この問いはそもそもおかしい。
我々は通常、特殊な事例について何故それが起きたのかを問う。例えば大学レベルの数学を解ける小学生がいたとしたら、問題になるのは、その子がどのようにそのような数学的能力を獲得したか、どのような要因(教育方法や家庭環境、食べ物など)がそれに作用したかである。そこで何故うちの子がその子のように天才でないのかを問っても、およそ無意味であろう。何故なら、うちの子が凡庸なのは、特殊な要因を持ち合わせていないからであることは明らかだからである。問われるべきは、特殊な事例を起こした特殊な要因であり、凡庸な者が凡庸である要因ではない。
表題の問についても全く同じことが言える。西洋の近代諸国が近代主義と兵器とを携えて非西洋諸国を訪れたとき、植民地にならなかったのみならず、逆に自己を改革して近代諸国の一員となった例が、日本以外にどこかあるであろうか?「近代」の定義次第ではいくつかの例を挙げることも可能かもしれないが、いずれにせよ、それは極めて特殊な例外である。日本の例外的な成功の要因を問うことは可能であるし意味もあるが、朝鮮が例外にならなかった要因を問うことは、およそ無意味である。
具体的に立論の方法を考えてみよう。日本の成功要因を考えるのは簡単である。19世紀末の日本の社会に存在し、その他の社会には存在しない、あるいは存在していても未発達なものを探せば良いのである。無論、その要因と近代化の成功という結果との間の因果関係についてはなお考察を要するが、少なくとも日本社会の構成要素と他の社会の構成要素とを較べることで、特殊な結果を導いた特殊な要因を絞り込むことが可能である。
一方、朝鮮が成功しなかった要因はどのように分析できるのだろうか?ある人は日本が邪魔したからだと言うかもしれない。しかし、他国の圧迫を受けたのは日本を含む全ての国々も同様である。また、「日本という侵略者が近くにあったために近代化どころではなかった」と主張した人物が以前あった。確かに日本という特異な隣人を持ったことは朝鮮の特殊な状況であろう。しかし、この論に従えば、侵略者が遠くにあった国は(少なくともその多くは)近代化していなければならないことになる。失敗という結果が特殊でない以上、朝鮮の特殊な状況を要因として挙げようとも、それは朝鮮の失敗を説明する特殊な要因にはなり得ない。
韓国人が朝鮮の失敗要因を探そうとするのは、自分達は運が悪かっただけで、本来なら自力で近代化できたと思いたいからであろう。しかし、他国を見渡せば、自力で近代化できた国こそ例外であり、朝鮮は数ある「普通の国」であったに過ぎない。普通の国が普通の運命を辿った理由を探すことほど馬鹿げたことはない。もしそれでもなお朝鮮は本来特殊な成功者の側にあり、日帝の存在こそ失敗要因だと主張したいならば、方法はただ一つ、日本が成功した要因を特定し、その要因を朝鮮も具備していたことを示すことである。