっと。
ま、ヌハがあるので偉そうな事も言えないけどな、と。w
( ´H`)y-~~ このような韓国という環境にあって、
笞刑の史料を見つけながらも正常判断不能であることの責任を
一韓国人であるところのnominally一人に押しつけるのは、
少し可哀想かも知れないね。w 可哀想なnominallyに、せめてもの慰めを…。
( ´H`)y-~~ nominally曰く、まだ理解できない事。
笞刑執行心得)"で構成されているのに, ここには "執行中に受刑者が悲鳴を上げる恐れがある時には水に濡らした布地で口を阻む"という 奇怪した規定もある.
(この部分はシムドック第12条 "執行中受刑者号叫 処 湿潤 布片 "の内容を, 濡れた布地ではみをくわえることで 解釈したが, 具体的に何が誤った解釈なのか提示されなかった. 相変らず不明)
『口を阻む』が『濡れた布地ではみをくわえること』で解釈したのなら、それで正解だ。解釈を誤ってるのではなく、判断が奇妙だと指摘しているのです。
『受刑者が号泣する虞のある場合に、口はみをさせても良い』という規定を、なぜ『奇怪した規定』と考えるのかについて説明してみてくれないか?
「痛みを耐えやすくするために、口はみを許可すること」がどうして「奇怪」なのだ?
答えにくいか? ・・・では、ヒントをあげよう。
朴慶植/著 青木書店「日本帝国主義の朝鮮支配 上巻」p.47より
「執行心得」によると、受刑者の両腕両足を板に縛りつけ、泣き叫ぶ声を抑えるために水を濡らした布で口を塞ぐことが指示されていたという。また「死者に対してはその本籍の面長に通告することになっていた」という。
( ´H`)y-~~ 素直に、「韓国サイトで読んで奇怪だと聞きました」と
そう言えば楽になると思うよ?www
おまけ:韓国で見られる笞刑が 子供達に(゚∀゚)大人気!
全羅(チョンラ)南道・順天(スンチョン)市・楽安(ナガン)面にある楽安邑城民俗村
朝鮮時代の官庁もそのままだ。罪人を罰する姿と笞刑(ちけい・罪人の尻をむちで打つ刑罰)の場面を再現した催しは、子どもの人気を集めている。しかも週末と休日には守門長(番人の長)交代式、罪人の押送、罪人の拘束具(首に板をはめる)、民生巡視(地方官が城内をパトロールすること)、伝統婚礼などの歴史体験プログラムがあり、朝鮮時代を体験旅行するような感じが味わえる。
( ´H`)y-~~ 程度が合ってるんだろうねぇ。