昨日UPしたものですが、何故か削除されたので再掲します。日本人の韓国イメージについて、考えてみませんか?
岡本幸治 編著『近代日本のアジア観』(ミネルヴァ書房,1998年)
第四章 「不潔」と「恐れ」 ――文学者に見る日本人の韓国イメージ――(木村幹 神戸大学助教授)
- 江戸時代には朝鮮との直接的接触がほとんどなかったため、儒学者を中心に「儒教国家」というイメージがある一方で、武士層を中心に「軍事的に無力な弱国」という両極端なイメージが存在した。
- 後者は秀吉の朝鮮出兵によって形成され、「朝鮮は古来から日本の属国である」という日本書紀的認識と結び付いた。明治初期の「征韓論」もこの残滓が見られ、朝鮮の軍事力はほとんど検討されていない。
- しかし、そのような中でも、今日の日本人が考える「不潔」「危険」というイメージは、前近代には存在しない。
- 「不潔」というイメージは、20世紀に入ってから登場した。衛生観念を文明的次元で捉える文学者と態度や、中国に対して見られる同様のイメージから推して、これは西洋人的な進歩史観の反映である。
- 「恐れ[무섭다]」「危険」のイメージは、1919年の3.1運動におけるマスメディアのパニック的な報道によって形成された。日本人は、この報道によって朝鮮人が植民地統治に反感を抱いていることを認識した。文学に表われる朝鮮人に対する「恐れ[무섭다]」は、同時に「同情」と同居しており、このイメージは植民地統治に対する罪悪感の反映である。
木村氏の要約は非常にわかりやすいのですが、個人的に、「危険」のイメージについては若干補足が必要ではないかと思います。
まず第一に、「危険」「怖い」というイメージは、犯罪などの社会的な次元であれば、韓国に限ったものではありません。途上国に偏っている面はあるものの、欧米諸国についてもやはり犯罪が多いというイメージがあり、これは日本人の外国に対する普遍的なイメージと見るべきでしょう。
従って韓国人に対する特徴的な「危険」「怖い」というイメージは、暴力的な性格とか、喧嘩が強いとか、敵愾心や悪意を日本の個々人に向けているという個人的な次元のものです。(木村氏が引用した小説も、概ねそうした内容です)
しかし、このイメージが植民地統治への罪悪感の反映とするならば、台湾人についてこのようなイメージがほとんど見られないのは何故でしょうか?無論、1)当初からそのようなイメージは無かった場合と、2)当初はあったが、現在は払拭した場合で結論が異なるでしょう。これについては、若干の考察が必要と思われますが、どうでしょうか。