<三行要約>
韓国は凄いと思います。
韓国は偉いと思います。
僕は、世界一素晴しい韓国が、世界のリーダーになったらいいなと思います。
以下、本文。
私は以前の「韓国人に関する一考察」というスレッドで、韓国人の特徴は知的怠惰であると書いた。韓国人は自説を説くにあたり、往々にして正体不明の「普遍的正義」を振りかざす一方で、同時に自国の特殊性をも熱心に説く。何故このような一見にしてわかる矛盾を韓国人は平気で犯すのか。その背景には、彼らフ度し難い知的怠惰が存在するというのが前出のスレッドでの結論であった。
しかし、「怠惰」という評価は相対的なものである。怠惰とは、最低限必要とされる努力を払わぬ状態のことを指すが、何を以って「最低限」とするかは、様々な判断があり得る。例えば、残業を当然と考える人は定時に帰る人を怠惰と考えるかもしれないが、定時に仕事を終えるのが当たり前の環境にいる人はそう考えないかもしれない。あるいは、仕事が忙しい時とそうでない時とでも判断は異なるだう。いずれにせよ、何が「最低限必要な努力」であるかは自明ではなく、それ故に若干の補足が必要であろう。
では、自らの意見を主張するにあたり、「最低限必要な努力」とは何か?おそらく多くの日本人は、「自らの判断に基づき自説を構築し、それに対する責任を自ら引き受けること」と答えるだろう。つまり、自分の意見が何故正しいのか自分なりの論理・根拠を整え、それに対する批判、反論に対して自らの責任において答えることである。例えば、Aという人の意見に賛同し、同様の主張を行なうにしても、自分が何故その意見を正しいと判断するのかは自らの言葉で説明しなければならい。また、言うまでもなく、それに対する反論に対して答えるのは本人の責任である。日本側参加者は意識的であれ無意識的であれ、概ねこのような認識を前提としている。
一方、韓国人はどうか?察するに、彼らにとって「最低限必要な努力」とは、主張することそれ自体のようである。日本側はよく上記の認識に基づいて韓国人に根拠提示を要求したり、矛盾を指摘することが少くない。しかし、それに対する韓国側の返答は、「お前は普遍的正義もわからないか」であったり、あるいは「根拠はお前が探しなさい」であったりする。およそ通常の日本人には想像を絶する返事であるが、彼らにとっては取り立てておかしなことではないらしい。韓国人にとって、自ら論理を構築すること、そして自ら構築した論理に対して責任を負うことは、意見主張における必須要素ではないのである。従って、例えば、Aという人の意見に賛同し、同様の主張を行なう場合、彼らはその意見が何故正しいのか述べること無く、「Aは権威ある学者である」「日本人のAすら認めた」「Aを疑うのか」「文句があるならAに言え」と言う。こうした発言は、彼らが自分自身の論理を持たず、それ故に自説に対して責任を持ち得ないことを如実に示している。
以下、返信に続く。
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