桜井淳所長から東大大学院総合文化研究科のR先生への手紙 -根源的文献としての旧約聖書と新約聖書-
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歴史をどこまで遡ったならば、本質的な議論が展開できるのか、これまで、いかなる場合にも、明確な答は、見出せませんでした。いま、神学(神学の核心は、新約聖書の核心と同じで、「イエスが主であったのは、彼が優れた言動の指導者であり奇蹟治療を行なったからではなくて、苦しみと死を通ることによって人生苦の意味を解き明かし、死に克って復活した者であったればこそなのである。哲学的に言えばSein(「在る」)の問題なのである」(犬養道子『新約聖書物語(下)』、p.35-536、新潮文庫、1980))の文献を集めています。分かりやすく言えば、新約聖書(46巻)と旧約聖書(27巻き)とその根拠となった出典資料です(それらについては、特に、聖書解釈学の研究者でもなければ、すべてに目をとおすようなことはないでしょう)。モーセ以前の世界は関係ないのでしょうか。
モーセは、紀元前約13世紀に現れた古代イスラエル人救済のための指導者(モーセは、エジプトで、ヘブライ人家族に生まれ、紆余曲折の後、ミディアンの地に住み、そこで結婚して、羊飼いをしていましたが、ある日、突然、神「ヤハウェ」(旧約聖書の「創世記」に天地創造に記されています)に遭遇し、神との契約「モーセの十戒」(①あなたには私をおいて他に神があってはならない、②あなたはいかなる像も造ってはならない、③あなたの神の名をみだりに唱えてはならない、④安息日を心にと留めこれを聖別せよ、⑤あなたの父母を敬え、⑥殺してはならない、⑦姦淫してはならない、⑧盗んではならない、⑨隣人に関して偽証してはならない、⑩隣人の家を欲してはならない)の戒めと神の使命を授かり、イスラエル人を救済するため、エジプトから約束されたパレスチナ近くのカナンへの道のりを約40年間も模索の結果、たどり着き、その後、イスラエル人は、紀元前約11世紀、イスラエル王国を築いたものの、周辺国から攻められ、紀元前721-612年に滅亡し、その後も、キリスト教誕生等、紆余曲折を経て、1948年に、パレスチナにイスラエルを建国しました)であって、旧約聖書の「モーセの五書」の著者とされており、後のユダヤ教・キリスト教(ユダヤ教が母胎となりました)・イスラム教等における最も影響力のあった預言者のひとりとされています。ユダヤ教は、特に、キリスト教誕生後に発展したとされていますが、最初から、特定の民族(ユダヤ人)のための民族宗教であり、キリスト教誕生後、中世から現代まで、影響の及ぶ範囲は、いまで言えば、イスラエルのみです。モーセに始まるユダヤ教は、歴史的に考察すれば、確かに、根源的な宗教のように受け止めることができます。
歴史的に考察して、なぜ、ユダヤ人が迫害されるのか分かりません。紀元前約13世紀には、すでに、多くのヘブライ人(ユダヤ人)は、エジプトで、奴隷として働かされていました。モーセは、神の使命を授かり、彼等を救うため、彼等を率いて、約束の地へ向かいました。現代においても、各国が、ユダヤ人への差別を続け、特に、戦争中は、ひどいものでした。私には、その歴史的根拠となる根源的な真実を見出すことができません。何が根源的な真実なのでしょうか。
「ユダがイエスを裏切ったため」というのは、根拠になっておらず、確かに、ユダは、わずか、30枚の銀貨のために、時の権力者にイエスの情報を売り、イエスの十字架刑の一因になったことは、そのとおりです。イエスをはじめ、その弟子は、全員ユダヤ人であり、ユダも誤りに気づき、権力者に30枚の銀貨を投げ返し、そして、あまりの罪の大きさに発狂してしまい、近くのいちじくの木で首を吊り、そこでけじめは、ついていたはずです。裏切行為という行為だけを永遠に罪として問うのは、不適切な解釈のように思えますが、いかがでしょうか。
桜井淳