明治園芸史雑話 (長文) | 478|共感3
1635235| JAPANroxxan_jp | 2007.06.29 15:58:12
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明治園芸史雑話 ― 新潟の園芸を中心に

新潟県立植物園 舎重祐二

 独自の園芸文化が花開いた江戸時代の園芸が評価される一方で、明治以降近代についてはあまり顧みられることがない。

 世界的に見ても高い水準に達していた江戸の園芸や、現代とは異なる美意識のもとに育成された珍奇な植物は、西洋文明の多大な影響下にある現代人には大変魅力的に映る。しかし、現在から過去への延長線上にあり、感覚的に理解できる範疇に属する近代の園芸は、研究者の興味を引きにくかったのかもしれない。 近代明治の園芸が140年もの長きになる今、ここで新潟県を例に引きながら近代の園芸について概説してみたい。

江戸時代の園芸

近代以降、西洋の植物や栽培技術等が急速に普及したのだが、これは江戸時代にすでに園芸文化が成熟し、抵抗なく海外の植物が受け入れる体制ができていたためだろう。では、まず時代を江戸にさかのぼってみよう。

 江戸時代における本邦の花井園芸は、ツバキやボタン、ツツジなどの花木、ハナショウブ、キク、アサガオ、オモトなどの草本類など、多くの品目で数々の優れた園芸品種を生み出した。

 これらの植物のうち、一見して美しいと感じられるツバキやツツジなどは現在の日本でも広く栽培される一方、幕末期から盛んに海外へ持ち出され、品種改良の材料として用いられた。一例をあげれば、300年以上前に作出されたツツジの自琉球や大紫、またサツキの園芸品種などは1830年代までにイギリスに渡り、後にベルギーで交配されて現在「アザレア」と呼ばれる温室鉢物を生み出している。他方オモトやイワヒバ、サクラソウ、ヤブコウジ、カラタチバナの斑入りや奇形などの葉や花を観賞する植物は、古典園芸植物(戦前は日本花井や菓変(はがわり)植物と呼ばれていた)として、国内の好事家によって現在まで保存されてきた。

 江戸時代の園芸の発展の要因としては、戦乱の世が終わり、人々の生活にゆとりが出てきたためとしばしば言及されるが、これ以外にも、本邦には観賞価値の高い植物が人里近くに豊富に自生したこと(材料の供給)、花を受け入れる文化的な成熟期にあったこと(園芸化の原動力)、さらに採集、改良した植物を維持、増殖する技術が確立していたこと(継続性と普及)という条件がそろっていたことも見逃せない。

 日本の園芸の特徴として、西洋では園芸趣味は貴族や裕福な層に限られていたのに対して、一般市民まで普及していたことがあげられる。特に江戸周辺では植物の生産販売が産業としてもある程度の規模をもっていたことから、園芸産業を支える需要があり、顧客の興味に応える植物の多様性を持ち、さらに接木やさし木、取り木、実生や株分けなどの増殖技術が確立していたと見ることができる。江戸時代すでにこのような下地があったからこそ、開国後に西洋植物が急速に普及したのであろう。

明治の園芸 西洋植物の流行

明治は西洋から植物が大量に導入されだだけではなく、同時に園芸学や栽培技術も輸入された時代である。さらに細かく見れば、30年代幸では植物の普及、学問や技術の吸収消化期であり、それ以降に日本独自の要素が加わってきたといえるだろう。では明治の園芸の概況をみていくこととしよう。

 大政奉還が布告され江戸時代が終わり、時代が明治とかわると他の欧米の文物と同じく西洋植物が輸入されはじめた。当初は外国人商人によって日本に在留する外国人のために洋蘭や球根が輸入されたが、明治20年代末から植物の輸出入を手広く行っていた横浜植木株式会社などの国内種苗商によって日本人向けの輸入が本格化した。

 その後、明治36年頃から洋種花井の栽培が流行しはじめ、非常に高価であった西洋草花も縁日の植木屋や呼亮の草花屋によって比較的安価に販売されるようになった。明治40年に出版された「実用農芸大観」には、草花の栽培が近来に及んで隆盛を極めており、また近来舶来種の輸入が盛んになり、本邦固有の草花はある一部を除きほとんど世人に忘れられてしまっているとの一文が見える。

 今日見ることのできる洋種花井の大半は、明治35年から40年頃までに導入されている。実際、植物の輸出入で有名であった横浜植木株式会社の「明治四十四五年度定価表」(通信販売カタログ)には、多種の洋蘭、テコマ、セントポーリア、ハイドランジア・アルポレスケンス、バビアナ、クレオデンドロン等が掲載され、品種名は違えどモノクロの絵をカラー写真にすれば、現在のカタログとそう変わりない内容となっている。また、巻末には学名(属名)の索引も付されているのは、今よりも良心的である。

 明治に特に人気を呼んだのは、ダリアを筆頭にニオイスミレ、アネモネ、チューリップ、ヒアシンス、ラナンキュラス、スイートピー、シネラリア、プリムラなどの草花や球根植物であった。しかし、これらのうち栽培技術の未熟さで国内で生産するまでにいたらなかった植物も多く、また冬期に高温を必要とする熱帯産のランなどには温室が必要であったため、栽培は一部の裕福な層に限られていた。

 このような西洋植物の流行によって、江戸時代から続く日本の植物は凋落の憂き目を見ることとなる。ツツジを例にとれば、明治30年代までは江戸時代の霧島や琉球系が販売され、40年代にはサツキの園芸品種やクルメツツジ、アザレアが加わったが、主は江戸時代からの園芸品種であった。しかし、大正には花色が鮮やかなクルメツツジやサツキの人気に押されて江戸のツツジは徐々に販売されなくなった。さらに昭和初期にはアザレアのアルバートエリザベス(日本名:王冠)が大ブームを呼び、これによってクルメツツジを含む日本の園芸ツツジはアザレアに取って代わられた。また、アザレアはサツキの大輪系品種を育成するために交配親に用いられ、「光華工「福寿」、「宝船」などが作出されている。

 西洋植物が輸入されたことによっておきた園芸の流行に乗じて、明治38年以降に多額の資本金をもった日本種苗株式会社や東京園芸株式会社、植物の輸入を専門とする東京園芸商会が興されたり、国民新聞社に園芸部が設けられたりと園芸産業に参入する企業が数多く現れた。また、明治30年頃から園芸花井の栽培書や園芸雑誌が次々と出版されている。

 時代が大正に入ると、ますます国内における西洋植物の需要が増大した。大正期と傾向は大きくかわることはないだろうと考えられるが、時代は下って昭和8年に出版された「花井栽培要覧」には、現代流行の家庭的趣味栽培の実例として「花壇物 チューリップ・グラジオラス・ダーリア・牡丹・苛薬・菊等。鉢物 大菊・小菊・朝顔・サボテン・洋蘭・プリムラ・シクラメン・シネラリア・ゼラニューム・石南(しゃくなげ)等。盆栽 松・梅・皐月・和蘭・萬年青(おもと)・山草等。庭物 バラ・ライラック・藤・つつじ等」が上げられている。洋種と合わせて日本古来の園芸植物の人気も復興したかに見えるが、これまで本邦では栽培されなかった種類がより大きな人気を博し、また古くから日本で栽培される植物でも西洋植物と重複する種顆、例をあげればシヤクヤクやツツジ等は西洋植物に その地位を奪われ、オモトやアサガオなどは趣味家の間で命脈を保っていった。

江戸の熱狂再び 新潟ヤブコウジ事件

 ある特定の植物が流行することは古今かわりはないが、近代においても時として狂乱を呼ぶほどの勢いをもつことがある。

 江戸時代、享保(1716-1736)末頃にはじまった斑入り植物の人気によって、ヤブコウジも寛政年間(1789-1801)に京都で流行し、次第に江戸にまで広がった。 その後、かなりの時を経た明治20年頃、新潟に持ち込まれた斑入りのヤブコウジにょって流行が再燃しはじめた。27年には日清戦争に勝利したことで好景気が訪れるだろうとの予測から県内で売買が過熟し、投機の対象として生産者や趣味家だけではなく一般市民も巻き込んでいった。最も価格が高騰した明治29年の価格は、米価から換算すると、一番の人気品種‘日之司’の3年生以上の株が1,000万-1,300万円であった。中には1鉢2,000万円で購入されたことも記録されている。この間に他県にもブームは波及し、新潟県においても倒産者や家財を傾ける者も多くあった。当時の園芸雑誌に取り上げられたヤブコウジの記事には、「関西各地至る所愛培家を続出し迎いて中国四国九州の辺僻に及ぼせり・‥」、「紫金牛の流行に裁て一言す 流行物即ち人気物は非常の盛衰を来すは必ず衰うの理にして‥・」(日本園芸会雑誌明治28年)、「種類は百種に至る(中略)明治二十五六年頃より越後地方に流行し終に全国に及へり七福神、干網、日の司の類は展芽一鉢数百円の売買在り…」(日本園芸会雑誌明治33年)など流行の大きさや売買への警告の内容が見える。

 事態を憂慮した新潟県は、明治29年に「ヤブコウジの売買に狂奔するために、農家は田畑を荒し、実業家は商売を省みないので注意すべし」との内容の知事諭告を発した。しかし、一向に取引は止まなかったため、翌年には新潟県から「紫金牛売買取締規制」が発布された。これによって売買は鑑札によって許可され、取引場所の指定や売買内容の届出が義務づけられた。しかし、これを不満とした有力者が県当局に自由売買の嘆願をした結果、1年後に「取締規則」は廃止された。この後も、ヤブコウジは人気品種の変遷を経ながらも盛んに売買が行われたようで、明治末期には小会村(現新潟市)で100品種のヤブコウジが栽培されていた記録がある。

 このような狂乱によって社会は混乱に陥ったのだが、一方では新潟の花井生産者が植物も巨利を生む可能性があることに気づ き、その後のチューリップ球根やアザレア、シャクナゲ等収益性の高い植物を積極的に取り入れ、それらの産地として大発展する結果をもたらした。

品種改良

 本邦の江戸時代の園芸植物は多様性に おいて他国に引けをとらぬものであったが、 これは突然変異と自然交雑によるものがほとんどで、西洋で一般的に行われていた育種目標を持った人為交配による品種改良(交雑育種)はほとんど行われていなかった。

 その状況は明治にもかわらなかったようで、「明治年間花井園芸私考」の中で前田氏は、「明治時代の栽培者は、技術の点に於て、徳川時代の先輩よりは遥かに劣って居た。彼等には独創の変品を出す事も出来ず、徒らに先人の糟粕を嘗めて、巧みにお茶を濁して居るに過ぎない」と嘆じている。

明治は輸入された西洋植物の普及期であり、後期になってはじめて日本独自の品種改良が緒に就いた。

 さて、新潟県の状況といえば、明治30年ころからボタンやシャクヤクの品種改良がはじまったのだが、ボタンの場合は特定の花と花を交配するようなことはなく、どれでもできた果実を採集して播種する方法によって新品種が作出されており、またシャクヤクはボタン接木繁殖用木の台木として大量に実生苗がつくられもののうち、余剰苗で開花したものから良い花が選抜されたようだ。それらは、明治41年の新潟市の長尾草生園の通信販売カタログで発表されている。

 しかし、中央では現在の新宿御苑の基礎を築いた福羽逸人(1856~1921)が明治19年にフランス、ドイツ及びベルギーへ留学し、帰国後にラン科、カラジューム、ポインセチア、クロトン、ネペンテスなどの熱帯植物の品種改良を行っている。特に江戸時代から続くキクについては明治27年から20数年間に渡って計画的で大規模な交配を行い、15万本を育成し、この中から680もの新品種を選抜している。この品種改良は明治の本格的な交雑育種の最初であり、最も大規模なものだったのではないかと考えられる。その成果は、明治33年のフランスのパリ万国博覧会に出品した「菊花の大造り石代植え」で各国の審査官約50名を驚嘆させたという成果に結びついている。この時代から、単なる西洋の園芸の模倣ではなく、西洋の学問と技術が日本の植物の品種改良に応用しはじめた。

 明泊には日本から輸出される花井は山取りのユリ球根など、野生種の山取り球根など天然資源が主なもので、日本で品種改良された植物の輸出はわずかであった。その状況を変えるべく、明治43年より神奈川県農事試験場では、宮澤文吉を中心として本邦産花井を改良し海外へ輸出することを目的に、シャクヤク、ハナショウブ、ツツジ、ユリ、ボタンなどの大規模な品種改良に着手している。これらのうち、シャクヤク、ハナショウブは現在「大船系」と呼ばれ、神奈川県立フラワーセンター大船植物園に保存されている。
(以下略)


園芸についても、江戸時代の基礎の上に、西洋文物の急速な導入と受容という構図。近代化の縮図を見るようで。

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ravoisier|06-29 15:45
erunニムが居ると良いねぇ・・・◎^(゜`H´゜ ミэ )Э
 → roxxan_jp|06-29 15:46
o( ´Ω`) o 農民さんはおでかけ?
 → nouminn001|06-29 15:50
(ε(*´┌Д`) 来ますた。 が、脱水症ですだ・・・。
nouminn001|06-29 15:53
江戸以来、時々バクハツする仙人掌ブームにも面白いものがありますにだ。
roxxan_jp|06-29 15:54
nouminn001 06-29 15:50 > o( ´Ω`) o 農民さんのお話を伺うなら園芸論の方が面白いと思いますが、私が見ているのは近代化論なんですよねえ。
 → nouminn001|06-29 16:07
西洋は園芸植物の原種を求めて、アメリカ大陸の多肉植物やサボテン採集の探検隊まで出しますね。東洋からも日本からも多くの原種が海を渡っています。・・・逆に、日本へも結構様々な植物が入ってきたのですが、大発展をしたことは、明治以前には無いんですよね。【宝草投機ブーム】が唯一でしょうかねえ。
roxxan_jp|06-29 15:59
nouminn001 06-29 15:53 > o( ´Ω`) o 江戸時代、既に投機的な園芸ブームがあったわけですよね。 オランダのチューリップバブルのように。
dreamtale|06-29 16:00
土台があるのと無いのは大きな差。( ´H`)y-~~
 → roxxan_jp|06-29 16:03
o( ´Ω`) o ボタンはシャクヤクに接ぎ木して~ 
 → chaos|06-29 16:08
馬鈴薯には唐柿を接ぎ木して・・・・・・               <木じゃないし。
ravoisier|06-29 16:06
昔から日本は金融に弱く、技術の強い民族性だねぇ・・・凝り性でのめり込み、新しい物好き・・・◎^(゜`H´゜ ミэ )Эギャンブルによえぇ・・・
 → roxxan_jp|06-29 16:09
o( ´Ω`) o 商人の世界に限定すれば、高度な為替操作や先物市場もあったみたいです。大阪の米相場なんかは、凄いプロフェッショナルだったらしいし。でも一般のレベルでは、ただの凝り性ばっかりという気がしますなあ。
 → chaos|06-29 16:10
信用手形、為替、ロウソクの開発元(多分)なのに・・・・・あんまりnida      ◎^(゜皿゜ ミэ )Э
 → nouminn001|06-29 16:13
奇形・斑入り・わい化なんちゅう、再現性の無い園芸品種にウツツを抜かすのがお大尽の江戸園芸。
 → ravoisier|06-29 16:13
んー・・・◎^(゜`H´゜ ミэ )Э
roxxan_jp|06-29 16:07
o( ´Ω`) o 園芸が産業として成り立つには、市場の大きさが必要なわけで、江戸時代にその下地は整っていたと言えて。
chobo19|06-29 16:08
とても長くて読みにくいがこれは立派なようだ. 推薦!!!
 → roxxan_jp|06-29 16:10
o( ´Ω`) o ゴマウォヨ
 → chobo19|06-29 16:16
これは全然予想することができなかった反応なのに...ちょっと荒てた. そして恥ずかしい.
 → roxxan_jp|06-29 16:16
o( ´Ω`) o パンマルで良いよ。それに謝罪の必要もない。罵倒はお互いのことだし、知識の点では、貴下の専門領域の知識を私に授けたことになるし。
 → chobo19|06-29 16:16
昨日の事は心より謝罪します.
 → chobo19|06-29 16:18
児やら児やら全然問題になることでもなくてそれほど間違ったのでもなかったが私がそのまま roxxanを冷やかすためにけちをつけたのだ. 確かにごみみたいな行為だった. ごめん.
 → roxxan_jp|06-29 16:19
o( ´Ω`) o 私は無用な対立はしたくないが、特に貴下と懇意になりたいわけではないので、従来通り普通で居て欲しい。
 → chobo19|06-29 16:23
roxxan_jp 06-29 16:19 //あまり気を使わなくても良い. 何やら親しくなるために言ったことではなかった. roxxanは純粋な人なのに...私の行為を反省するきっかけになって謝罪したことだけだ.
roxxan_jp|06-29 16:14
nouminn001 06-29 16:07 > o( ´Ω`) o イギリスのキュー・ガーデンは、植物資源の戦略基地という側面がありましたよね。 プランテーションのための種の収集、栽培地域の特定を体系的に行うための研究施設であって、その尖兵としてプラントハンターが世界中に植物採集を展開。
 → nouminn001|06-29 16:22
大英帝国の本拠の島は貧弱な植生ですから、植物の宝庫のような島とは、目新しい植物に対する欲求度が違ったんかなあ。
nouminn001|06-29 16:32
しかしねえ、山百合やらツツジやら石楠花やら、ちょっと改良すれば豪華な花になる植物はそのまま野に置いて鑑賞し、ヤブコウジやら和蘭やら、山の下草に埋もれているような植物をひねくり返すのが古典園芸なんですよね。・・・現在の我々の【花】に対する感性は西洋から輸入されたものなのかなあ・・・。
roxxan_jp|06-29 16:39
chobo19 06-29 16:23 > o( ´Ω`) o ごめん、電話で中座した。 私への評価も保留してくれ。 私には韓国に対する悪意があるから。 今後も貴下はそれを不愉快に思うはずです。 それは私の内面の問題だから、貴下が私の中の悪意を変えることはできない。
roxxan_jp|06-29 16:42
nouminn001 06-29 16:22>o( ´Ω`) o 露骨に、植民地支配を前提とした帝国主義的資源戦略だと考えますが。 
 → nouminn001|06-29 16:45
まあ、英国庶民の感性は【イングリッシュガーデン】であって、根にあるものは故郷の山野ですかねえ・・・。
 → roxxan_jp|06-29 16:48
o( ´Ω`) o イギリスがブラジルからパラゴムノキを持ち出したのは、典型的な事例でしょうね。
 → nouminn001|06-29 16:52
商業目的のDNA収集と、庶民の身の回りを賑やかす植物とは別物なんですかねえ。
 → roxxan_jp|06-29 16:58
nouminn001 06-29 16:52 > o( ´Ω`) o 日常の延長に帝国主義支配が見えてくる、そのあたりが地続きなのが、イギリスの恐ろしい所だなあ、といつも思っております。
roxxan_jp|06-29 16:44
nouminn001 06-29 16:32 > o( ´Ω`) o そうなんですよねえ。 オモト(万年青)の葉芸なんかも、今の美的感覚から見ると奇矯に見えますね。 わざと、ひねくれていたんじゃないですかねえ。
nouminn001|06-29 16:50
現代庶民の植物に対する美的感覚って、アジサイとともに里帰りしてきた西洋の付加価値なんかなあ。と以前から思ってました。
 → roxxan_jp|06-29 16:56
o( ´Ω`) o 私もそれは思いますね。 原種に近いガクアジサイとハイドランジアでは、全く美的基準が違って。 まあ、そういう美的基準の変化は、花に限らず、女性の美の変化でもあるようですが、不思議なことに陶器は変化がないように思います。
 → chaos|06-29 16:56
紫陽花
 → nouminn001|06-29 17:04
さらに、ハイドランジアの持つ美的センスで改めてガクアジサイを改良してみようか!という価値観で、最近新たな感性の品種が出始めてます。  まあ、行ったり来たりのスパイラル発展段階に入ったんでしょうかねえ。紫陽花
 → hitkot|06-29 17:06
美的感覚と流行は違うかと。
roxxan_jp|06-29 17:00
chaos 06-29 16:56 > その意図は?
hitkot|06-29 17:03
( ´H`)y-~~ なんですか、このエンコリらしからぬスレは?w
 → roxxan_jp|06-29 17:06
o( ´Ω`) o 私の趣味で~ w 一応、日本の伝統文化の紹介も入っておりますです。
hitkot|06-29 17:04
(´・ω・`) くそみたく重いね・・・
roxxan_jp|06-29 17:11
hitkot 06-29 17:03 > o( ´Ω`) o ほら、本文にも、日清戦争の勝利を背景に、ヤブコウジの投機が過熱ってあるし、朝鮮ともまんざら無縁でもなくて~
 → hitkot|06-29 17:12
あ、ほんとだ☆
roxxan_jp|06-29 17:23
o( ´Ω`) o サーバーが重くて思うように書けないです。 諦めて帰宅します。 二万退室。
 → nouminn001|06-29 17:25
やっと入れた。。。あきまへんな。
mukta73|06-29 17:49
父親の世代が韓国で最初で 針峯の製作技術を日本から学んで来て朝鮮戦争以後経済的基盤を用意しました. 今は 針峯の需要は非常に縮まって, 水を吸収, 維持する一名 oasisと言うスポンジみたいなことをたくさん使うからずいぶん前 針峯 製作業は家業であきらめました. 園芸が直接的関連はないが, おもしろくよく読みました.
韓国は本当に民主主義に則った国民国家なのだろうか。 [20]
- 明治園芸史雑話 (長文) [48]
!!#@#! ハハー!! [3]