再び、統監府政況報告ならびに雑報
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報告者:伊藤博文 |
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作成年月日:
明治40年07月31日 レファレンスコード:B03041513800
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[テキスト起こし] |
1.韓国国債報償期成会は一時■況に達したるもこの醵集せし金員は発起人その他の彼員において費消しまさに瓦解の運命に瀕しつつあることは■月通報せしごとくにしてその後京城における醵集総合所なる団体において概金募集の各団体に対し金員簿冊の検査に着手したるに報償期成会なる一団は当初この検査を拒みたるも以上の非難を恐れこれを諾したるをもって日を期し検査せんとしたるに会員共は四散して一人の止まる者なくこれを執行すること能わざらしめたるをもって、総合所は期成会の行為を怪み、爾来同会の裏面を内定するにその募集重額は約五万円に達したるもののごとくしてその内金壱千七百余円は既に漢城銀行に預入しあるもその余の大部分は所在明瞭ならず。総合所が進て探求する所によれば約三万五六千円は同会の総務委員においてこれを支那貿易の資本重に融通し他の八九千円は京城商人に貸典したる形跡あり。期成会総務委員はその内幕のまさに暴露せんとしつつあるをもって大いに苦悶しつつあり。総合所は以来これが仕置きにつき熟議を重ね一旦その不正行為を公にせんとしたるも目下の所むしろ検行中なるをもってその帰来を待居るもののごとし・・・(2.以下省略) |
[現代語訳] |
1.韓国国債報償期成会は、一時盛況になりましたが、募集した金は発起人とその他の役員が消費して、瓦解の運命に瀕しつつあることは以前に通報した通りです。その後、京城にある募金総合所という団体が、この募金を実施している各団体に対して、金銭帳簿の検査を始めた所、国債報償期成会という団体は、最初この検査を拒みました。でも、それ以上非難されることを恐れて、検査を受諾しました。そこで、日を決めて検査をしようとしたところ、会員達は全員四散して、一人も居なくなってしまい、検査が出来ないようにさせられました。それで総合所は国債報償期成会の行為を疑って、同会の裏を内偵したところ、その募集金額は50,000に達していたようです。その内の1,700円は漢城銀行に預金してありましたが、その他の大部分は所在が分かりませんでした。総合所がさらに調査した所、約35,000〜36,000円は国債報償期成会の総務委員が、支那貿易の資本追加に融通して、残りの8,000〜9,000円は京城の商人に貸した形跡がありました。国債報償期成会総務委員は、この内幕が暴露されつつあることに、大いに苦悶しています。総合所は以来、この処置について、議論を続け、一旦この不正行為を公にしようとしましたが、今のところはむしろ取調中であることにして、お金が返還されるのを待っているようです。 |
要約
国債報償期成会の幹部は、善意の募金を流用。< `∀´>
監査が入ると、全員逃亡。 =<#`д´>逃げるニダ。
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THE END |
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( ´ー`) ・・・安重根が北間島に逃げた理由は?
( ´ー`) ・・・歴史の建て直しが必要ですね。w
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国史を書き直すなら、次のように変えて下さい。
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安重根義士
1907 国債報償運動で活躍。善意の募集を多数集める。しかし仲間の募金流用事件が発覚したため国外に逃亡。その後、再起を図り、1909に伊藤博文の暗殺に成功。(逮捕され刑死)
この義挙によって、韓国併合は不可避となり急ピッチで進行。1910併合を迎える。それと同時に借款が消滅。国債報償運動は、韓国人の横領癖と飽きっぽさで失敗に終わったが、彼は日本に併合させるという奇策を実行。一発逆転の大成功に導いた。彼は、偉大な義士である。
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