『中央公論』1965年4月号で行われた在日韓国特派員団座談会「韓国は最も近い他人である」より。
- 出席者
- 亀山旭(Kameyama Asahi) 共同通信社外信部前ソウル特派員(司会)
- 李相權 合同通信
- 金潤煥 朝鮮日報
- 権五琦 東亜日報
- 羅必成 京郷新聞
- 林森 韓国日報
権五琦 : 臭いものに蓋をしたまま、親善関係ができ上がっているみたいな形で交渉を進めるよりは、過去の問題でもいいから、よくほりだしてそれを一応評価づけ、そこから一歩一歩進んでゆくのが、韓日関係正常化の姿でなければならない。高杉発言(*1)なども、論難されるのが、かえって良かったんじゃないかと私は考えています。
李相權 : 高杉発言は、結果的に日本の政治家層の誤った考え方の是正のための覚醒剤になったと思いますね。(笑)
林森 : 私、不思議に思うことがある。池田さん(*2)にしても佐藤さん(*3)にしても戦後の政治家で、日本の戦後政治家にはアジア・アフリカ圏の新しい国家に非常な関心がある。どこについているかも分からぬようなアフリカの国に相当な関心を示す。ところが、もともとよく知られているはずの韓国などに対しては、二十年前の認識をまだそのまま持っているんですね。もっと新しい目で見てもらいたい。これは私たちの率直な要求です。
羅必成 : 交渉ムードが高まっていたからよいものの、高杉発言が何年か前にあったとしたら、第二の久保田発言として、会談を決裂させたと思います。われわれとしても、もう少し追求したかった面もあるが、報道面で遠慮してしまった。
権五琦 : 私は戦後の日本の社会科教科書を調べてみたことがあるんです。「日韓併合」という小さな項目があるんですが、そんなものを読み習って、それでいいと思う人は、高杉的になると思いましたね。合併した一九一〇年と一九四五年の鉄道の長さとか工場の数とかを比較している。そういう形で日本の韓国統治を整理しているわけですが、これをいわゆる進歩的といわれる学者が編纂しているんですね。その整理の中にはいわゆる進歩的な姿勢は少しも出ていない。それが日本の一般的状況だということでしょう。
李相權: しかもごく簡単に一章ですましている。そういう形の歴史の処理で、これからのジェネレーションが育てられては困るのです。
金潤煥 : 日本の教科書では、そういう、問題の部分がかなりあるのではないか。むしろ「日韓併合」の項などない方がいいくらいです。
羅必成 : 結局、第二次大戦の跡片づけというか、けじめがついていないのだと思いますね。極東裁判で外国人の手によって批判はされていても、日本人自身が戦争犯罪を明らかにし、過ちを整理する作業をしていないのですね。
金潤煥 : 余談ですが、外務省の一高官が雑談の中で「韓国にはテレビはありますか」と言うんです。そういう人が韓日会談を扱っているわけですから……。
林森 : そういう意味で、椎名さん(*4)が公的に、過去の不幸な時期に言及したということは、非常に重要だと思う。日本が一応謝罪できたというのは、ある面では日本がそれだけ成長したことでもあると思います。
*1 高杉晉一(Takasugi Shinnichi)。三菱電機相談役・経団連経済調査・経団連経済協力委員長。日韓条約締結時の日本側主席代表。「高杉発言」とは、外務省で行われた記者会見における「(過去の統治に対して)日本にも言い分がないのではない/日本はいいことをしてきた。朝鮮をよいものにしようとしてやったことである/もう二十年朝鮮を持っていたならばよかった/日本が謝らなければならないというのは妥当ではない」とした一連の発言のこと。日韓条約を急ぐ朴正煕は「共産主義者のデマ」として隠蔽した。
*2 池田勇人(Ikeda Hayato)。張勉首相の「経済協力方式」に応じ、大平・金メモを取りまとめたときの首相
*3 佐藤榮作(Satou Eisaku)。日韓会談を締結したときの首相。
*4 椎名悦三郎(Shiina Etsusaburou)。第一次佐藤内閣の外務大臣。1965年2月に韓国を訪問し、「両国間の永い歴史の中に、不幸な期間があったことは、誠に遺感な次第でありまして、深く反省するものであります」と朝鮮統治について公式に謝罪した。
今と変わらないところ、全く違うところ双方があって面白い。変わらない部分としては、
- 他者の見解を「誤った考え方」と決めつける姿勢(韓国側)
- 「どこについているかも分からぬようなアフリカの国」と言ったアフリカ軽視姿勢(韓国側)
- もっと韓国のことを理解して欲しいという、ある意味素朴な、ある意味厚顔な要求(韓国側)
- 歴史認識における教育の効用を重視する姿勢(韓国側)
- 第二次大戦を日韓関係と関連させて考える思考(韓国側)
- 朝鮮に詳しくない人間が朝鮮との交渉に従事するという奇妙な外交習慣(日本側)
といったところでしょうか?また、今と違うところとしては、
- 教科書における日韓併合の記述(日本側)
- 公式謝罪に対する正当な評価(韓国側)
などが挙げられます。個人的には、日本側が教科書の記述も社会の一般的認識も当時とは180度変わり、その後幾度も公式謝罪をしているにも関らず、韓国側の認識はほとんど変わらないか、むしろ悪化しているように見えるのは何故だろう?と思いますね。権五琦などはその後東亜日報の社長になり、金泳三政権時代には閣僚にもなった人物で、日本の歴史認識に関しては裏表両面が見えているはずです。こうした人物は少くないはずで、韓国側にも少しは前向きな変化があっても良さそうなものではないでしょうか。
−是を視れども見えず、名づけて夷と言う−